第109話 Who are me
三つの谷高校の三年は、修学旅行を楽しみにしていた。
「隠君、顔色悪いよ? 大丈夫かい?」
用務員の仕事を終えて、制服に着替えていつものように暁は三年B組にある自身の席に腰を落ち着かせた。すると吉野が心配の声をかける。
「ちゃんと食べてる?」
「食べていますよ。有難い事に貴方からのお裾分けが、いくらか残っていたので。ご心配をおかけしました。ですが、大丈夫です」
「そう。なら良いんだけど……。そうだ、あの子は元気?」
「あの子?」
「ほら、男の子。えっと、なに君だっけ」
名前を訊きそびれたかな。と吉野は困った表情をするが、それだけで誰なのか分かった。
「ジョン君ですね」
「ジョン君?」
「はい。俺たちと同じ境遇で、名前が言えないんです。なので、谷嵜先生から名無しの権兵衛を英語にしたジョン・ドゥと呼ばれていました。クラスでは、ナナと呼ばれているようですよ」
「なんだか、名前がないことを強調してるみたいだね」
「そうですか?」
「うん、だってナナって、名前が無いで、名無じゃないの?」
「そんな安直なものではないですよ。クラスメイトに、ロクと言う名前の声がいるのに、その次に続いてナナです」
「それで、彼がどうかしたんですか?」と暁は本題を尋ねる。
「修学旅行のお土産何が良いかなって、隠君、訊いてきてよ。それで一緒に探そう?」
「あ、そうだ。俺は不参加します」
「どうして!?」
ダンッと机を叩いて吉野は信じられないと驚愕する。その様子に暁までも目を丸くした。
「どうしてって……わかっているでしょう? 修学旅行でさえ俺の場合、面倒を見てもらわなければならないんです。行くわけがないでしょう」
旅費だけで十万以上かかるというのに、そんなの学校側が負担するわけがない。そして、今まで何から何まで負担してくれた谷嵜先生がいないのだから、従来の学校行事の参加は見送る可能性が出来てた。
カモノ校長曰く「授業にも、行事にも出ていいよ。何も心配しなくていい」とのことだが、そんなわけにいかない。授業は今学期は一括で支払われている為、授業には出るが、その中に含まれた行事は不参加にするつもりだが、吉野は良しとしていない様子だ。
「十虎ちゃんと文化祭でライブをやるって話はどうなっての!」
「だ、誰がライブをするんですか」
「君たち! 休憩部でライブをするって聴いたのに!」
「やだやだ! 隠君がイベントでないのやだー!」と子供の我儘のように駄々をごねる。
(先の分からない予約を立てるのはやめてください)
本人も今は、休学しているとカモノ校長は言っていたのを覚えている。
学校の秩序は変わらず、平和を謳う。だが、暁が見ている景色は違っていた。
色褪せているわけでもなく、ただ音が遠く聞こえる。何もかも遠く離れている。まるでゾーンに入るようだった。
「……!」
「隠君、大丈夫?」
「え、ええ……すいません。少しお手洗いに行ってきます」
席を立ち、教室を後にする。
まだ始業のベルは鳴らない。少なくとも五分は余裕がある。
どこか頭の中にある違和感を払拭するために教室を出ると思いもしなかった人物がいた。
「待っとったで……副部長さん」
「蛇ヶ原入間」
一年生が三年生の教室がある廊下にいるのは異質で、だが此処に来ると確信していた声に暁は訝しむ。
「まあ、来ないなら来ないでええねんけど……。来てくれったちゅうことは、副部長さんも違和感を感じ取るんとちゃうか?」
「違和感?」
いったい何のことだと首を傾げるところだったが、思い当たる点がいくつかある所為で傾げる首もまっすぐとなってしまっている。
ただ不服なのは、暁よりも先にその違和感に気づいている点だ。他の組織であり、自分よりも年下が先に違和感に気づいているのに、自分は気づかない。
「色。徐々に無いなっとる。この現実の世界が、ゾーンと一体化しとるみたいやない?」
「……」
暁はこそりと周囲を見る。確かにどこか本校舎にしては、寒さを感じる。それが色素が薄くなっているなんて理由にはならない。
「大楽さんから聞いとるよ。嘆きの川を見つけるんやろ。自分もお手伝いさせてもらうで」
「報酬は?」
「んなもんいらん。自分はただ、お友だちさん助けたいだけや。それに、何かを犠牲にしてまで通行料を取り戻したいわけやない」
クラスメイトが一人いないだけで空気は暗くなると言うのに、彼と担任がいないとなれば、より一層暗くなる。いつも元気な剣道もどこか声に覇気がない。真嶋も女子生徒にちょっかいをかけているが、本調子ではない。
鬼久保も友人となることが出来た羽人と彼がいないことで落ち込んでいる。学校が楽しいと思いたいのに、思えないのだ。
その色のない空間が嫌で仕方ない。気づかなければ色はそのまま宿している。けれど、気づいてしまえば、それらが顕著になる。
「どうすると言うんですか? ジョン君や部長たちの行先など分からない。貴方は分かると言うんですか? 分からないのに関わるのなら、邪魔なので放っておいてください。黙って普通の学生をしていたらいい」
「友だちを助けたい思ったらアカンのか? さすが、ハウスさんやな」
「……」
「あんたは自分を利用したらええ言うとんのや。この蛇さんいくらでも使え。せやから手伝わせてくれ」
その声は、どこか冷たく。けれど、決意に満ちていた。
モグラは、機能を失っている。上司が二人もいなくなったようなものだ。他の所属員は、暫く本部に戻って来ることもない。吸魂鬼狩りには時間がないのだ。糸雲と違い、時間は有限である。
「自暴自棄にならないでください。それに場所も考えてください。此処は旧校舎ではなく学校ですよ?」
もしも一般生徒に見られていじめをしているなんて勘違いされては暁の立つ瀬がない。
「自分の通行料、仮面の吸魂鬼が奪っていった。仮面の吸魂鬼は一人や二人やない。頭数くらい揃えたって罰は当たらへんやろ」
「……あとで、争いになって怖いと言っても帰してあげることはできませんよ」
「覚悟の上や」
「はあ……わかりました。良いでしょう。放課後旧校舎まで来てください。佐藤先生を強請ります」
「任せとき!」
蛇ヶ原はパァと明るい表情をした。
(まったく、吸血鬼部は保護組織ではないのに……)
新形がこの場面を見ていたら「優しくなったねぇ」と揶揄されること間違いなしだ。
「貴方は、いつからゾーンに?」
「小学生からやけど」
「……そ、そうですか」
口元が引き攣る。完璧なまでの規定違反者が此処にいた。
うっかり発作を起こしそうになったが深呼吸して「放課後に」と踵を返した。
その後は、授業を終えて蛇ヶ原が言っていたように校舎内に色が無い。色彩が徐々に減っていっているような気がするのは暁の気のせいではないだろう。その証拠に、「風邪が流行ってるのかな?」と吉野がクラスメイトを見て心配していたからだ。
吉野の目にも色が薄いように見えている。そして、身近な暁に尋ねてみた。体調は良好だ。
(ゾーンに関わった者だけが色の変化に気づける?)
ならば、と暁は、放課後となって二年の教室へと向かった。
そこで見つけるのは、浅草と燈火だ。二人の教室を探して、まだ残っていることを祈りながら、まだ教室に残っていた生徒に所在を尋ねると簡単に会うことが出来た。
「あれ、暁先輩?」
「にょ?」
「浅草さん、燈火さん。お二人にコレを見て欲しいんですが」
そう言って暁はスマホに表示されたものを見る。
「ブルー?」
「いや、これは水色だろ」
スマホに浮かぶのは、青い球体のイラスト。
浅草は、青と答えて、燈火は水色と答えた。そこで暁は自身の見解が肯定されたことに気づいた。
「ありがとうございました。浅草さん、この後部室でブリーフィングです」
「うい!」
「なんの画像だったんすか?」
「ちょっとした心理ゲームですよ。水色に見えた人は、恋心が強いって言うやつです」
「なっ!? な、なんてもんやらせるんすか!!」
カァと顔面を赤くする燈火に「嘘です」と言えば、より一層、赤色を濃くした。
それではもう誰かに恋をしているといっているようなものだが、それを追求するほど野暮ではないと暁は笑ってごまかす。
「っ!? 揶揄うのはやめてくださいよー」
その微笑ましい光景に暁は「またあとで」と二人に別れを告げてその場を離れた。検証は終えた。
ゾーンに関わった者は、色彩の変化に気づき、関わっていない者は、異常に気付かない。
(ゾーンが現実世界に浸食している? そんなこと、いえ。ゾーン内であり得ないことはない。そうなるように誰かが差し向けた? いったい誰が)
「副部長さん!」
本校舎を離れようとしたとき、廊下を駆けて来る蛇ヶ原に暁は眉間に皺を寄せて言う。
「廊下は走る場所ではありません」
「そないなこと言うとる場合か!! 吸魂鬼がでよった!」
言われて暁は表情を変える。どう言うことだ。学校内に吸魂鬼が現れるなど今まで起こったことはない。体育祭で一度だけであり、校舎には一度だって現れたことが無いのだ。
この異常事態に触発されて現れたのかと、蛇ヶ原はどこに現れたのかと尋ねれば、体育館の方だという。バスケ部が練習をしているが、誰も吸魂鬼には気づいてない。ゾーンにいるのだから当然だと言えば「現実に出現したんや!」と言った。
「吸魂鬼が現実に、自分がゾーンに入っとらんのに吸魂鬼が」
ボールの頭部を持つ吸魂鬼が体育館でバスケをしているのだ。その様子にバスケ部は気づかない。
「……視界の変化、ゾーンの浸食、吸魂鬼がこちら側に存在できる? いえ、出来たとしても力が制限されて吸魂の一つできないはずだ」
「何ぶつぶつ言うとんのや! はよ、せな。他の人さんらが」
考えるのは後にして今は体育館にいる人たちをどうにかしなければと駆け出した。