第115話 Who are me
『俺向きじゃない』
いつの日か口癖となっていた。向いていないのだ。それは俺向きじゃない。
そう言い続けて、飄々とした態度でいれば、みんな見放したりしないだろう。置いていったりしないだろう。「仕方ないなぁ」と甘やかしてくれるに違いない。
『才能がない、向いていない、言い訳を並べる暇があるなら空想を響かせろ。やろうとしない奴に閃きは訪れないし、考えを放棄する者に結果は付いてこない。過去に後悔するなら、過去にしてこなかった自分を憎め。そして、今しろ。遅いとか無理だとか言い訳を並べるな。やればできるなんて言うやつは、ただ足踏みしているだけだ。そんな事をしている暇があるなら実行しろ』
ゾーンを教えてくれた人。法外な料金を取りながらも確かに生きる方法を教えてくれた人。
「俺向きのワンマンライブ、俺の音、聴いててよ」
「動ケナクナッチャエー!」
頬から徐々に身体の動きが鈍くなっていく。最後にはイノセントに吸魂されて殺されるだろう。その前に終わらせれば、今までイノセントに傷を負わされた者たちは救われるはずだ。表情が動かなくなってくる。身体が石のように重くなる。それでもギターを握る手は緩まない。対象を見る。
『吸魂鬼には、感情のぶつけ合いだ。もしも相手の感情体よりも弱ければ弾かれる』
師の教えを受け取る。強い気持ちを空想に乗せる。
届いてほしい。届け。当たれ、ぶつかれ、響け。
弦が揺れる。音が響く。音波がイノセントを震わせた。星空のような頭部が震えている。ノイズが走ったかのように揺れている。
「ナ……ナニ」
ボトリと力が抜けてローブが床に舞う。起き上がれない。身体が痙攣してイノセントは動けない。
「ナンデ」
「……俺の勝ちぃ」
勝利を確信した。大楽は路地に落ちているイノセントの仮面を見つけて拾い上げるとイノセントは、腕を何とか持ち上げてふらふらと動かしている。起き上がる事が出来ない。ただ腕を、ローブで垂れる布が揺れている。
「カエ、シテ……カエシテ……オネ、オネガイ」
か細い声が聞こえる。先ほどのようにこちらを油断させるための物かと疑う。
「ソレ、モラッタ……パパカラモラッタ」
始祖から初めて貰った仮面。自分の存在を認めてくれるもの。
「返すには、君ら奪いすぎたんだよ」
大楽は仮面を破壊した。ギターで叩き割った。それほど力を込めていないのに仮面は呆気なく粉砕する。粉々と塵となり風に吹かれて消失するとイノセントは「ァ……ァア……」とか細い声と共に同じように塵となって消滅してしまう。存在を保つための仮面。始祖が手探りで生み出した希薄な存在。存在をこの世に認める為にあるエネルギーの源だったのだろう。
「っ……疲れた」
どさりとその場に座り込む。空想の使いすぎで身体が思うように動けない。それにイノセントの呪いも消えるのにはまだ時間がかかるだろう。重たく怠い身体が早く自由にならないかと空を仰いだ。
「パペッティア。俺やったよ~、たぶん?」
「本当よね。あれで終わった気でいるんだから、笑っちゃうわ」
イノセントが消失して静寂が戻ってきたのも束の間、その声は、音楽の再生が終えたスマホを持ち上げて片手で破壊する。
「これでお仲間は呼べないわね」
それは時々、こちらにちょっかいをかけていたグラータだ。やっと姿を見せたと思えば、イノセントが消滅した後だと言うのだから薄情な吸魂鬼だと呆れてしまう。
「あんたとは初めましてよね? 憤怒の吸魂鬼、グラータよ」
「へえ、自己紹介してくれるんだぁ~」
「イノセントを殺したんだから、それくらいはしてあげるわ」
グラータは人間の子どもも嫌いだが、イノセントのように我欲のままに生きるものも嫌いだったのだ。ちょっかいをかけていたのは共倒れを期待していたから、けれど刺し違えることなくイノセントは呆気なく消滅したが、大楽は疲労困憊でもう空想を発動する事も難しいだろう。
もう大楽には話す気力くらいしか残っていない。話して時間が稼ぎと言っても連絡手段は先ほどグラータに破壊されてしまって助けなど期待できない。運良く吸魂鬼狩りが三つの谷の路地に現れてくれたらいいのだが、三つの谷の管轄は吸血鬼部であり、誰かの縄張りに近づこうという奇特な者はいない。まさに万事休す。
「あたしは、遊んであげないわ。ぶっ壊してあげる」
「……こわ~。同胞を殺されてもなんとも思わないんだ」
「何も思ってないと思ってるの? ほんと、人間ってバカしかないのね」
「だってそーじゃん」
イノセントを仲間として大切だと思っているのならば、消される前に現れるはずだ。それなのに来なかった。その時ばかりは落雷を落とすこともない。
「怒っているわ。ちゃんとね。見ていた私に腹を叩ているし、殺したあんたに怒ってるわ。けど、同時に愉快だったわ。ガキ同士の殺し合いほど愉快なものはないわ」
怒りはある。だが失うことで感じる愉快な気持ちを楽しんでいた。
その手に雷を宿しながら話をするグラータは、これから起こる拷問を嬉々と楽しみにしていた。大楽はもう動けない。
「……どうせ俺、殺すんでしょう? ならさ、聞かせてよ。パペッティアってどうやって死んだの?」
グラータが糸雲を殺した。正確に言えば、彼と谷嵜先生を殺そうとして糸雲が邪魔をした。
「人間を人間が庇ったってくだらない理由で、この世から消えちゃったわ」
心底詰まらない理由で消えてしまった。子どもではないのなら、もっと楽しめると期待していたが呆気ない最後だったと言えば「そっかぁ~」と納得したような、安堵したような表情をする。
(すごいなぁ、どんなに嫌なことを言われても、どんなにヒトの敵になっても、人助けできちゃうなんてさ~)
「ヒトの為の善行か」
その呟きが言い切るか言い切らか雷が轟いた。
『ね~パエリアはさー。どーして、ナナにそんな意地悪するの? いや、俺んときも言うほど変わらなかったけどさ~。もっと優しくしてよ~。可愛い俺に免じてっ』
『可愛い? だれが? お前が? 冗談はそのギターだけにしろ。あと俺はパペッティアだ。次間違えたら縛り上げて電波塔に吊るす』
『こわーっ』
『俺は優しさよりも偽りを選ぶ』
『えー、なにそれ』
『優しくしたくせに憂うくらいなら、ヒトの為に偽善でいるべきだ』
そんな言葉遊びをしていたのを覚えている。
『誰かの為に、嘘をつく。誰かの為せる所で嘘をつくわけじゃない』
『なにそれー。それって責任押し付けられないじゃーん。あんたみたいに誰かの為とか、正義感持てないなぁ』
『正義感なんて抱いている時は正義なんて振りかざせない。正義を感じていないときこそ、正義を振りかざせる。何も感じない時が一番の正義だよ』
『お前のいいところは、無責任でも、その言葉が全て真実だ。ヒトの為でもなければ、ヒトに憂うこともない。自分の為に、言い聞かせてる。相手に教えている。俺はそう言うところが好きだ』
最高の吸魂鬼狩りになる。
『お前も俺の糸の上だ。絡まって喰われるまで抵抗しろ。抗って諦めるな。お前の目的の為に、それをしろ。俺は俺のしたいことをする。他人にどう思われても構わない』
『強いなぁ、俺は無理~』
雷で視界がチカチカと瞬いている。麻痺して、痛くて熱い。死を悟る。ゾーンなのか現実なのかわからない現状で死ぬとどうなるのか。嘆きの川に落ちてしまうのか。それもまた面白いかもしれない。
「天空は海、海は天空。右は左に、左は右に。何もかもデタラメであり、全て正当である。夢は現実に、現実は夢に。ともに眠ろう。胡蝶の夢」
甘い香りに誘われるように瞬きを数回するとそこには、見慣れた人が立っていた。身体の痺れが消えて、感電死する寸前だった致命傷も消えていた。いったいどういう芸当なのか、不思議に思うことはなかった。この現象を大楽は少なからず知っていたのだ。
その声を知っている。自分たちを監理する組織の上司。モグラの上司がいる。そして、年がら年中、妹を探している変人。
「この環境は本当にぼくにとっては都合が良い。何かの冗談かと思ったよ。これなら、妹も見つけられる」
甘い香りに誘われる蝶。
ポンっと肩を叩かれた。気づけば、花咲律歌が優しい微笑を浮かべていた。
「すまないね。仕事を疎かにしてしまっていたよ」
「胡蝶」
「でもまあ、ぼくも一応は大学生だからやるべきことは済ませて置かないと予定を後に詰めておくのは性に合わなくてね」
「それ、部下を置いてやることじゃないでしょ~」
「君たちが生き残ってもぼくの人生がよくなるわけじゃないからね」
「ブラックぅ~。でも、助けてくれてありがとー」
「どういたしまして。さて、ここからは、ぼくが引き継ぐよ。どうやら相手は、パペッティアの仇でもあるようだ」
胡蝶。律歌はそう言って優しい瞳を鋭くさせてグラータを見た。
「あぁら。あんた、ジュードにやられていた雑魚じゃない。敵うと思っているの? この私に?」
「ジュードに負けたからと言って君に負けるとは限らないだろう?」
「舐めたこと言ってくれるじゃない!!」
グラータは怒りのままに雷撃を律歌に向ける。けれど、律歌も大楽もそこにはいなかった。
「ああ、すまないね。言うのを忘れていた。それは、偽物だよ」
「ッ!?」
「夢であり現実、虚像であり実像。終わりの始まり、始まりを告げて、終わりを迎える。これが僕の空想。胡蝶の夢だ。さあ、終わりを始めようか」
紫色の眼光がグラータを捕える。