第48話 Who are me
(あれ、僕……どうなるの)
彼はアカツメクサの吸魂鬼に取り込まれた。外の音が遮断された空間、新形の声が聞こえない。静寂の中で彼は暗闇が植物で出来ているのだと知る。
「いかナいで……ア、だ。ヤだァ」
「……!」
彼の服を掴んだアカツメクサの吸魂鬼は、迷子になった小さな子どものように我儘を言う。何かに怯えた様子で「行かないで」「やだ」を言い続けている。ひどく心が締め付けられる。
独りぼっち、此処に置いてけ堀。誰も迎えに来てくれない。みんな帰ってしまう。独りぼっちで何もわからない。右も左もわからない。帰り道がわからない。やっと話をしてくれた。声を掛けてくれた。トモダチになってくれる気がした。吸魂鬼は、その人を手放したくなかった。
それなのに行ってしまう気がした。立ち上がって「じゃあね」「ばいばい」「またね」と言われてしまう気がした。別れの言葉を聞きたくなかった。
「大丈夫だよ。僕が一緒にいる」
アカツメクサに毒はない。彼は幼い頃、花の密を口にしたことがある。
甘くて美味しい。その季節になると生えて来る植物。親しみあるその花。
「みんなと遊びたかったんだよね?」
子供たちと遊びたくて、迷い込んだ子供たちと遊びたくて、電波塔の冒険を一緒にしたかったはずだ。けれど、子供たちは無知で、意図せず吸魂のキスをしてしまった。花びらに口づけて、魂を奪ってしまった。問題が加速して、一人ではどうする事も出来ずに、そこにいるだけ。
「僕が教えるよ。良いことと、悪いことを教える」
「ナ、な……」
「うん」
掴む手に触れる。教えたらいいのだ。
生まれたばかりなら、何も知らない子どもを正しく導いていけば、喧嘩もしない。
(もしかしたら、この子となら友だちに……)
そう期待した。信じたかった。
目はない。口もない。こちらを見ている。泣いている。
悪いことを、してはいけないことを教えたらきっとアカツメクサの吸魂鬼は理解してくれるはずだと彼は期待に笑みを浮かべる。
「外にでよう? お姉さん、僕の友だちで、君の事を教えてくれたんだ」
言うと植物が解ける。塊は、頭上から解けると黒い影が降って来る。
灰色の日の光が差し込んだと見上げた瞬間、彼の顔が汚れた。
「……え」
反応が遅れた。視線を下に向けるとアカツメクサの吸魂鬼は、彼に倒れ込む。支えようと手を伸ばした時、存在を維持する事ができずに粉塵となって消滅してしまった。
「生きてたのか。それは、気の毒なことをした」
降ってきた男は、不気味な男だった。普通の瞳をしていない。蜘蛛の巣を身体中に宿してこちらを見ていた。
吸魂鬼に敵意ないとわかっていたが、さすがに理性を保っているわけもないと決めつけて、穴が開いた直後で空想で殺していた。殺しきって、彼が生きていることに気づいた。
『ナナ、ありがとう。友だち、なってくれて』
最後に聞こえた声は、確かにアカツメクサの吸魂鬼の声だった。ハッキリと聞こえた。だがそこにはもう塵しか残っていない。
彼を隠していた植物は操る者が消えて、本来の形となり静止した。ゾーンに吹く風は、相変わらずぬるくて、気持ちが良いものじゃない。
何が起こったのか分からない。いや、何が起こったのか理解したくなかったのだ。
やっと彼は、吸魂鬼と親しくなれて、友だちになれて、分かり合える存在を見つけることが出来た気がしたのに、こんなにも呆気なく事が終えてしまう。
「ジョン」
「……! 新形さん、あの子が、あの子が」
何も言えなかった。どうして死んでしまったのか。どうして消えてしまったのか。吸魂鬼が消えたところを見たことはある。それでも、一様に逃げ去っていく光景だった。半透明となって完全に消失する。生きているとこちらは忌々しい表情をして、仕方ないと帰還する。それがいつもの流れだった。
そう。それがいつもの吸血鬼部でのことだった。いつものことだったのだ。
それなのに今日は違った。今日だけは消え方が普通ではなかった。存在が塵となり消えた。無くなった。震える手の平には、アカツメクサが残されている。誰かの想い、誰かの思念が形を生み出す。吸魂鬼、人の魂を吸い殺す。脅威の存在の残滓。
「なんだよ、これッ!!」
俯き叫んだ。何にぶつけて良いのかわからない。ぶつけるなんて彼の中には存在しない。助けられる気がした。助けて、一緒に共存が選べる気がした。
一緒に遊んで、三つの谷に連れて帰って高校に連れて行って、部室で、吸血鬼部の人たちに紹介して、友だちを増やせる気がした。何も怖いことはないと教えてあげられる気がした。
なにもかも彼の想像で消滅した。
「十虎。お前の後輩は随分と夢を見ているな?」
「……どうして、殺したの。視ていたら危険性がないって気づけたはずだけど?」
アカツメクサを握りしめて泣いている彼から視線を逸らして、吸魂鬼を殺した張本人に尋ねた。
「人命救助をしただけだ。あの場において、俺が咎められることはない。俺が殺さなくても、結局は誰かに始末されていたと考えれば、俺でもよかっただろ?」
「自分の手柄を横取りされることを恐れただけでしょう」
「そうともいう。だが、あの結果で言えば、俺の行動は間違いじゃない。これも一種の規定通りって奴だ」
結果。その一言に尽きる。
今回は、アカツメクサの吸魂鬼はまだ生まれたばかりで右も左も分からない赤子だったが、数多の魂を奪っていることも事実。それら全てが子どもである事で吸魂鬼が作り変えられた結果、そう言うタイプが生まれたに過ぎない。
子供はすぐに新しい夢を抱く。廃人になっても、新しい感情《心》を見出す。世間は大きな問題にはならなかった。大人は違う。一度諦めてしまえば、何もかも無になる。
「同業者が襲われている。だから、助けた。相手は吸魂鬼だった。この文面に置いて、俺に落ち度はゼロだ」
「だとしても、もっとちゃんと確認するべきだった!!」
彼は男に訴える。敵意がないと初めからわかっていたのなら、少し様子を見るべきだったのだ。彼が生きていることを第一に考えて、彼がしようとしている事を理解するべきだった。
「おっと、正論か? 悪いね、すまなかった。次からは気を付ける……って言えば、満足か? 自分の求めた言葉を言えばお前は満たされるのか?」
蜘蛛の巣を模したような瞳は不気味に細められてこちらを嘲る。罪悪感など感じていないことがひしひしと伝わる。
子供の我儘を聞いてあげるのも大人の義務とでも言いたげに男は座り込む彼の前に屈んだ。草木を蹴散らして無慈悲に小さな花を踏み付ける。
「吸血鬼部の期待の新人なんだって? 噂はかねがね聞いてる。吸魂鬼と仲良しになるべく活動している変人《ナッツ坊や》」
「……何がしたかったんだ」
「なにも? ただ無抵抗の吸魂鬼を相手にどうするのか興味があった。吸魂鬼が強いのか弱いのか。弱いなら俺の出番はない。そこの動物モドキがどうにかしてくれる」
「なら、出てきたって事は、この子は強かった?」
「いいや? 寧ろ期待外れだ。なあ? 十虎」
「ノーコメント」
彼が怒っている。新形は珍しいことだ、意外だと言葉を失う。
もっとも彼は他人が思うほど聖人君主ではない。何度も他人の前で怒っているが新形はその場面を見ていない為、目を見開いて我関せずを貫いた。
「……吸魂鬼だって生きてるのに、どうしてそんな玩具みたいに扱えるんだ!」
「生きてる? まるで、道徳の授業を受けている気分だ。さては、食物連鎖って言葉を知らないな? 生き物を食べるなんてとんでもない? 他人に価値観を押し付ける鬱陶しいやつら?」
「ッ?!」
突如として彼の身体に硬質な糸が巻き付いた。グイっと力強く引き寄せられて、糸が食い込み痛みを感じる。彼の目の前にいる男が近くなり、黒いレンズのサングラスを少しズラして、彼を凝視する。その瞳にある蜘蛛の巣が鮮明に見える。
「お前はいらない」
「僕だって、貴方について行こうなんて思わない!」
「そうか。ならお互い、嫌い合おう。今ここで俺が指先ひとつでお前を肉塊にする事が出来る事も気づかない。それくらいお前は正常な判断がついていない」
身動き一つも出来ない彼は、男に屈したくないと鋭く睨みつけているとパンっと手を打つ音が聞こえた。
「ジョン、喧嘩してるよ」
「新形さん」
「なんで止める? ニイガタさん」
「やかまし。今回は、私の個人活動。ジョン、ごめんね。君に辛い場面を見せちゃって」
こんな予定ではないことを伝える。
「今回は、本当に敵意がないと判断してジョンに会ってもらうつもりだった。子どもの魂を吸っていても、大きな行動を起こさなかった。だから敵意は薄いと思って、君の要望を叶えられると思ったんだ」
確かに依頼の一環ではある。けれど噂の中には吸魂は事故だったとある。彼のように対話を試みるものがいないだけで、もしかしたら期待したが結果は見ての通りだ。
「此処は俺たちの縄張り、つまりお前らは俺の獲物を横取りした。育ててる最中だったってのに」
「お前っ……!」
「落ち着いて」
拘束された彼は、男を忌々しいと怒りを露わにする。
「あの子は、僕と友だちになろうとしてくれた! それなのに、吸魂鬼だからって、殺すなんて!!」
何度も何度も彼は、吸魂鬼が死んでしまったことを嘆く。
「十虎、教えてやれよ。俺がいたから後輩君は死なずに済んだって事を」
「あんたが、ずっと此処の吸魂鬼を放置していたからでしょう。何人を犠牲にすれば気が済んだ?」
多くの魂を奪い成長を続けることで強さを得る。それを待ち続けた結果が今だ。
「つまらない奴は死ねばいい。そう言う決まりだ」
「どこにそんな殺伐とした決まりがあるの」
「マイルール。どこかのバーテンダーも言ってた気がするな。いいよ、ネタ晴らしだ。俺は、つまらないことが大嫌いだ。平和? ご自由にどーぞ。俺の前でやらなければ、何してくれても構わない。お前が吸魂鬼と遊んでいるところを、見かけて始末してやろうかなって思ったら十虎がいたから、一歩踏み留まった。そうしたら、これだ! 最高に最低だ」
「そう、私に責任を押し付けるんだ。このクソ野郎」
「センセーがいないと口が悪いか、この優等生」
彼だけが吸魂鬼と共にいれば今頃は、彼と吸魂鬼、二人まとめて死んでいた。
しかし、男は、新形を見つけた。それが不幸を招いた。どう転がっても吸魂鬼が死ぬ以外の未来は存在しないとばかりに男は愉し気に後悔や罪悪感などない顔をする。
「狂ってる」
「ゾーン内で狂わないやつもいない。ゾーンから出たら、凡人の真似事。だろ? 十虎」
「いちいち、私の意見を訊かないで、自己判断が出来ないの?」
「出来ないんだな、これが。俺っておかしいから」
吸魂鬼も話が通じないと言われているが、ゾーンに留まる人間もだいぶ狂っている。
新形は、右手を鋭利な爪に変えて、硬質な糸を断ち切ると彼は自由になる。
もう口なんて効いてやるものかと不機嫌なまま新形のもとに行く。アカツメクサを潰さないように手に持つ。
「なんだよ、もっと遊ぼう。久しぶりに人間と話すからついつい、口が滑っちゃってるだけなんだ」
「なら、余計なことまで滑らせて禁句に触れて死になさい」
「冷たいな。十虎は、ここにセンセーがいたらまた違ったんだろう」
「二回」
「お?」
「あんたが先生を口にした回数、二回。五回までいったら流石の私も堪忍袋の緒が切れるかな」
「そう、なら確かめようか?」
「やめておく。後輩の前だから、死者を出すのは控えたい」
「自分が死ぬって考えてない辺り、良いね。やっぱりうちにほしくなる」
新形は踵を返してゲートを開いた。彼を先にゲートに通す。
彼が現実に移動したのを確認すると男は口を開いた。
「共存の道はない。その若者に行っておけよ。それを証明するために連れてきたんだろ」
「汚れ仕事、どうも。時間、取らせたね」
「ドウイタシマシテ。まあ、俺は嘘つきじゃないと言ったことの九割は本心だから楽しかった」
「そう、ならよかった」




