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第126話 Who are me

 五十澤は嘆きの川の奥底へと向かう。亡者を前に恐れることなどしないと彼は必死に泳いだ。頭痛がする。指先が震えて、手を伸ばすことも億劫になる。

 暁の結界がノアに破壊されても亡者が五十澤を襲い続ける。生身の肉体を奪う為に言葉を投げかける。


『こんなこと何の意味があるんだ』と亡者の嘆きが聞こえて来る。『赤の他人の為にしたって』と考えることを放棄させようとする。その言葉の数々に同意できるものは何もなかった。


(花咲さん!)


 今にも消えかけてしまいそうなか細い光。全て諦めたような光に五十澤は手を伸ばした。まだ間に合う。まだ消えていないのなら、花咲は戻って来られるのだと必死に奥底に向かった。

 五十澤は、花咲の魂の目の前まで来た。優しく包み込みこれ以上、落ちていかないように支える。それは五十澤の通行料なのだ。名前と大切な先輩。それが通行料。


 取り戻しに嘆きの川まで来たのだと五十澤は花咲の魂を前にする。


「花咲さん。帰りましょう。律歌さんも花咲さんの事を待ってますよ」


 兄、もしくは姉である花咲律歌は、ずっと花咲を探し回っている。きっと今もなお探し続けているだろう。嘆きの川の冷たさで指先から徐々に冷える。

 それでも花咲を離してはいけない。


『放せ』

『触るな』

『君も来てよ』


「花咲さん、貴方がどれだけ一人で苦労してきたのか、僕は共感する事は出来ないです。新形さんを真似ていた花咲さんしか知らないから、僕知りたいんです。これからも、花咲先輩を知りたい」


 待っている人がいる。だから帰ろう。無理やりでも連れて帰るのだと五十澤は抱きしめる。蝋燭のようにか細い光。簡単に吹き消えてしまう危うさ。護らなければ、助けなければ、救わなければ、そんな使命感が五十澤に宿る。


 足に力を入れて浮上する。現実まで果てしない。また夢を見てしまうかもしれない。またまやかしに惑わされるかもしれない。それでもその胸に確かにある大切な人を連れて行くのだと五十澤は亡者の声を受けながらも上を目指す。


『やめろ』

『連れて行かないで』

『お前の所為だ!』

『ずるい』

『連れて行け』


 花咲を連れ戻そうとする亡者、自分も連れて行けと叫ぶ亡者。耳鳴りする。頭の中に流れる呪詛のような声。

 確かに消えることを望む花咲を現実に連れて行っても、感謝はされないだろう。許されることもない。放っておいてと糾弾されてしまうのが目に浮かぶ。しかし、人間なんてそう言うものだ。自分勝手な行動をするものだ。


『どうして通行料は返還されているのに……』

「通行料の問題じゃないんだ。気持ちの問題。花咲さんが消えるなんて嫌だって思ったから連れて帰るんだ。自分だけ死ねば満足なんて身勝手だ。死ねば終わるなんて逃げる事は卑怯だよ」


 そう。卑怯だ。

 新形を装って、新形から逃げて、谷嵜先生と向き合えなかった花咲は、一人ぼっちで奈落に落ちていく。そんなの許されない。ずるいじゃないか。卑怯じゃないか。嫌なことから目を逸らして終わりにしようだなんて、自分勝手で身勝手で、卑怯で愚かだ。

 そして、五十澤もまた自分勝手に花咲を助ける。


 現実から目を逸らして、真実を知ることを恐れた。人間ではなく吸魂鬼である事実は、どれだけ言葉を重ねても変えようのない事実である。何度巡っても、五十澤は吸魂鬼のままで人間ごっこをし続ける。

 それでもその腕の中でまだ光を失わない魂を救いたいという気持ちは本物のはずなのだ。


 充血した瞳から涙が流れる。空想を使いすぎて痛みを感じる。鋭い針に突き刺されたような痛みに何度も瞬きしても収まらない。先を視る。もっと先を視る。亡者がやって来る場所を見つめる。避けて、避けて、避けて、それでもまだ地上にはたどり着かない。底知れない闇の中で浮上しているかもわからない。本当は落ち続けているのではないのか。本当は浮上なんてしていないで真っ逆さまに奈落の底に進んでいるのではないか。そんな不安を抱えるが自分が上に向かっていると信じる。


(絶対に助けるんだ。夢なんかで片付けてやるもんか!)


 誰も助けてくれなかったというのなら、五十澤が助ける。遅すぎてもきっと何かを変えるきっかけになるかもしれない。


「っ……絶対に謝らない」


 亡者の嘆きを聞きながら呟いた。

『返せ』『ずるい』『なんでソイツなんだ』と糾弾する声を知らないふりをする。

 謝ってしまったら、していることがいけないことだと自覚しているようじゃないか。間違っていないと信じて行動しているのだ。


「花咲さん! 聞こえてるんでしょう! 諦めないでください! 安心なんてしないでください! 絶対に連れて帰りますから」


 その小さな魂に叫ぶ。みんなを救って、自分が救われないなんて傲慢だ。


「隠君に目いっぱい叱ってもらいますから! 自分勝手なことも全部、吸血鬼部のみんなで話し合って決めなかったことを全部怒ってもらいます。僕も一緒に怒られるから、だから帰ろう」


 部室に帰ろう。谷嵜先生がソファで寝転んで、簡易椅子に腰かけてテーブルを囲む光景。トランプでも、課題でも、時々吉野が遊びに来て、美味しいご飯をもらったりするのだ。浅草の言葉を解読したり、試験の日に怯えて、成績が良くなければ、幽霊部員であると脅されて、勉強をするのだ。


「楽しかったのは嘘じゃないですよね」


 新形の為のウソだとしても、花咲としても楽しかったはずだ。その笑顔が嘘だというなら、演技派として女優として震撼させるだろう。


 そうじゃない。

 そうじゃないでしょう?


 楽しかった。

 楽しいでしょう。


「この寂しい場所にいないで、僕たちと遊ぼう」


 世界は綺麗で、美しいものだ。ゾーンの中とは違う。この闇の中とは違う。目を刺激する景色は、まだ見尽くしていない。もっと遠くを見て、もっと綺麗なものを見て、それからでも遅くない。


 現実への光が見えた。あと少しだ。満点の星々に満ちた夜空。


「おっと、もう戻ってきた」

「糸雲骨牌! どうして」


 ノアと対峙する糸雲が五十澤を見つけてあーあーと退屈そうな声を漏らした。

 嘆きの川にいるのは知っているが、どうしてノアと対峙しているのか分からないでいると「タスケテあげてる」と告げた。


「たすけてって」

「だってお前、一人じゃあ何もできない。誰かの手助けでしか生きられない。本当に人間らしいな。ああ、傷ついた? けど謝らないぜ。これが俺の礼儀ってやつ」

「……ありがとう」

「ドウイタシマシテ」


 糸雲はそう言って五十澤の身体に硬質な糸を巻き付けて上に押し上げた。

 ノアに触れられないように、ノアに届かないように、ノアに追いつかれないように、足止めをする。


「嫌い合う仲だというのに、どうして」

「喧嘩するほど仲が良い。喧嘩は同類でしか起こり得ない」


 糸雲は「まあ不服だけど」とふてくされる表情をした後、硬質な糸を巻き上げる。


 嫌い合うからこそ、理解し合える。

 助けられなかったから助けた。助けてもらったから助けた。


「このまま嘆きの川から出られなくても構わないって言うの?」

「時間は無限になる。俺は死ぬことはない。この場所は、飽きるまでの退屈しのぎ」


 糸雲はノアを視る。最高の暇つぶしが目の前にいるじゃないかと好戦的な笑みを浮かべる。嘆きの川に潜む怪物は、ノアだけではないだろう。もっと奥底に行けば憎悪を宿した怪物が溢れているはずだ。ノアの次はその怪物たちと対峙するつもりでいる。泣きべそ掻いた役立たずを追い出して意気揚々と無限の殺し合いが出来る。


 亡者が亡者を襲う。強い概念体である糸雲を喰らおうとする亡者もいるが、呆気なく消し去ってしまう。誰も糸雲に一撃すら与える事が出来ないでいた。


「……君ほどの空想持ちが、どうして黒美を助けたんだ? グラータからの攻撃も回避できたはずだ」

「飽きたからだ。弟子の面倒も、上司のご機嫌取りも、俺も自由になりたかったとでもいう? 時間の概念から解放されたかったって」


 思ってもいないことをベラベラと口から出て来る。嘘しか言わない。

 自由なんて望んでいないだろう。目先の事にしか興味を持たない。

 奇妙な男であるとノアも怪訝な表情をする。


「吸魂鬼の思考を混乱させることが出来てウレシイよ」


 そう言って糸雲は硬質な糸を伸ばして、永遠の殺し合いを始めた。

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