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七つの夜  作者: 小里 千耶
第一夜 ランツォーネ
9/29

六 人と人でないもの

 宿に着いた頃にはすでに日は落ちていて、部屋の中は暗く静まり返っていた。テーブルの上にサンドウィッチを置き、備え付けのランタンに火をつける。ほのかな灯りに照らされる狭い室内に、ヒイロはふうと息を吐いた。モモはよっぽど夕食を楽しみにしていたのか、自分の役目である窓開けを早々に済ませて、早速紙袋に手を伸ばしている。ヒイロもトマトスープの入った容器二つを取り出してテーブルに並べ、椅子に腰掛けた。サンドウィッチの包み紙をペリと剥がすと、いつもと同じようにたくさんの具がこれでもかとパンに挟まれていた。

「なあモモ、さっきの子、大丈夫だったかなあ」

 チキンサンドをぼんやりと食べながらヒイロはモモに尋ねた。もきゅもきゅと卵サンドを口に詰め込んでいたモモは、目をぱちくりと瞬かせる。

「うーん、どうだろうな。でも目を離した隙にすぐにいなくなっただろ? だから案外元気なんじゃないのか?」

 モモはさほど気にしていないようだった。小さな口の横についていたパンくずに手を伸ばし払ってやる。

「でも、おまえはあまり気にしなくていいんだぞ。おまえは早くお役目を終えなきゃなんだから」

 おまえには関係のないことだ、とでも言うような口ぶりだった。そんな答えを返されるとは思ってもみなかったヒイロは驚いて視線を落とす。

「……だけど」

 なんとか口を開いて、けれどその後に続いたのはやはり沈黙だった。だって気になるだろう。目の前で、あんなボロボロで、倒れていて。その理由が人とは違う、ただ赤い目を持っているというだけで、なんて。ヒイロはあの少年が心配だったし、なぜそうなってしまったのかがわからなかった。でも周りの人たちはそうではないのだろう。それに疑問を抱くこともなく、当然のこととして受け止めている。この一カ月間、ともに旅をしてきたモモにさえ言い切られ、ヒイロは口をつぐむことしかできなかった。

「まあ、おまえはああいうの初めて見たもんな。驚くのも無理はないぞ」

 パンを片手に深く考え込んでしまったヒイロに、モモが声をかける。

「でも、これからもきっとたくさん目にするんだ。この世界の大多数はどの時代も人間で、それ以外の種族たちはいつも虐げられてる。そりゃおれだって、それが正しいなんて思っていないけど、でも、それを毎回助けようとしていたら、おまえの心がすり減っちゃうぞ」

「……」

「おまえには七夜の巡礼っていう大切な使命があるんだから。ほかのことに心を砕く暇なんて、余裕なんてこれっぽっちもないんだ。大変な旅なんだから、それ以上大変なことを背負いこむことなんてない。だから、気にしすぎないいほうがいいと思うぞ……?」

 様子を伺うようにモモがヒイロの顔を覗き込んでくる。ああ、と辛うじてした返事はどこか乾いていた。モモが自分の心を慮っていることはわかっている。だけど、もう一回赤い目の子どもを見たとしてやはり美しいと思うだろう。助けたいと思うだろうし、実際助けるのだろう。そして、その行動をきっと過ちだとは思えない。そんな予感がした。

「……なあ、闘人族と人間、何が違うんだ? 店主のおじさんはああ言っていたけど、俺には全く同じに見えた」

 ヒイロはぼそりと呟いた。視線は落ちたままだ。しかし、知らなければならないと思った。

「……それは」

 モモは考えあぐねる。何から伝えるべきか迷っているようだった。やがて思案を終えた彼女は静かな目をして口を開く。

「……闘人族は、人間から派生した一つの種族だ。血のような赤い目が特徴で、人間とは比べ物にならない身体能力を持っている。でも元が同じだけあって、基本的には人間とあまり変わらないんだ」

 だけど。そこでモモは言葉を区切った。伏せられた目に長いまつ毛が影を作るのをヒイロはぼんやりと見つめた。

「闘人族と人間には決定的な違いがある。それは、闘人族が持つあまりにも強い闘争本能だ。凶暴化して赤い涙を流すって、おっさんが言ってたの覚えてるだろ?」

 こくりと頷く。

「普通に暮らす分には問題ないんだ。だけど、本能を抑えきれなくなった時、彼らは破壊衝動に駆られて周りの人を襲ってしまう。すべてを壊し、すべてを殺す凶暴な獣になってしまう。体内で魔力暴走が起こってしまうことが原因じゃないかとおれは思うけど、まだ何がきっかけでそうなってしまうのかは解明されていないんだ」

 ここまで話したモモは一息ついたあと一瞬口をつぐむ。迷うように口をもご、と動かして床を見つめていた視線を上げた。いつもより幾分か真剣さを孕んだ瞳がヒイロを見つめる。

「人間たちはその姿を見て、『彼らは血に飢えている』と言ってひどく嫌った。別に闘人たちの暴走が血を引き金にはじまるわけでも、彼らが血を求めているわけでもない。彼らの本能が何に反応するのかなんて、そんなのまだ誰にもわからない。だけど血のような瞳と、そして涙を流して自分たちを襲う彼らを見て、人間たちはそう言ったんだ」

 そして彼らは、本能を抑えきれずに自分たちを殺す闘人族のことを、人間よりも下の、悪しきものとして差別するようになったんだ。

 淡々と告げるモモはどこか悲しげだった。あの美しい赤い目から、これまた真っ赤な涙を流す姿を想像する。その姿は確かに少し恐ろしいと思ったけど、ほんの少し寂しい気がした。

 しばらくの間、手を止めてしまった二人の間に沈黙が落ちる。開け放たれた窓から吹く風が静かにカーテンを揺らした。

「なあ、もう一つ質問。さっき『それ以外の種族』って言っただろ? 闘人族以外にも何か人間じゃない種族がいるってことか?」

「ああ、そうだぞ」

 ヒイロの問いにモモは頷いた。

「さっき見かけた闘人族のほかに、あと二つ。獣人族と魔人族がいるんだ。これ……も聞いたことないよな」

「ああ、初めて聞いた」

 本当に初めてだった。あの村で生まれてからこれまで、そんな種族の名前なんて聞いたことがない。そもそも人間以外の種族がいるなんて、ついさっきまで知らなかったのだ。

「知らないのも仕方ないと思うぞ。ルヴェールには人間しかいないんだから。あそこは人間が作った村で、外からやってくる人なんてほとんどいないもの。それに、闘人族含め人間でない彼らは、人間から隠れるように山奥とかで生活しているのが一般的なんだ」

「どんな種族なんだ、その二つは?」

「そうだな、まず獣人族、こいつらは体の一部に動物の特徴を持つ種族だ。ウサギの耳を持っていたり、キツネの尻尾を持っていたり、鳥の羽を持っていたり、いろいろだ。それと同時に五感が鋭いという特徴も持っている」

 へえ、と相槌を打つ。そういえば、人混みの中、不思議な耳を持つ人の姿を見たことがあったような、なかったような。

「ただ、獣人族も闘人族と同じでみんな隠れて暮らしてる。おれ、ランツォーネで彼らを見かけてびっくりしたぞ。百年前はほとんど見かけなかったもの」

「それは、つまり……?」

「たぶん、奴隷か何かのために人間たちに連れてこられたんじゃないか? おっさんも言ってただろ」

 ああ、とため息のような声が漏れた。確かに、サンドウィッチ屋の店主がそう言っていた。奴隷、なんて。あのあたたかな故郷で暮らしてきたヒイロには馴染みのない存在だ。昼間見た光景も相まって、ヒイロの気持ちは暗く沈んだ。

「……きっと、彼らにも故郷というか、住んでいた場所があるんだよな。それなのに、連れてこられて」

「ああ、獣人が多くいるのは、ここからずっと南、アランツィネよりも南へ行った山の合間にあるアナン地域だ。おれたちは会わなかったけど、ここにくるまでに通ったクイナ地方にもいくつか集落がある。それ以外にも、森とか山に住んでるやつもいるぞ。あとは、ランツォーネのあとに行くノディリッシュにも少しいるかな」

「クイナ、っていうと、俺たちがよく説明に使ってる……」

「ああ、そのクイナ地方だ」

 村を出てすぐの頃、ヒイロは自身が神の御子であること、ルヴェールの出身であることは軽々しく口にしない方がいいとモモから指摘された。その代わりとして教えられたのが、クイナ地方――ルヴェールの西にあるという地域だ。小さな勢力が乱立しているその場所は出身地を偽るにはちょうどよかった。

「そういえば、街に入る時、モモは自分のことをロスト・フェアリーって説明してたよな。それもクイナに関係するのか?」

「ああ、そうだぞ。ロスト・フェアリーっていうのは、クイナに少しだけ生息しているって言われてる鳥系統の獣人族の一種だ。小さく、羽を持つのが特徴。元々数が少なかった上、よく人間の御伽話に出てくる妖精みたいだって乱獲されたから今はほとんどいないんだ。クイナ以外じゃ見たことある人は少ない。おれのこと説明するには最適だろ。まさか神の使いです、なんて言うわけにもいかないしな」

 なるほど、とヒイロは首肯した。

「身体的な特徴が出やすい獣人族は乱獲や奴隷の対象になるし、その一方で種によっては過度に神聖視される場合もあるんだ。まあ、その場合も行き着く先は乱獲だけど。ロスト・フェアリーもそう。神様に近しいものって勝手に言われて、捕まえられた。悲しいことだけどな、ぜんぶ事実だ」

 淡々と告げられる言葉に、ヒイロは顔を暗くした。その表情に気づかないまま、モモは話を続けた。

「闘人族、獣人族ときて、もう一つ、人間とは違う種族がいる。それが魔人族だ。彼らの外見は人間とほとんど変わらない。だけど魔力の面で異なる。おまえを含めて人間は、みんな魔術を発動するのにレムを使うだろ?」

 ヒイロは首から下げていたレムを掴んで持ち上げてみる。窓から入る月の光に照らされて、藍色の石がきらきらと光った。

「魔人族にはそれがいらない。彼らは身体のどこかにレムのような石を持っていて、だからレムを使う必要がないんだ」

「レムがなくても魔術を使えるってことか」

 ああ。モモはそう言って頷いた。

「レムは言うなれば、魔力を使うための出力装置だ。普通の人間はそれを身体の中に持っていないから、レムを使う必要がある。だけど魔人族には出力機能が備わっているから、レムがなくてもだいじょうぶなんだ。そして、その出力能力はレムよりもずっと高性能。人間よりもとっても効率よく魔力を扱うことができる」

「それはすごいな……」

 ため息とともに思わず声が漏れた。これまでの旅の中でレムの希少さは理解している。しかし、人間のうち比較的裕福な者しか手にできないそのレムを、使うことなく魔術(奇跡)を起こす、とは。ぜひ見てみたい。

「闘人族も獣人族もランツォーネでちらっとだけ見かけたけど、魔人族もいたりするのか?」

「いや、いないぞ。いるはずがない」

 好奇心から投げかけた質問は、バッサリと一蹴された。

「彼らは人間の街にはいないんだ。もし会いたいのなら、アイロハビネに行かないと」

「アイロハビネ――七つめの国か」

「ああ、闘人や獣人はある程度生活圏が散らばっているけど、魔人族はそうじゃない。彼らはアイロハビネ、七つめのコアがある国しかいないんだ」

 きっぱりとモモは言い切った。

「それはまた、どうして……?」

「おまえの村と一緒だぞ。あの国に生まれたら、一生そこで生きていく。あの国の王がそう決めたからそれがずっと続いているんだ。ほら、ルヴェールと同じだろ」

 ああ確かに、とヒイロは首肯した。ルヴェールでは御子以外の住民が外に出ることはない。それは遠い昔、巡礼をルヴェールに課した神がそう決めたからだ。子どもの頃幾度となく聞いた話だった。

「アイロハビネに行けば、おまえもきっとわかると思うぞ。あそこの雰囲気はルヴェールに似ているし。まあ、根本のところ――なんで閉じているのか、ってところは全然違うけどな」

「え?」

 ぽろりと溢れたモモの言葉に疑問符を浮かべる。しかし春色の小さな少女はそれをスルーした。

「とりあえず、アイロハビネに行くためには、巡礼を進めなきゃだぞ。明日には神殿に行ってコアを探すんだろ? もう夜遅いし早く寝ようぜー」

 長い話をしているうちに、夜も更けていたようだった。窓の外を見ると、道を照らしていた松明もほとんど消され、夕暮れの喧騒は見る影もなくなっている。時たま、初秋の香りがする風がひゅうと吹き込んで、ヒイロたちの身体をゆっくり冷やしていった。

「そうだな、そうしようか」

 わずかに冷たくなった肌をさする。机の上にはまだ手をつけられていないオレンジがぽつんと一つ残されていた。もう食べる気もなくなっていたので、申し訳ないけれど明日の朝に回そうか。そう提案するとよほど疲れていたのかモモは意外にも賛成したのだった。

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