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 途中で案内役をかわった宦官落雁により、鈴鈴はある建物へと踏み入れた。

 建物の中には幾度となく豪奢な扉が設けられ、開けるには門番の許可が必要なようだった。

 しかしながら、落雁が少し目配せをするだけで門番は何の迷いなく扉を開ける。さすがあの方お付きの宦官といったところか。


「待たせたな。鈴鈴」

「……天上様」


 少しして現れたのは、予想に違わず我らが琳国の皇帝・白楊だった。

 拱手し最敬礼を崩さない鈴鈴に対し、遠く壇上の席から小さく笑みを零す気配が届く。


「顔を上げろ」

「……承知致しました」


 しばらく躊躇ったあと、鈴鈴は拱手はそのままにゆっくりと面を上げた。

 壇上に置かれた金色に瞬かんばかりの大椅子には、白楊がこちらを真っ直ぐに見下ろしていた。

 先ほど大広間前で目にした女官姿ではなく、一国を手中に収めた皇帝の姿だった。

 思えば、皇帝白楊として言葉を交わすのは、まだたったの二度目だ。

 あるときは女官として、あるときは宦官として鈴鈴の前に現れたが、やはり今の姿だとまとう空気が違う。

 龍や虎の刺繍が細やかに設えられた漆黒の着物を身にまとった佇まいは、美しく、そして強い。

 おまけに端整な顔立ちにも改めて気付いてしまい、鈴鈴はますます萎縮した。


「ふ。まるで借りてきた猫のようだな」


 まるで小馬鹿にするような物言いに少しムッとする。

 しかし、大椅子から腰を上げ階段を下ってくる白楊に、鈴鈴はどきりと心臓が跳ねた。


「あ、あのっ」

「なんだ」

「お願い致します! どうか! この子に酷いことをしないでください!!」

『リンリン……』


 拱手で垂れていた袖を抱き、鈴鈴はその場に素早く額を付ける。

 その片袖の中には小鳥姿の翡翠が、不安げな様子で鈴鈴を見上げていた。


「顔を上げろ。まずは話だ」

「この子は、私がまだ幼いころに森の最奥に迷い込んだ私を助けてくれました。それからずっとずっと、大切な親友です。他の鳥たちと少し違うところはありますが、決して悪さはしませんし、心の優しい良い子です。先ほどとて呪詛の込められた蠍を浄化し、建物内の皆さんをお守りしました……!」

「ほう。呪詛を、浄化か」


 ……莫迦(ばか)者! またも余計なことを!


「ですからどうか! 翡翠を商人に売り飛ばしたり、大衆の見世物にしたり、鶏肉にすることだけはご容赦ください!」

「おい」

「この子が何か問題を越せば、この私が全ての責を負います! 何卒何卒、よろしくお願い致します……!」

「鈴鈴。俺の顔を見ろ」


 強い力で肩を掴まれたかと思うと、ぐいっと顔ごと前を向かされる。

 突如目の前に現れた気品溢れる天上人の顔に、はっと息を呑んだ。

 意志の強い薄朱色の瞳の中に、鈴鈴の顔が映り込んでいる。


「お前を折檻するつもりはない。ただ、先ほどの不可思議な鳥の詳細を知りたいだけだ」

「それはつまり、商人に売り飛ばしたり、大衆の見世物にしたり、鶏肉にするといったような……?」

「違う。そんな罰当たりなことをするか。あの鳥は(オオトリ)だろう」

「……オオトリ?」


 首を傾げる鈴鈴の反応に、白楊は小さくため息を吐いた。


「凰は、この大陸に古くから伝わる吉兆を示す瑞獣(すいじゅう)だ。正確には雄鳥の(ホウ)と雌鶏の(オウ)からなる対の鳥で、歴代の名君と呼ばれる治世に現れるとされてきた」

「翡翠が? その瑞獣だと?」

『ヒスイ、スイジュウ、ちがう! ヒスイは、ヒスイ!』

「翡翠!」

『リンリン、いやがってるでしょ! かた、て、はなしてっ!』


 鈴鈴の袖元から勢いよく飛び出した翡翠が、白楊の手を突こうとする。

 慌てて引き留めようとした鈴鈴だったが、一歩早く別の何かが翡翠の身体を抱き留めた。


『ふうむ。このお転婆が、俺の運命の(つがい)か?』

『……へ?』


 翡翠の攻撃を留めたのは、翡翠によく似た姿形の鳥だった。

 ただその羽毛は漆黒だ。

 光の当たり具合で虹色に輝いているのがわかるが、遠巻きに見たら(カラス)の雛鳥に見えてしまう。


「この鳥は、今話した鳳凰の片割れだ。名を黒楊(コクヨウ)という。羽根色はこのように漆黒だが、先ほどのお主と同様、巨大化した暁には羽根色が虹色に変わる」

「はあ」


 つまり、君の鳥とうちの鳥、友達にならないか、ということだろうか。


「そしてこうも言い伝えられている。鳳と凰の番が相見え仲睦まじく暮らせば、平定されたより良い治世が続く。両者引き裂かれるようなことがあれば治世が大きく傾き、平穏な世は突如崩壊するであろうと」

「はあ……、え!?」


 想像の範疇を超える壮大な話に、声が裏返った。


「今、凰と鳳は相見えた。これから先、この中央の街から出ることはできない。さもなくば治世が崩壊する」

「か、勝手です! 翡翠の故郷は、私の故郷に隣する西の深い森! 翡翠はいずれそちらに帰ります!」

『ヒスイ、かえらない! リンリンと、ずうっといっしょ!』

「だそうだ。つまり、お前が後宮に残れるよう最善の取り計らいを」

「駄目です――――!!」


 何気に翡翠の言葉を理解していたらしい白楊を押しのけ、鈴鈴は素早く後ずさった。


「何故だ。見たところお前は春婉儀をいたく敬愛している様子。長らく側仕えしたいと思ってはいないのか?」

「私はっ、六月が過ぎたら故郷に戻るんです! 侍女は、妃嬪とは違います! 後宮外に出て故郷で結婚することも許されているはず……!」

「お前、生涯を誓った相手があるのか」

「そ、そ、そう、ですっ」

「腑に落ちんな。心から愛する姉を後宮に一人残し、自分は故郷で平穏な幸せを望むか」

「……いけないでしょうか?」

「いや、他人が咎めるものではない。が。少なくともお前がそういった幸せを望むとは到底思えん」


 的確に図星をついてくる男に、鈴鈴はぶわっと冷や汗が溢れ出す。

 突如された窮地に、鈴鈴は酷く動揺し、ついには瞳から涙が零れた。

 どうしよう。どうしたらいい。

 このままでは翡翠のことも蘭蘭のことも、誰も守れなくなってしまう。


『リンリン? ないてるの? どうしたのっ?』

「っ、ごめ、だ、大丈夫……」

「俺は皇帝だ。国を保つことはもとより、そこに生きる民を守ることが宿命」


 静かに告げられた言葉とともに、鈴鈴の頬にそっと白楊の指先が触れる。

 涙を拭われたのだと気付き、鈴鈴はきゅっと口元を締めた。


「そんな俺に声を張って訴える者は、そう多くはない。お前のその気概は存外気持ちの良いものだ」


 そんな反応に、白楊はふっと強い眼差しを和らげる。


「鈴鈴。俺は民のための泰平を築き上げる。父上も祖父も曾祖父も、手段は違えど目指すところは皆同じだった。しかしついには成しえなかった偉業……それを成すためには、お前の協力が必要だ」

「しかし、私とて護りたいものはございます」

「だから、話してみよ。お前が胸に秘めた決意を」

「……え」

「忘れたのか。俺は皇帝だぞ?」


 再び見上げた先に映し出されたのは、一国を率いる人物に相応しい不敵な笑みだった。


「民を護ることが我が使命。その民には、もちろんお前も含まれている」




 それから六月が経った。

 雲一つない青空が、まるで一人の妃嬪の旅立ちを祝福するように澄んでいる。

 後宮と外界を分ける、神武門。

 今ここには、この短い滞在期間に関わらず慕ってくれたたくさんの女官たちが集まっている。

 六月前に訪れたときとは異なり、今馬車の荷台に積まれたのは一人分の荷物のみだ。


「娘娘」


 幸福に満ちあふれた微笑みをたたえて、鈴鈴は蘭蘭の手を取った。


「どうかどうか、くれぐれもお身体を大切に。道中お気を付けて、故郷の皆にもよろしくお伝えください」

「鈴鈴……っ」


 瞳に潤みを溜めながら、蘭蘭は鈴鈴を胸の中に閉じ込める。

 周りに聞こえないように小さな声で、「どうか、末永くお幸せに」と付け加えた。

 鈴鈴は「ありがとう。ありがとう」と何度も頷いていた。




 鈴鈴の望みは、ついに叶った。

 入宮から六月。侍女の帰還が許される頃合いになり、蘭蘭は無事に後宮をあとにした。

 ただその内情は、当初鈴鈴が密かに画策していたものとは随分内容が変わっていた。


「蘭蘭様と鈴鈴様の入れ替わり作戦だなんて……。どうして成功すると思われたのか、まったく理解に苦しみますよ!」


 ぷんぷんと怒ったように身の回りの整理をしていくのは、宦官の爽水だ。


「確かにお二人は、お顔や声色はよく似ていらっしゃります。しかし如何せん、性格が真逆ではございませぬか! おっとりしっとり淑女の鏡のような蘭蘭様と、破天荒で思考よりも先に手が動く鈴鈴様ですよ!」

「ううーん。それはその、舞台の役柄と思えばどうにかなるかなあと思ってたんだけど?」

「到着して早々人目につく騒動を多発させていた御方が、何を仰いますやら。紅貴妃ご主催の催しでの呪詛騒動時点で、鈴鈴様の存在はすでに後宮全域に知れ渡っておりましたのに」


 あの呪詛騒動をきっかけに、日ごろの朱波儀に対する恨みから事に及んだ女官が捕らえられた。

 後宮内での呪い事は禁忌であるが、朱波儀本人直々の訴えもあり量刑は軽いもので済んだらしい。


『リンリン、さみしくない! ヒスイがついてる!』

「翡翠」


 開けていた格子窓の隙間から、ぱたぱたと飛んできたのは小鳥姿の翡翠だ。


「この小鳥は、本当に鈴鈴様のことを慕っていらっしゃるのですね」

『ことり、ちがう! ヒスイは、ヒスイ!』

「ふふ。爽水。翡翠が、翡翠と呼んでほしいって」

「ああ。これは大変失礼致しました。翡翠様」


 爽水が呼び直すと、翡翠は機嫌良さそうに室内を飛び回った。


『あっ! わすれてた! でんごん! でんごん! クロスケ! もうすぐ、くるって!』

「え……っ」


 翡翠の言伝の直後、屋敷の扉が静かに開く音がした。

 戸を叩くことも略して屋敷に立ち入ることができるのは、後宮内で一人しかいない。


「邪魔するぞ」

「白楊様……!」


 慌てて身なりを整えようとしたが、その暇さえ与えられなかったらしい。

 突然の天上人の訪問に、爽水は目を丸くして危うくお茶を吹きかけた。


「様子を見に来た。最愛の姉と別れて、寂しくしてはいないかと思ってな」

「大丈夫ですよっ。娘娘とは昨晩、たくさんたくさん語り明かしましたから。手紙のやりとりだって約束しましたし、爽水も美味しいお茶を入れてくれます。ぜーんぜん平気! です!」

「り、り、鈴鈴様。天上様にそのような物言いは……っ」

「我が許したのだ、問題ない。それにしても、お主の故郷に棲まう山の神が、姉上の帰還を望むとは思わなんだな」

「……娘娘はもとより故郷の誰もから愛された方でした。私からすれば至極当然の理かと」


 しれっと告げた白楊の会話に、鈴鈴もしれっと乗る。

 蘭蘭が無事に後宮を脱出できたのは、白楊が修正を施した作戦の賜物だった。

 翡翠の存在を必要とする白楊と、名誉を保ちつつ蘭蘭を故郷に帰還させたい鈴鈴。

 二人の願いが双方叶う折衷案は、ずばり『山神のご意思とあらば皇帝とて無視はできまい』作戦だ。

 山神のご意思を勝手に構築するのはどうかと思ったが、多忙の中故郷の山を訪れ、許しを求める儀式も丁重に行われた。

 何より、鈴鈴が幼いころから懇意にしていた山の遣いたちが味方になってくれた。心配はないだろう。

 爽水が慌てて白楊のお茶の準備に消えたときを見計らい、白楊が「まったく」と口調を崩す。


「入れ替わりが叶ったとて、そのあとはどうするつもりだったのだ。お前は『春蘭蘭』として、名も人格も変えて一生過ごすつもりだったのか? 考えれば考えるほど、お前の作戦は粗ばかりが目に映る」

「終わりよければ全て良しです。結果、無事に娘娘を故郷へ戻っていただくことができたのですから」


 本当ならば、翡翠にも元いた緑豊かな森でのびのび暮らしてほしかった。

 それでも、ここから梃子(てこ)でも動かない様子の翡翠に、鈴鈴は全面的に甘えることにした。

 やはり、蘭蘭がいない屋敷の中は想像以上に寂しい。


「これで終わりにしてもらっては困るがな」

「え?」

「まさかお前、このまま翡翠の世話をするだけの自由気ままな侍女として、この後宮に居着くわけじゃあるまい?」


 白楊は居住まいを整え、懐からあるものを取りだした。

 差し出されたのは、翡翠石が中央にはめ込まれた首飾りだ。

 最初の謁見の際、皇帝から蘭蘭へ渡されていたものにとてもよく似ている。でも、なぜ?


「もとより春婉儀と成り代わるつもりでいたのだろう。まさか拒否など考えまいな?」

「え、ええ?」

「春鈴鈴……いや、『春婉儀』。お前は今この時をもって、妃嬪『婉儀』の位を授ける」

「はあ。妃嬪。と、いうことは」

「これからお前は俺の妻だ。ゆめゆめ、他の男に心奪われることは許さんぞ」

「……ええええっ!?」


 鈴鈴の叫び声は、屋敷の格子窓を突き抜けて後宮内にまで響き渡った。

 かくして、山奥育ちの少女鈴鈴の後宮物語は火蓋を切ったのであった。


終わり

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