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第15話 Who are me

 数秒。数分。数時間。いや、そんなに経過していない。三分くらいが妥当だろうか。ぽたりと横髪から水滴が落ちる。

 ぽかんと開いた口。歯磨きをしていたのだから、口は歯磨き粉で白くなっている。未だに蛇口から流れ続ける水音だけが、周囲に満ちる。

 下りた前髪から滴る雫が瞼に落ちるとハッと我に返り蛇口を捻って水を止める。

 蛇口を握る手が強くなり、外れてしまうほどだが、暁自身の手の方がジンジンと痛み始める。

 歯ブラシを口から離して、旅行用の歯ブラシセットなのか小さなカップで口を漱ぐ。口の端についた歯磨き粉を肩にかけられたタオルで拭い。すぅーと深く息を吸い込んだ。


「なんで貴方が此処にいるんですか!!!!!!」

「うわぁあぁッ!? ご、ごめんなさいーーっ!?」


 叫び同然のお叱りの言葉。どうして怒られているのか分からないが、咄嗟に彼は謝ってしまう。


「まだ登校時間には早すぎる。あと三十分はあるはずです!!」

「え、いやでも、もう教室にいてもいい時間……だと、思う」


 彼は時間は間違っていないはずだと言ってスマホで時刻を確認する。八時三十三分。たいていの生徒は教室にいる時間帯だと言えば「そ、そんなはずは」と暁は驚愕している。

 暁はスタスタと歩き出す。どこに行くのか付いていくと旧校舎にある用務員室だ。

 用務員室前に来ると「ここで待ちなさい」と入室を禁止されてしまう。五分くらい経過すると扉が開かれて、いつも見ている暁の姿があった。髪がまだ生乾きだが、髪も一応は整えられていた。


 その手には、目覚まし時計が握られている。


「まさか俺の時計が壊れている」


 彼はその時計を見ると時間は七時四十一分で停まっている。秒針が一秒進んでは、一秒戻っていた。


「な、なんで今日に限って……。最悪だ。厄日だ。今日は調査を辞めるべきだ」


 頭を抱えて絶望をあらわにする暁に彼は何を言えば良いのか分からないでいた。

 まさか、ルールに厳しい暁が学校で、だらしのない恰好をしているなんて誰が思うだろう。谷嵜先生は知っているのか、新形は知っているのか。


「あの時だってそうだ。どうして、俺なんだ。俺がなにをした。いや、俺は何もしていない。僕がいけないんだ。そうだ。僕が悪いに決まってる。だから時計が停まって……停まってほしいのは、僕の方だ。時計じゃなくて僕を止めてくれ」


 どういうわけか、酷い自己嫌悪に陥っている暁に「……あ、あの。僕、言わないですよ」と告げる。


「……!」

「先生にも言わないし新形さんにも、誰にも言う気はないよ?」

「そんな事言って、俺を陥れるつもりでしょう!」

「そんなことしないよ!? して何になるって言うの。別に僕吸血鬼部の副部長を狙ってるわけじゃないから!」

「副部長? ……は、ハハッ。そんなのどうだっていい。谷嵜先生が見放したら僕は、消える。消えるんだ」

「え?」

「ああ、消えたくなんて、傲慢だ。誰かバカなことをした僕を消してください」

「暁さん?」


 頭を抱えて「もう、ダメだ」と顔面蒼白している暁に彼はどうしたらの良いかと困っていると「なにしてんだ」と救いの声が聞こえた。


「た、谷嵜先生!」


 朝から眠そうにしている谷嵜先生が歩いてくる。癇癪を起してる暁を見て、事情は分からなくとも状況は理解したようで、ため息を吐いて谷嵜先生は暁に近づいた。

 そして――。


 ドスッと暁の首に一撃をお見舞いする。


「た、谷嵜先生!?」


 彼は十五秒前にも「谷嵜先生」という言葉を吐き続けているが、意味合いが変わっていた。はじめは安堵の声、次に困惑の声だった。手刀を落とされた暁はぐったりとした。それを谷嵜先生は軽々と片腕にぶら下げる。


「たく、朝っぱらから元気だな」

「せ、先生……そのあ、暁さんは?」

「あ? ああ、平気だ。いつもの発作だな。たまになる。気にするな」


(気にするなって無理だと思う)


 気絶している暁を谷嵜先生は用務員室に連れていくと、すぐに戻って来る。


「これから調査だっつのに……あ、まだいたのか」


 谷嵜先生は髪を掻きながら出て来ると彼がまだ用務員室前にいることに気が付いた。暁を気絶させたあと部室に行くように伝えていなかったと思い出した。けれど、まあ一緒に向かえば同じことだと谷嵜先生は歩き出してしまう。彼は慌てて谷嵜先生の背を追いかけた。


「あの、僕。暁さんになにか」

「あいつは元からああいう奴だ。自分の規則にないことが起こると発狂する。気絶させときゃ頭も冷えるだろ」

「た、体罰とかになりませんか?」

「本人の同意の上だ。「もしも俺が癇癪を起し、醜態を晒してしまうようなら気絶させてでも止めてください」ってな」

「有言実行……ですか」

「ああ、その方が手っ取り早い。下手に言葉で落ち着かせるよりも有効的だ」

「調査までに起きますかね?」

「起きるだろ。強い打撃を与えたわけじゃない。十五分して起きなければ、日々の疲れが蓄積されて休んでるってわけだろ」


「面倒だから寝かせてやれ」と言って部室に到着すると部室には新形が待っていた。

 彼が谷嵜先生と一緒に来たことに「なんで!?」とテーブルを叩いて訴える。


「先生! おはようございますっ! 今日もカッコいい! 素敵! 眠そうな顔もまた一段と魅力的! 寝起きだったらもっと色気が濃いんだろうね! 愛してる!」

「はい、おはよう。暁は、十五分の遅れだ。その前にブリーフィングする」


 華麗に新形の告白を無視する谷嵜先生。この流れも慣れてしまい彼も「新形さん、おはようございます」と挨拶をして、壁に立てかけられている簡易椅子を引っ張りだす。


「十五分遅れ。道理で部室に来たら暁がいないと思ったよ。私の次に、先生たちが来た。つまり、ミスタージョン!」

「え、それって僕の事ですか?」


 谷嵜先生がいつもの定位置とばかりにソファに寝転がるのを見届けていると何か思考を巡らせていた新形がビシッと彼を指さす。それはさながら、犯人を突き止めた探偵のようにだ。

「ミスタージョン」というあだ名に彼は困惑しながら、この場でそう呼ばれるのは、後にも先にも彼以外にいない。大方、新形が「ミスタージョン」と呼ぶのは谷嵜先生が「ジョン・ドゥ」と口にしたからだろう。

 ちなみに「ジョン・ドゥ」とは日本語で言うところの「名無しの権兵衛」つまり「名前が判明していない人」を意味している。今の彼に相応しい呼び名である。


「君は、つまるところ暁の真実を見てしまったと言うわけだね!」

「真実。僕はただ、時間にまだ余裕があると思って校舎を探検してただけですよ」


 彼は言わないと言っている為、歯を磨いていたり、学校指定の服を私服化していたことは口にできなかった。ただ偶然居合わせたと言えば「居合わせただけならこんな事にはなってねえだろ」と谷嵜先生が突っ込む。


「ところで、新形。浅草はどうした? 連絡入れたんだろ?」

「入れた~。多分、今向かってるんじゃないかな。さっきチェインが送られてきて、覚えてたのに目覚ましかけるの忘れてたみたい」

「なら、浅草には暁の面倒を見てもらう。俺たちは九時半にゾーン入りするぞ」

「えっ。先生も来るの!?」

「当たり前だろ。お前らで行かせると助かる者も助からねえよ」

「酷い言われよう。……でも、デートだから許す!」

「凄い前向きですね」


 きゃー! と大歓喜しているのを見ていると谷嵜先生は彼を呼ぶ。


「お前は、空想を使えるようにする。いつまでも空想が使えないから護ってくれは通用しない」

「は、はい……」


 空想の事は何もわからないが、バラの吸魂鬼の時のように何もできずに指を銜えてみているしかできないなんてことがないように彼自身、気を引き締めた。


 その後、九時少し過ぎた頃に部室に浅草がやって来る。

 髪が少しだけ跳ねているのは、寝起きで急いで来たのだろう。


「金切り~!」

「金切り。かなりキリキリ、ギリギリってことかな?」


 浅草の言葉に、新形が通訳する。

 適当な言葉でもしっかりと意思を伝える方法なのだろう。もっとも、適当なことを言っているのなら、普通に話をしたらいいのにと思うこともしばしば。


「おはようございます。浅草先輩。この前は突然連れてきて、すいません」

「うい!」

「問題ないってさ。浅草、ちょっと今暁がダウンしてるから、目が覚めたら面倒見といて」

「御意!」


 本当に適当で「うい」も「御意」も浅草からしたら全て「肯定」の意だと新形に教えられた。

 ニュアンスで会話するしかないのだと言われると彼はもう何でもいいやと肩を竦めている。その瞬間、扉を壊さんとする勢いで開かれた。完全に既視感である。


「あれ、もう起きたの? 早かったねぇ~。まだ十分しか経ってないよ?」

「お前ら、揃いも揃ってドアを壊す気か」

「昼寝~、入江~」


 呼吸を荒げている暁の登場に新形は茶化し、谷嵜先生は呆れた声を漏らす。浅草に関してはもう何が言いたいのかわからない。


「遅刻して申し訳ございません」


 深々と頭を下げる暁に谷嵜先生は何も言わずに事を見守っている。

 遅刻といっても今は授業の準備時間でまだ遅刻ではない。ホームルームに少し遅れるか否かと言った具合だ。何より今日は土曜日で遅刻も何もない。


「来たところ悪いが。お前は此処で待機だ。今日の調査は俺と新形、ジョン・ドゥで行く。お前は、浅草と部室待機」

「え、なぜ!」

「癇癪起こしたバカを連れていくことはできない」

「出来ます。次回から徹底回避をして、今後このようなことは」

「わかってないなぁ~。谷嵜先生は疲れてるだろうから休んでもいいよって言ってくれてるのに」


 新形が谷嵜先生の言葉を通訳するように言うが、それで納得するわけもなく、暁は「俺は平気です。目も覚めています」と二人の言い分を否定する。


「お茶お茶」


 浅草が「やれやれ」と肩を竦めて首を振っている。この場でまともに会話が成立する人はいないのか。その場を和ませるために出された言葉も気を荒げている暁には聞こえていないのか「先生、お願いします」と懇願する。


「いい。来るな」

「……っ!? お願いです。俺に行かせてください。今日は、調査のついでに彼の空想の発現でしょう。それなら、俺が結界を張り外敵から護る事が出来ます」


 谷嵜先生の鋭い眼光も今の暁は意に介していない。冷静になれば顔面蒼白で「すいませんでした」と謝罪するだろう。けれど、今は。今だけは違うのだと日が浅い彼でもわかった。

 暁は必死にゾーン内調査を行おうとする。予定通りに全て実行すると谷嵜先生の信頼を取り戻そうとしていた。


 彼は不思議に思う。どうしてゾーンに入りたいなんて思うのだろうか。本来なら、危険な場所であり、吸魂鬼がいつ現れるかもわからない場所なんて誰も入ろうとは思わないはずだ。吸魂鬼に狙われているのであれば、向かわなくていいと言うなら、例外を除けば、誰も行きたくないだろう。だから、幽霊部員がいる。関わりたくないが、関わらなければいけない。

 そんな思考が巡る彼は一つの見解に至る。

 関わりたくない人がほとんどだが、一様に通行料を奪われている。一日でも早く通行料を取り戻したいから、集まっている。その覚悟が彼らにはある。暁のように生真面目ならば、少しでも足手まといになることを嫌悪する。


 だが、一つ二つは分からない。暁はまるで拒まれることを恐れているように見えた。その瞳の奥にある怯え。恐怖が誰にでも理解出来た。


 新形も浅草はどうでもいいのか、しまいには二人で「饅頭? たまご?」「いや、温泉と言えば、温泉たまごでしょう?」と全く違う話をしている。文脈からして理解できないが、いったい何の話をしているのか。


「行けるのか?」

「行きます。やります」

「新形」


「温泉と言えば」の話題を切り上げて、谷嵜先生に呼ばれた新形は嬉々と振り返り返事をする。


「部長として、部員のこじれを治して来い」

「任せちゃってよ。先生、ご褒美は」

「ないよ。浅草、悪い。予定変更だ」

「御意御意」


 谷嵜先生は、改めてブリーフィングを始める。

 前回の調査で吸魂鬼の襲撃を受けたことを皮切りにこちらもただ調査するだけでは危険地帯を散歩しているだけだと告げる。

 ゾーン侵入後、すぐ暁の空想を発動させて一時的にでも吸魂鬼の襲撃を回避。その後は、新形の判断で行動。


「最重要事項として、生きて戻ること。最小限の怪我、無傷が好ましい。俺たちは吸魂鬼を始末する組織じゃない。穏便に通行料を奪取する」

「はは~それって穏便?」

「言葉の矛盾ですよ」


 平穏無事に通行料を取り戻すなんて不可能だが、彼がいるため、乱暴なことは言えないと谷嵜先生の少しの配慮が見えた。

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