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七つの夜  作者: 小里 千耶
序 ルヴェール
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三 旅立ち

 しばらくの沈黙のあと、さっき抱いた違和感が嘘のようにもとの無邪気な言動に戻ったモモと再び雑談を交えながらヒイロは村へと戻っていた。一度家に帰って旅の準備を整える。とは言っても昨日までであらかた物は揃えていたので、最終確認みたいなものだったが。

 古ぼけた水筒。日持ちのよさそうな食べ物をいくつか。数枚の着替え。コツコツ貯めた硬貨を入れた布袋。毛布代わりにもなる薄いマント。小さなナイフに少し長めの縄を二本。すべてずだ袋に入れる。

 ぐっと伸びをして立ち上がる。袋の紐を肩にかけ、壁に立てかけていた剣を手に取った。慣れ親しんだ柄の感触を再確認して、腰のベルトに刺す。一連の流れをのんびり眺めていたモモが目を丸くした。

「おまえ、剣が使えるのか?」

「ああ、軽くだけどな。近所のおじさんに習っていたんだ」

 生きていくのならば少しくらいは自分を守れる力があった方がいい。それが口癖だった近隣に住む男性は、男女関係なくたくさんの子どもたちに剣や弓を教えていた。一年前に腰を痛めてからは、彼の息子がその役割を担っている。ヒイロもその例に漏れず、幼い頃から教えを乞い、今では剣の腕はそれなりのものになっていた。とは言っても、この村の中だけでの話ではあるけれど。

「この剣は、一年前の誕生日に村のみんながプレゼントしてくれたものなんだ」

「ふぅん、おまえは愛されてるんだな。なんにせよ、自分の身を守れるのはいいことだ。ひやひやしなくて済む」

 モモの言葉を聞きながら、ヒイロは一度剣を鞘から抜いて刀身を確かめた。手入れを怠らなかったおかげか、その輝きは一年前とほとんど変わらない。

 再び剣を鞘に戻し、最後に紺のローブを羽織って準備万端。旅に出たことがないなりに必要なものを想像して揃えたが、まずまずの出来ではないだろうか。首にかけたままにしていたレムを一度取り出して確認したあと、再びシャツの中に戻した。

「準備、できたみたいだな!」

 着いて早々床に寝転がってくつろいでいたモモがふわりと浮き上がる。

「じゃあ行くか!」

 相変わらず元気がいい。だが、その明るさがこれからの旅をよりいいものに変えてくれる、そんな予感がした。


 旅に出る前、最後に顔を見せなさい。

 昨日、帰る前に告げられた村長からの言葉に従い、ヒイロは村長の家に向かっていた。はずれにあるヒイロの集落は、村の中心に位置する村長の家からはだいぶ離れている。ふらふらと飛ぶモモといくつか言葉を交わす中で、ヒイロは先ほどから気になっていたことを尋ねてみた。

「そういえば、コアってどこにあるんだ? 村を出たら、まずそこに向かうんだろ?」

 ふわりとモモがヒイロの顔の前に飛んでくる。よくぞ聞いてくれましたという笑顔付きだ。

「七つの場所に一つずつだ。ランツォーネ、ノディリッシュ、カモネスフィール、フォンギラム、リュベナルク、ミスラレル、そしてアイロハビネ。この七つの都市にコアはあるぞ」

 聞いたことのない街ばかりだ。モモに促されるまま、彼女とともに祠に封じられていた地図を広げてみる。村の外の地図を見るのは初めてだ。手書きで作られたらしいその地図は、多少傷んではいたものの、なんとか地名を確認することができた。

「ここからだと一番近いのはアイロハビネかな。まわる順番とか決まってるのか?」

「ああ、あるぞ!地図と一緒に入っていたその手帳。そこに旅に大切なこと、全部書いてある」

 ヒイロは地図の下にあった古い冊子を見つめた。そのままペラペラとページをめくってみる。数種類の筆跡が紙の上で踊っている。

「それは歴代の御子たちが後代のために書き記したものだ。日記みたいなものかな。大切に使えよ」

 一ページ目を開いてみる。そこには、かつての神の御子の名前と、旅立ちに向けた意気込み、そしてこれから向かう一つ目の行き先が丁寧に書かれていた。単語の一つを読み上げる。

「ランツォーネ……」

「ああ! おれたちがまず初めに向かうのはランツォーネだ!」

 モモが元気よく答える。

「あそこのフルーツ盛り合わせはすっごくおいしいんだぞ! あと、鶏肉のフルーツ煮込みも最高だ!」

 目をキラキラさせて声を上げる。これまでで一番明るい表情。ゆるんだ口の端からはわずかによだれが垂れていて、それを見たヒイロはクスリと笑ってしまった。そうとは気づかず、モモは食べ物の妄想を膨らませている。

「あと、具沢山のトマトスープに、鶏肉のソテー! サンドウィッチも欠かせないな〜」

 もうすでにヒイロのことは見えていないようだ。そのまま民家の壁に正面衝突しそうになったモモを、慌てて手を伸ばして引き戻す。寸前で壁に気づき、うわぁと情けない声を上げたモモは振り返ると恥ずかしそうに笑いながら、ありがとうと言った。

「ランツォーネの食べ物のことは十分わかったから。それ以外だとどんな場所なんだ?」

「うーん、そうだなあ。それ以外だと、魔石風車とかかな。ランツォーネは風の街と呼ばれていて大きな風車がいくつかあるんだ。羽根部分にレムがついている特殊な風車で、名所みたいになってる。……でも、おれが知ってるの、一番最近でも百年前のランツォーネだからなぁ。今のランツォーネについては参考にならないかも」

 ごめんな、と申し訳なさそうに言う目の前の頭を撫でながら、ヒイロは考える。

「百年前……ってことは、前の御子の代ってことか?」

「ああ、そうだぞー」

 モモがヒイロの手のひらにすり寄りながら夢見心地に言う。

「おれは、百年が過ぎるたびに目覚めて、御子と一緒に旅をしているんだぁ」

 だから今の世界も百年ぶりだぁ。

 久しぶりに撫でられているからか、もういっそ眠たそうにモモは言った。眠そうな目を軽く親指で擦ってあげると、ゆるんだ口からうにゃと猫のような声が零れる。

「百年前はどんなところだったんだ?」

「百年前は、そうだなぁ。あそこは王様と騎士団の国なんだ。大きくて強い騎士団がランツォーネを守ってるんだ。街の中心にあるお城には王様がいて、いつも国を見守っていた。王様もお妃様もとっても優しくていい人たちだったぞ」

「そうか。今もそういう優しい人たちだといいな。そしたら、旅も案外早く終わったりして」

 軽い気持ちで呟く。しかしその言葉を聞いたモモは、目つきを鋭くしてぎろりとヒイロを睨んだ。

「この旅はそんなに甘くないんだぞ。七つが七つ、全部うまくいくことなんてほとんどないんだからな」

「え」

「百年前は紛争に巻き込まれた。二百年前、三百年前は盗賊や軍に捕まって酷い目に遭わされたし、四百年前はコアを巡って国と戦ったぞ。七つすべて、何の問題もなくすんなり終わるなんて、そうそうないんだ」

「……」

「だから、あまり甘く見るなよ」

 ぷう、とモモが頬を膨らませる。その姿はとても愛らしいが、ヒイロはそれどころでなく不安になった。紛争。国と戦う。想像しただけで眩暈がする。そんなことにこれから挑まなければならないのか。

 十六年間ずっと待ち望んできた使命に期待を膨らませていたのだが、本当に大丈夫なのだろうか? 表情を暗くしたヒイロを見て、モモが慌てて声を上げた。

「だいじょうぶだぞ! そんなに暗くなるなって。おれもついてるし、それにこれまでもいろいろ大変なことはあったけど、みんな巡礼をやり切ったんだ。失敗したことなんて一度だってないんだから、今回もきっとだいじょうぶだ! だから元気出せよなぁ〜……?」

 心配そうに顔を覗き込んでくる。その様子があまりに必死だったから、先ほどまでの不安を思わず忘れて、ヒイロはわずかに笑った。


 それから幾分か歩いたあと、ヒイロとモモは村長の住む家に到着した。中に声をかけ戸を開けると、すでに待っていたらしい村長がにこにこと笑って出迎える。そのまま客間に通された。促されるまま、先に腰掛けた村長の向かいに二人並んで座る。出されたお茶を一口飲んだあと、口を開いたのは村長だった。

「ついに、出発の日だね、ヒイロ」

 浮かべる表情に違わない温和な声だった。はい、と素直に返事をする。

「そちらが神様の御使さま、七夜の天使さまかい?」

 横から「おう」と元気のいい声が上がる。それを見て初老の男性は可愛らしいねえと笑みを浮かべた。

「もう行くんだろう?」

「はい。日が暮れないうちに森を抜けたいので」

「うむ、それがいいね」

 ルヴェールを囲む森は深く、また気性の荒い動物が多く存在する。多くが夜行性である彼らに遭遇することを避けるには、日の出ているうちに森を出てしまうのが最適解だ。

「それならここであまり引き止めるのも悪いね。すぐ終わらせよう」

「いえ、まだ大丈夫ですよ。朝も早いですし」

 朝から何かと情報の多い日ではあるが、実際にはまだ夜明けから一時間ほどしか経っていない。ここで数十分過ごしたとしても、日が落ちるまでには森から出られるのではないだろうか。村を出たことがないといっても森の探索は村人たちには日常茶飯事だったため、ヒイロも森の中の道については特に不安はなかった。

 渡したいものがあるんだよ。そんなに時間はかからないから。そう言って立ち上がった村長は、近くの棚から小さな袋を取り出してヒイロに差し出した。床に置かれるとき、中からチャリと音がする。

「これは……?」

 不思議そうに首をひねったヒイロに、村長はふ、と笑った。

「村のみんなで集めたお金だ。ほかにも高く売れそうなものを入れておいた。あまり多くはないけれど、持っていってほしい」

「え、でも……」

 いいんですか、と思わず聞き返す。ルヴェールは閉ざされた村ではあるものの、完全に外部の物がないというわけではない。これまでの神の御子が持ち帰ってきた貴金属や骨董品。そして、数ヶ月に一度この村に立ち寄る商人との取引で得た幾ばくかの銀貨や銅貨。唯一ルヴェールと外を繋ぐその商人は確かルヴェールの民同様、神から何らかの使命を託されてこの村に来ているのではないかとの噂だった。

 いや、そんなことよりもだ。目の前の黄土色の布袋を持ち上げる。小さいながらもずっしりと重いその袋には、きっと想像もつかない量の銀貨や銅貨が詰め込まれているに違いない。ヒイロも今日からの旅に向けて少しずつお金を貯めていたけれど、せいぜい銀貨三枚と銅貨七枚だ。それとは比べ物にならない金額であろうことは簡単に予想がついた。

 本当に、こんなもの、もらってしまっていいんだろうか。眉を下げて袋を見つめ考え込んでしまったヒイロに、村長は笑って声をかけた。

「いいんだよ、持って行ってくれ。そのために集めたものなんだから」

「……ありがとう、ございます……」

 村の仲間たち、一人一人の顔を思い浮かべながら頭を下げる。小さく閉鎖的なこの村で、これだけの金額を集めることがどんなに難しいことか。それを理解しているヒイロは、重い袋を大切に懐へしまった。

 それを微笑みながら見届けたあと、村長が口を開く。

「お前が生まれて、もう十六年になる。……本当はね、湖に星が落ちて、そして同時にお前が生まれ落ちたあの日。この小さな、まだ何も知らない、そして与えられるべきものを奪われていくのだろう幼いお前がまどろみの中で薄く微笑むのを見て、なんて神は残酷なのだろうと思った。こんな小さなお前に、なんて過酷な運命が与えられてしまったのだろう、とね」

 ヒイロは静かに村長を見つめた。自信が生まれたときのこと――星の転落とともに生まれたことはよく聞かされていたけれど、それに対する村長の思いを聞くことは初めてだった。

「でも、それは杞憂だった」

 ふう、と村長は息を吐く。

「父君も母君も生まれてすぐに失って、育ての爺様も亡くなり天涯孤独になっても、お前はずっとまっすぐ、強かに育ってくれた。お前は私たちの誇りだよ。私たちは胸を張って言える。お前は、ヒイロは、きっと最もすばらしい神の御子だ。これまでも、これからも」

 慈愛に満ちた瞳がヒイロを見つめる。これまで村の人たちがずっと、ヒイロに向けてきてくれたあたたかな視線だ。やわらかな思いだ。村の人たちが自分のことを思ってくれている喜びと、絶対に使命を果たさなければという緊張がヒイロの心の中でひしめいた。ごくりと唾を飲み込んで唇を引き結ぶ。

 そんなヒイロの様子を見て、村長はふ、と口元をゆるませた。

「いや、気負わせたいんじゃないんだ。私たちは、お前を愛しているということを伝えたかっただけで」

 ふふとぬくもりに満ちた笑い声。

「まあ確かに、七つの夜の巡礼がお前の果たすべき役割で、生まれてきた意味なのだと、そう繰り返してきたけれどね。でも、本当はそんなことどうだっていいんだ。……ああいや、どうだっていいいわけじゃないけれど」

 ヒイロは真正面から村長の顔を見つめた。未だ朗らかな顔はしかしどこか少年が抱くような憧れと老成した諦めを含んでいた。

「お前はこれから世界を見る。この村の誰もが夢見て、誰もが見られない外の世界を」

 言葉の重みに息を呑む。如何とも形容しがたい老人の表情から、ヒイロは目を離すことができなかった。

「良いもの、悪いもの。美しいもの、醜いもの。きっと色々なものを見るだろう。その旅の中で、お前が胸を張って幸せだと、この世界は良き場所だと。そう言えるかが私たちには大切なんだ。それこそ巡礼の旅と同じくらいに」

 開け放たれた窓から入る朝の光は未だ眩しい。一日の準備を始める外の音は、近くにあるはずなのにどこかずっと遠くに聞こえた。

「楽しい旅にしなさい。たくさんのものを見て、たくさんのものを聞くんだよ。それはきっとお前が生きていくための力になる。そしていつか帰って来たときに、お前が見つけたものたちを私たちに教えてくれ」

 お前の旅がいいものになることを、私たちはずっとずっと願っている。

 そう締めくくって、村長は微笑んだ。その言葉は、じんわりと心地よい熱を伴ってヒイロの心に沁みていった。

「はい。帰ってきます、必ず」

 決意とともに宣言する。きっと苦しいこともあるだろう。想像もできないくらい辛いこともあるだろう。でも、大丈夫だ。だって自分には、村のみんながいる。これまでの十六年間、ともに過ごした大切なみんながいる。ずっとずっと祈られている。幸せになれと願われている。

「今まで、ありがとうございました」

 頭を下げる。何度も何度も、繰り返す。村を出るまで。見送りに出てくれた村長と、外で待ってくれていたのだろう村のみんなの姿が見えなくなるまで。ヒイロはずっと叫んだ。十六年分の感謝の思いはきっとこれだけでは伝えきれない。だけど、今伝えられるありったけをヒイロは叫んで、大きく大きく手を振った。

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