第100話 Who are me
「パペッティア!」
それは一瞬の事だった。跡形もなく全てが飲み込まれて消えた。
結果から言えば、負けなのだろう。吸魂鬼に負けた。
負傷者多数、死者一名。その結果になった。吸魂鬼狩りならばこんなのは日常だが、吸血鬼部はまだ学生で、子どもの域を脱しない。
予定外の吸魂鬼が出現した。グラータの存在が全ての予定を狂わせた。
一体ならば、どうにか出来ただろう。けれど、二体も現れて対応が変われば、動きも変わる。不意打ちされて吸魂鬼狩りがほとんど潰れていた。
直接見ていないと言っても死人を出した事に気を病む者が現れる。
あの場では何が正しいかなど分からない。後からそうしておけばと後悔するばかりだ。
保護した花咲は、既に目を覚ましており事情を聞くと「そう」と短く告げた。
「仕方ない。後輩たちには、君の失態だと伝えておくよ」
部室にやってきた花咲は、部屋で一人ソファに腰掛ける谷嵜先生を見る。
生き残ったのは谷嵜先生だった。星空の球体に飲まれる直前に糸雲がゲートに押し込み。身代わりになってしまった。その光景が目に焼き付いた
無礼な物言いはするが、悪人ではないのだ。糸雲は善人だ。それを知っていれば、どんなことでも受け入れられる。糸雲もまたゾーンの被害者だ。そして、優秀な吸魂鬼狩りでもあった。
「お前が勝手な行動をしたのも原因の一部だろ」
「確かに。だけど、ぼくを捜索するように頼んだ善意を無下には出来ないと思わないかい? ぼくは、妹を見つけたかった。吸魂鬼狩りとして誇りはないからね、ぼく自身は、死んでも構わないと思っていた。それでもぼくを必要とした後輩たちがぼくを見つけて欲しいと依頼したのなら、それを引き受けた君にも落ち度はある。どうして、君一人が出向かなかったのかな? 手を抜いていたんだろ? 今回は大丈夫だと、いや、今回も、なのかな?」
「……なにが言いたい」
まるで自分は悪くないと物言いをする花咲に谷嵜先生は眉間に皺を寄せる。
「あれ? 分からない? 返してくれと言っているんだよ。ぼくの妹を返せ。ぼくの仲間を返せ。ぼくから奪った者すべてを返せと言っているんだよ」
理解できない程衰えてしまったのかい? と花咲はヘラヘラと張り付けた笑みを浮かべる。誰もがその笑みに懐柔されるだろう。性別がわからないからこそ、誰彼に好かれてしまう。男でも女でも花咲は好かれる。
好かれたいわけじゃない。誰でも良いわけじゃない。心を許した数少ない人たちと最後まで一緒にいたい。見守りたいのだと花咲は常々思っている。けれど、目の前の黒い男が全てを奪っていくと怒りを覚えるのだ。
「ぼくは君が大嫌いなんだ。新形十虎君が君を推してるようだけど、それだけの価値が君にはあるのかな?」
「いちいち俺に文句を言わなきゃ気が済まないんだなお前。自分の身勝手な行動も俺の所為にしたいらしい。俺が吸血鬼部に誘っても来なかったんだ。余所から口出しされる筋合いはないね」
「来なかった? まるでぼくが君を拒絶したような物言いだね。勘違いしているようだけど、ぼくは、あくまでも君が嫌いなのであり吸血鬼部に恨みはないんだよ。部長も、副部長も、ジョン君も、浅草君も、他の幽霊部員である子たちも守るべき対象だと考えているよ。その中に君は含まれていないと言うだけさ。君が吸血鬼部にいるだけで、ぼくは此処にいることが嫌で嫌でしかたがない。パペッティアが死んでしまったのも、君が本気を出さずにいたからだ。ぼくの妹が消えたのも、ぼくたちが、なにも出来ないのも、すべて、情報を出さない君の所為だと気づくべきだね」
矢継ぎ早に言うが谷嵜先生は表情一つ変えない。その事を不快に思うことなく、想定の内だった。谷嵜先生は、どれだけ言葉をぶつけても揺るがない。揺らぐほどの感情をもう持ち合わせていない。
「ふぅ……気分が楽になったよ。何も感じないサンドバッグは本当に楽しいね。もしも感じているなら、言い訳の一つでも流してくれた方が良かったけど。多くを犠牲にしていることが美談だと思わないことだよ。君は結局、いつだって生き残ってしまうんだから、誰かが護らなくとも、君は生きてしまう。そう言う呪いなんだ。どれだけ傷つこうが君は感じないし動じない。詰まらない、人形だ」
何も言わない谷嵜先生を相手にしていられないと花咲は、一歩前に出たとき「勘違いだな」と谷嵜先生は呟いた。
「確かに俺は他の連中に通行料を譲渡し続けたが、まだ残ってる感情もいくらかはあるんだぜ」
「そう。それで?」
「何も感じてないわけじゃない、責任は感じてる」
「責任。白々しい。……なら、責任を取りなよ」
花咲は谷嵜先生に近づいた。後ろ手に隠していたペティナイフを振り上げた。
「その命を以て贖ってくれるかい。黒美君」
身を起こして避ける素振りも見えない。そこに危機感を抱いていない。
「それ以上動いたら、貴方を殺します」
冷ややかな声が花咲の背後から聞こえた。振り上げられた腕はぴたりと止まる。まるで世界が止まったように静止する。静かな空間に三人。確かにいる。ヒトの気配など感じなかった。扉の音も聞こえなかった。それくらい速く現れたのか。それとも、と頭の中で思案するが出て来るのは、すぐだった。
「ゾーンで見張っていたなんて、趣味が良いとは言えないね。十虎君」
「先生を傷付けるなら、どんな理由であれ、貴方を殺します」
紫色の瞳を鋭くさせた新形は、花咲の項にカッターナイフを向けていた。
振り上げた手が微動だにしたらカッターナイフの刃が伸びて項を傷つけて花咲を殺すだろう。
「彼が悪いとしてもかい?」
「先生には生きててもらわないとならないんです。どんな犠牲を払っても、先生じゃなければならない」
「理由を訊いても?」
「訊かなくてもわかっていると思いますけど……」
「わからないな。仮にぼくが想像していたとしても、シュレーディンガーの猫のように、答えを開示しなければ、いつまでもぼくの回答は50%の域を出ない」
「なら、まずソレを聞きます」
谷嵜先生が生きていなければならない理由。
「まだ調査中だったからね。断言はできない、全てぼくの憶測で言うけど、谷嵜黒美は、少し前に吸魂鬼に殺されたことになっている。その報告をしたのも、当時谷嵜黒美とペアで吸魂鬼狩りをしていた、バーテンダーのものだった。その時の様子は、報告を担当した吸魂鬼狩りから聞いているけど、死体も連れて帰って来たらしいね。その死体は、安置所に移動された翌日には消えていた。つまり、死んでいなかったんだよ。谷嵜黒美と名乗る男は生きていた。吸魂鬼に殺されてもなお、生き延びる。廃人になる事もなく、意識、目的をもって、動いてる。まるでゾンビのようにね」
生きた死人。目的なく彷徨う廃人は、ゾンビと称されても問題はないだろう。けれど、吸魂鬼に襲われたはずの谷嵜先生は、ここで意思を述べている。言葉を交わすことが出来る。行動理念を理解できる。
「生憎と君はただのゾンビにしておくのは惜しい。……西洋では、墓場から蘇って来る化け物に、もう一種いるんだよ」
――吸血鬼がね。
夜の住人。人間を襲い吸血する怪物。吸魂鬼の裏切り者。
朝を嫌い、夜を愛する。生を超越して、死を享受した怪物。世間から逸脱した可哀想な生き物。
「随分とカモフラージュをしたじゃないか。人間に執着している吸血鬼を模倣するのも上手だね。君たちはいつから結託していたのかな?」
ペティナイフがカランと音を立てて床に落ちる。降参の意を見せて両手をあげた。
花咲の視線の先にいる男の瞳は奇妙な赤で蠢ている。吸血鬼の特徴の一つ。血のように赤い、朱殷色の瞳。
「新形十虎は異常なまでに谷嵜黒美に好意を向けている。文武両道、才色兼備、谷嵜黒美がいなければ完璧な女の子。その異質さを人々は気づかない。気づいたのは、十虎君のご両親くらいかな? 生まれた時からずっと一緒だったからね。違和感にはすぐに気づけただろう。そこでぼくは幾つかの疑問が浮上してしまった」
目の前の吸血鬼が、民間人を危険に巻き込むのはなぜなのか。
これが吸魂鬼から吸血鬼に落ちたのならば、人間の常識などゴミ同然に扱うことが出来るだろう。けれど、谷嵜先生は人間から吸血鬼になったと仮定している状態では違和感が消えない。
「黒美君を匿うために十虎君が、吸血鬼の真似事をしているのは構わないが、どうして人間である十虎君がそれをするのか。そんな全吸魂鬼を敵に回すような行為をするのか。吸血鬼は確かに吸魂鬼と対抗でき得る存在だけれど、ただの女子高生が命を落としてしまうかもしれない危険をわざわざかって出たのか。その美しくも残酷な一蓮托生はどこから出て来るのか。どうして、君は親友を奪われても平然としていられるのか」