間話〜引っ越し初日のこと〜
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〈初めてのお客様〉
「治療いかがっスか〜?安いっスよ〜」
引っ越したその日に勢いで街角に立った。
既に呼び込みをかけ始めてから1時間以上経つが、未だ患者はゼロだ。
それでもソニアは笑顔でのんびり声掛けする。
「そこの兄ちゃん、左肘が痛そうだね〜。治療どっスか〜?」
「お、そこの奥さん、お腹痛いでしょ?安いよ〜」
「あ!君〜虫歯治して行きなよ!」
ソニアは道ゆく人の魔力の歪みを的確に指摘して呼びかけてみる。
深い内臓の疾患はきちんと手を取って魔力を流してみないと正確な診断は出来ない。だが外傷やちょっとした体調不良は、悪い所の魔力が陽炎の様に揺らぐので見ればわかってしまうのだ。
そんな聖女診断の呼び込みの結果、一様に気持ち悪いモノを見る目で一瞥され、皆足早に過ぎ去っていく。
(はて?忙しいんかな?)
それでも暗い閉塞的な部屋ではなく、気持ち良い青空の下にいることだけで嬉しい。
ソニアは全然気にせず笑顔で呼び込みを続けるが、とうとう見兼ねたクラウディオが声をかけた。
「ソニア!」
振り返って首を傾げると、手招きされる。
「なんスか?」
小走りで近づくと、クラウディオが立って椅子を引いてくれた。
「ちょっと座って休憩して。ほらこのカフェはチーズのパンがお薦めなんだって」
目の前にジュースと表面がカリッと焼けたチーズパンを用意されたら、勿論食べるの一択だ。
「いただきまーす!!」
「で、食べながら聞いて欲しいんだけど」
「ふぐ?」
中の生地はもちもちで食べ応えがある。塩味の強いチーズだが、生地がほんのり甘くてハーモニーが癖になるパンだ。
「テノラスで聖女というのはね、今現在18人しかいない。うち10人は帝都のテノラス国立病院にて、一年待ちの予約が組まれていてそうそうお目にかかれない。残りの8人もそれぞれ東西南北の辺境へ派遣されているんだ。それは国民の知る所で、こんな街中で「聖女です」と名乗りを挙げられても不審者にしか見えないんだよ」
「へー」
なるほどなるほど。ソニアはうんうん頷いてジュースを飲んだ。さっぱりしたオレンジジュースは少々酸味強めの好きな味。
「だから最初は国立病院で周知を…」
「よーし!つまりあたしの実力が不安って事っスよね?お城で貰った報酬でまだ懐に余裕もあるし…今日は無料キャンペーンにするっス〜!」
「何故そうなる!?」
「ふん?」
ソニアはこてっと首を傾げる。するとクラウディオの向こう側、カフェの壁に手を付き踞る人影が見えた。
「ちょっと行くっス」
「ソニア?」
駆け足で近寄ると、それは初老の女性だった。ぎゅっと目をつむり脂汗を浮かべている。
「ばーちゃん大丈夫?話せる?」
ソニアの声掛けに、女性は薄らと目を開けた。
「お、お腹が…」
「腹痛いんだね。触るよ?」
女性が小さく頷くのを確認してから手を取った。もう片手で背中をさすりながら、治癒魔法を流し込む。
「大丈夫、大丈夫。直ぐ治るよー」
女性の腹部が淡く光り、ソニアは病巣が無くなった事を見て確認する。
女性は瞬いてから、ゆっくり顔を上げてソニアを視界に捉えた。呆然と上から下まで視線を巡らせて、再び顔を見る。
ソニアは歯を見せてイヒッと笑った。
「もう大丈夫っしょ?」
「ええ、ありがとう……聖女様」
「うん。病気治すのに体力使ったから疲れたっしょ。送るよー」
女性はソニアに手を借りて立ち上がる。少しふらついたが、女性はゆっくり首を横に振った。
「家は近いの。この通りの向こうの青果店だから。ああでも、やっぱり一緒に来て。御礼がしたいわ」
「今日は無料キャンペーンなんス」
「なぁにそれ?今日はとっても美味しい苺があるのよ。是非来て」
「行くっス!」
いっちご〜、と女性の後ろについて行こうとして、クラウディオの存在を思い出した。
「連れも一緒でいっスか?」
「いいわよ。貴女の背後の男前でしょ?大歓迎よ」
「へえ?」
ソニアが振り返ると、当然の様にクラウディオが立っていた。腕組みした尊大な態度とは裏腹にその表情は大変微妙で、例えるなら迷子を心配する母だ。
「ソニア。仮令パンをくれるって言われても、知らない人について行ってはいけないんだよ?」
「悪い奴にはついて行かないっス」
クラウディオはにこにこ笑う青果店の奥さんを見てからため息をついた。その返事だとまるで、知らない人でも悪い人じゃ無さそうならついて行くって聞こえる。
自分がこの国に連れて来た事など棚上げして小言を繰り出そうとしたが、ソニアが手を握ってきて、言葉を呑み込んだ。
ソニアは無邪気に手を引く。
「ほらほら、苺が待ってるっス〜」
「人の気も知らないで、この娘は…」
クラウディオの吐いた悪態は誰にも聞かれず、爽やかな青空に溶けていった。
城下町でも人気の青果店の口コミで、聖女のお客さんが爆発的に増えるのは、もう直ぐの話。
***
〈引っ越した日の夜〉
「たっだいま〜!!」
あれから治療した女性と青果店へ行き、苺をご馳走になりつつ、不審な目を向けてくる店主の腰痛を治した。息子夫婦や孫とも顔見知りになり、お土産に果物を沢山貰ってしまった。
帰り道に閉店間際のパン屋に駆け込み、屋台で各々好みのお惣菜を買っての帰宅である。
ダイニングテーブルに荷物を載せて、今食べないフルーツはパントリーのストッカーに仕舞う。
クラウディオがグラスとお皿を用意してくれたので、片付けが済んでからソニアもお惣菜を並べるのを手伝った。まだあったかいお惣菜はいい匂いがする。
「クラウディオさんは何買ったんスか?」
「ん?チリペッパーの牛炒めと緑胡椒ソーセージ」
「初めて聞く料理…」
「列車が走るようになってから、南部のスパイスが安価で入ってくるようになってね。テノラスでも流行り出したのはここ1年くらいかな。美味しいよ、辛くて」
「からい…ラディッシュみたいな?」
「うーん、ちょっと辛いの種類が違うというか。食べてみる?」
クラウディオはソーセージの端にフォークを指してソニアの鼻先に差し出す。
「苦手かもしれないから端っこ少しだけかじ、あ」
クラウディオが話している途中で、ソニアは大口を開けてソーセージにかぶりついた。ソーセージから漂う香ばしい匂いについつい、掌の縦の長さ程もあるソーセージの半分が消える。
ソニアはもっぐもっぐ咀嚼を始めるが、段々勢いがなくなり、一点を見つめ出す。顔が赤くなり、目に涙が溜まって来た。様子がおかしい。
「ああ、ほら。ここにぺってしなさい」
すぐ気がついたクラウディオが、フォークを置いて両手で器を作って差し出すも、ソニアは涙目で首を振り頑張って飲み込んだ。
「孤児たる者〜口に入れたら死んでも出さない…っていたあぁあ!痛いっス!!いい匂いで誘っておいて、痛くて味が無いなんて恐ろしい食べ物っス」
クラウディオが水を汲んだグラスを手渡すと、ソニアは一気に煽った。
そんなに辛い物だったかなぁ?とクラウディオは残りのソーセージを齧る。
「うーん、中辛くらいだと思うんだけど」
そうコメントすると、ソニアは幽霊にでも遭遇した様なアンビリバボーな顔でクラウディオを見た。
「…超人?」
「いや普通だよ。さてはソニア、辛い物が嫌いだな?」
「嫌いじゃないっス。…好きじゃないけど」
「はいはい。それでソニアは何を買ったの?」
「野菜のトマト煮っス〜」
調子を戻したソニアが器の蓋を開ける。中を見て動きを止めた。
「………トマト煮?」
クラウディオも横から見る。煮込まれた野菜にべとりと纏わりつく赤い色はトマトとは明らかに違う。何より器からスパイス特有の刺激的な匂いが立ち昇る。
「トマトにしては随分赤いね。僕が味見しようか?」
「お願いするっス…」
初日、ソニアは屋台の洗礼を受けた。次こそ当たりの屋台を見つけるんだ!と夕飯の食パンをそれはそれは美味しそうに頬張った。
***
ザアァァァー…。
(どうして)
響く水音にクラウディオは頭を抱えた。
初めて住む民家に「さては欠陥住宅か?」と訝しむ。
安息の地を求めて庭に出るも、響く水音はクラウディオを逃さなかった。
(どうして、何処にいてもシャワーの音が聴こえて来るんだ…。民家ってこれが普通なの?え、毎日これ?)
終いにはソニアの調子っぱずれの鼻歌が聞こえてくる。ご機嫌である。
父から、ソニアが報酬に下町に住む事を望んだと聞いて、手配したのは勿論クラウディオだ。
街に近く、城からもさほど遠くなくて、2人で住める広さがあり、と条件を詰めてぴったりの家を用意した。周りの家も全て買い取り、既に騎士夫婦や騎士家族、隠密夫婦など護衛の人員を住まわせている。
抜かりはない。そう思っていたのに。
「お風呂サイコー!」
夜闇に響く無邪気な声は、こちらをじわりと追い詰めてくる。
初日、クラウディオは庶民生活の普通を身を以て体験し、明日からこの時間をどう過ごすのか、真剣に悩み始めた。
風呂の音が家中に響く。それが民家!!
…え、うちはそうだったよ?
***
GWに覗きに来てくれてありがとうございます。
続編はもう少し…もう少し_(´ཀ`」 ∠)_
大変お時間頂いていてすみません。
近々再びお目にかかりたく思います。