第128話 Who are me
天理。
吸魂鬼の始祖はそう自身を名乗った。
「人間とはかくも不完全な生き物だ。感情という鎖に囚われて目先のものに弄ばれる。実に愚かしく、嘆かわしい。だからこそ、私は君たちを救済しようじゃないか。妬み、欲して、驕り高ぶり、憤り、無知でありながら、良く見せる為に飾り、愛し愛される。そんな人間の無意味な行動を許容し難い」
「それが人間というものでしょう」
「妬んだ末に親兄弟を抹消したじゃないか。自ら望みながら絶望している。その矛盾がどれだけ理に叶わないか」
人間の行動を見続けてきた天理は、失望していた。
そのひとつの行動を善と見ずに、何か一つの不利益を見出せば、全を悪とする。その負の連鎖を見て素直に人間をこのまま生存させようと考えるものもいないだろう。
「君たちは選ばれたのだよ。ゾーンに選ばれた者たち、我が子たちに選ばれた者たち。適正率が高ければ高い程、君たちは生き延びる事が出来る。なにを抗う理由がある?」
「選別のつもり? ゾーンに連れ込んで、通行料を奪うことが、貴様らの生存方法だと?」
話を聞いていた綿毛が地を這うような声で言う。救われないのなら、もういいと人間を滅ぼす気しかない怪物に苛立ちを覚える。
何も間違っていないとでも言いたげに事を説明する天理が理解できなかった。いったい、どこから人間を滅ぼすなんて発想が生まれて来るのか。感情論を持ち出すのは確かに人間だけかもしれない。知性の発達においても同じだろう。
けれど、絶滅させるなんて思考に至るわけがない。
「人間を滅ぼすと言いながら、人間に憑依するなんて何を考えているんです」
「君たちは、異端を毛嫌いする種族だろう? もっとも同族だと言っても争いは絶え間なく起こり続けているがね。あくまでも友好関係を築いていきたい。選定されし者たちとはよりこの世のためと尽力していきたいものだ」
吸魂鬼を生みだしたのは、人間を選定するため、選定された人間だけが生き残れる。そんなのは迷信だ。吸魂鬼の中にはイノセントのように人間を遊びで殺し続けてる者もいるだろう。魂を欲して殺し続ける。
どう足掻いても吸魂鬼の存在を確立させるには人間が必要不可欠になる。
「都合の良いように言っているようですが、貴方たちのしていることは、人間という食糧を確保することに他ならない。消えても良い命なんて一つだってないんですよ」
檻の上から重ねるように結界が張られる。幾重にも増える結界に天理は辟易した声色で言う。
「言っているだろう。君の空想では私を拘束することは不可能だと。どれだけ適正率の低い肉体を用いていたとしても、この程度の結界は呼吸するように単純に破壊出来てしまう」
「壊せるのなら、壊したらいい。口先だけで何もしない。時間を無駄にしている。滅ぼしたいのならすぐにでも出来たはずです。貴方はまだ世界を動かすほどの力を持っていない」
御託を並べるだけ実行しない。人間に失望したというのなら、綿毛の手を破壊するように簡単に世の中を作り替えることくらい造作もないはずだ。けれど、それをする動作を見せないのは、その準備がまだ整っていないからではないかと暁は思考を巡らせた。
「探偵にでもなったつもりかい? いや、実のところ、そうだな。まだ世界を改変させるほどの力は戻っていない。あと二人、我が子が帰還するまでは、私はこの結界を破き君たちと遊ぶしかなくなってしまった」
「ならば」と天理は手を上げた。そして、拳を握ると天理を囲っていた結界が握り潰されたかのように割れて砕け散った。
余りにも呆気なかったせいで一瞬なにが起こったのか理解できなかった。
「遊ぼう。我が子たちが帰還するまで」
「ええ、そうしましょうか。こちらも黙って見ているほど理解が速くないので」
天理が何を画策していようと阻止するだけである。
左手を負傷していたはずの綿毛が天理の背後に迫っていた。つい先ほど、暁の背後で手を庇っていたはずだというのに、まるで瞬間移動をしたように背後に現れた。
天理は何故と疑問が浮上させながらも仕掛けて来るのを受け止める為にそちらを見ると、折ったはずの左手が刃へと形を変えて天理を襲った。
「空想で補ったか」
紫色の眼光と共に綿毛は天理の首を狙った。確実に仕留めに来ていた。
見た目など関係なく、綿毛は目の前にいるのが敵対する存在ならばと容赦無用の一撃を与える。けれど、その速さは、天理には想定の範疇であるため、簡単に避けられてしまう。一振りではないと振り下ろされた左手は、振り向き様に振るった。後方に避ける天理は再び綿毛の手を破壊するために手を伸ばしたが、刃の切っ先が掠った。
憑依した男は確実に人間であるのに、怪我を負っても血を出すどころか、完治してしまう。
綿毛は舌打ちをして刃を振るった。速さが伴わないなら天理が少しでも回避し損ねるまで攻撃を仕掛けるまでだった。そして、背後から援護として結界を生み出す暁。
天理が仕掛けて来る直前に結界を張り綿毛を護る。
(空想で身体を改造するなんて、どうかしてる)
綿毛はそんな悪態を自身に向けながら天理に攻撃を仕掛ける。
天理が疲れてしまう前に綿毛の方に疲労を感じる。目の前に迫る死の恐怖に立ち向かいながら身体を突き動かす。吸魂鬼が横から邪魔をしてくるのを暁が結界で封じる。
「先輩、私の利き手は左手ですよ」
「え……今その情報いります?」
「わかってないの? それでも成績優秀者? 左手が動かないって事は、利き手ある左手はなにをしても問題ないってことですよ」
空想で左手を作り替えることは難しい。ならば、左手に何かを装着させればいい。利き手ならば、ある程度の無理も許容できる。手に結界を張って振り回せばいい。
「貴男の結界は、ただ浮かせたり囲うだけではないでしょう!」
造形と言う空想。左手を覆い結界は、綿毛の武器となる。鋭利な刃が天理の命を穿つ。
「どれだけ積み重なろうと無駄なことを。そもそも空想はゾーン合ってこそ。ゾーンが消えれば、君たちの空想は消える」
ゾーンが消えたら空想も消える。
「先に消えるのは、どちらかな? 私たち吸魂鬼か、君たちの空想か」
「ゾーンに居なければ、吸魂鬼の力は衰える。俺たちの空想は、ゾーンが消えたって存在し続ける。無限の可能性ですよ」
目に見えているから疑うのだ。もとから空想は目に見えていない。
見えていないものを信じ続けてきた。そうして見続けてきた結果、吸血鬼部は各々願いを抱いてきた。それが幻だとしても、想うものは同じだ。
「時間を稼ぐことは得意ですから、彼らが戻って来るまで持ち堪えるなんて造作もない」
「待つか。待ち続けることの絶望を教授しようじゃないか」
天理は綿毛の怒涛の攻撃を避けて、片手を出すと波動のようなものを起こして押し飛ばした。
「ぐあっ!」
身体を地面に擦りつけて倒れる綿毛は立ち上がろうとすると天理は空を握ると綿毛の足が潰れた。
「空想。妄想。想像。確かに君たちは少人数で頑張っていた。嘆きの川でも聞こえてきた。抗う声、抗い続ける声。吸魂鬼狩りと名乗り私たちを虐げようとして虐げられる。嘆きの川に流れつく憎悪の魂。未練を残し続けて、死んでいることにも気づかない者たちもいた」
嘆きの川に落ちて来る魂が天理を見つけると憎しみに色を変えるが、そこが嘆きに満ちた場所であると気づけば簡単に嘆きに溶けてしまう。誰もその場にとどまる事が出来なかった。
もっとも天理に遭遇できずに、襲い掛かる亡者を問答無用で蹴散らしていた死者の魂があったことを天理は知らない。
(なんとも愚かなことだ。人間が私を消し去ろうなどと不可能だというのに)
まだ大人ですらない吸魂鬼狩りが二人、天理の邪魔をする。
吸血鬼部と名乗りながら、ここには吸血鬼はいない。吸魂鬼を本来の意味で殺す存在はいない。何度も巡る。何度でも生まれ変わる。
「愚かなことを、ああ、実に嘆かわしい。理から外れた者たちよ。終わりに向かう民よ。今日で人間の世は終焉である」
その言葉と共に天理の立つ地面が割れた。