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第78話 Who are me

「あの、訊いてもいい? どうしてゾーンに? それにパペッティアとなんか」


 彼は恐々と視線を彷徨わせて言葉を探そうにも出てこなかった。あの傍若無人な糸雲が誰かを連れているなんてイメージがなかったのもある。初対面が最悪だった彼にとって糸雲が同級生と仲良くしているのはいい気はしていない。

 虐められていないか、嫌なことはされていないか。悲しいことがあれば、と想像してしまう。もっとも彼が杞憂に思うことが実際に遭ったとしても、その事実を覆す力を彼は持ち合わせていない為、訊いたところで彼が抱く必要のない悩みを増やすだけである。

 蛇ヶ原も糸雲の性格を知っている為、仕方ないと苦笑する。


「自分があの人に会ったんわ。小学生の頃や」

「そんなに前から?」

「知り合って五年か六年目くらいやろか。まあ、自分の我儘が引き起こしたことや。自業自得って受け入れとる」

「なにを……通行料に?」

「おかん」

「っ!?」

「そうやなぁ、今みたいな暑い夏の日や」



 小学校、四年生ほどの頃、父親が単身赴任中。当時の友人たちはみんな両親と共に旅行に行く計画を立てていると自慢げに言い触らしていた。蛇ヶ原は、父親が家に居ない為、遠出が出来ずに、地元の友人たちはみな都会に旅行、遊ぶ相手もいないまま家に一人だった。

 そんな時、押し入れの掃除をしていると、古い旅行雑誌を見つけた。埃のかぶった雑誌で数十年も昔のもので表紙は茶色に色褪せていた。旅行に行けないのなら、せめて旅行気分を味わえないだろうかと思い立ち雑誌を開いた。

 雑誌の中は、まだ色褪せていないページもあり、嬉々とページが進んだ。

 老舗旅館と呼ばれた場所が雑誌の中では開業したと記載されている。リゾートホテルがオープンと雑誌の二ページ使い紹介しているものまであった。

 蛇ヶ原はそんな色とりどりだが色褪せた思い出の中で一等目を引いたのは、『荒幡遊園地』の文字だった。地元に遊園地があると知らなかった蛇ヶ原は、その雑誌をもって母親のもとへ駆け出した。

『荒幡遊園地』へ行きたいのだと駄々を捏ねるが、母親は首を縦には振ってくれなかった。


「閉園しとったんや」

「閉園、やってなかったの?」

「せや。自分が生まれる八年前くらいに倒産した言うて、土地がデカすぎて、施設撤去にお金さん掛かるから、放置。廃墟になっとるって言われた」


 けれど、まだ幼い蛇ヶ原は、母親が面倒くさがって行きたがらないのだと思っていた。適当な言い訳をして家で過ごそうとする魂胆かとふてくされた。

 母親は、他の場所ではダメなのかと尋ねたが、どうしてか荒幡遊園地しか嫌だった。意味のないこだわりだ。一度でも譲ってしまえば、何か負けた気がした。子供の闘争心はいつも何処から湧いてくるかわからない。母親を困らせてはいけないと常々言われていたことを簡単に破ってしまう。


「車で、遊園地の廃墟に連れて行ってくれた。立ち入り禁止のガードが置かれとって、中に入ることは出来んかった。錆びた鉄柵の向こう側を覗き込んだら、観覧車、レーシングカー、回転木馬、肝試しの建物が見えた。それがワクワクして、仄暗いことも忘れて、気ぃ付いたら中、入っとった」


 小学生に善悪の判断など付けられるわけもない。興奮気味に閉園した遊園地に入って母親も当然追いかけてきた。静止の声も聞こえないとばかりに無断で侵入して怒られるとわかっていない子供は、わーっと歓喜したことだろう。


「遊園地に入った時を境に全部が灰色になった。錆びとった所為で、当時はわからへん」


 ゾーンに迷い込んで、異常に気が付かないまま動かない遊具に近づいた。

 怖いもの知らずで、今思えばどうしてそんな無謀で愚かなことをしたのか。本人でもわからない。何かに取り憑かれたように身体が動いていたと言い訳も出来たのだ。


 遊園地で動かない遊具を見つめるだけで面白いと感じてしまう。灰色の空間を無邪気に楽しんだのは後にも先にもこれっきりだろう。嬉々と遊園地内を歩き回る少年に迫るのは、言うまでもない吸魂鬼だ。

 蛇ヶ原の背後に迫り、トントンっと手を叩いた。振り返った先にいたのは、黄色に星マークの付いた仮面をしたピエロ姿の吸魂鬼。


『はじめまして、可愛らしい僕ちゃん』


 その直後、視界が暗くなった。鋭い爪をもつ手が伸びたのだ。もしかしたら、閉園しているのは嘘で、ひっそりと運営しているのかもしれない。都合の良い解釈ばかりが浮上する。その吸魂鬼が掌から飴玉を生み出して手品のように披露するものだから、幼い少年の心を簡単に掌握できてしまう。

 身も心も全て掌握されてしまった蛇ヶ原に危機感など消え失せて、警戒もしない。あと数秒もしないで吸魂されていたはずだった。


「声が聞こえたんよ」

「声?」

「おかんの声で逃げるんやって」


 ゾーン内で何が起こっても不思議じゃない。幻聴もまたあり得ない話ではない。それが誰の声であっても我に返るには十分だった。

 蛇ヶ原は母親の存在を思い出した。目の前の道化師に母親の所在を尋ねるが仮面の所為で表情が見えないのが、不気味に感じて、一歩後ずさった。刹那、夢から覚めるように周囲が異常であるを気づいた時には恐怖が沸き上がった。

 母親を探すために踵を返して、道化師から逃げ出した。


 リーチの長さが顕著に出ていた。呆気なく捕えられて逃げるのは不可能だった。


『僕ちゃんは言うことを聞かない悪い子ちゃん。なら、お人形さんになっても仕方ないわよね~』


 さっきまでハッキリと聞こえていた声が頭が割れてしまうほどに不愉快に聞こえた。観覧車、回転木馬、ポップコーンマシーンを通り過ぎる。あと少しで出口の改札が見える。


『あなたの欲しいものはナァニ?』


 出口に行かせまいと立ち塞がる吸魂鬼に立ち止まって、来た道を引き返す。追いかけっこは得意な方だった。隠れるのは得意だと自負していたし、何より素直に走り回る気もなかった。小さな身体を駆使して、狭く大人が入る事が出来ないところに入り込んだ。休止中の肝試しの屋敷に入り込んだ。

 放置された機材に揉まれながら奥へ奥へと入り込む。不気味な人形が所せましと置かれて、歯をむき出しにした怪物の人形が、狂気的な笑みを浮かべている。泣きたくなった。泣きじゃくって母親が助けに来てくれるのを待ちたかったが許されなかった。震える足を無理やり動かして見つからないように、誰かが助けてくれるのを待った。


『どこに行ったの? 出ておいで、怖いことなんてないわよ。助けてあげる』


 恐怖の元凶が言う。欲しいものは何でもあげる。風船、飴玉、ポップコーン。遊びたいのなら動かしてあげる。回転木馬、観覧者、レーシングカー。魅力的な言葉を口にしながら吸魂鬼は、少年を探すのだ。


 少女を模した人形の陰に隠れて吸魂鬼が探すのを諦めるのをただ待つしかなかった。待つのは得意だと思っていた。しかし、数秒、数分、数時間。実はそれほど経過していないのかもしれない。ただ長く感じた。

 速く早く、誰に求めるでもなく何かに訴えるが、音にしてしまえば、バレてしまうかもしれないと口を押えた。身体全身が震えている錯覚。その震えで、物音を立てているかも、実は気づかれていて背後にいるかもしれない。すぐ後ろは壁であることも忘れて、肝試しの屋敷は風鳴りを起こして、怪物の胃袋の中に自分から飛び込んでしまったのかと混乱する。この遊園地その物が怪物で、大人たちがどうする事も出来ないと閉鎖した遊園地として放置しているのか。蛇ヶ原は、それを知らずに迷い込んで怪物の口の中、喉、胃袋へと落ちて行ったとしたら、このまま消化を待つだけの獲物だったのか。


「隠れるだけやったが、隠れ続けるんも無理や。今みたいな暑さ。熱中症待ったなし」


 いくら建物の中と言え、極限の緊張状態で涼しさなど感じない。暑さに支配されて、頭がぼんやりとして水分を求めてしまう。外から聞こえる『出ておいで』の声に素直に従った方が楽になると誘惑に負けそうになった。

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