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第102話 Who are me

 二つの容器がある。容器の中に水が満ちていた。少しでも水を足してしまえば零れ落ちてしまう。そうならないように、個々として見合った容器のサイズが存在している。


「強くてニューゲーム。過去を無視して、過去の過ちを無かったことにして、リセットして、憧れの存在として、引く手あまたで、何も苦労していないと思わせる。……そんなこと絶対にないのにね」


 容器には決定的な違いがあった。

 一つはひび割れており、一つは新品のようだった。


「入れ物は、誰に対しても平等に一つで、代わりなんていないし、代えも利かないのに、私はあの子から奪い取った」


 二つの容器の中の水は、片方を羨んだ、妬んだ。そして、そちらの容器が綺麗だと水は本来の容器から抜け出して、目の前にある綺麗な容器に入ろうとした。けれど、綺麗な容器は一杯で、もう一滴たりとも入らない。


「私はね。私じゃないんだよ」


 ぽちゃんと一滴が落ちてしまえば、波紋を広げてダムが決壊するように溢れかえる。その一滴の水が、他の水を教唆するのだ。「こっちが良い」「こっちの方が良い」「広くて」「綺麗で」「過ごしやすくて」「快適だ」と一滴、一滴、また一滴。ひび割れた容器になんて、いつ壊れてしまっても可笑しくはない。新品が良い。新しいものが良い。綺麗なのが良い。可愛いのが良い。格好良いのが良い。


 綺麗な容器に残るのは、ひび割れた容器に入っていた水だけ。

 綺麗な容器に入っていた水は、床に散らばり元の状態には戻らない。


 ひび割れた容器に残るのは、なにもない。一滴も残らない。

 ひび割れた容器に入っていた水は、綺麗な容器に移り変わり、我が物顔をしている。


「私の通行料は、親友の魂と私の身体なんだよ」


 空っぽのひび割れた器はもういらない。



 ガコンとゴミ箱に空き缶が捨てられる。

 彼は言葉を失う。目の前の人が新形十虎ではないと信じられなかった。


「貴方は、誰なんですか」

「花咲零」

「っ……! じゃあ」


 先ほど別れたばかりの花咲へと振り返る。もういないとわかっているが、いま追いかければ妹に会えるのではと彼は焦燥する。

 それを気づいてか「あの人に、零として会う気はないよ」と新形が見せる事のない悲し気な表情をする。あと少しでも何か言ってしまえば、泣いてしまう気がした。


「私は、あの子が羨ましかった。あの子になってみたかった。賢いあの子が好きだった。親友だったの……私は地味で、可愛くもない。愛想も悪いし、捻くれてて、ヒトと話すことも得意じゃない。そんなよくいる子が、学校いちの人気者の親友なんて絶対に裏があるって思っちゃうよね」


 素直に信じられなかった。素直に受け入れることが出来なかった。


「必死に追いかけようとして、追いつかない。あの子の人生がどういうものなのか知りたかった。あの子になりたかった。いろんな人に囲まれて、愛されて、認められる。……叶わない理想だとずっと思ってたんだ。私とは正反対のあの子になる事なんて絶対に無理だってわかってたのに……転機が来たんだよ。あの子さ、どこで知り合ったのかわかんないけど、谷嵜先生と会ってたんだよね。まだ、高校教師にもなっていない谷嵜先生、ううん、谷嵜さんに」


 その当時、新形や花咲零はまだ中学生だった。

 本物の新形が谷嵜先生と会い、谷嵜先生を好きになっていた。


「ガラの悪い胡乱な男の人なんて、年ごろの女の子には刺激が強いでしょう? 特に勉強詰めの優等生が前にしたら、そりゃあ好きになるって……」


 花咲零は言った。「やめよう」「危ない人だ」「暴力を振られるかもしれない」と警戒し続けた。新形がそれでも好きになってしまったのだと言って、会いに行った。

 花咲零を連れて会いに行った。顔を合わせるだけで恐怖で足が動かない。威圧感が少なからずあったのだ。それでも良い人であるのは理解していた。新形にも自分にも手荒なことはしないで、暗くなるとすぐに帰れと追い払う。


「一年間、あの子は谷嵜さんのところに通ってた。私も時々、連れて行かれて、三人でいるのは珍しい事じゃなかった」


「親友と好きな人がいる空間! 天国!」と大袈裟に言う新形が羨ましかった。楽しめる新形が妬ましかった。


「受験が近くなって、そろそろ本格的に高校決めないとってなって、あの子が言ったの、「本当は三つの谷高校だけど、やっぱり離れたくないから零と同じところにする」って……絶対に三つの谷高校の方が良いに決まってるのに、私がいるから他に行くなんて絶対に嫌だった。足手まとい、足を引っ張ってるって思われたくなかった。あの子の傍にいるだけで視線が刺さるのに、これ以上は無理だった……楽になりたかった」


 自由になりたかった。

 高校受験で、もう会うことも無くなれば、この劣等感も消えてくれると信じていた。それなのに、まだ新形は自身を掴んで離さない。


「喧嘩別れだった。何が何だかわかんなくなってね。言っちゃった」


『もう十虎に合わせるの疲れた。私を放っておいてよ。同情で付き合ってるってわかってるんだから、そうやって私を腫れ物扱いしないでよ。私は十虎の兄妹じゃないから、高校くらい自分のレベルにあったところに行く。ついてこないでよ。もう、』


「もう、うんざり。気づいたときには吐いてた。あーあ、言わなきゃよかったなって……ずっと後悔してる」

「あの、新形さんは……その、本当に花咲零さんのことを……」

「わかってるよ。わかってる。だって親友だったから……嘘じゃないってわかってる。同情で付き合ってるわけじゃないのも知ってる。秘密を共有してるんだから、谷嵜さんを言わない約束。弱みを私に見せて言い触らしたら風当たり悪くなるのに……わかってたよ、全部わかってた!」


 理解できてしまう。その言葉が、その表情が、その行動が。全て利己主義ではないことを、同情で同じ高校に行って、面倒を見てやろうと傲慢な気持ちじゃないのも、疲れていたのだ。

 花咲零は、その感情が、優しさが、行動力が妬ましい。抱いていけない感情ばかりで発散する場所もなく、ぶつけてしまった。素直に受け止める事が出来たのならば、今ここに本物の新形十虎がいた。


「『十虎の容姿なら、人生、生きやすかっただろうね。私が十虎なら、もっとうまくやれてた。あんな胡乱な男を好きになったりしない。私ならもっと人生謳歌できる!』」


 そう息巻いて、逃げるように帰ろうと踵を返して、点滅する信号機。

 追いかけて来る足音、振り向けば、未来は変わっていただろう。


 視界が瞬いた。身体が痛かった。喧噪が響いた。野次馬が何か言っている。

 何もわからない。分かるのは、車に下敷きにされた自分自身が、ミラーに映っていることだけだった。


 終わり。終わったのだ。花咲零は、事故に遭った。


 また新形が可哀想な子として世間から持て囃されることだろう。親友を失った子として人が彼女を取り囲むに違いない。そんな未来が見える。


(十虎が死んでも、私は可哀想とは言われないのに)


 逆でも、新形が死んでも、きっと新形の話に持ち切りになる。

 誰もその傍を付いて回っていた女子生徒の事を覚えていない。


「……十虎が羨ましいよ」


 恨みの言葉、妬みの言葉。結局自分も他の人たちと同じで新形の容姿に惹かれてついていったのだ。魔性の女とはまさに新形の事だろう。


 気まぐれな悪魔がそれを聴いた。ゲートが開いたのだ。


『その願い、俺様が叶えてやるよ。お嬢ちゃん』


 仮面の吸魂鬼、ジュードが聴いていた。

 花咲零の欲望を聞いて気に入って、ゲートを開いて、全てを滅茶苦茶した。


「ゾーンに入った時、私は記憶が混乱してて、何があったのか覚えてない。ただ苦しかった。耐えがたい程苦しかったことしか覚えてなくて……ゾーンの中で目を覚ました時、私は新形十虎になってた」

「でも、それなら、ジュードが新形さんたちをゾーンに招いたことになって行きの通行料はなかったことになるんじゃ……?」

「ジュードは意地悪だったからね。ゲートを開いた先って地面だったりするんだよ。招いたんだじゃなくて、落とした。だから私のゾーン入りは、迷い子と一緒」


 ジュードの力で、通行料が滅茶苦茶にされて、ゾーン内に放り出された。


「ジュード言ってたな~。互いの通行料が一緒だから弄りやすかったって……私の大切なもの、十虎。十虎にとっても私は大切なものだったんだって……」


 自分が可哀想なんて傲慢だったのだ。自惚れだった。


「今更、謝っても仕方ないと思ってる。だから、私は新形十虎として、この世界に成り代わった。谷嵜さんを一途に愛する女子高生として、吸血鬼部の部長として、成績優秀な模範生として、全部模倣する。それが猿真似でも構わない。あの子が戻ってきたとき、何もかもが元通りで中学校の延長戦であると思ってくれるように……卒業する前に十虎を取り戻したい」

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