第17話 Who are me
瞬きの間に場面は変わっていた。彼を引っ張り後ろに下がらせた暁は、カエルの吸魂鬼に蹂躙されていた。カエル特有の長い舌が、舌とは思えない動きをして襲い掛かる。柱にぶつける。呼吸を失った暁が意識を保つことに精一杯で身体を動かすこともままならない。
咳き込む暁にカエルの吸魂鬼は近づいて言う。
「興味あるんですよねー。吸血鬼、吸魂鬼の劣化版。その人の魂ってどんな味がするんでしょうねー。解体したらどう言う仕組みになっているんでしょうねー。興味あるなー。知りたいなー。これって人間の知的好奇心ってやつじゃないですかー。少しは人間らしくなりましたかねー?」
「食糧と同じになるなんて、らしくないですね」
「始祖を見つけるためには、どんな手段も厭わないーって言われちゃったんですよねー。大嫌いな人間風情になっても良いって言われたんですよー。だからこうやって沢山、食べてみて、感覚を共有しようかなーって思ったら見事なまでに近道があったじゃないですかー」
「スパイありがとうございますー」と彼を見て言うと「えっ」とか細い声が漏れる。
スパイ、諜報、彼だってその言葉の意味くらい理解している。裏切り者だ。
「あんたを生かしていたのは、吸血鬼部を誘き寄せるための罠だったんですよー。てってれー。大成功ー」
喜びなんて感じていない冷たい声色。
どっきりを仕掛けるだけ仕掛けてその結末を見ない。自分で仕掛けた罠に自分で引っかかる。何もかもわざとのように感じた。先ほどまで彼の事を思い出せていなかったのに、知っていた、覚えていた風に言葉を並べる。
左右にある二つの眼球がこちらをギョロリと見る。見透かされているようで気味が悪かった。
「この人がいるので、もうお役御免ですねー。死んじゃっていいですよー」
カエルの吸魂鬼はそう言って彼を見た。
暁が動けないことを良い事に彼を狙うが、長い舌が彼を捕らようとした瞬間、弾かれる。舌が僅かに痺れる感覚に「痛ぇー。もうなにするんですかー」と文句を口にする。舌を弾いた正体など見当がついている。視線を移せば、床に手をついた暁が睨んでいた。床には幾何学模様が浮かび、彼に結界を張っていた。
「ほんと。便利な力ですよねー。人間にはもったいないですよー。特にそれですよー。我々の力を一時的に封じるなんてチートじゃないですかー」
「でも」とカエルの吸魂鬼は暁に向いてペロンっと舌を出した。
「その状態じゃあ動けないですよねー」
「だから、俺は……こうするんですよっ!!」
「っ!? 暁さん!」
彼を守っていた結界は動き出し、彼を押した。彼は引きずられるように離される。
その結界は、暁たちと初めて会った時に、部室に連れて行かされた時のものだ。自分じゃあ身動き一つできない。けれど分かることがある。
このままでは、暁は――
『貴方のように無神経で、簡単に規則を破り人の神経を逆撫でするような人間が大嫌いです』
入部して日が浅い。邪見に扱われていい気はしていないが、暁だって思うことがあるのだ。規則を守るためにしかたなかったんだ。そして、バラの吸魂鬼を相手にしているときも、結果として彼を護ってくれていた。護るなんてしたくない相手を護って怪我をして、何も言わない。
(っ……嫌だ。一人で逃げるなんて嫌だ!)
「僕も吸血鬼部だから!」
誰かに頼る事しかできないのなら、徹底的に頼り続けてやる。
スゥと息を吸って彼は叫んだ。
「新形さん! メインフロア! 中央に吸魂鬼が移動しましたっ!!」
その数秒後、頭上から何かが降って来る。それは容赦なくカエルの吸魂鬼を下敷きにする。「ぐげぇ~」と潰れた声を漏らす。降ってきたのは、新形だった。カエルの吸魂鬼は、頭部に踵を落とされて頭部が変形するが怪我をしているようには見えない。
「んとに……あんたは嫌いなんですよー。この乱暴ものー」
「うちの副会長と後輩にちょっかいかけるのは君かい? いや、君だな」
「単独行動していた癖に偉そうなこと言いますねー。後輩護れてないですよー」
「死んでいないなら問題ないよ」
「それはどうでしょうねー」
頭部を踏み付けられて身動きが取れないと思っているのも束の間、液状化したカエルの吸魂鬼は暁に向かった。床を泳ぐように吸魂鬼の影が蠢いている。
「まずっ……!」
「暁さん!」
今一番、防御が甘いのは暁だ。床に手をついて彼を護るために結界を張り続けている。その所為で暁自身は表面上の薄い壁しか築けていない。結界が破れて暁が怪我をする。
「いただきまーす」
地面から溢れる影。カエルの吸魂鬼は暁の頬に手を添える。
迫り来る恐怖、結界が間に合わない。
「暁さんから、離れろ!!!」
結晶が砕ける音。光が乱反射する。それを綺麗と感じる前に身体は動いていた。
カエルの吸魂鬼が現れなければ、吸血鬼部に会うことはなかった。今と言う土曜日を学校の勉強に費やしていたはずだ。こんな危険なことに巻き込まれることも名前を失うこともなかった。
(吸魂鬼の所為になんてしたくない。だけど、誰かを傷つけることが貴方の所為なら、僕は……貴方を許すことが出来ない)
「ジョン! 吸魂されたら終わる!」
「はい!」
(イメージする。全てを見通す力、千里の眼。その人の、彼の、カエルの吸魂鬼の弱点になるところを……)
「……ええい! わかんないから、此処だ!!」
床を強く蹴りカエルの吸魂鬼に肩をぶつけて押しのけた。「ゲロっ!?」と驚愕の声を上げた。ドサリと床に転がりこちらを睨みつける。
「なにするんですかー。どいつもこいつも、人が食事してるって言うのに邪魔なんてルール違反ですよねー?」
「ね? 副部長さん」と挑発すると暁は苦々しい表情をした後「それはルールではなく」とパンっと手を合わせて結界を生み出す。
「マナーって言うんですよ! 五芒星封印!」
星がカエルの吸魂鬼の足元に浮かぶと「あー、それは嫌ですねー」と不適に笑っているようだった。片足でぴょんっと跳ねて退ける。
「贈り物ですー」
長い舌を伸ばして二階を支える柱を崩した。均衡が崩れ二階が暁の真下に落ちて来る。
中央に避難しても手すりについているガラスで怪我をする。内側に避難したら瓦礫に塞がれて閉じ込められてしまう。どちらも阻止することは不可能。
ならば、と彼は暁と一緒に内側に引っ込んだ。戸惑う暁を余所に「生き埋めですよー」とカエルの吸魂鬼が面白くなさそうに呟いた。
ガラガラとガラスや瓦礫が崩れて来る。暁を護るように、彼は内側に引っ込むがそれでも彼の背中に瓦礫が落ち。打撃を受ける。
「暁! ジョン!」
「吸血鬼部は乱暴ですよねー。吸血鬼も気性が荒いんですかねー」
興味をなくしたカエルの吸魂鬼は「今日のところは帰りますー。お疲れ様でしたー」と影の中に消え失せる。新形は、消えたのを見て、今から追いかけても、痕跡しか残っていないだろうと周囲を見回して警戒しながら、二人が閉じ込められた瓦礫の壁に向かう。
「ちょっと二人とも、生きてる?」
瓦礫が分厚い所為か暁の蚊の鳴くような、か細い声が聞こえてくる。
『彼が背中を瓦礫で怪我をしました。命に問題はないので、この場からの脱出が最優先だと判断します。救援を』
「はーい。それじゃあ良い子で待っててね」
谷嵜先生と浅草を呼び瓦礫を退かす要員を募るためにゲートを開き部室に戻る。大丈夫だと言っているが、所詮は気休めだ。相手を心配させない為の嘘ともいえる。状況など閉じ込められている本人たちしか分からないのだから、新形は部室で待機している二人を呼びに急いだ。
ショッピングモールの片隅に閉じ込められた彼と暁。まだ照明は復活していない。
カエルの吸魂鬼が扉を歪めて誰も侵入できないようにしているのだ。時間稼ぎだが、今の状態では吸血鬼部を困らせたいだけの悪戯の域だと嫌でも理解できる。
ショッピングモールの一階がカエルの吸魂鬼が暴れた所為でめちゃくちゃになり営業は出来ないだろう。
仮に照明が復活しても瓦礫の中にいる暁たちは仄暗いままだ。そんな事を考えながら暁は一緒に閉じ込められて負傷した彼に視線を向ける。
「どうして、俺を助けるような真似をしたんですか」
「だって、魂を取られそうになってたから」
「俺は逃げろと言ったはずです。何よりも貴方に俺の結界を壊されるなんて本来あり得ない。貴方、本当は何者なんですか?」
暁の空想で吸魂鬼と出ているのに空想が使えて、他者の空想を容易に破壊出来てしまうほどの力を有している。そんなこと、あり得ないのだと暁は疑いの眼差しを向ける。
暗闇の中で暁がこちらを凝視しているのは彼でも理解できた。身動きが取れない以上、下手に動いてもしかたないと彼はその場に座り込み言葉を出せずにいる。コロコロと小さな瓦礫が崩れる音はしても、そこから窮地を脱することはできない。現実では、突然の停電と二階崩落でてんやわんやだろう。
ここに閉じ込められているのは現実世界にいない彼と暁のみ。新形が谷嵜先生を呼んでくるまで、自分たちは何もできない。
ゲートを開いて部室に戻ろうにも、ゲートを開くための場所がない。必要な空間を確保できていない状態ではゲートを開いても通過出来ない。
「この際はっきりさせたい。貴方が吸魂鬼なのかどうか。そうじゃないと息が詰まる思いだ」
「そこまで言わなくてもいいじゃないか」
「なに?」
「僕だって怖かった! 死ぬかもしれないって思って、逃げたかった。だけど、逃げたら暁さんが死んじゃうじゃないですか!!」
「得体の知れない貴方に助けられるくらいなら死んだ方がましだ!」
「なら、得体の知れない部活の副部長に殺されそうになる僕の身にもなってよ!」
互いに怒りは強くなる。言い争っても意味がないとわかっているが、余りにも暁はこちらが悪いとしか言わない。互いに非がないはずなのに、非を認めさせたがる。謝罪して済むといつもなら思うが、今回ばかりは不思議と気が荒くなってしまう。
「なんで怒っているのか教えてよ。そうじゃないと僕、謝りたくても謝れないし、反省も出来ない」
「まだわからないんですか? 貴方はおとりに使われた。デコイに使われたって事ですよ。貴方を始末しておけば、吸血鬼部は連続で吸魂鬼に遭遇することもなかった」
カエルの吸魂鬼が彼を生かしたのは、吸血鬼部がゾーンに入った際に奇襲を仕掛けるためであり、彼が偶然見逃されたわけじゃない。いつでも殺せる状況にありながら、放置していたのだ。
「吸魂鬼は、目を付けた標的を決して逃がしはしない。一度欲したものを手に入れるまで欲望のままに追い続ける。吸血鬼部に探りを入れるために生かした」
「吸魂鬼の痕跡を僕に残して、利用していた。それなら、今僕が普通の人だって、吸魂鬼の疑いは晴れてもいいはずだよね? どうして僕をそんな邪見にするの」
「貴方が、吸魂鬼だろうとなんだろうともう知ったことじゃないんですよ。俺は簡単に命令や規則を捨てて勝手な行動を取る貴方が大嫌いだ。これは完全な俺自身の私情です。先生は、うまくやれって言われましたが、生憎と俺は器用じゃない」
石壁となった瓦礫を睨む。
治療の術を持たない暁では、怪我をした彼を診ることはできない。医療の知識がない素人が下手に触れて悪化させてしまう。けれど同時に何かしなければと焦燥を感じるのも事実だった。
どれだけ疑い嫌悪していても、彼は暁を身を挺して守った。それでも自身の矜持が邪魔をする。矛盾な感情しかない。
「どうして、規則を重んじているんですか。誰かが犠牲になる規則でも従うんですか?」
「誰かが違反をしたら、別の誰かが尻拭いをさせられる! そんなことも分からないんですか!!」
「っ……!」
「……あ、いや」
振り返り感情のままに訴える。声を荒げるほどに触れられたくないことだと彼は気づいた。けれど、謝る気はなかった。暁が謝らないのだから、彼が謝る筋合いなどないと暁を見ると、暁は自分の声に驚きを隠せなかった。
「……くそっ」
少しの沈黙に呟いた。居心地が悪いと髪を掻きむしる。
「新形さん。早くしてください」と音を出すが、それでもすぐに無に帰る。
「八つ当たりするくらいなら、教えてよ」
「知って何になるんですか。貴方は俺にはなれない。俺も貴方にはなれない。つまり、知ったところで同調は不可能」
「同調はできないです。だけど……、理解する事は出来る」
「理解?」
「僕は、どんなことがあっても話し合いで解決すると思ってる。言い触らしたりする気はないし、人が嫌がるようなことはしたくない。だから、知りたい。暁さんのセーフを知りたい」
知る事が出来れば、どこが地雷なのか分かり、回避できる。互いに良好な関係でいられる。疑ってもいい、嫌ってもいい。だけど、知らずに嫌悪されるのは違う。
万人と親しくなれるとは彼だって思っていない。生理的に受け付けないこともあるだろう。もしも彼がそれに分類されるのなら、甘んじて受け入れる。しかしながらそうじゃないなら、常に彼が暁の地雷を踏み抜いていることになる。
規則を破り、ルールを軽んじていることで苛立っているだけじゃないと彼は暁を見ると自嘲するように表情を歪めていた。
「それなら、家族を皆殺しにして、存在を消した奴でも、貴方は受け入れると言うんですか? 理解したいと?」