奪還
長くなってしまったので2話に分ける事にしました。なのでニーマシー編もう一話続きます。予告詐欺ごめんなさい。
離宮の一室で、クラウディオは黒銀の詰襟に袖を通した。
軍事力で成り上がったテノラス王家の正装は軍服がベースである。軍が王家から分離した30年前から、貴族はそれぞれ他国の流行を取り入れ正装が多様化して行ったが、王家はアレンジを加えつつも未だに詰襟が多い。
支持を集める為に伝統だ改革だと騒ぐ貴族の様子を思い出して、クラウディオは鼻で笑った。
(今回の第一師団のやらかしと僕からの一方的な降等処分。また下らなく揉めるんだろうな)
前身頃を閉じると、身支度を手伝っていたハンナが背後から襟の高いコートを肩に掛けた。それに袖を通すと、次いでマントも掛けられる。前に回り留め具やチェーン、飾り紐を留めながら、ハンナは口を開いた。
「一方的に婚約した状況にしてしまった事……嫌われますよ」
無表情だが揶揄う気配を漂わせる。クラウディオは眉間に皺を刻み、その頭頂部を見下ろした。
「これが一番波風立てずに最速で向かえる方法なんだ。ソニアが嫌がるなら、白紙撤回でも殴られでもするさ。…ただ、生きて帰って来てくれればいいんだ」
マントを留め終えたハンナは少しだけ口の端を上げて離れた。白手袋を取り、手渡す。
「ソニア様は意外と雰囲気を読むのが上手いですからね。無駄に逆らって命を落とす事は無いと思いますよ」
「ソニアを言いなりにさせてるとしたら、それはそれで苛立たしい」
クラウディオは受け取った白手袋を嵌めた。前髪を掻き上げて、軍帽を被る。
「絶対に助ける」
整備員が用具を木箱に詰めて撤収していく間を、マントを翻しながら悠然と進む。滞空艇の乗り口でゴーグルを首から下げた男がニヤリと笑って手を上げた。
「待たせたな」
「ランドリック、1時間オーバーだ」
「墜落するより良いだろう?」
機械油の滲みたつなぎを着たランドリックの前をクラウディオは通り過ぎる。その後ろをランドリックが話しながら付いてきた。
「こっちで乗せたい奴は整備員10名と記録係が3名、操縦士は俺入れて3名だ」
「以前操作が船と似ていると言っていたから、操船経験のある奴を10名用意した。選んだのは僕じゃないが」
「整備の傍ら2時間位研修したけど飲み込み良かったぞ。交代しながら適当に使わせてもらう」
「構わない。好きにしてくれ。僕の方は隠密2名、騎士10名だ。通信機器は好きに使わせてもらうぞ」
話している間に操舵室へと到着する。
既に6人が座席に着いて、計器類を確認している。
クラウディオもランドリックが指示した中央の座席に着いた。安全ベルトを締めて脚を組む。
(ソニア…。生きていてくれ)
ピアスの受信機は既に滞空艇に搭載されていて、その方向や距離は計測されている。
「浮上する!全員着席してベルトを締めろ!」
ランドリックの掛け声に緊張が走る。10カウントダウンが始まり、座席に着いた人達から嚥下音が聞こえた。
「3・2・1、浮上!!」
ぐあ、と体に圧力がかかった気がした。昇降機で体感するものに似ているが、あれよりずっと負荷が大きい。計器の前に座った乗組員達が数字を読み上げ、ランドリックが指示を出す。声が落ち着いた時には、圧力やぐらつきは無くなり、フロント前には雲の海が広がっていた。
「浮上成功!!航行開始する」
そう声掛けすると、操舵室の面々から歓声が上がった。
ランドリックは立ち上がりクラウディオに近付く。
「ベルト外していいぞ。どっか案内するか?」
「設計図から極端に変わってないだろう?案内は不要だ。…ああ、射出機は無いんだったか?射出口も?」
「これ戦艦じゃないからな。お前が休暇を過ごしたいって言ったのが発端だからな?緊急脱出口と整備用の出入り口だけだ」
「ちっ。…まぁいい。どのみちコレが最速だからな」
「今回お前のおかげで試験運転までスムーズに進んで助かるぜ」
到着まで大体14〜15時間と聞き、クラウディオは立ち上がり、操舵室の端にある通信機へ向かった。通信機の前にはハンナが座っていて機器を調整している。
「聞けそうか?」
「雑音が混じりますが大丈夫です。早速ですがソニア様の足取りが掴めた様です」
興味深そうにランドリックも横で聞いている。
「デザイゲートから更に国内で3回、オーガスで2回転移。その後列車に乗り込みオーガス最南端へ。拉致からおよそ20時間程でニーマシーの砂漠地帯へ到達しているそうです」
列車を使ってもテノラス帝都からオーガス南端へまでは4日かかる。20時間は早い。
「列車?オーガスからニーマシーへは転移してないのか?」
かつて戦争が多かった時代は転移陣を使った戦略が多く組まれ、大都市を一夜にして壊滅させる作戦が多発した。平定した今では、転移陣の使用許可は緊急時しか下りない。
更にテノラスではかつての戦を踏まえて大都市に転移陣を設置していない。大体が都市部から馬車で2日以上離れた農村に隠されていていた。
今回クラウディオが最速の追跡にアンシェルを使用したのは、生きている転移陣が近くに無い事と本来転移陣をそうそう使う事が出来ないという理由がある。
「協力いただいたオーガス騎士団の報告によると、拉致犯は多分6人だろうと。違法な転移陣が小規模な事からも10人以下で間違いないです。転移6回、と思うと1人1回しか転移させる魔力が無いんでしょうね」
「…お粗末だな。本当に国がらみか?」
「ニーマシーは魔力の多い人が少ない国です。これでもかき集めたのではないでしょうか?」
ハンナは肩をすくめて通信機に向き直った。新たな情報を待つようだ。
「クラウディオ、マジだな」
「悪いか」
ランドリックの感心した目にクラウディオは舌打ちしたくなる。ランドリックはクラウディオの肩を叩き艇体制御装置の様子を見に行くと言って操舵室を出て行った。個室もあると言われたが、クラウディオは落ち着かず最初の座席へと戻った。
航行は安定して、夜間に発進した滞空艇は次の日の昼前にはニーマシーの砂漠地帯を視界に捉えた。
「そろそろだ!気を引き締めろ!」
ランドリックが声をかけ、操舵室がピリつく。個室で待機していた騎士も全員が準備万端で隣の部屋で待機している。
クラウディオも座席を立ち、計器類に触れないようできるだけ前のめりでフロントから見下ろす。幸いに雲は無く、黄色い砂地が良く見えた。
「少し高度を落とすぞ。立ってるヤツは何かに掴まれ!」
「は、はいっ!」
昇降舵を握る操縦士が汗をかきながら艇体を傾ける。
「よし、いいぞ。受信機の反応だとそろそろなんだが…」
手の空いた者が双眼鏡を持ちフロントから各方向へ視線を向ける。
「あっ!えっ!?」
正面を見ていた者が困惑の声を上げて、全員がそちらを見た。
「…なんだ?戦ってる?」
クラウディオは目を凝らした。滞空艇はジリジリと近づいて行くが、下で戦う人たちは気がついていない。戦いは直ぐに終わった。
「クラウディオ様!ソニア様の反応、もうすぐそこですよ!!」
ハンナの声を聞いた瞬間、クラウディオは操舵室を飛び出した。
整備用出入り口から艇体の上に飛び出す。強風に軍帽が後方へ消えていく。構わずに魔力を使って浮き上がると、きらりと反射する何かが目に入った。
はためく白いスカートと、輝く銀色の刺繍が。
胸倉を掴まれたソニアが宙吊りにされている。
「ソニア!」
クラウディオは眼球の奥が焼き切れる程熱くなるのを感じた。
右手を胸の前で一閃させると、クラウディオの前に何百本もの氷の槍が出現した。暑い大地でギラリと光り、周囲の温度を下げた魔法に、地に立つ男達が上を見上げる。ある者は逃げ出し、ある者は腰を抜かす。ソニアを掴み上げていた男は、驚愕に手を放した。
それを見逃さずに、クラウディオは氷の矢を放った。
***
己に伸びて来た手が胸倉を掴み上げて、ソニアは呻き声を上げた。苦しく、出血しているせいか目が霞む。
だが、男は直ぐに手を離した。体位の急転に受け身も取れずに地に落ちる。その時刺さった矢が先に地面に接触し、脚の肉をえぐりながら体外に飛び出した。
「ひぐぅっ…!!」
痛みに息が止まり、見開いた目から勝手に涙が溢れて来る。脚を抑えて蹲った体勢からゴロリと転がり仰向けになった。
そこで涙で濡れた視界に飛び込んだのは、太陽の光を反射して虹色に輝くプリズムの雨が降り注ぐ光景だった。
(きれい…)
雨が一旦落ち着くと、ソニアは視線をずらした。でっかく、暗紫色の物体が宙に浮いている。日の光を受けてキラキラと光る様はジュスティラが舞い散る景色を思い出す。その物体の底面と思しき部分に絵が描いてあった。
力の象徴である竜が立った姿勢で右前足に剣、左前足に王笏を握り翼を広げている。その後ろ足を飾る様に描かれるのはジュスティラの花。
これまで何回か機会があったけど見逃して来た。初めて見たけど、わかる。きっとあれはテノラス王家の紋章だ。
「きて、くれた……」
ソニアは意識を落とした。
『いてて…』
ソニアは擦りむいた膝を確認して、濡らしたハンカチを当てた。メリッサのお使いで宮廷の中を歩いているときに、官吏の男性とぶつかったのだ。小さく軽いソニアは吹っ飛んでしまった。
男性は「悪いな」と軽く声だけかけて行ってしまった。謝罪しただけマシと言うべきか。
膝を拭いていると、部屋に戻ってきたメリッサが直ぐに気がつき近寄って来た。
『どうしたの?』
『転んだ』
『あらあら、どーれ』
メリッサが治癒魔法を使う。
『…聖女に治癒魔法は効かないだろ』
『大丈夫よ。私これでも筆頭なんですもの。強い魔法ならちゃんと効くわよ』
膝がほわっと暖かくなってそれが全身に巡っていく。不思議な感じだ。ポカポカして心までほぐれて行くような、ホッとする感じだ。
『ほら、治った』
『治癒魔法、受けたのはじめて…』
『ならソニアは強い聖女になるわ』
(治癒魔法の気配…!?)
全身をめぐる暖かな感触にソニアはパチッと目を開けた。
「あ、起きた」
「目が開いたわ」
「ねぇ、大丈夫?」
「誰か知らせてきて」
「え、本当に起きたの?」
「ちょっと見えないー!」
「押さないで」
「っっっっっ…!?」
目を覚ますと女性達がぐるりと囲み自分を見下ろしていてソニアは固まった。目玉をキョロキョロと忙しなく動かして、なんとか状況把握しようとするが全く想像もつかない。
「あらやだ、固まっちゃった」
「混乱させちゃったかしら」
「大丈夫よーもう怖くないよー」
「びっくりしたよね」
「水飲む?」
「軽食もあるわよ」
「私も食べたい」
「あ、こら!」
そして女性達は口々に喋るのでソニアが質問を挟む隙間がない。足元の方に視線を向けると、ひとりが群れの中からぴょんぴょん跳んで手を振っていた。
ソニアは見知った顔を見つけて飛び起きた。
「ソニアソニア!」
「!?リーナ!」
飛び起きてくらりと眩暈がした。上体が揺らぐと、近くにいた女性達が手を貸してくれる。
「ダメよ」
「今治療したところなの」
「急に動くのは危ないわ」
「ほら水飲んで」
「ちゃんと記憶ある?大丈夫?」
目の前に差し出されたコップを受け取り一口飲む。冷えた水に、ソニアは少しずつ冷静さを取り戻した。
改めて見回すと女性達は全員白い服を着ていた。デザインは違うけど、色は白。
「みなさん…聖女、スか?」
「そうよ〜」
「仲間だよー」
「ペキュラの聖女だよ、よろしく」
「私はテノラス南部担当よ」
「私は西部」
「オーガスの聖女よ。と言ってもエーリズ出身だから貴女と同じね」
「私もエーリズ出身よ」
女性達が一斉に自己紹介を始めてしまった。誰が喋っているか分からず、声のする方を視線で追っかけていると、女性の壁の向こうから足音が聞こえてきた。
「ソニア!!」
久しぶりに聴く声にはっと顔を向ける。
「あ、来たわ」
「退散退散」
「うふふごゆっくり〜」
「若いっていいわねぇ」
「ちょっと、何つまみ食いしてるの?」
「お腹すいた」
「ほらほら、出て〜」
「ソニア、またね!!」
笑顔で大きく手を振るリーナを見送り、全員が出ると、入れ替わりで男性が入って来た。
「ソニア…」
「クラウディオさん…」
細身でさらさらの銀髪、綺麗な紫の瞳、いつもは余裕そうに弧を描く口元は心配そうに引き結ばれていた。
クラウディオはベッドサイドに腰掛けて、ソニアの顔を覗き込んだ。クラウディオの手がソニアの乱れて前に落ちている髪を掬って後ろへと流した。そのくすぐったさに少し頭を傾ける。
「気分は悪くない?脚は?痛みはない?」
「あ、そうだ脚!全然痛くない!」
体を見下ろすと簡素な木綿の半袖短パンの寝間着を着せられていた。腿裏を撫でるが、穴が空いてたりボコボコした違和感も無い。
「どうやって、どうして?それにさっきの聖女達は…」
「いひひひ、それに関しては私がお答えしても?」
「うわあっ!?」
誰も居ないと思っていた背後からの声に、ソニアは文字通り飛び上がった。ヘッドボードも柵もないベッドなので、思ったよりも近くにいる。クラウディオは足元に寄せてあった掛布をめくって、ソニアの脚を隠した。
「だっ、だだだ誰っ!?」
「病み上がりのソニアを驚かせるな」
「いひひ、失礼。小生はペキュラ国立学院にて教授をしております、イデオン・クスフェと申します。どうぞお見知りおき下さい」
神経質そうな細身の男が差し出した、骨張った手を困惑気味に握り返す。
「ど、どうも…よろしくっス」
「はぁ、上級聖女ソニア様。本当に素晴らしい…お会い出来て光栄です」
「!!??」
繋いだ手を両手で強く握り込まれる。ソニアが手を引いたのと、クラウディオが横からイデオンの手を弾くのは同時だった。
「ソニアに触るな」
「イタタ、ひひ失礼しました。素晴らしい聖女様を前につい喜びが溢れてしまって」
イデオンは居住まいを正して、ソニアに向き直る。
「小生は長年聖女様の能力の研究を行っております」
「聖女の研究…スか」
「ペキュラは攻撃魔法が得意なんて言われているけど、その実研究者は多いし、内容も進んでるんだ。魔法大国と言うのが正しいかもね」
クラウディオの補足にひとつ頷くと、イデオンは続きを話す。
「最近は『中級〜下級の聖女が同時に魔法を発動して、相乗効果が出るか』という研究をしていまして。国内の実験では中級5人程度が上級と同等の効果を出せると結果が出ていたのです。6人以上いれば上級聖女を治療出来ましたので。それなのに…いひっ、ひひっ…いひひひひ!」
そこからイデオンは大爆笑を始めてしまった。ソニアの顔面は「変な人だ!!」と雄弁に語っている。
どうしたもんかとクラウディオに視線をやると、いつの間にかその手に白い丸パンが載っていた。もちろんソニアの視線は釘付けになった。
「治療は成功だと聞いているけど、お腹の調子は?」
ソニアが答える前にお腹が盛大に鳴る。
「食べたい…」
「どうぞ」
くすりと微笑んで、クラウディオはちぎったパンをソニアの口元へ運んだ。慣れたもので、ソニアは迷わずパクつく。
「ふわぁ〜…パンだ…パンだぁ…!」
久しぶりのパンに風味を強く感じる。小麦の甘さが広がると口の中がじゅわっと潤い、一瞬で流されて行ってしまった。タイミングよく二口目が提供される。蕩けた顔で堪能していると、クラウディオがイデオンの話の続きを始めた。
「クスフェ教授の論文は僕も読んだ事があってね。今回ソニアの出血量が多すぎて、応急処置した後に一番近いオーガスに聖女の力を借りたいと救護要請を出したんだ」
「そんなことが…お手数おかけしたっス」
もぐもぐ。ソニアは食べながらでも器用に喋れる。
「が、中級5人を借りても全く治らず」
「!?」
「オーガスがテノラスへ一時的に貸し出しても良いと言ってくれた7人でも治らず、テノラスへ戻り南部に派遣されてる聖女の1人を借り受け、王都の聖女10人合わせてもダメで、クスフェ教授に連絡したんだ」
「げぇっ!?」
驚愕したソニアの唇をパンでつんつんすると、ソニアは驚愕したままパンを頬張った。表情の上と下がチグハグである。
「そしたら実験の立ち会いを条件にペキュラでも聖女を貸し出してくれると言うので、急いで向かった。その道中でテノラス西部の聖女をひとり借りた。結局ソニアの治療に必要だった聖女は…」
「31人です!!31人ですよ!?しかも劇的な効果はなかったので、追加で5人加勢させました!…はあぁ〜素晴らしい」
興奮してソニアに伸ばしたイデオンの手をクラウディオは寸ででたたき落とす。
「中には下級の聖女もいたからね。正確な数値はこれから出されると思うけど…。とにかく、足りて良かった、本当に間に合わないかと」
エーリズだったら「へぇ〜」くらいの感想だったが、ニーマシーで聖女が生まれるのは100年に1人と聞いたばかりだ。
もしかしてクラウディオは自分の為に駆け回ってくれたんじゃないだろうか。そっとクラウディオを見上げる。
目が合うと「ん?」と首を傾げてから、イデオンに「もう下がれ」と言った。
「いひひ、お約束の件よろしくお願いしますよ。絶対ですよ!突撃しますからね!!」
しつこいイデオンはいつの間にか現れた騎士達に引きずられて出ていった。
「約束?」
「国立病院で働く聖女の視察をしたいんだって」
「そっか」
「ソニア、パンもうひとつ食べる?オレンジもあるよ」
振り返ろうとするクラウディオの袖を、ソニアは掴んだ。クラウディオは姿勢をもどして、ソニアを覗き込む。
「どうしたの?」
「あの、ありがとうっス…色々」
「うん。どういたしまして」
ソニアは逡巡してから、口を開く。袖を握る手にじんわり汗が滲む。
「あと、毎朝ご飯作ってくれたり、とか。あたしの好きなメニュー揃えてくれたりとか。言った事なかったけど、ありがとーございマス、でス」
「…ソニア、抱きしめていい?」
視線を上げると、クラウディオがじっとソニアを見ていた。いつもの蕩けるような微笑みじゃなく真剣で
、でもちょっと不安そうな顔。
ソニアは眼球が挙動不審になりながら頷く。それを確認してクラウディオはソニアに手を伸ばした。
そっと引き寄せられて肩口に頬がつくと、その温かさにソニアは力を抜いた。
「砂漠で、もう帰れないかもって思った時、ありがとうって言って無かったなぁって思って」
「僕の事思い出してくれたんだ?」
「えっと…うん。それで、もしかしたら、探しに来てくれるかな?って」
「それは僕への信頼と受け取っていい?」
ほのかに香るジュスティラの香水。帰って来たんだ、と思ったら涙腺が緩んだ。手を伸ばして、思い切ってクラウディオの脇腹辺りのシャツを握る。
「こういう時は抱きしめ返してくれてもいいんだよ」
「ぅえっ!?」
気恥ずかしく、ぱっと手を離してしまうと、クラウディオが静かに笑い声を上げた。
「僕は、ソニアに謝らなければならない事がある」
「へ?」
クラウディオはテノラスでの事の経緯をかいつまんで説明した。
「え?婚約?」
「ごめんね、手段として使ってしまって。きちんと段階踏んで結びたかったんだけど」
「え?結びたかったスか?」
ソニアが呆気に取られて言った返しに、クラウディオの笑顔の温度がみるみる下がる。
「何?ソニアは僕が遊びや暇つぶしで同居してると思ってたの?」
「えっ!?あ、うーん?」
正直ちょびっと思っていた。だが、そんな事をチラリと考えただけで、腕にこもる力が強くなる。
「へぇ…」
声のトーンが低い。怖い。
恐る恐る顔を上げると、大変獰猛な表情を浮かべるクラウディオと目が合った。鼻先がつきそうな距離でクラウディオは囁く。
「優しくしたら好意を持ってくれると言っただろう?持ってくれた?」
(そんな事言ったっけ?)
「ソニア、僕は君が好きだよ」
記憶を掘り返していたソニアは不意を突いた言葉に反応できなかった。
ゆっくりクラウディオの顔が近づいて来て、額でチュと音が鳴る。目元、頬と軽いキスが降りてきて、クラウディオはもう一度ソニアと目を合わせた。
「ソニア、真っ赤だ」
「〜〜〜っ!?」
嬉しそうに微笑むクラウディオの笑顔にクラクラする。目眩がして、力が抜ける。
「あれ?ソニア?あっ、ソニアー!?」
ソニアはのぼせて目を回してしまった。
***
「何やってんですか」
クラウディオが部屋を出ると、外に待機していたハンナとロハンが批難めいた視線を向けてくる。
「ちょっと触っただけのつもりだったんだけど…ごめん」
「謝罪は本人へ。それとそのヘラヘラした口元隠してから言って下さい」
「うっ!」
ハンナはソニアを気に入っているらしい。いつも笑わない癖に、ソニアの前ではニコニコしてるのがその証拠だ。そのせいか妙にクラウディオに当たりが厳しい。ロハンもそう思ったのかフォローに入ってくれる。
「ハンナ殿、クラウディオ様も喜びが抑えられなかったのでしょう。その辺で…」
「はあ?ハニトラ返し百戦錬磨があんな無垢な娘に手を出して許されるとでも?」
ハンナの鋭角な斬り返しにロハンは黙り、クラウディオも胸を押さえた。
「好きで百戦錬磨になったわけじゃ…それにソニアに対しては随分我慢してるし」
ぶつぶつと言い訳を連ねる主人をギロリと睨みつけてハンナは手を叩いた。
「さあ、ほら!皇帝陛下が手勢を準備してくれています!行きますよ!こういうのは早さが重要です!」
「そうだな。全力でツブしに行くか」
***
その後ソニアはテノラス国立病院へと運び込まれた。真っ白い部屋で目を覚ますと、ベッドサイドには女性がひとり座っていた。
空色の美しい髪を高くひとつに纏め、薄褐色の肌色をしている。詰襟の軍服を身につけて、正しい姿勢で本を読んでいる。
ソニアが起き上がると、本を閉じ手を貸してくれた。
「大丈夫ですか?」
「ありがとうございます。…ここは?」
「テノラス国立病院です。お疲れだったのでしょう、2日程眠っておられました。クラウディオ様は少々お忙しいですが、交代で騎士が付いておりますのでご安心下さい」
ソニアは眠る前の記憶を掘り起こそうとするが、頭がぼんやりしてよく思い出せない。
女性騎士がそっと水の入ったコップを手渡してくれる。
「あ、どもっス…」
「…少し、話してもよろしいですか?」
「え、はい。どーぞ」
ソニアが答えると、セイディアは腰を直角に曲げて頭を下げた。くくった髪も勢いで前に垂れてくる。
「すみませんでした!」
「ええっ、ちょ!意味がわからない!どゆことっスか!?てか誰!?」
「セイディア・グラスティと申します!本来、攫われるのは私のはずでした」
「はあ…」
ちょっとずつ記憶が蘇ってくる。攫われて、助かったんだった。そうだった。
「軍部において作戦失敗、更に王家関係者を巻き込むなど…本来なら斬首ものです」
「斬首!?いやいや、えーっと!よくわかんないけど攫われなくて良かったっスね?」
ソニアが言うと困ったように微笑まれた。
ソニアはセイディアの褐色の肌を見て、別の事が気になって来た。
「攫った人どうなったスか?…アリシャ、男の子は」
「あの場で息のある者は全員拘束、回収致しました。男の子もいたと記憶しています。全員死なない程度に治療されて、捕虜として留置所に放り込まれているはずです」
「アリシャは悪くないっス!!」
「大丈夫、落ち着いて下さい。ソニア様が証言なされば釈放されるはずです」
ソニアは力強く頷いた。
「セイディアさん?は、なんで攫われるはずだったんスか?」
「少し、身の上話の様になってしまいますが…。私の母はニーマシー出身の踊り子でした。父に見初められテノラスで結婚、出産をしましたが気候が合わずに体調を崩してしまいまして。今はニーマシーで暮らしています。私は2年前に治癒魔法に目覚めまして」
「え、じゃあセイディアさんは聖女?」
「いえ、自分の本分は騎士です。時折り騎士団で聖女様の真似事をしていましたが。母からの手紙でニーマシーが砂漠に呑まれそうだと知って、私は今回ニーマシー行きを志願しました」
「え、じゃあ攫われなくて良くなかったんスね!すまんっス!」
ソニアの謝罪にセイディアはぷっと吹き出した。
「本当に素直な方ですね。大丈夫です。ソニア様のお陰で随分有利に交渉を進められると聞いています。私のニーマシー行きもすんなり決定しましたし、騎士である父も護衛としての同行を許可されましたので心強いです」
「大丈夫なんすか?大地に治癒魔法をかけるって…」
「クスフェ教授とはお会いしました?彼が言うには私では砂漠化を緩やかにするだけで精一杯であろうと。予測では後一年足らずで滅びると言われていますが、何も知らない国民が逃げ出せるくらいの時間は稼いでやりますよ」
「あたしもやります!」
「それは駄目です。きっとソニア様はやり遂げてしまう。ニーマシーを救える力をお持ちです。帰って来れないでしょう。そうすると、クラウディオ様がニーマシーを滅ぼしてしまいます」
セイディアは冗談めかして言う。ソニアは憤怒のクラウディオを想像して身をすくめた。
「怒ったクラウディオさんは死ぬほど怖そうっス」
「ええ、地獄の使者の様だと噂です」
「内緒ですよ?」とセイディアとクスクス笑っていると、ノック音が聞こえて来た。
「と、そろそろ交代の時間です。あとソニア様が目覚めたことを医師に伝えてきますね」
「あ、元気で頑張ってください。また会えるっスか?」
セイディアは口の端を上げて敬礼する。
「ありがとうございます!それではお元気で」
セイディアは再会の言葉を口にせず退室していった。
ありがとうございました。