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第38話 Who are me

 げほ、ごほっと咳き込む生徒が一人。今にでも吐いてしまうのではと言うほどに顔を真っ赤にさせていた。全身に汗を滲ませて運動シャツが汗を吸ってくれるが、汗の臭いが気持ち悪い。早く帰ってシャワーを浴びたい気持ちに満ちる。


「だ、大丈夫? 隠君」


 吐き気をこらえながら事前に買っておいたスポーツドリンクを一気に飲み干す。いつもの暁では見ることのできない男らしい行動。


「た、たかが、鉛筆、ひとつ……この俺が、苦戦する、わけ……」


 咳き込み続けて呼吸を整えることも出来ない。心臓がバクバクと音を立てて煩い。

 相手のお題が『孫の手』と知った直後、そんなものに負けたくないと闘争心に駆られて全速疾走した。旧校舎に入って走ったかどうかは暁のみぞ知るところだ。


 今現在、新形が三十秒のロスを終えて走っている。


「にしても、よく食らいついてますね。僕でもうダメだと思ったけど」

「お題がお題だったからでしょう?」


 彼が『カルトン』で躓いてしまってヒントを使ってしまったが、それでも何とか無事に繋ぐことが出来た。


「綿毛さんもアグレットってよく知ってたね」

「たまたま。アグレットを覚えてもらうために歌を作ってる人もいるし」

「たまたまでアグレットの歌を聴いたんですか?」

「……」

「また一つ賢くなったってことで!」

「アグレットを知っていて人生が楽しくなるってこともないですがね」

「話のネタにはなるよ」


 自分たちの出番が終えてひと段落ついたと安堵する。


「われらが部長のお題ってなんなんですか?」

「ピクトグラム」


 暁が尋ねると綿毛が答えた。

 そう、新形が探しているのは、『ピクトグラム』だ。彼はそれが何なのか分からずに「数学?」と首を傾げる。


「避難口とか、トイレを示す表記とかの男女いるでしょう? アレですよ」


 丸く白い頭の人型、もしくはその説明する非常口などを示す人型がピクトグラム。もといピクトさんだと知ると彼はまた一つ賢くなった感心する。


「多分、控室にあったはずなので、すぐに戻って来ると思います」

「借り物競争ってなに? 借りてないんだけど」

「た、確かに……」


 借りていないが物を持ってきたらいいのだと暁は、旧校舎から持ってきた鉛筆で記録を取る。部活対抗戦に参加する生徒は記録係を休みとなっているはずだが、暁は何かしてないと気が済まないのだろう。


「どっちが勝つと思う?」

「この競争。完全に予測不可能だよね」


 新形が速いと思うが、バスケ部も負けていない。


「やっぱり勝ちたいな」

「頑張ったんだから、勝ってもらわないと」

「浅草さんが、新形さんを使ってしまったことで三十秒のロスを気にしてしまうかもしれませんがね」

「蹠球なんてわからない」

「自分で調べるのは禁止だもんね」


 わからない事は尋ねる。自分のスマホで調べるのは禁止になっている。

 そんな中で、浅草は谷嵜先生ではなく新形を選んだ。それを後悔する必要などない。


「そう言えば、以降は吸魂鬼からちょっかいは掛けられていませんか?」

「え? 吸魂鬼?」


 暁の問いに綿毛は聞いていないと彼を見る。

 綿毛の視線は、どうして教えてくれないと心配、報告不足、不安など複雑な感情を綯い交ぜにさせたものだった。その視線に当然気づいていた彼は苦笑した。


「大事にしたくなかったし、綿毛さんが吸血鬼部だってまだ相手は知らなかったみたいだから、僕だけで済めばいいなって」

「何のための部活なの!」


 落ち着きなさいと暁は綿毛の肩に手を置いた。出場部活動の待機ベンチで、喧噪の中、彼らの会話を聴く人はいないが、万が一その喧嘩が聴かれた場合、体育祭の雰囲気が悪くなってしまう。


 彼は、周囲に聞こえないように綿毛に、一昨日起こった事件を口にする。

 吸魂鬼が背後霊のように付いて来ていた。浅草に何とか伝えて、谷嵜先生や先輩たちに頼ったのだ。無事に彼は応援団の務めを果たすことが出来たし、大きな問題にはなっていない。谷嵜先生にも会い、佐藤先生がゾーン内の警備を兼用してくれていることも知っている。


「次! 何かあったら、私に言いなさい。わかった?」

「え」

「空想すらまだ扱えない貴方に言って、なにか救われると?」

「……っ。次の調査で絶対に発現させます」


 暁が少し意地悪に言うと悔し気に表情を歪める。頼られなかったことが悲しいのか。腕を組んでスタジアムを見つめていた。


「だ、大丈夫だよ。次は、頼るから。ほら、ゾーンのことを知ってるのは、ハウスにいた人だけだし」

「そうして」

「うん」

「ちょっとそれを言うなら俺だってハウスですよ? ゾーンの事なら彼女以上に知っています」

「わわっ……。え、えーっと、だから」


 慌てふためく彼に暁は「冗談ですよ」と言って愉快だと笑った。

 頼られようと頼られようと、助けることに変わりない。部員以前に友人なのだからと暁は愉快そうに笑う。


「こちら側でサポートは、そちらに任せるのでゾーン内では俺と部長がどうにかします。それにゾーン内での怪我は浅草さんがどうにかしてくれるでしょうしね。ジョン君は、そのまま千里眼の強化を頑張ってください」

「うん。頑張るよ」


 話がひと段落付いた頃に、バスケ部の部長がスタジアムに戻ってきた。


『戻ってきたのは、バスケ部だァ!! その手に持ってるのは、枯れ草の塊だァ!』


 シュールな絵面に笑ってしまうが、走者は本気なのだ。

 バスケ部部長は、走って来る。ゴールのテープを切るために一目散に走る。

 その腕に抱えるのは、西部劇で転がっている草を模した塊。


 その後を新形が走っていた。その手には、一冊の本。その本の中に『ピクトグラム』が書かれているのだろう。


「頑張ってください! 新形部長!!」


 彼は新形を応援する。

 もしかしたら、勝てるかもしれないと期待。バスケ部と新形は、二十メートルの距離で、新形は徐々に距離を縮めていた。そして、ゴールテープ間近で、僅かに視界がチカチカと色が変わった気がしたその直後パンっとゴールを知らせる音が響いた。


『ゴォォールゥ!!! 休憩部!! 部長であり生徒会長である新形十虎がゴールを決めたぜェ!!!』


 スピーカーから聞こえて来る。佐藤先生の声。新形がゴールしたのだ。

 観覧席から聞こえて来る歓声。派手な演出が体育祭を終わりに近づける。


「ジョン君? どうかしましたか?」

「え、ううん。なんでもない」


 彼は暁に言われてベンチから立ち上がる。違和感はすぐに消えて、何事もない。

 閉会式がそのまま行われる。三日間のイベントは終わりを迎えて、明日は目いっぱい休むようにと体育教師に告げられる。


 在校生は、解散宣言をされると観覧席にいる保護者のもとへと行ったり、教室に戻ったりと各々行動になった。


「新兵~」

「あ、浅草先輩」


 スタジアムの観覧席から離れて学校を後にする人たちをスタジアム二階の踊り場から眺めていた彼を呼ぶのは、二年の観覧席から来た浅草だった。「チャオチャオ」と挨拶をする浅草に「お疲れ様です」と返す。


「浅草先輩、なんか違和感とか感じませんか?」

「とつなに?」

「ああ、えっと……チカチカすると言うか。ゾーンと現実を行ったり来たりするような感覚。自分の意思とは関係ない感じに」


 彼は違和感を浅草に伝えるが「ノット」と否定されてしまう。彼だけが感じた違和感は、勘違いなのだろうかと不安に思っているとスマホが振動する。浅草からのチェインだ。


『もし吸魂鬼の仕業だとしたら放っておくことは出来ませんので、一度顧問教師様に相談してみるのは如何でしょうか』

「そうですよね」

『ジョン様の伝言。とても分かりやすかったです。もしも今後も一大事の際は、私に伝えてください。皆様に至急お伝えしておきますので』

「ありがとうございます。本当に緊急だったから、必死で」

「ういうい」


 浅草は柔らかく微笑んだ。


「谷嵜先生って、やっぱり旧校舎にいますかね?」

「追尾! ゴー!」


 浅草はついて来いと彼の手を引いてスタジアムを後にする。

 谷嵜先生がどこにいるか知っているのだろう。スタスタと軽い足取りで先を歩いた。

 その道すがら、軽かった足取り徐々に速度を落とした。どうしたのかと彼は浅草を見上げると何処か見つめていた。視線を追うように正面を見ると旧校舎、昇降口前に燈火がいた。


「燈火先輩。あ、わわっ」


 浅草は燈火を無視するように昇降口を抜けようとすると「優勝おめでとう。吸血鬼部」お祝いを告げられる。

 浅草は怪訝な表情をした。


「とつなが」

「後輩の前でもその話し方なのか? 大丈夫、喧嘩しに来たわけじゃないよ。な? 後輩」

「え? えっと」


 突然話を振られた彼はどうするべきなのかわからず困惑する。


「もう柳に水泳に戻れなんて言わない。その代わり、勝手に応援はさせてくれないか?」

「……?」

「俺自身まだ捨てきれなくて。ゾーンにも入れねえ俺が言えたことじゃないってのは重々理解してる。だけど、取り戻す応援をさせて欲しい。表の事で全力サポートして応援して行きたい。それが幽霊部員としての俺の立ち位置でありたい」


 燈火は、浅草を真っすぐ見て言う。一方通行となってしまった気持ちを押し付けるようなことはもうしたくない。友だちではなくなってしまうことを恐れた。


「困ったことがあれば、なんでも言ってくれよ。俺に出来る限られたことは全うしたい」


 彼は、浅草がどう判断するのか緊張気味に見上げた。今までしつこく付きまとって今更、助けるなんて都合の良い話だと誰もが思ってしまうだろう。


「粛正」

「っ……」

「浅草先輩!?」


 浅草は燈火に近づいた。そう言って手を上げた。パシンっと打つ音が昇降口で響いた。彼は咄嗟に目を閉ざしていた。その音だけで痛みが伝わって来る。


「痛っ……」


 痛がる燈火の声が聞こえて彼はそっと目を開く。打たれた左頬を押さえる燈火とどう言うわけか同じく左頬を押さえる浅草がいた。


「……んヴぃ……」


 か細い声、僅かに浅草の目が潤んでいた。


「な、なんで?」


 浅草も自分の頬を打ったのだ。自分で自分の頬を打つなんてどういうことだ。挙句の果てに手加減はしなかったのだろう。手の隙間から僅かに赤くなっているのがわかる。


「両成敗」


 グスンと鼻を鳴らして燈火を見てニヘラと笑って見せた。

 自分も悪かった。幾ら通行料の所為でなにも覚えていないにしても、もっと歩み寄る事が出来ればよかった。けれど、それが出来ない程に追い詰められていたことも事実。今、やっと自分の立場を確立させたのだ。

 浅草は、まだ水泳に感情を抱くことは出来ていないが、いつかは、戻ることが出来るだろうと信じている。しつこいまでに勧誘してくる同級生、燈火の期待に少しでも応えたい。


 そして、燈火もまた正式に吸血鬼部に入部したと聞いて、居ても立っても居られない気持ちだった。後輩と親しくしている。かつての関係を全て白紙にするつもりなのかと置いて行かれた気持ちでいっぱいだった。

 だから、あえて彼に浅草の悪口を口にした。してはいけないことだとわかっている。言ってはいけない事だと重々承知していたのに出てしまった。


「ナナも悪かった。ごめんな。別に吸血鬼部その物は嫌いじゃないんだ。俺が受け入れきれなかっただけだ」


 名前を取られても頑張っている彼に「お前も何かあれば、頼ってくれ」と言えば彼は慌てて力強く頷いた。

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