第31話 Who are me
通行料を取り戻す。それを目的にしている人たちがいる。吸魂鬼に虐げられながら、諦めずに通行料を取り戻す術を探す。彼も例外ではない。名前を取り戻したい。もしかすると覚えてないもう一つも取り返せるかもしれない。一縷の希望が目の前にある。
(もしも僕が此処で離脱しても、誰も困らない)
寧ろ彼と言う後先考えていない疫病神は、居ない方が良いのかもしれない。吸魂鬼と和解、共存などと言っている彼は今後も行われる吸血鬼部活動の妨げになる。一足先に離脱することが一番賢い考えなのではないだろうか。先輩たちは賢いし、強い。攻撃系の空想を自在に使いこなしている。それに比べて彼は発現したばかりで役に立たず失明する恐れだってあるのだ。そんな危険から一秒でも早く逃げ出したいのは道理でもある。
(……でも、それって卑怯じゃないか)
彼はいまやっと振り返る事が出来た。応援団の衣装が翻る。
カエルの吸魂鬼が「けろ?」と不思議そうに首を傾げる。
「返す気なんて端からないんでしょう?」
今度は相手が驚愕する番だった。ぎょろりとした目玉が彼を注視した。
彼自身もどうしてそんな挑発的な言葉を吐けたのかわからない。しかし信じてはいけないと直感もしていた。
誰もいない更衣室、此処で何かが起こって、彼が廃人になっても暫くは気づかれない。カエルの吸魂鬼は「あーあー」と辟易した声を放つ。
「空想しか見ない連中は、ずっと成長しないままボクたちの餌食ですよー」
「食べられる前に僕たちが勝ちます。いつだってそうだった」
一回目も、二回目も、そして三回目も、彼はこちらが勝ったことしか知らない。そうやって言い続けたら本当に殺されてしまうかもしれない。相手の癇に障れば、死ぬかもしれない。恐怖を押しのけて彼は言葉を放っていた。
「その気になれば、吸血鬼部は簡単に解体させられますよー」
「なら、どうして、それをすぐにしないの」
バラの吸魂鬼も吸血鬼部のことは知っていた。その気になれば吸魂鬼は赤ん坊の手を捻るように簡単にできてしまう。それをしないのは、すぐには出来ないからではないのか。それを指摘すると「んべぇ~」と舌を出した。
「人間だって、アリの巣に水を流し込むじゃないですかー」
いたぶることで、どんな反応を見せるのか。上位の存在だと自覚しているから慢心する。飼い殺す。残酷なことを人間もしていることを自覚しろと言いたげにカエルの吸魂鬼は平然と言った。
「それにー、それ以外にもモクテキってやつあるんですよー。吸血鬼。探してるんですー」
さっき新形が隠していると言っていたが、吸血鬼部にそれがあると言うのか彼は怪訝な顔をする。
「どうして裏切っただとかは全部まるっこ省いて、どう言う味がするのか興味があるんですよー。食べられる部分があると思いませんかー? その感情体がどれだけ貯蓄されているのか、気になったりするんですよねー。これぞ探求心ですねー」
「だから……吸血鬼がいるかもしれない、吸血鬼部を生かしてる」
「意図してるのはボクだけですよー。他の連中は、アンタたちのことはミジンコ程度にしか思ってないと思いまーす」
吸魂鬼は、人間を取るに足らない存在としか思っていない。ショッピングモールで無感情に買い物をする人たちと同じ。衝動的に何かをするだけで、深く考えたりしない。
「アンタだってそうでしょー? 吸血鬼を恨んでいるからこの学校に来たんじゃないですかー」
「僕が? どうして」
まったく理解できない。どうして吸血鬼を恨まなければならないのか。おとぎ話の登場人物を恨むなんてありえない。本当にいるのか、憧れはするだろう。夜に活動して血を吸う怪物を知ってカッコいいと男の子ならば抱く感情だ。直接会えば確かに恐怖で足が竦んでしまうだろう。知識でも十分に知られていない相手を恨むなんて器用な真似は彼には不可能だというのに、カエルの吸魂鬼は彼が吸血鬼を恨んで、その痕跡を辿るために三つの谷高校に来たのだという。
デタラメもいいところだ。でっち上げだ。
「アンタたちが言ってる通行料。確かに目に見えた方が何かと便利ですよねー。目に見えてしまえば、それを取り戻そうと思えますもんねー。でも、感情だった場合はどうでしょう」
「……」
「目に見えない感情ってどうやって取り戻すんでしょうねー。それが相手にとって都合の悪い感情だったら取り戻したところで辛いだけですよねー」
本人にとっては大切にするべき感情の一片。けれど、誰かからしたら不都合で消えてしまっても問題ない。寧ろずっと忘れたままの方が良い。
幸福だけでは生きられない。時には悪い感情も含まれる。そして、人によってはその気持ちが支えで生きている。だからこそ、犯罪が途絶えない。ゾーンに迷い込み通行料がそう言った負の感情だった場合、奪われた者たちは何を糧に生きていくのだろうか。
「僕の気持ちが本当に嫌な、悪い気持ちだったとしても、それが僕の大切なものだったら受け入れる。その為に僕は此処にいるんだから」
「へぇ。あの時とはまた違って考え方でも変えたんですかー?」
「あの時? それって……」
彼がなにかを言おうとした瞬間、ガラリと更衣室が開いた。
「……お前、なにしてんだ」
「た、谷嵜先生」
谷嵜先生が眠たげな顔をして更衣室に来た。
浅草が伝えてくれたのだろうかと期待したときだ。「誰ですかー?」とカエルの吸魂鬼は不思議そうに振り向いた。
(吸血鬼部の顧問を知らない?)
彼は違和感を覚える。あれだけ吸血鬼部を目の敵にしているのに、その顧問を知らないなんてことがあるのだろうか。
「? どうした。早く会場に行け、もうA組の応援が始まってんぞ」
「は、はい……その谷嵜先生」
「なに?」
「水夫の話、聞きましたか? 浅草先輩から」
「あー、そういや、なんか言ってたな」
谷嵜先生は浅草が何か訴えていたが、生憎と理解できずに、そもそも理解する気もなく放置してきたという。
(せ、先生!!)
「……っ。絶対に、勝ちます! 沢山応援するので、視ててください!」
「あ、ああ」
谷嵜先生は釈然としない様子で頷いたのを見て、彼は更衣室を飛び出した。
「なんだ、あいつ……」
谷嵜先生は訳が分からないと首を傾げながらため息を吐いた。
「言わないんですねー。意外でもないですけどねー」
背後霊はまだついてくる。放っておいてくれたら谷嵜先生に伝えることが出来たが、カエルの吸魂鬼は彼を見張るように付いてくる。
その口を塞ぎ黙っててほしいと思いながら会場の控え通路に来る。仄暗い通路は誰もいない。
『次は、一年B組の応援です』
放送係がアナウンスをする。B組が終えたら、次の応援で彼が自分のクラスを全力応援する事になる。
このままでは応援どころの話ではない。これでは不誠実に応援することになる。心から同級生を応援できない。
「ジョン君」
「! 隠君」
「そこから動かないように」
「え……」
通路の奥から暁が小走りで来たと思えば、彼に何かを投げつけた。
ばちっと静電気ほどの小さな刺激が彼を襲い「わっ」と驚いた声を漏らす。
「熱っ! もー、何するんですかー」
「え……見えて」
「見えてません。なので、出来るだけ穏便に、大袈裟にしたくない。なので、動かないでください。そして、視えなくなったら教えてください」
指が不格好に動いている。まるで蜘蛛の足のように不規則に曲がり、何かを形作る。カエルの吸魂鬼が視えていないのにいったいどういう芸当なのか彼は疑問符で満ちた。
「ふぅーん。さすが副部長さんですねー。ボクのこと見えてないくせに、半分ゾーンに侵入するなんて器用ですねー。でもそれって適合率が低いって事ですもんねー」
カエルの吸魂鬼は彼から離れて「じゃあ、食べ損なったのでーいただきまーす」と暁に向かった。
「隠君!」
「平気ですよ」
その瞬間、暁に向かっていたカエルの吸魂鬼は視界から消えた。どこに行ったのかと視線を巡らせれば、見慣れた人物がもう一人いた。
新形がカエルの吸魂鬼を壁に押し付けて拘束していた。その存在は少しだけ透き通っていた。心霊現象のように透明でも確実にカエルの吸魂鬼を捕らえていた。
「さ、ジョンは応援に行きなよ。みんな、君の応援成果を楽しみにしてるんだからね。バカな二年生と喧嘩中なんでしょう? 平和主義君」
「喧嘩は見過ごせませんが、相手が相手なので見物ですよ。俺たちも期待してるんです。行ってきてください」
「……行ってきます!」
あとは先輩たちに任せて現実でのやる事をする。体育祭に参加するのだ。
不思議なことにもう不安はなかった。新形と暁が吸魂鬼を相手にする。それだけで不安は消し飛んだ。翻弄されるばかりで何もできなかった彼と違い。二人は明確な目的をもって吸魂鬼の言葉を身に入れずに立ち向かう。
(やっぱり、僕は吸血鬼部として頑張りたい)
自分自身が失ったもう一つの通行料がなんであれ、受け入れられるように、恨まないように、憎まないように今を充実した日々にしたい。




