第79話 Who are me
身体を支え続けることが困難になり蛇ヶ原は、倒れてしまった。すぐ横にいた少女を模した人形と一緒に崩れるように倒れて、激しい音を立てた。人形を抱き込む様に転がる。肝試しの屋敷を破壊する音が聞こえた。朧げな視界のまま顔を上げると吸魂鬼が建物を木端微塵に破壊した。恐ろしいほどの怪力に息をのんだ。
『僕ちゃん、見つけた』
『見つけた? 違う。お前を見つけたのは俺』
不意に聞こえた別人の声。硬質な糸が吸魂鬼の両の手、足。そして、首に巻き付けられた。
ヒーローショーで見るようなヒーローの姿はなかった。不気味な瞳に、シャツから見えるのは、瞳と同じ模様。
それが糸雲骨牌との出会いだった。
「あー、せやけど、蜘蛛男みたいやったわ!」
硬質な糸から蜘蛛の糸を想像するのは容易いことだった。
実際、糸雲の糸はそうして作られているのかもしれない。
指先ひとつで簡単に糸を操り吸魂鬼を拘束して攻撃を繰り返す。
『自己操殺。お前はもう自分の意思で動くことはできない』
『あなた、吸魂鬼狩り?』
遊園地の改札からやって来る糸雲は『どうだろう』と曖昧に答えると指先に絡まる糸を操り吸魂鬼を絞めあげた。息苦しさを感じさせる声を漏らしながら楽し気に笑う吸魂鬼。
『あなたの欲しいものはナァニ? なんだって叶えてあげられる』
『なら死ね。吸魂鬼はこの世から全員消えろ』
『それは出来ないお願い』
『期待してない。俺がやる』
左手を握り込むと吸魂鬼の四肢がバラバラになる。ピエロの衣装が地面に散る。蛇ヶ原が悲鳴をあげようとしても、引き攣ってかすれ声しか出てこなかった。
『無粋じゃない。それでも紳士?』
『男がみんな紳士なんて、何十年も前に廃れた文化だ』
衣装がバラバラになって、無粋だと糸雲を襲ったが、糸雲の周囲には肉眼で見ることが出来いほどに細い糸が巡っていた。鋭い爪が糸雲に触れようと伸ばされたが指ごとスッパリ切り落とされた。表情は見えないが機嫌を損ねたような鈍い声が聞こえた。
『吸魂鬼如きが俺に触ろうって? 安心しろ俺の気には障ってる』
今度は目に見えた硬質な糸を周囲に浮かんでいた。糸雲の周囲を球体上に囲い。触れる事が難しい。触れようものなら近づいたところから肉塊として地面を汚す。
吸魂鬼が糸雲を殺すために分解された布が内側に入り込む。それすら見越しているようで糸雲は迫って来る脅威は、分子レベルにまで分解される。
『言い方を変える。逆鱗に触れてる』
糸雲は怒っていたのだ。その時、怒っていた。見知らぬ少年の魂を奪おうとする吸魂鬼に怒りを見せていた。だが、その表情は怒りとは裏腹に口角を釣り上げて笑っていた。
『吸魂鬼狩りのほしいものは、用意できないのよ』
『できるさ。お前ら全員、消えろ』
冷ややかな言葉と共に空想によって吸魂鬼は拘束して、すぐにギリギリと絞めあげて消滅させた。風船が割れたように吸魂鬼は散り散りとなる。呆気なく刺激も手応えもない。
「死んだの?」
「いいや、逃げたんや。直後、糸を切断して逃げ出した」
逃げ出した吸魂鬼は追いかけることは痕跡を濃くしていなければ不可能。弱っているから、興味をなくしたから、もしくは別の思惑があるのか。どちらにしても吸魂鬼狩りでは、姿を消した吸魂鬼を見つけ出すことは至難の業だった。
もっとも糸雲が遊園地全体に硬質な糸を張り巡らしたらゾーン越えをされなければ倒せないことはない。けれど糸雲は、吸魂鬼を追いかけなかった。
要救助者である蛇ヶ原に近づいて言うのだ。
『よくその子を護った。よくやった。立てるか?』
言っている意味がわからず、ただ糸雲の言葉に従うしかなかった。助けてくれた。護ってくれた。それだけで信頼できる人だと稚拙な知能で信じるしかない。
立ち上がらせて、ぽんっと埃と土で汚れた頭を撫でられる。掌から感じる温かさと優しさに身体はもう大丈夫なのだと知り緊張から解放されて、両目からとめどない程の涙が流れた。
腕の中にいる少女の人形を見て『その子、俺が家に連れて行くけど、構わない?』と尋ねられる。どうして人形にそう言うのかわからない。わからないことばかりが起こっていたのだ。
後になって知ったが、その少女の人形は、数日前に行方不明になっている少女の魂だった。ゾーン内に入り込み吸魂された末に、肉体は現実に捨てられて、糸雲が保護、奪われた魂が別の形として保存されていた。見つかる事のない魂を見つける為に、操り人形のように傀儡となった人の魂を、廃人となった少女のもとに返すために、荒幡遊園地近辺を調査していたのだ。
「これ、見てや」
蛇ヶ原が見せたのは、数年前の新聞の切り抜き記事。『行方不明少女発見!?』と見出しがあり、その後は、行方不明になった時の経緯と発見に至るまでが記載されていた。
少女は行方不明中の記憶が曖昧だったが、唯一覚えていることで『遊園地で遊んでたの。優しいピエロさんにお菓子をたぁくさん貰ったんだよ!』とそればかりを口にしていた。
「なんか、目が覚めるのが悪いことみたい」
「吸魂鬼によっては、人さんに都合のええ思い出を植え付けて放置しとるやつもおる。その所為で、万が一に記憶を保持しとるやつに会うと糾弾されることもある」
「え、どうして」
「廃人さんになっとるその間、その人らは夢を見る。何の夢かは知らん。おっかない夢かもしれんし、幸せな夢かもわからん。ただみんな、現実から逃げたいだけなんや。……ただ自分は思うんよ。仮初の幸福で、ほんまにええんかって」
都合の良い夢を見ていた被害者の魂を救出した際に肉体のあり様を知ってなお激昂する。
廃人となり、身体が痩せ細り衰弱した状態でどうやって今後生活していったらいいのかと責任を押し付けて来る。誰にも救わなかった者たちを救うと責め立てられる。
そんな理不尽なことが起こっても吸魂鬼狩りは受け入れなければならない。誰かの命を救ったから報酬を寄越せなど口が裂けてもいないのだ。
「パペッティアは、感謝がほしいんやない。受け入れてほしいんや」
「受け入れる?」
「せや。ゾーンに迷い込んだ人らは不可抗力やけど、そうなってしもうたんなら受け入れてほしい。そうやないと前なんて向かれへんし、自分も見てて苦しなってまう。それが嫌でしかたないんや」
これが蛇ヶ原がゾーンや吸魂鬼に関わった理由で原因。無垢ゆえの過ち。
「あの……蛇ヶ原君のお父さんはそのこと、知ってるの?」
「知らんよ。自分に妻がいたことも覚えとらん。せやから、自分は思い出してほしいんやろうな。そんでもって……自分が起こした自業自得を許してほしいんや。このまま、何事もなく大人になれたとして、ほんまにそれでええんかって、どっか自分をド突いとるかもしれん」
母親が通行料となっても、その関係者から通行料の記憶が無くなる。もっとも必ず消えるわけではないと谷嵜先生は言っていたが、暁がこの世から消えた時も同じように家族を丸々全てこの世から消した。蛇ヶ原は、母親を愛していた。大切な人だから、その人だけを奪われた。
「通行料は取り戻せないの?」
「わからん。パペッティアは取り戻すようなことは言うとらんかった。ただ吸魂鬼狩りとして、これ以上被害に遭う人を減らすためにゾーン内を歩き回っとるな」
「いい人なんだ」
「自分から見たら、ええ人と言ってもええよ。けど、ナナさんは違うんとちゃう?」
何とも言えない気持ちだった。彼の知っている糸雲は、傲岸不遜なイメージだった。相手を慮るなんてこと決していない人。吸魂鬼がいれば、容赦無用で無慈悲に弄び殺す。彼の嫌いなタイプの人間だ。
それなのに蛇ヶ原の口から出て来るのは、本当に同一人物なのと思えてしまうほどに善人だった。逃げた吸魂鬼を追いかけることをせず独りとなってしまった少年を保護して、その腕の中に、意図せず魂を抱きかかえていたら「よくやった」と褒めるような人だと誰が思うだろうか。新形からもゾーン内でしか生きることが出来ない人であると聞かされていたのに全く違う。話が違うどころの話ではない。
彼の不安を察知したように蛇ヶ原は付け足すように言った。
「ナナさんの想像しとる人もあながち間違いやあらへんよ」
「……でも、僕は一方的にしか見ていなかった」
「そう言うお人やから。しゃあない。別に誰かに善人思われたいわけでもないやろ」
「どうして、少しでもやり易くした方が」
「やり易いなんて求めてないんよ。どれだけ時間をかけてもかまへん言う人や」
時間は無限と口癖のように言っていたのを思い出した。谷嵜先生とは大違いだ。
時間は有限と人々は口にするのに糸雲だけが、時間は無限にあるという。
それほどまでにゾーン内で遊ぶのが好きなのかと彼は、糸雲が悪い風に見えてしまい頭を振ったが、その様子に笑う蛇ヶ原は「無理に印象変えんでもええよ」と糸雲の印象は人それぞれであることを告げた。
蛇ヶ原との話は、それで終えた。蛇ヶ原の父親が晩御飯を作って待っている。
毎日のようにご飯を共にして良いのだろうかと申し訳ない気持ちでいれば「もう作ってしもうたし」と蛇ヶ原は笑っていた。




