第21話 Who are me
スパイスの匂いが鼻をかすめる。蛍光灯が目を刺激する。外は暗く、より一層照明の明かり引き立たせていた。
蛍光灯を直視した所為で若干目が麻痺するがすぐに慣れる。上半身を起こすと男子生徒が二人、向かい合って何かを食べている。
二人とも一応は知っている。一人に関しては同級生だ。
「本当に空腹で目を覚ましたんですか?」
「おはよう。綿毛さん」
正直な人ですね。とこちらを見ずにカレーを食べている暁とこちらを見て笑顔で挨拶をしてくる彼に綿毛は混乱する。なぜ彼らが此処でカレーを食べているのか。そもそも此処はどこなのか。
「これ、美味しい」
「中辛カレーにはハチミツが入っていて、大人も子供食べられるようになっているんですよ。甘すぎず辛すぎない。絶妙なところだと以前話していました」
「そうなんだ。僕もやってみようかな」
「ちょっと! カレーの話をしてないで、どうして私は此処にいるのか訊いているのよ!」
「貴方、目を覚まして一度も言葉を発していないですが、もしかして心の中で会話を成立させてしまうタイプですか? 生憎と読心術の心得はないので音を発してください」
「読心術?」
「表情や口の動き、所作などで考えていることを読み取ると言うことですよ」
「なるほど……」
「話を逸らさないで! ここはどこなのよ!」
「吸血鬼部の部室ですよ。俺がいることで察しがつくでしょう」
なにを当たり前のことをと暁は、ぱくりとカレーを食べる。その向かいに座る彼は、カレーが喉に詰まったのか慌てて傍らに置かれているお茶をぐびぐびと飲んでぷはぁ! と呼吸する。
「谷嵜先生がゾーン内で貴方を見つけたんですよ。そして、保護した。貴方は意識を失って病院に連れていくことも出来ないので、此処で療養させていたんです」
「私は、なぜ戻って来られたんですか。通行料は?」
「貴方の帰りの通行料を谷嵜先生が肩代わりしてくださったんでしょう。恩が出来ましたね。吸血鬼部に」
「っ!?」
意地悪を言う暁は気にせずにカレーを食べる。吉野が合わせて作ってくれたグリーサラダも時々つまみ咀嚼する。
「でも、僕は帰りの通行料は? 帰りの通行料がまだわかっていない」
「貴方は異例ですよ。新形さんも、通行料を肩代わりしていたわけではないですしね」
彼は暁の言葉に疑問を宿す。彼の通行料は未だに判明していない。特別なにか困っていると言うこともない為、気を抜くとすぐに忘れてしまっているが、本来ならば二つの通行料が奪われてしまっている。彼の通行料が名前と言うことしかわかっていない。つまり、新形が肩代わりしたのかと思ったが「残念ながら新形さんに、それは出来ませんよ」と否定される。
「肩代わりって……」
「何かはわかりませんが、何度か先生は迷い人を現実に連れて帰っています。その際に生じる通行料を何らかの方法で発生させないようにしているようですよ」
「そんな事が出来るんですか!?」
「先生だけですよ。俺たちに出来たら、そもそも自分の核となる通行料を差し出してなんていないでしょう?」
「そ、そっか……」
通行料を肩代わり、だから綿毛を連れて帰って来る事が出来た。
「その谷嵜先生は、今どこに? まさか、生徒に後を任せているなんてことはないのでしょう?」
「貴方の失態を報告しているのでは?」
「なんですって?」
「吸魂鬼規定ゾーン内の侵入は三人以上であること。貴方はその規則を簡単に破った。さて、貴方が家に帰った時、家族は貴方の事をどう見るでしょうね? 少なくとも軽蔑して口も効いてくれないと思いますよ?」
「隠君、意地悪しないでよ」
規定の事は分からないが、意地悪していることだけはよくわかった。
規則、規定を重視しているハウスが、三人以上でゾーン侵入と言う規則を破っている。挙句の果てに倒れていて、外部の人間に救出されるという落ち度を見逃すはずがない。
「未成年のゲート解放も規定違反です。貴方は確か、規定に不信感は抱いていなかったはず。それともまだ先生に唆されたと言いますか?」
「……。そんな卑怯なことは言わない。全て私の不徳の致すところよ」
「そうですね。それ以外にないですから。けれど、ハウスは信じるでしょうか。貴方の所為で、先生が教師を辞める羽目になれば、責任が取れるんですか? 貴方の行動で、一人の人間の人生を踏み躙ることが出来てしまうことを」
(谷嵜先生は、そこまで重く受け止めてないと思うけど)
谷嵜先生は、教師で辞めることには痛くも痒くもない様子であると彼は知ってる。
確かに吸魂鬼狩りと給料が出るとも思えないことをしている谷嵜先生は、もしも教師を辞めたらどう生活していくのだろうかと彼は気になってしまったが、綿毛がゾーンに入り込んで、谷嵜先生の人生がひっくり返るなんて事はないと断言できる。
「ですが、もしも退職しなければ、これで私は吸血鬼部に入る資格は得たと言うことですね」
「え……綿毛さん、まさかわかっててゾーンに入っちゃったの? 吸血鬼部に入るために?」
信じられないと彼は驚愕する。それは暁も同じで目を見開いて言葉を失っていた。
そして、その言葉の意味を理解した暁はハッと我に返り訴える。
「わざわざ、吸血鬼部に入る為だけに危険を冒したって言うんですか! どんな通行料を求められるかもわからないゾーンに、規則を破ってまで!」
暁にとってそんな身勝手な発言は見過ごせなかった。特例や異例とはまた違う。身勝手な行動を取る人間。危険を危険と感じない。どれほどの危険か考えていない愚か者。
通行料で自分の家族が消えているかもしれない。自分自身が消えているかもしれない。誰も自分の事を覚えていないかもしれない。その通行料を支払うことになるかもしれないのに、吸血鬼部に入る資格を得るためだけにゾーンに飛び込んだ。そんな愚策を講じるなど愚の骨頂だ。話にならない。
「覚悟の上です」
「覚悟? いったい、どんな覚悟をしたって言うんですか? 貴方はなにも知らないでしょう? ゾーンに入ったことがないから、そんな甘いことを言える。簡単に言っているようですが、ゾーンとは命のやり取り、死ぬかもしれない場所で子どもの我儘に付き合っているほど我々の覚悟は、そんな脆弱じゃないんですよ!」
「か、隠君。落ち着いて」
ここに暁を落ち着かせることが出来る人がいない。こうも暁の苦手とする。自身を投影してしまいそうになる人物が現れるなんて思わなかった。何よりも酷いのは、相手は、吸魂鬼に致命的なものを奪われている実感がないことにある。
谷嵜先生から連絡がない、つまり綿毛家が消失しているとは考えづらい。黎明家も同じだろう。「黎明家」と言う単語を知ってる以上、消失はあり得ない。綿毛にとって何を失ったのか。
("この程度"と思っているでしょうけど、貴方は失ったことにまるで気づいていない愚か者に過ぎない)
「ジョン君」
「はい!」
「俺は、谷嵜先生に連絡を入れてきます」
苛立ちが頂点に達して危うく女の子に暴力を振るってしまうと拳を握り、部室を出ていく暁を彼は心配そうに見届ける。
残された彼は、綿毛に視線を向けて「えーっと……」とどうするべきか長考する。
クラスは同じでも会話する機会などほとんどない。谷嵜先生も担任と言えど過剰に関わることはしなかった。もっとも普通の教師としては、過剰に関わるなんて生徒個人の贔屓となって余り褒められたことではない為、行動としては間違いではない。そこまで考えて彼は、ならば自分が綿毛と仲良くなればいいじゃないか! と的外れな答えに行きついた。
そうと決まればと彼は、「カレー! 食べる?」と尋ねる。
「これ、三年の先輩。あの……前にあった吉野先輩が持ってきてくれたんだって余らせるの勿体ないから減らすの手伝ってほしいな」
「……」
「あの、僕。名前が言えないんだ。だから、知ってると思うけど、ナナって呼ばれたり、ジョン・ドゥとか、ジョンって呼ばれてるんだ。綿毛さんも」
「お友達ごっこをやりに来たわけじゃない。それに私、貴男の、その態度が気に入らない」
「えっ……」
「へらへらと何も心配ないみたいな顔。能天気に構えているから甘くみられる」
「そうかもしれないね。でも、どうせ逃げられないなら最後まで笑っていたいから」
誰かを不快にさせていても、笑い続けていたい。悲しい顔が最後なんで絶対に嫌だ。死ぬのは怖い。死にたくない。消えたくない。最後には自分たちは否が応でも死んでしまうが、それでも何か成し遂げたいと思ってしまう。焦ってしまう。
そして、歩けなくなるくらいならば、笑って最後まで歩き続けたい。
「誰か一人でも空気が読めないお気楽な人がいても良いかなって……それに吸血鬼部って言うほど気を張ってるわけじゃなくて、みんな頑張ってるよ。今は息抜きの時間。綿毛さんも気を張らなくても良いんだよ?」
「それで懐柔できるとでも?」
「懐柔? 違う違うよ! えっと……僕、綿毛さんとも友だちになりたい」
「なぜ?」
「なぜって……なりたいから、綿毛さん勉強できるでしょう? だから教えて欲しい。ゾーンの事も詳しいみたいだし、喧嘩しないで仲良くやりたい。この部活を好きになってほしいわけじゃなくて、妥協してほしい。谷嵜先生もきっと譲歩してくれるよ」
「妥協なんてするわけないでしょう?」
「どうして?」
「どうしてって……」
「妥協しないと危ないよ。僕だってわかるのに、そう言う組織の人たちは、わかっているのにわざわざ危ないところに行こうとするのはどうして?」
「素人と接していて、足を引っ張られるのが嫌だからよ」
「なら教えてよ。教えられないまま訳も分からないまま死んじゃうなんて嫌だよ。君たちは、みんなを守る人たちじゃないの? みんな、通行料を取られて苦しんでるんだよ。ハウスの人たちは、頑張って取り返そうとしてくれているんじゃないの? 違うなら、ハウスなんて消えてしまえばいい。存在してる意味ない」
「なんてことを言うの。撤回しなさい!」
「絶対にしない。僕は間違っていない。誰かを蔑ろにすることしかできないなら、やめてよ。先生や先輩たちの邪魔をしないで」
彼は迷いなく言う。虐げるだけ虐げて何も解決しないのなら、そんな組織など役に立たない。
互いに思うことはあるだろう。譲れないものがあるのもわかる。しかし、それで何かを成し遂げた気になって、誰も救えないようなら自己陶酔に過ぎない。
「僕は、吸血鬼部のみんなの為に活動する。どれだけ足手まといで、足を引っ張っても、みんなに置いていかれないようにしたいから。空想を使いこなして、吸魂鬼から平和的に通行料を返してもらいたいから、だから僕は此処にいる」
彼は綿毛に近づいてその手を取った。
運動部ではないからか、肉刺のない掌。けれど、男の子らしい手をしていた。
「お願いだよ、綿毛さん。僕、何もわからないから、教えて?」




