第65話 Who are me
「五千円」
『五千円』
網に覆われた黒い線の入った緑色の球体。段ボールに数字の『5』の次に『0』が三つ。大きなスイカが五千円。切り分けられたものが一つで五百円。
羽人はスイカ割りがしたいが、五千円は高いというのは贅沢な悩みなのだろうか。
『しかたないから切り分けられたスイカにしよう? 食べられるだけ良いよ』
「え、いや! 待って! 待ってて!」
「?」
彼は急いで海の家を離れて、駆け出していた。友だちの願いを聞き入れてやりたい。羽人の喜ぶ顔を見たかった。
(こんな使い方、本当はよくないんだろうけど)
深呼吸。目的を一つに絞る。
「っ……」
音がぴたりと止まる。灰色の世界が広がる。交差点の信号、ピロピロと音を立てる。できるか出来ないかはわからない。
練習で出来ないことは本番でも出来ないと常にぶっつけ本番。練習したところで意味がないと口癖のように部活顧問を言っていた。
だからこそ、ぶっつけ本番でソレをした。
「……あった」
紫色の瞳をさせた彼は、信号が赤に変わる寸前に横断歩道を渡り、海から離れる。彼が先ほどまでいた対向車線には、ゆったりと走る車。その異常に人々は気づかない。気づいているのは彼一人。
陽炎が揺らめいた今日、彼は頑張っていた。友だちを喜ばせたいが為に、使ってはいけないであろう力を使って、覚えたての力を酷使する。
ピロリンと入店を知らせる音。彼は海から少し離れたコンビニに来た。暑さに呼吸を乱して噎せ返る。エアコンの利いた店内で彼は目的のものを探した。
「よかった。此処だった」
彼の視線の先には、地元の農家が卸した小ぶりのスイカが安売りされている。
『2000円』の数字に彼は安堵する。海の家で買うよりも安上がりで、サッカーボールほどの大きさだ。スイカ割りをするなら、下手に大きいよりも的が小さい方が面白いのではと余計なことまで思考に過る。
剣道や真嶋がノリノリでスイカ割りに参加してくれるかもしれない。
「いらっしゃいませ~」
スイカを抱えて、彼はレジに向かう。スイカを買って、来た道を引き返す。
海に戻れば海の写真を撮っている羽人を見つける。羽人を呼ぶと『ナナ』とどこに行っていたのか尋ねられる。
「これ」
スイカを見せると羽人は目を見開いて驚愕する。
『それ、どうしたの?』
「コンビニで、売ってたんだ」
『わざわざ、探しに行って来てくれたの?』
「すぐに見つけられたから……これで、スイカ割りできるよね?」
『うん! みんなを集めて、スイカ割りしよう!』
スマホで招集をかけると剣道が一目散に駆けだしてくる。
スイカ割りと言う夏の恒例を忘れていたと剣道は悔し気に表情を歪めるが「ナナ! ナイス!」とグッジョブを送る。
「なんや蹴たくりたくなるスイカさんやな。それ、割るの大変やない?」
「その分、指示を聞いて明確な位置を特定するわけよ!」
「応援してる~」
蛇ヶ原の言葉に剣道が嬉々と返すと、スイカ割りを見ている方が良いという大楽。
鬼久保が手ごろな木の棒を見つけてきた。ブルーシートを敷いて、スイカを置く。
じゃんけんをして割る順番を決めた。
「うぉぉおしぃ!! 俺が一番!」
「俺らが振るよりも先に粉砕させちゃいそうな勢い」
「ホカノヒトニ、メイワクカケナイデヨ」
剣道が上機嫌で棒を振り回す。目隠しとして布を巻き、その場でクルクルと回される。大楽が「よいではないかぁ~」と何度も回している。充分なほどに回された剣道はふらふらと千鳥足で「どっちが前!?」と慌てる。
「振るのは一回切りな? ロクの声以外は嘘、ロクの声だけを聴いてスイカを探せよ~」
『OK』
「うっし! 頼むぜ!!」
邪魔をする彼らと真実を語る羽人。「右」『もっと左』「もっと右だって!」「右斜め前やで~」「そこそこにある」『そこにないよ』と言葉が行き交う。混沌とした空間で彼らは楽しく指示を出す。
「ウォオ!! 此処だぁ!!!」
バスンッと砂浜を勢いよく叩く。砂が噴水のように跳ねあがる。
スイカからは、七メートルほど離れている。剣道は目隠しを外して振り落とした木の棒を見るために視線を砂浜に向けるとテニスボールほどの穴が出来上がった。
「なぁにあれ死人が出るんじゃなーい?」
「コワッ」
大楽が楽し気に穴を眺めていると「次は俺だな」と小穴が立ち上がる。
「これであの小さきスイカを割る事が出来れば、女性たちは俺に釘付けになるはずだ!」
「わぉ、燃えてるねえ~。んじゃあ、凌空っちの指令は俺ッ! ちゃんと聞き取れよ」
真嶋が手を上げて小穴に指示を送ること告げる。まだキズ一つないスイカが鎮座している。大楽が「回すよ~」と目隠しした小穴をクルクルと剣道にしたように執拗に回す。
真嶋以外の声が響く。真嶋も負けじと小穴に指示するが、小穴は指示が聞こえたとしてもふらふらと千鳥足で思うように動けない。
小穴は剣道よりは離れていないが惜しくも二三歩離れた位置で棒を振った。スイカは割れなかった。
その次は、鬼久保の番、蛇ヶ原が指示を出した。スイカに棒は触れたが、余りにも力が弱かったのか亀裂ひとつ入らなかった。蛇ヶ原が棒を振る番となって、大楽が指示を出した。スイカは掠めるだけでキズはない。真嶋の番となって、剣道が指示を出した。そして、彼の番が巡ってきた。
目隠しをされて棒を持たされて、グルグルと方向感覚が麻痺して、海の音を聞き分けるのも精いっぱいだった。
「ナナ。ゴメン」
指示を出すのは鬼久保だった。それでなくともか細い声を聞き分けるのは至難の業だ。他の人たちの喧騒と友だちの妨害の声が混濁する。鬼久保の声なんて聞こえるわけがないが、聞き分けなければと集中する。
「ナナ~、右右!」真嶋の声、「そのまま斜め前走って良いぜ!」剣道の声、『八時の方向』羽人の声、「ちゃうやん、皆さん正確に教えな」蛇ヶ原の声。
「ナナ、モット……」
(ダメだ、鬼久保君の声が聞こえない)
必死に聞き取ろうと意識を集中する。その直後、暗闇だった視力が戻ってきた。
感覚が研ぎ澄まされて、無音の中、確かに聞こえて、確かに見える。色彩や景色が見えてしまうのだ。
「ナナ、モットマエニデテ」
日の光に熱された砂浜、素足で少しずつ前に進む。そして、その球体を目指す。
迷いない動き。砂浜から足が離れる。
「おぉっ」
「行けるか!」
全てを見通す力を彼は手に入れた。視たいものを視たいだけ見る。
布越しの瞳は紫色をさせて、空想を使っていた。そこがゾーンではないと理解していながら、彼は空想を行使できていた。
即ちそれは、千里の白昼夢。
「ナナ。ソノママ、フリオロシテ!!」
(大丈夫、僕は信じてる)
棒を振り上げて勢いよく振り下ろした。
小さな標的目指して――……ぽんっ。
「……あれ」
ひどく拍子抜けする音が聞こえた。目隠しの布を外して視線を下に向けると棒は確かにスイカに当たっているが、彼の力が余りにも弱すぎた所為でスイカは割れなかった。
「くぅ~! 惜しいなぁ!! ナナ!」
「新太さんの声が聞こえたんか? 聴力バケモンやなぁ」
「ないすぅ~」
結局、スイカを割ることはできなかった。
『どうする?』
「ウミノイエノヒトニ、タノンデキッテ、モラウコトハデキル」
「え~、誰か、腕力でバギッって割れたりしないの~」
「いや、蝶さん。リンゴやないんよ? 簡単に割れるわけあらへんやん」
突拍子もないことを言う大楽に突っ込む蛇ヶ原は「おっ、佐藤先生や」とスイカ割りを終えた若者たちの為にと両手にビニール袋をぶら下げてこちらに歩いてくる佐藤先生。
「Hey! エンジョイしてるかァ!」
「佐藤先生、今までどこに居たんですか」
「オレだって、バカンス楽しみてーの」
ほら。と剣道にビニール袋を渡すと中身を覗き込む。その中には、海の家で売っている焼きそばが人数分入っていた。
「焼きそばだ!!」
「太っ腹ぁ~」
「見た目は、ひょろっとしてるのにねぇ~」
「ボーイズ! 茶化すんなら焼きそば返せ!!」
「イタダキマス」
剣道によって焼きそばのパックは全員に行き渡り、輪ゴムで引っ掛かっている割り箸を割ってズルズルと食べる。
「流石、海の家の焼きそば! チープ!!」
「それは、作ってる人に失礼じゃね?」
「でもま、実際短期営業やし、安っぽいのもしゃーなしやで」
キャベツ、ニンジン、玉ねぎ、ピーマン。豚バラ肉。焼きそばに入っていそうな物は一通り入っている。ソースも全体に絡み合って空腹を誘う。
「ねぇ~サト先、スイカ切りたいんだけど、包丁持ってなぁい?」
「持ってるわけないだろォ!?」
「だよね~、訊いてみただけ」
キズひとつ付けられてないスイカを撫でる羽人を見て「Hmm……」と考える素振りをする。
「男なら全力スイカ割りするっきゃねえだろォ!!」
「考えることを放棄した!?」




