第134話 Who are me
天理はいつも一人だった。
生み出した吸魂鬼は各々目的を宿して、従わせるだけで仲間ではなく道具として扱っていた。ノアもバニティも同じように天理にとっては道具で仲間は誰もいなかった。
それが寂しいと五十澤は口にすると「それは違うな」と天理は否定した。
「勘違いをしないでくれ、ノア。私にも仲間と呼ぶ者はいたさ。友人と呼べる相手がいたとも」
「え……」
五十澤が同情をする中、天理は嘲笑する。
まるで天涯孤独とばかりに五十澤は言うが、天理にも肩を並べる相手はいたと語る。
「その者は、私と同じ天の理を目指した。一時は確かに到達した。天の力を宿して、世界を正す一歩手前まで来ていた。しかし、君たちのように高慢無礼な者たちが邪魔をしたのだよ。もっともそれ以降はその者と会うことはないが、嘆きの川にはいなかった。今もどこかで生きているのだろうな」
惜しむ様子もなくただ淡々と語る天理に五十澤は唖然とした。
「そんなの……知らなった」
「そうだろう。一度も言わなかった、一度もその感情を君たちに分け与えたことはないからね」
「……それならどうして! 仲間といるのは楽しかったはずだ!」
五十澤は、それならなおの事、理解ができなかった。どうして仲間がいながら否定を続けるのか。今の世界を拒絶するのか分からなかった。
その友人との対話が大切なものであると思わないのか。今もどこかにいる友人の身を案じることをしないのか。
かつては持っていた。その気持ちを理解できていた。共感し合うことが出来る。だからこそ、慈愛のノアと言う吸魂鬼が生まれたのだ。
「受け入れることが美徳だと思っているのか? 全てを寛容に受け入れることが美徳だというのならば、私はそれを否定しよう。加害者が被害者となり、その逆もしかり。私は一度も自らが被害者だと思ったことはないけれど、人間が被害者だと思われるのは実に気に入らない」
「……!」
気づけば周囲には数十という吸魂鬼の影が蠢いていた。
天理から感じるのは、怒りだった。綺麗ごとを並べたことへの怒りなのか、知った風に友人への感情を語ったからなのかは、定かではない。天理から伝わる感情。
グラータの憤怒に似た気配だった。
怒りの気配。決して許さぬ怒りの雷撃。一度の瞬きで迸る脅威。
「ノア。君は特に厄介な感情だったよ。傑作であり愚作」
「なら、どうして僕を殺さなかったの」
嫌悪する対象だとわかっていたのならば、作り出してから殺すべきだったのだ。今日、この日を鬱陶しく思うのならば、五十澤は生まれて来ることを拒絶していたはずだ。人間を知る前、吸魂鬼だけを想っていた頃の慈愛のノアならば、始祖の為にその身を捧げていただろう。
「君風に言えば、期待していたのだよ。君が人間ではなく吸魂鬼側についてくれるとね。けれど、現実は無常だ。そうは問屋が卸さなかった」
「……考え方が違えば、僕は…………ううん、そうだよね。僕は人間だ」
五十澤は言葉を止めた。言い切ることなく顔を上げた。
迫り来る吸魂鬼が五十澤に触れると消滅した。その事に天理の眉が僅かに動いた。
「僕たち吸魂鬼は、人間の感情を餌に生きてる。僕たち人間は、多くの感情を持ってる。僕は生きるよ。人間として生きて、絶対に死んだりしない」
感情が溢れれば溢れるほど、吸魂鬼の許容は越える。特に吸魂鬼と言う感情の化身を食おうなどと土台無理な話だ。自爆しても文句は言えないだろう。
(天理、やっぱり貴方は、僕たちを仲間だって、家族だって思ってくれてないんだね)
どれだけ生まれたばかりの吸魂鬼でも仲間意識はあった。大切にしようと気持ちはあった。いがみ合っても、嫌い合っても、殺し合うことはなかったのだ。それなのに天理の命令で吸魂鬼は、無心で五十澤を狙う。
道具として使い続ける。すり減って消えてしまうその時まで、それがひどく悲しいものに思えた。
(貴方に少しでも良心があるなら、僕だって変わっていた)
傍らの同胞を消して、五十澤は天理を睨む。
「救われない存在に救済を」
「君も救われない存在の一人だということを忘れてはいけないよ」
天理は五十澤に近づいた。その魂を喰らうために手を伸ばした。
人間全ての魂を喰らっても天理は無事だろう。どれだけ大きな感情を宿しても、天理は簡単に支配してしまう。
傷つけられて、治って、傷つけて、治して。いつまでも終わらない堂々巡り、きっかけ一つで五十澤は死んでしまう。
天理は巨大な影をその手に宿す。五十澤を殺せば、あとは嘆きの川にいる残滓を吸収するだけだ。此処で時間を使うほど無意味なものはないと終わりを迎える為に目には見えない力が視認できてしまうほどに大きく膨れ上がる。
それは風を起こして、崩壊した瓦礫を吸い上げていた。影は色を濃くして、この世を吸い込み消し去ろうとする闇となる。
五十澤は一度深呼吸する。
風が吹き荒れる中、五十澤は天理に向かった。その手に淡い光を握っていた。
右手に握られた光は、五十澤の想い出だった。
たった半年の時間、彼が抱いてきた感情。不安と不快。安堵と幸福。人と人の繋がりを確かに感じていた。痛みを感じて、安らぎを感じた。
友人と仲間たち。奪われ続けた者たちが傷の舐め合いをしながらも前を向いて歩いていた。足を大地につけて明日の光を求めた。
「そんな小さな幸福で不幸《私》を退けると思っているのかね!」
「僕の幸福が、不幸に劣っていなきゃならない理由はないだろ!」
声を出して自分が不幸だと言っても、小さな幸福があるからこそヒトは生き続ける事が出来る。ひと粒の幸福でも、かけがえのないものである。多くの不幸の中でたったそれだけが五十澤を繋ぎ止めたものだ。
(もう取り戻せないものだとしても、護りたいんだ)
五十澤の過ごした楽しい日々が、底知れない闇に飲み込まれる。もう止まる事は出来ない。少しでも揺らいでしまえば飲み込まれる。
新形十虎と暁隠に見つけられて疑われて、谷嵜黒美が部活に歓迎した。
羽人ロクと会って、友だちになって、愛称をもらい。クラスメイトと親しくなって、日常を過ごした。学生のふりをして、ふりをしていることにも気づかない。
学校で過ごした日もゾーンの中で過ごした日も、全部彼にとっては本物で、奪われてはいけない。消えては行けないものだと断言できた。
悲しいことも確かに多かった。楽しいよりも悲しいこと、辛いこと、目を背けたいことが多かった。それは抗いようのない事実だが、確かにそこには笑顔があったのだ。顔を合わせて哄笑する。
その日々がもう訪れないのなら、世界なんて滅んでしまえばいい。
辛い文字の一本の横棒になりたい。幸せになりたい。
「っ……」
息を呑む。闇と光が混じり合う。突風が二人を襲う。
温かい想い出に包まれる。向かう先は苦しいだけの不幸。
「幸福と共に消えろ!! ノアァ!!」
「不幸と一緒に落ちろ!! 天理!!」
闇の渦中で赤い双眸が天理を捉える。
天理を捕まえて押し込む。天理もまた五十澤を渦の贄にしようと影で押し込む。
五十澤の中に悲しい想い出が浮かび上がる中、それでも彼は幸福の想い出を手繰り寄せる。
そのか細い糸も見逃さないように目を凝らす。
(世界は綺麗なんだって、教えてもらったんだ)
ただ暗いだけじゃない。灰色だけではないのだ。世界は綺麗で眩しくて尊いものであると教えてもらったのだ。それだけではない。
五十澤の記憶の中には、巡る前の記憶も少なからず戻ってきている。残っているのだ。谷嵜黒美と佐藤瞳との想い出がある。二人がゾーンに触れた初めての瞬間、ノアだった頃、何もわからない二人との出会いは壮絶だった。今の人生が何度目なのか、もはや五十澤には分らない。
『よぉ、瞳ちゃんに、黒美ちゃん』
『ノア~』
『ちゃん付けするな。気持ち悪い』
『酷いこと言うじゃん。ほら笑えよ、スマイル! ワンツー、スリー』
『スリー!』
佐藤先生とノアがニィと笑うのにつられて笑みを浮かべる谷嵜先生。
三人は友だちで親友だった。敵同士だと思っていた相手が味方同士となった。
永遠のような気がするし、瞬きの間のようにも感じる時間を彼は慈しむ。
愛おしい時間が天理の所為で崩れるのならば、五十澤は人間として、吸血鬼として、吸魂鬼として、何者でもない五十澤乃蒼として、阻止すると心に誓った。
生きていることを妬む水が終わりのない傲慢な寒さに凍てついた。それを良しとしない憤怒が雷撃の一撃を与え、無邪気な疾風が刃となり切り裂く。呼吸を失い、視界が不安定になる。最後には業火に焼き尽くされるような痛み。
「ダメだよ。僕は、まだ逝かない」
その一言で彼の苦痛が分散した。
「楽しそうなことをしているじゃねえか」
不意に聞こえた聞き覚えのない男の声が耳に届く。