第87話 Who are me
バニティは数秒沈黙した後に以外そうな声色で「受け入れてくださるのですか?」と尋ねてきた。嘆きの川にいる始祖に会いたいなど普通なら嫌悪される事態をよもや彼は会いたいのだというのだ。
「申し上げたように、我が親、始祖様は嘆きの川にいらっしゃいます。なので、会うことは不可能」
「嘆きの川で、会わせてくれないの?」
見つける事が出来れば、羽人と一緒に掬い上げることが出来るだろうと言えばバニティは「ふむ」と考える素振りをする。嘆きの川を見つけることは二人の前提条件だ。彼だけが羽人、バニティだけが始祖と言うわけでもない。
「少し前に、貴方と同じように始祖様にお会いしたいといった人間がいました。生憎と、始祖様は誰にでも謁見できるほど安い方ではないです」
「そう、だよね。でも、会えないって事じゃないんだね」
「……?」
「安い方じゃない。なにかしたら、会わせてくれるってことでしょう? それってつまり、僕が嘆きの川を見つけたら、相応の対価になると思うんだ」
「なるほど、そう言うことですか。ええ、始祖様がお会いしてもいいとおっしゃれば、我々はその方を始祖様のもとへお連れするのもやぶさかではない。嘆きの川を見つけた暁には、始祖様が貴方にお会いしてもいいと顕現してくださるかもしれない」
興味深いとバニティは声を漏らす。
「……あのさ、他の人間が始祖に会ったことは?」
「一度だけ、生憎と死んでしまいましたが」
「五十澤乃蒼?」
「そんな名前ではありませんでしたね」
「え……だけど」
「五十澤乃蒼。そう名乗ったのは人間ではなく、吸魂鬼の枠を外れて裏切りをした吸血鬼。確かにその者も始祖様にお会いすることを望みました。そして、それは成就した」
吸血鬼が吸魂鬼の始祖に会った。会うことが出来た。それとは別に、人間が確かに始祖に会うことが出来た。
吸血鬼であることはカモノ校長から聞いていた為、驚くことはない。答え合わせが適ったのだ。
「恥晒しで裏切り者、そんな方が始祖様に会い、お願いなんてと同族たちからは罵詈雑言の嵐でした」
吸血鬼に落ちた生物が、人間を連れて始祖に会いに行った。
それどれだけ同族から嫌がれたことか。考えるまでもない。
「その人は、生きているの?」
「行方不明。いまはそう言うことにしておきます。生きている、死んでいる。そこに拘るのは無駄です。ところで、始祖様に会ってどうするんですか?」
「それは、わからない」
「わからない? なら会う必要なんてないでしょう」
「それを言ったら、僕が君と話をする事だって君とっては意味がないことになるよ。君は人間の感情を理解できない。今此処にいるのは、名前を呼ばれて出て来るっていう行為を真似してるだけでしょう」
バニティは笑っている気がした。仮面の奥でどんな表情をしているかはわからないが、ほくそ笑んでいる気がした。吸魂鬼の本懐を指摘することでバニティは少しだけ反応が遅れている。
「意味を求めるのならば、私は、完璧に真似することで、今の形を模倣しているといった感じでしょうか」
「……?」
「私を形成している者がこの世に確かに存在している。その方は、私とは全く面識がありません。そして、私もその方とコンタクトを取るつもりはない。ただ似ている。ドッペルゲンガー。認識されては互いに困る。だから、私たち、いえ、私は模倣《真似》するのです」
それが答えだとバニティは言う。
(何かの言葉遊びなのかな)
彼自身がもっと賢くて、吸魂鬼について知っていれば、バニティの言葉を理解できたのだろうか。
ただ分かる事は、バニティと似た人がこの世のどこかにいるということだ。完璧に模倣しているというが、もしも本当に模倣しているのなら街中で遭遇したらきっと頭の中がこんがらがってしまうことだろう。
「兎も角、貴方のしていることは、中身のないブリキ缶に中身があるのかと覗き込んでいる状態です。何も入っていないとわかれば、それ以上に発展も進展もしない」
つまり、そう言うことです。とバニティは仮面を撫でた。その先には何もないと暗に言う。誰もが表情を気にする。誰もがその内側に入り込もうとする。だが吸魂鬼には中も外もない。常に中身であり、常に外見。
「貴方と始祖様が対話したとして、何か変わるかと言われるとわからない。変わらない可能性の方が強いでしょうね。なので、もしも心から始祖様と対話なされたいと言うなら、確固たる意思を持ってください。目的を確かにすれば、いつかは始祖様にも興味を抱かれるかもしれない。それまでは、私は貴方と協力して、人間と吸魂鬼の活動の改変と勤しみましょう。一緒に川を築きましょう」
そう言ってバニティは消えた。帰って行った。部屋は彼だけが残る。ゾーンから帰ってきた彼は呼吸をする。
彼はベッドに横になった。先ほどまでバニティが座っていたはずだが、皺ひとつないのは吸魂鬼がこちら側では存在していないことになっているからだろう。
見慣れた天井を見つめながら彼は考え事をする。
吸血鬼部、モグラ、吸魂鬼、それぞれの目的とは何なのか。彼が起こす行動はどれが正しくて、何が間違っているのか。
吸血鬼部の目的は言わずもがな、被害者の通行料を取り戻すこと、方法はまだ見つかっていない。ゾーンに触れたことで奪われることもあれば、吸魂鬼に奪われることもある。死んでいる人の通行料は取り戻すことは出来ない。けれど、彼や暁、浅草のように概念は取り戻すことが出来るのだろうか。
モグラの目的は、吸魂鬼を狩ること。モグラが吸魂鬼狩りが集まる一つの組織。
モグラ以外にも組織は構成されているのだろう。吸魂鬼を恨み憎む者たちが集まって、吸魂鬼を殺してこれ以上の被害を生ませない。
吸魂鬼は、そもそも同じ目的で行動していない。カエルの吸魂鬼は始祖を探していたようだが、バニティは始祖を知っている。そして、今は嘆きの川にいると言っていた。簡単に会うことはできないが、何かきっかけがあれば、始祖が興味を持ち会うことが叶う。
ただ産み落とされるだけの吸魂鬼。共通しているのは魂を食べること。
彼は血塗れのアカツメクサの栞をポケットから取り出した。新しいものに作り替えなければと頭の隅で考える。
(この子は、どうやって生まれたのかな)
始祖はどうやって吸魂鬼を増やしているのだろうか。そもそも何を目的にして吸魂鬼を増やしているのか。
「……なにも考えてない」
(そんなことあり得るのかな。何も考えないで何かを生み出すなんて。吸魂鬼ならあり得るのかも、話は通じないことの方が多いし、すぐに人を殺そうとしてくるし、……いやそれは吸魂鬼狩りも同じかな)
いくら考えても最善策も、解決策も、そもそも今の問題が何なのかもわからない。
いま彼が出来ることは、何もない。羽人が正気に戻るように努力するにしても、バニティがそれをしてくれる可能性は限りなく低い。
(こんなに近くに助けたい人がいるのに、助けられないなんて)
深く考える暇もなく、彼は疲れのまま久しぶりに自身の部屋で眠った。
――――
その日の夜、三つの谷高校旧校舎、吸血鬼部の部室では、暁と新形がいた。
新形はジャージを脱いで暁に患部を見せていた。止血した患部は、奇妙に紫色が広がっていた。毒々しい色に暁は表情を歪める。
「何かわかる?」
「……すいません、俺じゃあどうにも。吸魂鬼のナイフに毒物が付着していた可能性もあります」
「毒って感じじゃないんだよねぇ。怪我以外は特別痛いってわけでもないし内出血する広がり方じゃない」
ピンク色の仮面をした吸魂鬼に翼型のナイフで刺されてから、引き抜いて治療をしていたときに見つけた肌の色が変色して広がりを見せる痣。
「こんな時、谷嵜先生がいなくて残念でしたね」
「ほんとだよ! 先生がいたら、絶対に問答無用で逞しい胸に飛び込んで慰めてもらうのに!! 「よく頑張ったな」「偉い」「お前しかいないよ」とか言われて、怪我なんて秒で消えるのに!!」
「避けられてソファで寝かされるのが関の山でしょうかね」
「なんで、そんな冷たいこと言うかな~」
「事実でしょう? ほら、包帯巻くので、腕を上げてください」
テーブルの上に広げられた治療箱から消毒液や綿を取り、血を吹き取り、包帯で患部を刺激しないように優しく、それでいて外れないように巻いた。
「ナイフ、まだ持ってる?」
「ええ、一応は保管してます」
「貸して?」
「何に使うんですか」
「谷嵜先生に会った時に話の口実に使う!」
「はあ……話せたら何だっていいんですか」
「何だってよくないけど、話が出来るだけ嬉しいじゃん?」
暁は箱をパタリと閉じて、棚に戻した後、「持ち出し禁止」と太文字の赤いペンで書かれた箱を取り出す。その箱の中に新形を刺したナイフが入っていると容易に予想できた。
箱の蓋を開けば、差し出す前に新形がひょいと軽くナイフを箱の中から取り出す。
綺麗になった翼を模したナイフ。毒物が付いていたとしても素人の目にはわからない。
「警察の知り合いとかいたら便利だったのに」
「吸魂鬼が警官を狙わない理由がないですからね。気づいているはずですが、現実的ではないと放棄しているのでしょう。奇病として、怪奇事件としてね」
「現実を見過ぎて、現実が見えてない。典型的なダメな大人たち。ダメだよ、そんなロクな大人になったら」
「あと一年で何を学べと? 就職か、大学受験ですよ?」
「でも、暁は此処に残るんでしょう?」
「勿論、俺は存在していない身。……戸籍も存在もないやつがどこに行こうって? 此処で恩を返していきます。そう言う新形さんはどうするんですか? 吸魂鬼狩りとして食べていくのは難しいでしょう? それこそ、所属していたら話は変わってきますが」
「暁みたいな理由がないと学校に残れないからね。まあ、何とかやっていくよ」
「まったく無理だけはしないでください。戦えるのが貴方だけだとしても、貴方だけの身体ではないんですから」
「あら、やさしっ。なに? どう言う風の吹き回し?」
「たまには、優しさに極ぶりしようかと」
「全然、極ぶりされてなくてうける」
当たり障りのないお礼を口にして新形は、谷嵜先生が戻ってこないと分かれば帰宅すると荷物をまとめる。
「良い夢を」
「良い夢は見たいと思って見られるものではないですよ」
「面白くない。んじゃ、また」
「はい。お疲れ様です」
旧校舎を後にして、敷地を出ると一台の車が校門前で待っていた。




