テノラス国立病院
街角混雑騒動から、翌日。ソニアはクラウディオと馬車に乗りテノラス国立病院へやって来た。
「でっかぁ〜!!」
場所は王城から馬車で30分程だ。建物の周りには庭園の様に緑が植えられている。病院自体が白く飾り気のない建物でなければ、貴族のお屋敷みたいだ。
「ソニアこっちだよ」
見上げて口を開けっぱなしのソニアの手を引いて、クラウディオは中へ入っていく。
警備員が立つ関係者入り口を抜けて、昇降箱に乗り最上階へ向かう。小部屋が勝手に動き出して、ソニアはクラウディオの袖の端を掴んだ。
「なんスかこれ!?う、動いてる…」
「昇降箱。階段の代わりに上まで連れてってくれる物だよ」
「ほへぇ…」
キョロキョロしつつもしっかり服を掴むソニアを見て、クラウディオはさりげなく自身の口元を隠す。
五階に到着し、降りて直ぐの大きな両開きの扉の前に、再び警備員が立っていた。
「おはよう御座いますクラウディオ様。本日勤務の聖女様方はお揃いでございます」
「どうも」
二人で開けられた扉を潜ると、中はソファがいくつも置かれた、居心地良さそうな空間だった。大きな窓からは青空が見えて開放感もある。
中には4人の女性がいた。皆が同じ制服に身を包んでいる。キャップやピアス、靴も揃いの物だ。
そしてその制服は、殆どがソニアと同じ物だった。真っ白い生地に、国花のジュスティラが服の端を彩る。
ただその蔦や葉の刺繍が、翠色であった。
「あたしの制服ってここのと一緒なんスか?」
「デザインはね。ソニアの刺繍の色は僕の指示だけど」
意味あり気ににこりと笑うクラウディオを、ソニアは「へー」とスルーする。
四人の聖女達は立ち上がってクラウディオの前に並ぶ。一番年嵩の女性が代表して話し始めた。長めの髪を結い上げた、40代の聖女だ。
「ようこそおいで下さいました、クラウディオ様。そしてお初にお目にかかりますソニア様。私元エーリズ聖女でございます、ヘラと申します。どうぞお見知りおき下さい」
ヘラが丁寧に腰を折り頭を下げると、残りの三人も続けて腰を折った。恭しい態度の四人に、ソニアはにかっと笑った。
「ヘラさんもエーリズ出身なんスね!よろしく〜!」
「え?」
ソニアと同年代の若い聖女が、驚いて顔を上げた。
それに続きバラバラに頭を上げた聖女は困惑を露わに顔を見合わせた。
「ソニア様は、その、本当にエーリズの聖女様であらせられますか?」
「そっス」
四人の聖女の目が困惑してクラウディオに突き刺さる。
「間違いないよ。僕が直接エーリズから連れて来たから」
「さ、左様でございますか。その、随分と砕けた、えー、最近のエーリズの教育は様変わりしたようで…?」
「えっ!?あ〜、はは、覚え悪くて…さーせん」
「でも本当に上級聖女なんでしょ?」
「こら!リーナ!」
最初に驚いた声を上げてしまった若い聖女が砕けた口調で聞いてきた。
「私はリーナ。テノラス出身の庶民、18歳よ。私も言葉遣いはあんまり綺麗じゃないの。ごめんね」
「あたしはソニア。孤児出だよ。上級とかってテノラスの基準だっけ?エーリズでは一応宮廷にいたっスよ」
「わお!やっぱ超エリート聖女じゃーん!よろしくね、ソニア様!」
「ソニアでいっスよ!あたしもリーナって呼ぶし」
リーナが握手を求めて来たので、ソニアも返す。
同年代の女性とフレンドリーに話すのは聖女になってから初だろうか。嬉しい。
「シンディです。エーリズ出身です」
「エミリーです。私もエーリズ出身です」
二十代と思しき残り2人の挨拶が済んだ所で、院長の使いが来てクラウディオに挨拶を、と呼び出した。
「ソニアごめん、ちょっと顔を出してくるよ。建物から出ない様にだけ気をつけて?」
「わかったっス。行ってらっしゃ〜い」
クラウディオはヘラを一瞥し、軽い礼が返ってくるのを見てから部屋を出た。
クラウディオが退室すると、若い聖女3人がホッと息を吐いた。
「緊張したわ…」
「見た?あの銀のお髪と紫の瞳…。美しかった」
リーナとエミリーが話す横で、シンディがソニアに話しかけた。
「あの、ソニア様って筆頭聖女様の御付きをされていませんでしたか?5年前、テノラスへ来るまでは私エーリズの王都で暮らしてて。筆頭聖女様の公開治療の様子を何度か拝見した事があるんです。その背後に控えられていた様な…」
そういえばそんな事もあったな、と思い出す。
宮廷聖女と一般の診療所で働く聖女の、所謂格の違いってやつを見せる為のパフォーマンスで、王家の求心力を高めるのに一役買っている。
ソニアが筆頭になってからは一度もした記憶が無い。
「ああー、あったスねそんなん。多分あたしっス」
「す、凄い…お会い出来て光栄です…!」
「おぉう、あざます」
シンディは目を潤ませながら、握手を上下に振る。
エミリーも感心した様にソニアを見る。
「ソニア様、本当に凄い方でしたのね。今でもメリッサ様はご健勝ですの?」
「いやバ…メリッサ様は3年前に死…亡くなって。今の筆頭は、えー……多分フィリスかな」
危うく癖でババァと言いそうになった。憧れている人の前で言ってはいけない分別くらいはある。
現筆頭もクラウディオがフィリスだと言っていたし間違いではないだろう。
頭を使う会話にソニアは冷や冷やする。
「フィリス様ってあの侯爵家の?美しい方が筆頭になられたのねぇ!」
「本当シンディは宮廷聖女様に詳しいわねぇ。ミーハーなんだから」
「ほらほら、おしゃべりはそこまでよ。シンディとエミリーは診察の時間よ。お仕事へ行って頂戴」
「「はーい」」
ヘラが手を叩くと、2人は手を振って部屋を出て行った。
ヘラは改めてソニアの前に立つと、紐閉じの冊子を差し出した。
「ソニア様は今から私とこれを読んでみませんか?クラウディオ様から、エーリズから来て必要だと思った事があったら教えてあげて欲しいと言われておりまして。よろしければ」
「これは?」
「応急処置の基礎よ」
リーナがソニアに腕を絡めてじゃれつく。そのまま腕を引いて一緒にソファへ腰を下ろすと、向かい側へヘラが座った。
静かに使用人が現れてお茶を淹れていく。
「聖女って回復の魔力が常に流れているせいで、治癒魔法に慣れすぎちゃって効きが悪いでしょう?唯一例外が、自分より力の強い聖女に診てもらう事だけど…ソニアには難しいじゃない?だから自分が怪我した時に、自分で手当するの。覚えておくと便利よ」
「へえ。聞きたいっス」
それからソニアは、止血の仕方や包帯の巻き方。骨折時の対応などを2時間みっちり、練習を交えて学んだ。
「ふえ〜!色々あるっス〜!そもそもこんなに沢山怪我する事なんてない気がするっス…」
「まぁ、万が一に備えてだから。因みに私、骨折はした事あるわよ。屋根から飛んで」
リーナはひょいと両肩をすくめる。
可愛い顔してお転婆だったらしい。
講義を終えてから、戻って来たエミリーとシンディを交えて軽食を摂る。
「クラウディオさん戻って来ないっスね」
ソニアがそう疑問を口にすると、すかさずリーナが詰め寄って来た。
「えっ、なになになに!?そういう関係?」
「そういう関係?スか?」
「恋人かって聞いてるの!」
「ぶふっ」
いつの間にかシンディとエミリーもキラキラした目でソニアを見ている。
ソニアは吹いた口元を拭って、慌てて手を振った。
「違う違う!相手王族っスよ!?」
「身分の事?別に聖女なら問題ないんじゃない?」
「ああ、エーリズでは聖女としての力と身分を足して順位付けされますものね」
シンディが苦笑して同意を示す。
「ここはテノラスよ!聖女は高位貴族相当地位なんだから!いーじゃんいーじゃん!恋バナしてよ〜。聖女になってからあんまり友達と会わなくなっちゃったから、そーいうの飢えてるのよね。ねね、ソニアは?クラウディオ様の何処が好きなの?」
リーナはグイグイとゼロ距離で聞いてくる。ソニアは体を引き、少し斜めになりながら思案した。
銀の髪、紫の瞳に通った鼻筋、作り物めいた顔は美しいとは思う。通りの良い声は少し低く、料理の習得スピードが異常で、最近は視線がとても甘い。ソニアの前ではいつも微笑んでいて、なんだか優しくなったなぁと感じる。
でも時々書類を見ながら意地悪く口の端を上げているので、性格悪そうだな…とも思ったり。実際出会った頃は目の奥がいつも笑ってなくて、貴族の中の貴族と言った印象だった。
「強いて言うなら……」
「うんうん!」
最初からひとつも変わらないのは、あの花の匂い。アロマ効果か、香ると妙に落ち着いてしまう。
「匂い?」
「………っやっだーー!!エローい!!」
「えろっ!?なんでっ!?」
「それだけ近くにいるって事でしょ?もっと離れがたーいとか、側にいないと寂しいーとか聞きたかったけど!エロトークもばっち来いよ!?」
シンディとエミリーも頬を艶々にしてうんうん頷き、ソニアは口の端が引き攣った。
(くっ…!匂いが好きとか…もう言わない!!)
それから恋バナが満開に咲いた。ヘラはテノラスで結婚し今15歳になる子供がいるとか、エミリーは婚約中、リーナは彼氏持ち、なんて話が飛び交った。シンディは恥ずかしそうに、でも興味津々で耳を傾けている。現在募集中なんだそうだ。
(あたしが言うのもなんだけど、宮廷に無いノリだな!聞いてる分には楽しいけど。聞いてる分には)
休憩を挟んで交代して、ヘラとリーナが現場へと向かう。残った人は魔力回復時間と、緊急時の人手になるそうだ。
ソニアはヘラとリーナにくっついていって、病院内を見学することにした。
3階まで降りて、病室へ向かう。途中渡り廊下へ別れる通路があり、別棟へ行ける様になっていた。
「あっちの建物は何スか?」
「重病者の研究棟よ。本人や家族の承諾をもらって、あえてギリギリまで聖女の治療をしないの。そうして治癒魔法以外で治せないか薬を開発しているんですって。うっかり治してしまわない様に聖女の立ち入りは禁止されてるの」
「…私もこちらに来るまで知りませんでしたが、聖女が居らずに治療するというのはとても大変な事なのです。聖女がいなくなっても大丈夫なように、研究は止められないのですわ。外に出て私もエーリズの聖女の出生率の異常さがわかりました」
「皇弟様は医療用魔導具開発者と医療現場の仲立ちをされてらっしゃるから、来るといっつも医師達とその話ね」
「そっか…」
他国では聖女が殆ど生まれない。知っていたはずだが、こうしてきちんと見ると違う事に感心してばかりだ。
ヘラとリーナは巡回する病室が違うとの事で途中で別れて、ソニアはリーナにくっついて3階を奥へ進む。突き当たりはカラフルに飾られた可愛い部屋だった。
「やっほー!みんな来たよ〜」
「リーナ様だっ!」
「リーナ様〜」
わらわらと集まって来たのは、少年少女から小さな子供たちまで、6人程だ。
「この子達は今、聖女の魔法で治療中の子達なの。私達の魔力量や子供達の負担を医師と予測して、ひと月後完治を予定しているわ」
子供達のは闘病期間が長いのか痩せ気味で、体力が少なそうだ。ひと月という期間はソニアからしたら長く感じるが、聖女に負担をかけ過ぎないためというなら、人道的な計画なのだろう。
リーナはソニアの耳元に口を近づけて呟いた。
「正直言うと私病気の治療は苦手なの。ほら怪我は目に見えて治せるじゃない?でも病気って体の中だし、時間経つと再発したりちょっと病巣残ってたりで…」
「ああ、経過観察も含めてひと月ってことなんスね」
「うん。ソニアは今日働いてもいいんでしょう?ちょっと治療の様子とかって見せてもらえたりする?」
リーナは両手を合わせて申し訳なさそうにクビを傾げる。ソニアはにかっと笑って快諾した。
「いっスよ」
そしてきょとんと、ソニアを見上げる子供達を見渡す。それぞれに魔力の揺らぎを抱え、懸命に生きる命だ。
ソニアはしゃがんで「ソニアだよー。よろしく」と声掛けながらひとりひとり診て行く。「リーナ様のお友達?」「新しい聖女様?」と口々にお喋りする子供達にリーナは、「ソニアはすっごい聖女なんだよ」と話している。
(この子は直ぐ治せそう…。こっち3人は…同じ病気?ん…この子は?)
メンバーの中では最年長、褐色の肌に黒髪の少年に目が留まった。細い揺らぎがぶつりと途切れ、それが不自然に幾つか続く。
(見た事ない。病気?怪我の…欠損の感じに似てるけど…)
じっと見られた少年は戸惑って首を傾げる。
気づいたリーナがソニアに尋ねた。
「ソニア?この子はアリシャよ。アリシャがどうかしたの?」
「リーナ、この子はお腹の中が欠けてるの?」
「えっ…見ただけでわかるの?」
「これは驚いた」
突然背後から声が上がり、ソニアとリーナは飛び上がるほど驚いた。
「あ、なっブレナー先生!!もー驚かせないでよ〜」
「はは、ごめん。皇弟殿下と共に上級聖女様がいらしていると聞いてね」
来ちゃった、とウィンクをして医師は言った。ブレナーと呼ばれた彼は少し垂れ目で眼鏡をかけている。優しげな雰囲気は、チャラさよりお茶目な印象だ。
「はじめまして、エーリズの聖女様。アーノルド・ブレナーです」
白衣を着ていても、背筋を伸ばし握手を求める姿勢は貴族を匂わせた。ソニアも立ち上がって手を握り返す。
「ソニアっス!よろしく」
ブレナーは目を丸くしてから口元を緩めた。
「こちらこそよろしく」
挨拶を交わしてから、2人はアリシャの方へ向いた。
「アリシャはニーマシーから治療に来てるんだよ」
「すんません、地理は疎くて。どの辺スか?」
「エーリズから見て東南にテノラスがあるだろう?そのまま南下するとオーガス国があって、その更に南がニーマシー王国だ」
「…遠い?」
「あはは、ピンと来てないな?遠いよ。オーガスとは技術協力の関係でテノラスから線路が繋がっているから、列車に3日も乗ればオーガス南端まで行けるけど。ニーマシーは砂漠の中にあるオアシスの国で、移動は全てラクダ。見つけるにも案内人が必要な程さ」
「砂漠?オアシス?ラクダ??」
ソニアが首を傾げた事にもブレナーは丁寧に教えてくれて、アリシャも所々で無邪気に補足を入れてくれた。「へぇ!」「ほお」と話しているうちにソニアはアリシャと仲良くなった。
まずリーナが子供達にひと通り治癒魔法をかけた。無理なく出来る範囲のもので、少しずつ改善するよう計画されたものだ。
その後ブレナー許可の元、ソニアは一番気になった症状のアリシャに治癒魔法をかける事にした。
ブレナーが横でアリシャの状態について説明してくれる。
「アリシャは腹部の傷が元でお腹の中に炎症を起こしたんですが、その後の処置が悪く、内臓と腹の内側が癒着しました。特に腸の炎症が酷く、所々切り落として残った部分を繋ぎ合わせています」
「はい?」
ソニアは言われた事が直ぐに理解出来なかった。怪訝な顔をするソニアに、ブレナーは目を細めて強く言い切った。
「魔法で治せない以上、これは普通の処置だとご承知おきください。我々としては最善の処置なのです」
「なる…ほど」
無い部分を飛ばして繋げてしまった。それで治癒魔法を使うと、新しいパーツが繋がった部分から顕現する。
ソニアはベッドに腰掛けたアリシャの前に膝を突いた。
「触るよ?」
「うん、いいよ」
繋がった掌から、偵察のように少しだけ魔力を流す。
(そりゃ初めて見る症状のはずだわ。腹の傷くらい町の診療所にいる聖女で十分治せる。まずこんなに悪化しない。このまま治すとして、痛みはどの程度だ?歪みは出ないか?わからない。………いっそ繋げた部分をもう一度切り離してしまえば…いや、本人には負担だろうし…今、極端に悪く無いのにあえて切るのは気が進まない治療法だな。繋げた事により、欠損部分の魔力の流れが全然残っていない…いけるか?ジジィの体だって碌な流れは残ってなかった。思い出して、創りあげる…よし!!)
ソニアは腹を括って流す魔力量をどんどん増やす。淡い光が掌からこぼれ出す。
「ソニア様、出来そうですか?」
ブレナーが窺うように声を掛けてくる。ソニアは繋いだアリシャの手を両手で包み込み、額に押し当てた。
アリシャが不安にならないよう、微笑んで答えた。
「大丈夫。まかせて」
血の流れを意識して。重なって魔力が流れてるから、そこに自分の魔力をすこしずつ足して。丁寧に丁寧に。納得いくまで何周だって巡らせろ。
繋いだ手は温かく、鼓動を感じる。
ひっかかるとこ、滞るとこに多めに流して。留まった流れを次の流れへ繋げて。人は病気や怪我を自分で治せる力をちゃんと持ってる。いける。
「うっ…」
腹部に違和感を感じたのか、アリシャが呻き背を丸める。
「よしよし、大丈夫だ。アリシャの体はちゃんと元に戻ろうとしてるから」
大丈夫。足りないなら、いくらでも力を貸すから。
光がすこしずつ強くなり、カッと一瞬強く光って消えた。
「…はい、終わりだよ。どうだ?気分は」
「………疲れた」
「ん、よしよし。沢山食って沢山寝ろよ」
怠く横になったアリシャの頭をワシワシと撫でる。
アリシャはソニアの顔を見返した。
「…いいの?好きなもの、食べて。お腹痛くならないの?」
「いいよ。ああでも、ブレナー先生がいいって言ったら、かな?」
ソニアがにこっと笑うと、アリシャは顔をくしゃりと歪めて涙を流した。しゃくりをあげながら、つっかえつつ「ありがとう」と言った。
リーナも側に寄りアリシャの手を取る。
ほわっと淡い光が上がったから、魔力で診ているのだろう。
「うそ……再生してる。こんなに短時間で?」
「私にも診せてもらえますか?」
ブレナーは触診してから、急いで検査室の予約をしに行った。
「リーナは相手の体に魔力を流す時、体の真ん中辺りばかりに流しているだろう?でも人は体全部で闘うんだ。指先の血管一本一本にまで意識を持って行くと良い」
「そんな事…一体どれ程練習したら……。魔力のコントロールは上級だからって上手なわけじゃないわ。ソニア、貴女はどれ程努力をしたの?」
リーナが尊敬を込めた眼差しをソニアに向けたが、ソニアは瞬いて首を傾げた。
(努力…?)
ただ、必要に駆られただけ。毎日毎日三年間も、ひたすらに、一欠片だって崩れないように。
新しい体部分を生み出さなくなった体を治療する時は、少しの油断も許されなかった。
(ジジィの血の流れは未だに全て頭に焼き付いてる)
リーナはその、ソニアがずっと無意味に思っていた時間を「努力」と言った。
(意味が…あったのだろうか)
わからない。だけど今、その答えを出さなくてもいい気がした。
結果として、治せた命が目の前にあるのだから。
ソニアはくすぐったい気持ちを隠して、ニヤリとドヤ顔を作った。
「まあ、リーナもほどほどに頑張れ!」
「くっ…頑張る」
ガラリと扉が開いて、ブレナーが戻ってきたのかと2人は振り返った。しかしそこに居たのはアリシャと同じ褐色の肌の男性だった。頭に布を巻き、こめかみの辺りから長めの黒髪が溢れ出ている。
その黒い瞳が、スッとソニアを見た。
「あ、あにうえ…」
「アリシャのお兄ちゃん?お見舞いですか?」
リーナがにこりと話しかけると、フンと鼻を鳴らして睥睨した。
「やっとアレらから離れた」
酷く甘い、もったりとした香りが鼻腔を満たす。
ソニアの意識はそこで途切れた。
***
―――タタンタタン、タタンタタン。
規則的な振動が、揺りかごの様に眠りを誘う。もう目を覚まさないといけないのに。
(ババァより遅く起きると、「新入りのくせに」ってまたメイドから嫌味言われて…)
いや、違う。そうだ。
(ババァは死んだんだった。ジジィだ。あいつが不安になるから………?)
―――タタンタタン、タタンタタン。
列車だ。列車に乗っている。
遠くに早く、連れて行ってくれる乗り物。
これで、随分遠くまで来たんだった。
もうここはあの場所じゃない。
(朝ごはん…)
朝日が昇る頃に起きていたのに。
朝寝坊する様になった。ひとりじゃないごはんを楽しみにする様になった。家に帰るという事がどういう事か、知った。
あの人はいつも先に起きて、朝食を用意をして待っててくれる。だから。
(起きなくちゃ…)
瞼が酷く重たい。気怠い体を叱咤して、腕で支える。ぐらつく頭を押さえて周りを見る。
(…馬車?)
四角い部屋にドアがあり、向かい合わせの座席が配置された作りは馬車と似ている。
もう一つの座席にはアリシャが横になっていた。ずるりと滑り降り、這う様に手を伸ばし触れる。
(寝てるだけ、か…?くそ、気持ち悪くて細部が診れない)
ひとまず命に別状はないだろう。一旦手を離し窓の外へ目を向けた。
黄色い大地。同じ色の土で出来た建物。まばらに生えた木は乾き、丈の低い草が処々にかたまって生えている。
「どこ…ここ」
列車はスピードを落とし、耳障りな金属音を響かせて停車した。