第104話 Who are me
『吸魂鬼になろうとしている』
ノアはそう言った。谷嵜先生は多くの人が負うはずだった通行料を引き受けた。綿毛もその一人である。谷嵜先生の周りから抜け落ちている。大切なもの、失いたくないもの。吸血鬼だからこそ、それが出来てしまう。
いつか魂までも失って、魂を求めて彷徨う吸魂鬼となってしまう。廃人ならば、まだ保護のしようがあるだろう。谷嵜先生は、人間ですらないのだ。
「嘆きの川を見つけるのにジョンは必要ない」
『……そうか。そう言うことだったんだ』
「わからない。どう言う事? 説明してよ」
彼だけが分からない。ノアは一つの見解を生み出していた。
『さっきの娘。あの娘を使う気だな』
「新形さん?」
自身の通行料を語り、どこか憑き物が落ちたように嬉しそうに笑っていた新形。
親友を取り戻して、本来の肉体に戻る為に奮闘していると知って、新形との距離が近づいたと思ったのも数分前のことだ。
『吸魂鬼は、吸血鬼になるが、吸血鬼が吸魂鬼に戻らないことはない。そして、人間は吸血鬼によって吸血鬼となる。そして、吸血鬼は吸魂鬼になる』
「人間は、吸血鬼……! 新形さんを吸血鬼にするつもりですか!?」
「……いちいち喚くなよ。頭に響く」
煩いと不機嫌な表情をする谷嵜先生に彼は受け入れられなかった。新形を吸血鬼にしたら、新形の通行料はどうなる。新形は、また人間に戻れるのか。今までだって、新形の身体が欠損した場合、戻るのか心配していた。それなのに、人間ですら無くなってしまう。
「別に驚くことでもねえよ。お前が来る前から決まっていたことだ。卒業するまでに通行料を取り戻せなければ、強硬手段でも良いと同意している」
「強硬手段が、人間をやめることなんですか! そんなの、そんなの酷い。それなら僕がやります! 僕が吸魂鬼として何かしたらいいんですよね! 隠君の空想で僕は吸魂鬼だったなら!」
「お前は、消える事を受け入れられるのか?」
「消え、る?」
「嘆きの川からすべての通行料を引き上げることに一切のリスクがないと思ってるのか?」
「な、嘆きの川を見つければ、なにか」
「突然、奪われた通行料が戻って来るか。随分と都合いい話だな。覚悟が出来てない奴が、口出しするな。適合率が高かろうとお前じゃ新形には敵わないよ」
谷嵜先生は「ノア」と霧の中の声、吸魂鬼に向ける。
「俺が嘆きの川を破壊する。ジョンを巻き込むな。お前もとっとと成仏して、嘆きの川で待ってろ」
『……。ああ、ならそうさせてもらうよ』
その声を最後に霧は晴れた。
納得できなかった。彼はそれを受け入れられなかった。先ほど話した新形が吸血鬼になるなんて人間をやめてまで取り戻したいものでも、みんなが納得できないのならするべきではない。
「先生、本当なんですか」
「お前は予備だった。体育祭の時にお前には適性があると思ったが、当然だったな。吸魂鬼の生まれ変わった姿ならば、暁もお前を吸魂鬼と出すだろうな」
「僕が吸魂鬼だってわかっていたなら、僕を利用したらいい! どうして新形さんなんですか!」
「新形が使えなければ、お前を使う予定だったよ」
「なら、今だって」
「もう遅い」
「遅いって……なにがですか」
「吹っ切れたんだよ。お前が新形と話してくれたお陰で、あいつは覚悟が出来た」
「ッ!? 全部見ていたんですか」
彼と新形の会話を聞いていた。新形が吹っ切れた。誰かに通行料を告げて、許された。
新形の心残りは、自分が自分ではなくなる恐怖だった。自惚れだ。傲慢だ。またいつも通り、かつての友人同士に戻れると期待して谷嵜先生についていった。
「新形さん、どんな気持ちで今まで」
「お前以上に知ってるよ。知っていて利用した。お前が自分を利用しろと言ったように彼女もまた俺を利用している。そして、俺も同じだ。相互扶助の関係が成り立っている」
成り立っていない。まったく成り立っていないと彼は悔しくなる。
「みんなの通行料を取り戻すって僕、新形さんに言っちゃった。新形さん……笑ってた。どうして、笑っていられるの……どうして、死ぬかもしれないのに。もっと他の方法がある。自暴自棄になる必要なんてない! まだ終わりじゃない。まだ半年あるのに諦めるなんて」
「お前にとっては、半年前からの出来事だろうが、他の連中には数年以上経過している。もう誰も待てないよ。これ以上待てば、均衡が崩れる」
卒業前に、終わる前に、終わらせなければならないのだ。
「……俺もあと少しで、完全に人間の部分が消える」
「っ!?」
「俺が完全な吸魂鬼になった後の吸血鬼部は佐藤に任せてる」
「佐藤先生も知っていたんですか」
暁は知っているのだろうか、浅草は、他の幽霊部員は、カモノ校長は知っているのか。その所業を知っているのか。それを偉業としてはいけない。その行為を認めてはいけない。
「殉教の道が正しいと本当に思っているんですか!」
「殉教? 違うよ。俺たちは、意味もなく死にに行くわけじゃない。お前たちを助けるんだよ。正義のヒーローみたいに」
言葉を失うばかりだ。谷嵜先生は楽し気に笑っていた。
呼吸ができなくて、苦しくなる。悲しさが、瞼にたまる涙が鬱陶しくて視界が歪む。グシグシと袖で涙を拭うが溢れて来る。感動の涙じゃない。悲しさの涙だ。
谷嵜先生は歩き出してしまう。
引き留めようとしても言葉が出てこない。息がつまる。停める事が出来ない。停めても、解決策なんて彼は思い浮かばない。
「なんで……そこで、笑うんですか」
今まで笑うことなんてなかったくせに。
彼は谷嵜先生が今この時、嫌いになった。嫌いになるしかなかった。みんなを助けたい。その中に含まない谷嵜先生が、新形が嫌いになった。
その背を追いかける事が出来ないのが嫌だった。置いていかれたくなかった。
全部嘘で終わらせたくなかった。
谷嵜先生が学校を去った。新形の姿も消えていた。
どこにもいなかった。新形を探して、また話をするために旧校舎を探し回ったが、見つけられず、彼は失意の底にいた。
嘲笑うように鋭い三日月が頭上にある。真っ暗な空。誰もが寝静まる時間。彼は叫んだ。
「バニティ! 見てるんでしょう! 出てきてよ! 出てきて、僕を助けてよ!」
闇で満ちた陸の孤島で彼は叫んだ。旧校舎は明かりが灯らない。
心の痛みを感じながらも、彼は協力者に呼びかける。
まだ新形は吸血鬼になっていない。ならば、彼らの方が手段が速いはずだ。
谷嵜先生よりも先に嘆きの川を見つけて、破壊したらいい。ノアの言葉を信じて、彼はバニティを利用する。
「仮面の吸魂鬼が嫌いになったと思いましたが、そうではないようで安心しましたよ。ジョン・ドゥ」
彼をゾーンに誘い込み。バニティは姿を現した。
「僕は、ジョンじゃない」
「おや?」
「僕は、ノアでしょう?」
彼は、バニティを視る。紫色の瞳が感情的に揺らめいている。
その姿をバニティはかつて見たことがある。
「お久しぶりです。ノア。貴方が戻って来てくれて嬉しいですよ。ですが、まだ完全ではない」
(僕は吸魂鬼。吸魂鬼だった。だから、バニティは僕に声をかける)
「僕はどうなってるの」
「吸血鬼でも、ましてや吸魂鬼でもない。けれど人間と断言も出来ない。貴方は中途半端な存在です。私と共に嘆きの川を見つけてくださるのなら、貴方を完璧な吸魂鬼に戻して差し上げます」
「戻りたいわけじゃない。僕はみんなを助けたい。君が嘘つきでも良い。助けて」
「勿論。貴方の願いならば」
今後は彼から手を伸ばした。その手を取って、彼は全てを取り戻すために少しの間、学校を離れる。
本物の吸血鬼と本物の吸魂鬼でなければ、嘆きの川は見つけられない。
谷嵜先生が吸魂鬼となり、新形が吸血鬼にある前に彼は全てを終わらせなければならない。
「怖くないのですか?」
吸魂鬼に手を差し伸べる事が怖くないのかとバニティは不思議な声色で尋ねる。
常人ならば、吸魂されてしまうと一目見ただけで蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
「今一番怖いのは、止められる事を止められないで黙って見てることで、見てるだけじゃダメなんだ。この目は、視る為だけにあるわけじゃない。止める為にあるんだって気がする。だから、恐れてる暇じゃない。友だちや先生がいなくなる方がずっと怖い」
バニティは彼の手を強く握った。