第67話 Who are me
『佐藤先生、ナナは、大丈夫ですか?』
剣道によって引き上げられた彼は海の家の休憩所で横になっていた。
「まさか、そこにあんな大きな穴があるなんて、こちらの確認不足でした」
水上アスレチックを管理責任者が謝罪にやってくる。
彼が沈んだのは、高校生くらいならば、極度のカナヅチでなければ、溺れる事などない場所であり、安全も確保しているエリア。今回の騒動で彼が沈んでいったところは不自然なほどに大きな穴が開いており、海藻で満ちていたことが発覚した。
現在は安全調査で水上アスレチックは中止となっていた。
鬼久保が俯き罪悪感に満ちた表情をする。
「ゴメンナサイ。オレガナナヲ、オボレサセチャッタンダ」
一緒に飛び込みさえしなければ、彼が沈んで意識を失うことはなかったと後悔で満ちていた。
「元気出せって! ナナだって、起きて落ち込んだ俺たちなんて見たくないだろ!」
剣道が笑う。目が覚めて腫れ物扱いされる方が息苦しいはずだ。彼ならば「大丈夫だよ」と許してくれるだろう。けれど、命を失ってしまうかもしれない危険を考えても鬼久保がしたことは、許されないと自責の念に囚われていた。
「そうだぜェ。若人は若人らしく、はしゃいでろって」
佐藤先生が彼を見ているから、他は遊んで来いと言われるが、素直に遊べるわけもないが追い出す形で若者たちを外に出した。スタッフも問題にはしたくないため、なにかあれば呼んでくれと対応をしていた。
この件に関与していない海水浴客はアスレチック中止で残念がるが、遊泳許可が下りている範囲で泳いだり浮いていたりと満喫している。
佐藤先生は、鬼久保と剣道の言っていたことを思い出していた。
『なんか海の底に不気味な黒い物体がいたんすよ!!』
『ナナヲ、ツレテイコウト、シテタンダ!!』
(吸魂鬼がこっち側に干渉し始めたか。ジョンが……)
佐藤先生は口を押えた。自分自身に僅かな動揺を隠すために、サングラスを押し上げた。
(やめだやめ……。全然クールじゃねえなァ。誰かの所為にしちまうなんて、オレじゃねえ。まあ此処にいるのも偶然だしなァ)
佐藤先生は本当に偶然、大楽と会い剣道の誘いを受けた。暇だったから子どもたちの監視をすると名目で便乗した。長期休暇だからこそ、人間の感情は起伏を極める。吸魂鬼の恰好の的。
吸魂鬼はゾーンを行き来する。ゾーン越しに人間へ干渉してくる。現実世界に吸魂鬼が現れる芸当は出来ないわけではないが、ほぼない。空想がこちら側で使えないように吸魂鬼も力が制限されてしまう上、吸魂鬼はこちら側では、実体を得ることはできない。
(こいつ、十虎ちゃんの白昼夢を使ってたか)
スイカを買いに海を離れたところを見た。その動きは普通ではなかった。スイカ割りをしていた時も同じように彼はこちら側で空想を使っていた。
本来、使うことのできない力を数日で習得して使っている。確かに新形から彼が白昼夢を得たと聞いているが、それでも一朝一夕で得られるものではない。
悶々と悩んでいると彼がうめき声を上げて目を覚ました。
口の中の塩辛さに気分を悪くしながら横になっていた長ベンチから上半身を起こすと「よォ」と佐藤先生は声を掛ける。
「あの、僕……どうしたんですか?」
「覚えてねェ?」
「鬼久保君と海の中に飛び込んだまでは覚えてるんですけど、その後のことはまったく」
「ダイブした先が、底知れない大穴で、底に生えてる藻に足を取られて沈んでたのを、鬼久保と剣道が呼吸できなくなったジョンを回収して、休憩中ってワケよ」
鬼久保は自責の念に苛まれていると言えば、彼も申し訳なさに鬼久保と同じく目を伏せて顔を上げた。
「あの、寝てたとき、夢を見たんです」
「Dream?」
「……その、悲鳴とか、悲しい声が聞こえた」
彼は海の中のことを思い出していく。
鬼久保と共に海に落ちた。塩辛さが僅かにして、浮上しようと身体を動かしたが動かなかった。地上の光が遠くなって、暗闇が下から這い上がって来る。
「たすけて、とか、ずるいとか」
足先から這い上がる冷たさ。底知れない闇の中で誰も助けてくれないような錯覚。堕ちたらもう二度と上がって来られない。日の光が遠ざかって、呼吸も出来なかった。
『どうして見てくれない』『たすけて』
『見捨てないで』『逃げて』
『いかないで』『君だけは許さない』『赦されない』
「冷たかったですけど……綺麗だったんです」
「綺麗?」と彼の言葉を理解できずに聞き返す。
「星空みたいな。星なのかな、宇宙かもしれない。とにかく綺麗だったんです、水の中」
夜空の中に飛び込んだような神秘的な光景を見たのだと彼は言う。
「気味悪いなァ。本に出て来る亡者みてえだ」
佐藤先生は、その現象そのものを気味悪がる。亡者が彷徨う空間に彼が飲み込まれたようなものだ。彼は亡者がなにか分からず首を傾げる。
「海の底とか、地底にいる亡者って感じ。黒美ちゃんならわかるんじゃねえかな」
「谷嵜先生? どうして、ですか」
「アイツは、オレよりもそう言う業界に長いからなァ。そう言う摩訶不思議なことも知ってんだぜェ」
そこらへん訊いてみるわ。と佐藤先生は言う。
海にいる亡者。その言葉だけで彼は震え上がってしまう。吸魂鬼以外に何か恐ろしいものがあるのか。
「まあなんだ。こんな晴れ晴れとした日に、こんなブラックトークは似合わねえぜェ。後ろ向きなのは、悪いとは言わねえけどよ。少しは楽しんだら良いんじゃねえの?」
「僕、楽しめていない?」
「楽しめてたら、剣道みたいにハッチャけてるだろォ?」
幽霊部員になってしまったことは今でも引き摺ってしまっているだろう。だからこそ、佐藤先生は俯いた彼を元気づける為にサイコロをコロンっと転がした。
「ヘイ! ボーイ! オレと賭けをしようじゃねえの!!」
「か、賭け?」
唐突の提案に困惑する彼を余所に佐藤先生はサイコロを転がした。
「奇数はオレの勝ちっ! 偶数はジョンの勝ちだ! are you ready!」
ゴー! と気前よくサイコロが砂浜に転がる。
(勝っても負けても、何が変わるって……)
捻くれた精神になってしまっている彼に佐藤先生は「結果結果♪」と砂浜のサイコロに目を向けた。
「6」と「5」が出ていた。奇数だ。
「オレのWin!! お前は今から憂いを忘れたチルドレン!」
パチンっと指を鳴らすと彼は怪訝な顔をする。いったいなんだというのか。佐藤先生の思惑が分からない。そこで気づいた、彼はいまゾーンにいる。
「いつから……」
「ミスター。お前は、俯いてばっかだぜ。もっと前を向いて行こうぜ」
ゾーンの中では、海の色ですら失われている。なにもかも灰色で冷たい。
「どうして僕をゾーンに入れたんですか。僕は」
「ゾーンで得られることもあるぜ?」
「何があるんですか。僕、ゾーンの中で良いことなんて何もなかった」
「そう。何もねえってことを知れる」
「それ、どう言うことですか?」
周りを見てみろと言われて彼は周囲を見回す。色などない空間で見る物など、ゾーン越しに見る人々と同級生たち。触れたら相手の考えていること、思っていることもわかってしまう。
新形によってこの空間の闇を知った。生きている実感を得られない者たちの場所。彼はそうなりたくないと心に決めた。大切なものを失っても失意のどん底にいるわけではなく、失ったからこそと生き生きしている人たちを非難する。
そして、調査の終わり、バニティから護る為に身を犠牲にすることが愚かだと非難された。
(いつも通り、何もない)
見慣れた光景。見飽きた光景。彼はもうゾーンに慣れていた。その感覚すら異常なのだろう。それが嫌で早く現実に戻してほしかった。
「佐藤先生、帰してください」
「そのまま帰ったら、またねちねち余計な詰まんねえことばっかり考えんだろォ?」
「詰まんないって……」
「お前、剣道の家に行って満足に過ごしたことあるかァ?」
「そんなの、まだそんな経ってないです……」
「同級生の家にお呼ばれして、素直に楽しめてるかって聞いてんだよ。してねえだろ?」
「っ……楽しめるわけないじゃないですか! いつ吸魂鬼に襲われるかもわからないのに、いつ友だちがゾーンに取り込まれてしまうかもわからない。それなのに、呑気に遊んでいられるわけがない! 僕は、……僕は幽霊部員として何もするなって言われているんですよ」
意気揚々と遊べるほど彼は楽観的ではない。
「忘れようと努力しました。だけど、今もこうして何かしら僕を悩ませるんです。佐藤先生がどう言うつもりで僕を此処に送り込んだのかはわかりません。なにも……わからないんです」
気づいたらゾーン内にいた。ゲートを通ったわけでもないのに、相手の意思ひとつでゾーンにいた。翻弄されるのはいつだって自分であると嫌になっていた。
「すいません、八つ当たりしました。僕、少し前に新形さんに白昼夢を教えてもらうために、筥宮に連れて行ってもらったんです。その時にゾーンへ行くことで生き甲斐を見出した人と会って、友だちになれるはずだった吸魂鬼を殺されてしまったんです。その後に色々話をして……僕は何を信じていけばいいのかわからなくなってました」
吸血鬼部の副顧問である佐藤先生に告げても、しかたないと理解していながら、誰かにこの気持ちをぶつけたいと感情的になってしまう。
暁に言えば、吸魂鬼と友人なんてと一蹴されてしまうのが目に見えている。誰にも言えない気持ちを抱えたまま、幽霊部員になってしまった。
「誰かを助けようとして、怒られて。今日だって、嫌なことを忘れようと遊んだら、溺れそうになって……みんなに心配かけちゃって、僕、何のために生きてるんだろう。折角みんな楽しんでくれているのに」
落ちるところまで落ちて、誰にも見つけられなければよかったのだ。そのまま海に沈み、見つけられなければ、心配はされてもそれ以上の事はないと心がどんどん下向きになった。
「生きるのに理由は必要ねえぜ? ただ生まれた。それだけだろォ?」
「……なら、僕」
「オイオイ、居ない方が良いとかマイナスなエモーションはノーセンキューだぜ!?」
佐藤先生は、サイコロを一つ転がす。黒い点が三つ。「3」が出た。
「奇数はオレの勝利ってワケよ。Repeat after me.スリー」
「……」
「ホラホラ、スリー」
「す、すりぃ」
「オーケイ!! グッドスマイル!!」
「え……」
言っている意味が分からず顔を上げるとニィと指先で自身の口角を釣り上げて、歯を出し満面の笑みを浮かべる佐藤先生がいた。
サングラス越しに見える細められた目。弧を描く口。細い指が口角に触れて引っ張る。
「ぷっはははっ……なんですか、それ」
「スリー。口角釣り上げて、スマイル!」
彼は、目を覚まして笑えていなかったことを思い出した。安堵など感じず不安に苛まれていた。負の感情ばかりが浮き彫りになってしまう。
「ほら、もう一回周り見てみ」
再び言われて彼は振り返る。灰色の空、灰色の海、少し白いがやはり灰色の砂浜。そして、色のない人たちと遠くにいる同級生たち。
「あれ……」
違和感を感じた。彼はその違和感を探す。気が抜けた今ならば、佐藤先生がなにを言おうとしているのか分かる気がした。だから、見つけたかった。その違和感の正体を突き止めたかった。
「吸魂鬼が、いない?」
「正解!」
パンッと祝福するようにサイコロが一つ破裂して紙吹雪が散る。彼が正解すると破裂するようにルールを作り出していたのだ。
「どうして、こんな人が多いのに」
「もう全員、お引き取り願ったよ」
「え、じゃあ佐藤先生が」
多くの人がいる。喜怒哀楽の感情が無尽蔵に溢れる海。吸魂鬼の姿がないのも可笑しい。人が多ければ多いほど、餌が多いと言うことだ。それなのにいない。
人知れず吸魂鬼の相手をしていた。彼らが純粋に、一切の憂いなく楽しめる環境を作り出してくれていた。
「でもま、オレもまだまだだなァ。海ン中までは調査できなかったぜェ」
ぽんっと彼の頭を撫でて「ごめんな」と謝罪する。
人は完璧を求めてしまう。彼は罪悪感を抱く。佐藤先生や吸血鬼部に完璧を求めていない。彼は無意識のうちに未知な組織に過剰な期待していたのだ。元から出来ないことをしようとしていると言われていた。通行料を取り戻す不可能を可能にしようと躍起になっているのに、他の無関係者までも救おうとする。
吸魂鬼に襲われないように、未然に防いでいる。未来予知でも出来ない限り、大事件を未然に防ぐなど不可能だからこそ、自分たちの出来る範囲で解決している。
本番で出来ないことは練習でも出来ない。
その言葉が彼を自信に繋げていた。
「ごめんなさい」
「良いってコトよ!」
そう言って佐藤先生は彼を現実に戻した。眩しさに一瞬目を逸らして、すぐ目を開く。
「わっ」
彼の目の前に広がるのは、青い空、青い海、白い砂浜。色彩豊かな世界が広がっていた。潮の香り。人の賑やかな声が、先ほどよりも鮮明に聞こえて、彼は現実を実感する。ゾーンにはない世界が広がっている。
「世界が綺麗」
「Perfect」
遊んで来い。と背中を押されて、彼は駆け出した。遠くにいる友人たち。
彼の心配をして、彼が目を覚ましたのに気づき近づいた。
鬼久保が「ダイジョウブ? ゴメン」と謝った。彼は大丈夫だと言って笑った。
何も問題ない。暗い雰囲気はなしにしようと言って、みんなを巻き込んで遊びに興じる。
その姿を見ていた佐藤先生はサングラスを指先で押し上げてズレを直す。
(今だけは、満喫してくれよ)
『懐かしいな。俺たちも海で遊んだっけ』
「ッ!?」
聞こえてきた声に佐藤先生は振り返る。
恋人、友人、家族。人でごった返している海の家。その声の主はどこにもいない。
(嘆きの川の亡者)
佐藤先生は目を伏せて若者たちに視線を向ける。
その手にサイコロを転がす。彼らが夏の終わりまで楽しめるように空想で願いながら――……。




