アストラ一族の反撃
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『アストラに連なる者を全て捕らえよ。伴侶も子も、子の伴侶にその親族に至るまで、全てだ』
「へー。血の繋がりがある人ってことっスか? で?」
パンカスが混じり、とろみがついたスープを平らげて、ソニアは口を拭った。
「貴女、御心のありようが逞しいだけでなくて、物事への洞察も鋭さに欠けるのですね(※図太いだけじゃなく察しも悪いのですね)」
「今丁寧に悪口言われたことはわかったっス」
「ご理解下さりありがとうございます」
アウロは咳払いして、カートの下段からペティナイフを取り出した。デザートのりんごを掴み、皮に刃を当てがう。慣れた手つきでりんごを回し皮が皿の上に落ちていった。
「アストラの死後、新たな聖女の誕生は無くなりました。それに焦った王はアストラに連なる者を全て捕らえたのです。アストラの子や孫達は魔力が高く、逃げようと思えば逃げられたでしょう。ですが伴侶やその親族を人質に取られてしまいました」
くし型に切り分けて、芯をV字に落とす。
「それに止まらず、年頃の子達にノルマを課したのです。子を五人以上儲けよと」
「はぁ?」
「アストラの子孫達は、魔法陣に魔力を注ぎ次代を残す為だけの、国家の家畜へと貶められました」
アウロのナイフを握る手が白む。力む右手に左手を添えたのは抑えるためか、一思いに留めを差したいが為か。
「聖女を生み出す魔法陣を擁し、子孫達を閉じ込めておく為の施設。国力を支える“要”、それがデリオン教総本山の正体です」
「……じゃあ、今でも沢山いるっスか? 閉じ込められている人が」
ソニアの質問に、アウロは初めて晴れやかに微笑んだ。白い歯をのぞかせて、年相応な悪戯っぽい顔で。
「いいえ。全員連れ出してやりましたわ。ざまぁみろってんです」
そっとナイフを置き、フォークでりんごを刺してソニアにも進める。ソニアは指で摘んで口に放り込んだ。シャキッと噛み締めると甘みと酸味を感じる果汁が口内に広がり美味しい。
「もう魔法陣に残る魔力も僅かでしょう。あちら側は国中の聖女で代用できないかと悪あがきしているようですが、たとえ出来たとしてもあの膨大な魔力量をそこらの聖女で賄えるものですか」
「血が繋がってないとダメなんじゃ?」
「魔法陣の影響下で産まれた聖女の魔力にも多少適正があるようです。本当に微々たるものですが」
ソニアはもう一つりんごを摘みシャリリと齧る。フォークを使い上品に口に運ぶアウロの様子は貴族のようだ。
(話の流れからしてアウロはアストラに連なる者ってことだよな。つまり、ババァも)
「なんでババァは筆頭になれていたんスか? 出られないんしょ?」
「なんですかその“ババァ”というのは。まさかお祖母様のことだと申しませんよね?」
「えーーっと、メリッサばーちゃんはなんで筆頭だったんスか?」
ギロリと睨まれてソニアは慌てて言い直す。
「まったく。……その時代、前の王が早く亡くなり丁度王が代替わりしたのです。新しい王は好奇心と正義感に溢れた年若き王でした。その王がアストラ一族の献身に応えようと言い、監視付きで一部魔力が低い者の外出を許可したのです。親達はなるべく年若い者にその機会を譲りました。お祖母様は若い頃魔力がそこまで高く無かった為に外出を許可されたそうです。外で治療行為をして回っているうちに評判が高まり、魔力も強くなっていき存在を隠せなくなったと伺っています」
(それで筆頭にまで上り詰めたってこと? なーんも考えてなさそうにおっとり振る舞ってたくせに。ババァ結構策士だったんだな)
長い続く話に、思わず欠伸を噛み殺す。
「お疲れですね」
「いや? 起きたばかりだし、かなり寝た気がするんスけどねぇ」
「それからお祖母様は地位を確立して、一族と外を繋ぐ橋渡し役をしてくれていました。……ソニアさん? 大丈夫ですか?」
視界が大きく揺れて、さすがのソニアも何かがおかしいと気がつく。頭を振って手で軽く叩いてみるが、起きてるのが難しいほど平衡感覚が掴めない。
「なんの、薬だ」
「……御安心下さい。ただの睡眠薬です。ああ、そうでした。理由、でしたね。私達は今晩、総本山を破壊します」
「!!」
「絶対、誰にも、邪魔されるわけにはいかないのです。貴女にも」
ソニアはゆらゆらと揺らぐ視界に、耐えきれずベッドに倒れ込んだ。
「大丈夫。寝て起きたら全てが終わっていますから」
「ク、ラウ……」
「おやすみなさい、ソニアさん」
***
アウロは縄ではなく柔らかい布でソニアに猿轡を噛ませる。それから同じ布で両手両足を縛って上掛けを掛けた。
「ごめんなさい」
傷つけるつもりがないのは本当。機会が無ければ会う気も無かった。
「お祖母様が貴女を守ったのですから。わたくしもその意思を継ぎましょう」
アウロは食事を終えたカートを押して部屋を出た。見張りの男が気がついてドアを閉めてくれる。
「話はもういいのか? 又従姉妹なんだろ?」
「ええ。邪魔されるわけにはいかないですもの。この拠点も撤収の準備をして下さい。戦わない者は全員国外へ」
「大丈夫だ。昨日助け出した二人が最後の一族だ。もう起きて国外に出る準備をしている」
「……一族以外の聖女は、また集められているのでしょうか」
見張りの必要がなくなった部屋を離れて、男はアウロについていく。
「なるべく逃してやりたいがな。次から次へと連れて来られてキリがない。計画は押してるんだ、これ以上遅くなると王宮組がダニエルを助けられないかもしれない。割り切ろう」
「っ、はい……」
父の名前を出されてアウロは唇を噛んだ。犠牲はなるべく出したくない。でもそれだけじゃ大切な人を助けられないのだ。
夜陰に紛れた襲撃に向けて、幌馬車が三台用意された。そこに乗る人員は全てが男性だ。アウロを除いて。
魔法陣の影響で総本山で産まれる魔力持ちの女性は、全てが治癒魔法使いとして産まれる為、戦闘に向かないからだ。
「私はこの拠点に残るわ。怪我人がいたら遠慮なく連れて来て。……弟を頼んだわ」
「エニ……。危なくなったら絶対に逃げると約束して下さいね」
仲間達と別れの挨拶をして、馬車は出発した。
『お願い。この子を連れ出して……!』
メリッサはダニエルを出産すると、総本山から出られる魔力の低い数名に息子を託して、国を出るようにお願いした。
ダニエルを連れた一行には魔力は低いが聖女がいた為、追っ手を振り払い、魔獣に襲われることなく魔の森を抜けてペキュラへと逃げ延びた。
ダニエルはペキュラですくすくと育った。物心着く頃には、母が一族の為に踏ん張っている話や、一族の無念を度々語られた。
仲間達に見守られ、学校へも行った。
どうしてもこの目で確かめたくて、危険を犯してエーリズに住む母へも会いに行った。
ひっそりとエーリズの仲間達と交流を続けながら、ペキュラで大切な人が出来て、子供が産まれて、今度は子供を連れて母へと会いに行った。
『堂々と一緒に暮らせたらいいのにね、母さん』
そんな願いはアウロが十三歳の時に消え去ってしまった。過度な治癒魔法の使用や、政治的な駆け引きに介入した心労で、メリッサが亡くなったからだ。
政治的な駆け引きで得たもの。それは次代の筆頭をメリッサが決めるというものだった。
どうしてそこまでしたのか。
(ソニア。残された一族で最も魔力が強い者)
ソニアは元々総本山の生まれだ。
当時人数が増え過ぎた総本山では、三歳までに魔力の発現が無ければ養子に出され、養父母の監視下で育てられる子が数人存在したそうだ。
万が一魔力が発現した場合に買い戻せるように、養子先は平均より貧しい家庭が選ばれていた。補助金と共に預けることで、どこも喜んで引き取っていったという。
だがそんなのは表面的なもので、お金目当てで引き取られた子は食事を貰えなかったり、追い出されたりしたというのが実情だ。
そうしてソニアはメリッサに気が付かれるまで、一族の子だと誰にも知られずに育った。
絶対王に渡してはいけない。閉じ込められ、孕ませられ、死ぬまで魔力を搾り取られるだろう。彼女の魔力は強過ぎて、たった一人で魔法陣を満たせてしまうのだ。
だから公に知らしめられ、害されない存在に成さなければならなかった。ソニアをそんな地位に就ける為にメリッサは先王の治療行為すら利用した。多少寿命を縮めることになっても、急にいなくなったら不自然で、自由に出歩け、逃げられる機会を一時でも得られる地位に。
(なのにわざわざこの国に戻って来るなんて)
アウロは自身の手を握りしめる。
「アウロ、着いたぞ」
総本山から少し離れた物陰に馬車は止まった。他の二台も離れた所に停車しているだろう。闇に紛れて全員が降り、ガス燈の灯りを避けて建物を囲う柵の周りに集う。
配置完了の合図が送られて来て、アウロは立ち上がり腕を前に構えた。掌から渦を巻いて湧き上がった炎が、矢を形どり人気のない建物の一角へと放たれた。
ドン、という大きな地響きと共に建材の漆喰片が空を舞う。
「全て、燃えてしまいなさい」
驚いた人が建物から飛び出して、立ち上る炎に恐怖し逃げていく。アウロはもう一度、今度は中央近くを爆破する。
地下にある、一族を閉じ込めておく居住スペースや魔法陣の部屋への入り口は大司教室にある。柵を越えて侵入した仲間達は、逃げて来た人々に構わずに、通路の確保へと走る。
魔法陣を確実に破壊するには地下へと降りなければ。
デリオン教総本山の秘密がバレないように、国が情報操作を行い国教でありながら信者が少ない、という珍妙な状況が出来上がっているのが、好都合だ。ここにいる人は皆関係者ということで、爆破に巻き込まれたところで良心は傷まない。
メリッサの訃報は、エーリズに住む仲間がペキュラに住むアウロ達の元へ報せてくれた。
宮廷筆頭聖女の葬儀ということで大々的に行われると聞き、遠目でもいい。見送りに行こうとダニエル達はエーリズへと向かった。
いつものルート(魔の森)で入国し、メリッサの冥福を祈り、ペキュラへと帰る。その帰り道での出来事だった。
『本当に家畜が逃げ出しているではないか』
姿を現したのは、エーリズ国王。それから総本山があるアンクローディ領の領主で現在アストラ一族の管理を王から任されているヴィクサス侯爵。
『ヴィクサス、どういうことだ?』
『は、見せしめにと泳がせておりました』
バレていないと思っていた。何十年と干渉されなかったが為に、国側を騙せていると思い上がっていた。出入国にも慣れて、ルートを毎回変えることなく、愚かにも慎重さを欠いてしまったのだ。
侯爵の手勢数十人を前に、魔術で応戦しつつ逃げ延びようとするダニエル達を、国王は嘲笑った。
王が手振りで合図を出すと、ヴィクサスは部下に大きな麻袋を運ばせる。
『家畜でも、これが何だかわかるだろう?』
そうして無造作に投げ棄てられた袋の口から、飛び出したものは、メリッサの遺体だった。
ヴィクサス侯爵の合図で、兵はメリッサの髪を掴みあげ、その首を切り落とすと魔の森の奥へと放り投げる。
『母さん!!』
『なに? お前はこの女の子供だったのか。じゃあ父親は……』
ギラリと目の色を変えた国王は部下に指示し、集中的にダニエルを攻撃させ、拘束した。
残りの仲間達はアウロを守りつつ森の中へと逃げた。その時、アウロは母を亡くしたのだ。
アウロを庇い、アウロの目の前で。兵士の剣が背中から母の胸を貫いた光景が、目に焼き付き、今でも忘れられない。
『逃げて。そして幸せに……』
あの日、メリッサの遺体も母の遺体も助けられなかった父も、全て森に置いてアウロは逃げのびた。
「全部、全部、全部。燃えて還りなさい。あの天に届くまで」
苦しかった。
でももう少しで、やっと終わる。
***
「……なんだ?」
遠くで、ドンと音がして建物が揺れた。ただ事ではない気がしてクラウディオは気怠く目を開ける。
部屋は惨憺たる状況だった。異常な破壊衝動が抑えきれずに、テーブルを投げ壊しただけでは飽き足らず、ベッドをひっくり返した挙句に二つに割り、それも投げて破壊。腰高のチェストは投げるのに丁度よく、壁に当たった瞬間接合部が綺麗にバッカーンと割れ飛びかなりスッキリした。
破片は適当に壁側に寄せて、空いた場所に、元ベッドだった物から回収した敷布を敷いて寝ていた。破壊衝動が落ち着くと、酷い倦怠感に襲われたからだ。
一度聖職者の服を着た男が食事を運んできたが、部屋の荒れ具合に顔を青くして逃げ出て行ったりした。再び暴れ出す可能性を考慮して飲食物には手を付けていない。
再度、音と共に部屋が揺れて、天井から砂埃がパラパラ落ちてくる。
(ここであの女を待つつもりだったが、逃げた方がいいか?)
煩わしい首を手で押さえる。引きちぎれないのがもどかしい。危機感の薄い頭でぼんやりと虚空を見つめていると、また騒音が聞こえて来た。先程と違い、ドアを叩くような音だった。
遠くからガンガン、バタン、と何回か音がして、だんだん近づいて来ているなと察する。
クラウディオが怠さを押して起き上がると、部屋の扉が思い切り叩かれた。体当たりでもされてるんじゃないかという勢いで、二度音が立つと、蝶番が壊れてドアがバタンと倒れ込んだ。
ドアの向こうには司祭服を着た青年が、上げた足を戻すところだった。どうやら蹴破ったらしい。
「あ、いた!」
髪はくすんだ金色で、襟足を短く刈り込んだ髪型は清潔感がある。釣り気味の目は溌剌としていて神職者にしては元気すぎる。
青年は大股でクラウディオの前まで歩いて来た。
「うんうん、銀髪に紫の瞳、それにキレーな顔。あんた、テノラス皇帝の弟であってる?」
「……だったら?」
「回りくどいのは嫌いなんだ。はいかいいえで答えてくれ」
クラウディオはため息をつきつつ立ち上がった。
「そうだが」
「よし、ここから出るぞ」
「君は誰だ? 何故僕を出そうとしている?」
「オレはセリム。あんたを連れてかないとソニアが」
ソニアの名前が出て来て、クラウディオは反射的にセリムの胸ぐらを掴み引き寄せた。なんだか苛立ちが抑えられない。
「ソニアに何をした?」
「はぁ〜? 何もしてないって、一応」
「一応?」
「あんた面倒くさいな。あんたをこっから出さないとソニアがここに来ちゃうだろー。……ん?」
セリムは引き寄せられるままクラウディオに近づいて匂いを嗅いだ。
「甘臭い匂いがする。番う薬飲んだ?」
「番う薬? 理性が外れるとかいう薬は飲まされたが」
それで部屋を壊したが。
クラウディオが手を離すと、セリムは一歩離れて襟を直す。
「無理矢理子供作らされる時飲まされんの。あんまりに飲むと考える力がなくなるぞ。あと血流が悪くなって体が腐るから気をつけな」
「詳しいね」
「ま、オレそーやって出来た子だしー? ほら、早く出るぞ」
セリムから敵意は感じない。
ため息で呼吸を落ち着けて、会話で少しだけ明瞭になった頭で考え、クラウディオは大人しくセリムの後に続く。
部屋から出ると石造りの廊下は飾り気がなく無機質だった。そこを小走りで進む。
「ここは何処なんだい?」
「アンクローディ領にあるデリオン教の総本山、でわかるか?」
「ああ」
フィリスがいるからある程度の予想はしていたが、王都の隣の領まで連れてこられているとは。
(国際問題に出来そうだな)
廊下の突き当たりが視界に入ったとこで、前方から人影が現れた。意外にもセリムはクラウディオを背に庇って、小さく舌打ちした。
「お前、ここで何している」
「逃げ遅れがいないか確認しておりました」
先程までの快活な様子からガラリと雰囲気を変えて、セリムは出会った人に礼をとる。クラウディオも反射的に先程までのぼんやりとした表情を浮かべて、セリムの背後から伺い見る。
セリムの着る黒いキャソックと違い、刺繍の入った白いキャソックを着用し、上から小手と胸当てを付け帯剣している。
(教会騎士。位は司教あたりか?)
続いて集団が降りて来る気配がする。
「あら? なぁに?」
立ち止まる教会騎士に甘ったるい声がかかった。その後ろからも教会騎士がゾロゾロと降りて来る。
クラウディオは視線を遣らないようにセリムの背中へ視線を移した。
「フィリス様、この者が逃げ遅れと勘違いしてあの方を連れ出したようで」
フィリスはクラウディオを視界に入れると嫌そうに鼻白んだ。
「まあ、それは乱暴過ぎて閉じ込めていたのよ」
「でも確かに、このままだと生き埋めになりかねませんね。侯爵様から生かしておくようには言われていますので」
どうしましょうか、と教会騎士がフィリスに尋ねる。
「そうなのよね。魔導具の流通を止めるのにこれがいるのよね。……仕方ない、連れていくわ」
「今は薬も切れて一時的に落ち着いているようですし、首輪もありますからフィリス様に反抗も出来ますまい。数人に見張らせれば大丈夫でしょう」
「ええ、そうね。……こうやって静かにしていてくれればねぇ。顔は好みなのよ、顔は。お人形のようにしてしまおうかしら」
(魔導具の流通を、止める?)
そのまま一行は階下へと降りていく。セリムはクラウディオの背後に周り、後ろ手に腕を拘束する。ただポーズとして持っているだけで、痛くないし、すぐ振り解けそうだ。
教会騎士二人がクラウディオの両側に付いた。セリムは背後から軽く押してクラウディオを進ませる。前に付いて行けという事だろう。
先が見えないほどの長い階段が、地下へと続いていく。数人が掲げる松明を頼りに長い階段を降り切ると、そこは驚くほど広い空間が広がっていた。
(貴族の屋敷がひとつ丸々入ってしまいそうだ)
階段が長い訳だ、天井も驚くほど高い。
部屋全てが白い石で出来ていて、それ自体がほんのり淡い光を放っている。地下室なのにうっすら明るい。
その広い空間を、円形に並んだ八本の円柱が天井を支え、中央には二段高くなった床に球形に削られた岩石が置かれていた。中央は天井も二段低くなっており、球形の岩石は天井とも繋がっていた。
クラウディオは白い床石に彫られた溝を目で追う。幾つも彫られた同心円、円と円の間に彫られた、魔術。
それは対岸が確認出来ないほど広大な、魔法陣だった。
よくよく見れば柱、球形の岩石にも細かく文字が彫られ、それは天井に繋がっていた。天井にも魔法陣が彫られている。
(なんだ、これは。初めて見る陣形だ)
魔法陣というものは平面上に構成される事が殆どだ。魔導具の発明により、様々な立体的物質に陣を刻まれることが増えたが、それは最近のことだった。
(いつの時代に、これ程の魔法陣が創られたんだ……)
密かに驚愕していると、教会騎士が前に出て声を張った。
「賊ども! 出てこい!!」
その声に、太い柱の陰から黒いキャソックを着た厳しい顔つきをした体格の良い男達が続々と出て来る。手には大斧やハンマーなどの破壊力が高い武器が握られている。
その後ろからシスター服を身につけた少女が現れ、最前へと進み出た。
「勇ましいことね」
「これ以上、一族を侮辱する事は許しません」
少女が手を挙げると、男達は迷わずに魔法陣へ武器を振り下ろした。高く耳障りな金属音が響き渡るが、魔法陣には傷一つつかない。
「ふふ、この魔法陣は少しでも魔力が残っていれば保護の魔法が発動するのはわかっているのでしょう?」
「なら効力が切れるまで攻撃し続けるのみです」
「それを見逃すと思っていて?」
フィリスの合図で教会騎士達が剣を抜き、賊へと向かっていく。だが、重量級の武器に騎士達は力で押し負ける。
「あれは君の仲間か?」
小声でセリムに問うと、小さく「ああ」と返事があった。
「あの魔法陣は?」
「あれは、聖女を生み出すものだ」
(なるほど、これがエーリズが必死に隠していたカラクリか)
賊と騎士の戦いを見ていたフィリスは髪を弄りながら、飽きたようにため息をついた。
「時間がかかるわね」
そしてふと、クラウディオを見る。
「そうだわ、貴方薬は持っていて? あれを暴れさせたら早いのではない?」
「は。しかし、魔力を制御していますし、難しいかと」
「首輪を外せばあれも魔法が使えるのよね。薬が切れて今みたいに大人しくなったら捕まえればいいのよ」
「フィリス様、それは……!」
「“さあ来なさい”」
クラウディオの首輪に命令の強制力が働き、足が勝手にフィリスの方へ向く。
前に立つと、フィリスは支配欲が満たされた歪んだ笑みでクラウディオに告げた。
「“請い願って、自分で外しなさいな”」
首輪を外すには体液がいる。涙でも血液でも。だがこの場合は。
(懲りない女……)
唾液を求めるようにその唇に指を伸ばし、顔を近づける。この女はまだクラウディオが正気でないと思っている。それだけの量の薬を飲ませたから自信があるのだろう。ならいっそ手っ取り早くていいかもしれない。
キスした瞬間、この女をくびり殺してやろう。そう思うと柔らかく微笑めた。
だがこの判断は間違いだったと、死ぬほど後悔することになる。
強制力に逆らわず口づけようとした瞬間、ガラン、と金属の落ちる音に気怠く視線を上げる。
「クラウディオさん……」
部屋の入り口では、黒いシスター服を身につけた娘が両手で口を押さえていた。小柄な背丈に麦わら色の髪、こぼれ落ちそうな程に見開かれた、ブラウンガーネットの瞳。
それはよく知る、可愛い可愛い婚約者。
「浮気してるっス……!!」
クラウディオの背中からどばっと冷や汗が噴き出した。
ソニア来ちゃった。