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七つの夜  作者: 小里 千耶
序 ルヴェール
1/29

一 七つの夜

挿絵(By みてみん)

 *******



 七つの夜を越える者は、望むすべてを手に入れる。

 幼い頃、もう顔も忘れてしまった祖父がそう何度も繰り返したことを憶えている。

 ヒイロは、当時と一言一句変わらない言葉が目の前に座る村長の口から出てくるのを、神妙な面持ちで聞いていた。

「そして、七つの夜を起こすために、お前の力が必要なんだ」

 続く話も昔と同じ。それどころかこの文言は、彼が生まれて以来今までずっと、同じルヴェールという村に住む隣人たちからかけられ続けたものだった。

「これはお前に課せられた、お前にしか果たせない尊い使命」

 そうだ、これは自分にしかできないこと。自分が成すべき正しいこと。ずっとみんなから言われ続けた、示され続けた道だ。この使命のために自分は生まれてきたのだと、ヒイロは信じている。

「そのために、明日、お前は旅に出るのだよ、ヒイロ」

「はい」

 間髪入れずにしっかりと、はやる気持ちを落ち着けて返事をする。

 明日という日を待ち侘びていた。あと一つの夜の先、十六歳になる明日を。

 この村の希望を、そしてきっと世界の希望を持つ背負い旅に出る日のことを、ヒイロはずっと待ち侘びていた。


 *******


 とっぷりと日の暮れたあと、誰も待たない自分の家に戻ったヒイロは、暗い寝床に寝転がりながら昼間聞いた村長の話を思い返していた。


「とは言ってもねえ。正直なところ、お前の巡礼の行き先がどこであるのか、わしもあまりよくわかっていないんだ」

 返事とともに深くうなずいたヒイロの顔を見て、初老の男性はそう告げて笑った。

「え、そうなんですか」

 驚くヒイロに男はすまないねと苦笑する。

「百年に一度、近くの湖に一つの小さな星が落ちる。その日に生まれた子どもは、神に選ばれた御子として十六歳になった日に七夜巡礼の旅に出る。そういう言い伝えこそあるけれど、旅の内容も行き先も、何も情報は残されていないんだよ。そもそも、この村には外の地図なんてないだろう」

 必要なんてなかったのだから。

 そう言って、はは、とあっけらかんと笑う村長に、ヒイロはそんなぁ、と肩を落とした。

 地図も、外の世界を把握する必要も無い、それは確かにその通りなのだが。ヒイロたちが暮らすルヴェールという村は、暗い森と一つの湖に囲まれた小さな集落で、そこに生まれた者たちは『外へ出てはならない』という掟を守ってひっそりと暮らしていた。ただ一人の例外は百年に一度、神に選ばれた御子だけだ。だから、ヒイロ自身もこれまでの人生で、外の地の話を聞いたことも、地図を見たこともなかった。村にそんなものはなかったから。

 でも、だからと言って、明日からの旅の行き先がわからないのは困る。十六年間毎日のように自分は巡礼に行くのだと言い聞かされてきたというのに、どの方角へ行けばいいのかすらわからないのだ。だって自分は、隣人たちと同じように一度も村の外に出たことがない。

 明日からの旅が暗雲に包まれてきた。先程まで楽しみだった未来が一気に見えなくなる。ヒイロは不安げに数メートル先の床を見つけた。

 しかし、正面の男はそんなヒイロの不安を吹き飛ばすかのように朗らかに笑ってみせた。

「けれど大丈夫だよ、ヒイロ。明日の夜明けに湖のほとりにある祠へ行きなさい。そこで行き先がわかるだろうから」

 思わぬ言葉に顔を上げる。うまく飲み込めず黄緑色の瞳でぱちぱちと瞬きを繰り返すヒイロを見て、村長は目尻のしわを緩ませて柔らかく微笑んだ。

 湖の祠。確かに、村の東端でなだらかにそびえる御山の麓、静かに佇む湖のほとりには、小さな小さな祠がある。だがその祠は、いやそれどころか湖すらも何人たりとも決して近づいてはならないと、幼い頃から教えられてきたものだった。ヒイロも子どもの時分、友人とこっそり冒険に行こうとして、すぐに見つかりしっかりと怒られたことがある。

 その固く禁じられた場所に、入っていいだなんて。よくわからなくて首をひねる。混乱するヒイロの脳内を見透かしたように、向かいの男は口を開いた。

「実はね、あの場所はお前のためのものなんだよ。百年に一度生まれる神の御子が無事に七夜の旅を終えられるようにと造られた神の祠。神聖なものだから決して開けてはならないし、許された者が許された時にしか近づくことができないようにしているんだよ。でもね。だけど。明日は特別な日だ」

 穏やかな、けれど真剣さをはらんだ視線がヒイロを射抜く。

「あの祠は明日、お前のために開かれる」

 そこで、ひとりの天使さまがお前を百年の間待っているから。


 ふう、と寝そべりながらため息をつく。昼に聞いた村長の話は、何度思い返してもいまいち要領を得なかった。

 百年に一度、()とともにルヴェールの地に生まれ落ちる神の御子。それは幼い頃から毎日のように聞かされてきたこの村の言い伝えだ。十六になる日に旅に出て、世界に七つの夜をもたらす。それが村を、ひいては世界を救うことであり、今代の御子であるヒイロに課せられた『尊い使命』だった。ここまでは知っている。何度も何度も聞いてきた。だけど、その先は初耳だ。

 定まらない行き先。神の御子のためだという湖の祠。その中で待つ天使さま。

 知らない。なんだそれは。明日からの旅がどうなるのか、ヒイロにはさっぱりわからなかった。旅立ちが心底不安だ。

 心に暗雲が立ち込める。しかしヒイロはそれを振り払うように頭をふった。

 でも。だけど。みんな期待してくれているから。

 不安の中でも、ヒイロは明日の出発をやめたいとはこれっぽっちも思わなかった。

 生まれてすぐに両親を亡くし、育ての祖父も早くに失った自分を、それでも愛して育ててくれた村の人たちに報いたい。彼らの幸せに自分の旅が少しでも力になるのなら、それはきっとこれ以上ない幸福だ。村の仲間たちに望まれる巡礼の役割は、ヒイロにとって幼い頃からの誇りだった。

 だから、今更やめようなんて思わない。

 目を閉じて明日からの日々に思いを馳せる。ほんの少しの不安はあるけれど、楽しみや喜びが胸をひしめいている。そのことを再確認してヒイロは深い眠りについた。

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