表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
街角聖女はじめました  作者: たろんぱす


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/20

ソニア走る


「……テノラス皇帝陛下の、隠密?」

「はい」


 音もなく部屋に入ってきた所業を鑑みれば、隠密というのは信じられるが、それが間違いなく皇帝の遣いだという確信が持てない。


(うーん。たとえば嘘でヤバい、となっても逃げきれなさそう……)


 ソファの背にゆっくり寄りかかり、両手を広げて見せる。相手は灯りが届くギリギリの端につま先だけを晒して、その身は闇に隠したままだ。


「伝言、とは?」

「そう警戒しないで下さい。危害を加えることは致しません」

「…………」


 無言でじっと見つめると、皇帝の隠密はため息を吐いて肩をすくめた。


「伝言を伝えます。んんっ“今し方クラウディオが毒に倒れ、エーリズに捕まったとの報告を受けた。どうか我が愛しの弟を助けてやって欲しい”だそうです」

「どっ……!? つかまっ、た?」


 隠密の皇帝に似過ぎた声真似に驚く間もなく、その内容は度肝を抜いて、理解の範疇を超えた。


「て、え? だ、大丈夫なんスか? いや大丈夫じゃないから助けに行けってこと? 行く、行くっス!」


 混乱したまま、腰を上げて拳を握る。


「クラウディオ様は国をお立ちになる前に、陛下に皇族籍から外れる為の書類をお願いしておいたようなのです。それは単独で無茶をして、結果責任を取る、という形で持っていくようだと陛下は判断なさいました。どうかそれを阻止して欲しい、とも」

「? えっと、よくわかんないけど、クラウディオさんが健康な皇族の状態で帰ってくればいいってことっスか?」

「その通りです。明日の昼、こちらの城前広場の大門外に馬車を用意しておきます。誰にも、侍女にもばれずに一人で来て乗り込んで下さい」


 城前広場とは何度か行った城庭のことだろう。城下町の人々が自由に出入り出来る門がある。

 

「侍女? ハンナのことっスか? どうして」

「彼女はクラウディオ殿下からソニア様をペキュラから出さないよう命を受けてますから、邪魔をしに来るでしょう」

「えっ!? そうなんスか!?」

「エーリズ王都までは馬車で六日程かかります。その間、飲食や宿の手配はこちらでしておきますので、どうぞ御身ひとつでいらして下さい。では明日昼に」


 言うべきことを言うと、皇帝の隠密はさっと闇に紛れて姿を消してしまった。

 ひとり残されたソニアは焦りから室内をウロウロと歩き周り、ソファに腰を下ろし、また立ち上がってウロついた。


「クラウディオさん……」


 ぎゅっと胸元を握る。

 大丈夫だろうか、どうして毒なんて? と、焦燥に駆られた頭が次々と疑問を吐き出してくる。


(明日出発して六日かかるって言ってた。それまで大丈夫って事だよね? ましてエーリズなんだし、聖女の治療を受けられるよね? ん……? 待って、六日? ペキュラってエーリズの隣だよね。なんで六日も……)


「あ。そうか」


 ソニアはペキュラの授業でついでに習った大陸の地図を頭の中で広げる。

 ペキュラとエーリズの間には魔獣の出る森があって、テノラスの国境近くまで迂回して周り込んで行かないといけないと言っていた。魔獣がエーリズ側で出ることはなかったので全然知らなかったのだが。


「そっか。六日……」


 かつてエーリズ王宮の先王の部屋近くはいつも人払いがされていた。メイドの出入りも制限され、うっすら埃が積もっている。明かりが灯されることのない廊下は薄暗いことが常だった。

 人も明かりも近寄らない、太陽から隔絶されたその場所は、静かでひんやりとして甘く饐えた臭いが鼻につく。最奥には生という鎖に縛られた年寄りが、澱んだ呼吸を繰り返していた。

 今思い出すだけでも鼓動が激しくうちつけ、不安と息苦しさを感じる。


 そんな場所に、毒に倒れた人を六日も置いておくの?

 彼はすぐ駆けつけてくれたのに。


 自分の持つものは少ないけど、空飛ぶ乗り物だって用意は出来ないけど、それでもじっとなんてしていられない。今すぐに出来ることをしよう。


「走ろう」


 直線で行けば急いで二〜三日くらいの距離のはずだ。

 ソニアは紫色のペンダントに魔力を通す。真っ直ぐに指し示す光線を見つめて心は決まった。


「最速で行くっスからね、クラウディオさん」


 そうと決まったら早い方がいい。クローゼットを開けて斜めがけのポーチに持ってきたお小遣いを全部詰めて身につける。


「あ、ハンナに見つかったら駄目なんだっけ。そーっと、そーっと」


 静かにテーブルに戻り、その上にある埃除けの布巾を取ると、下にはパンの盛られた籠が置いてあった。寝落ちするまで食べていたものだ。

 それから部屋にありつつも、ハンナがしてくれていたので自分で開けなかった冷蔵箱を開けてみる。


「やった、オレンジ水ある」


 輪切りのオレンジが漬けられた大きめのボトルを見つけて取り出す。蓋もスクリュータイプで漏れにくいのでコレに決めた。

 次にオヤツのある棚に行き、常備してくれているクッキーを缶ごと持ち出す。

 パン籠とオレンジ水の瓶とクッキー缶、ついでにぎゅっと締まったバターロールを、纏めて大判の布で包み肩に担ぎあげた。


「書き置き……書くものないなぁ。バレちゃいけないし、いっか?」


 ソニアは鍵を使い、部屋を出た。

 庭から真っ直ぐに門を抜けて、一度ペンダントで方角を確認する。体の中で魔力を巡らせて、ソニアは走り出した。




***




 朝になり、ソニアの部屋を訪れたハンナは動きを止めた。


「ソニア様?」


 人の気配の無いことを不審に思い、部屋を検分する。ソファで休むソニアにかけたブランケットは無造作に床に落ちている。ベッドは乱れておらず、争った形跡もない。


「食べ物に、飲み物も無い」


 ソニアは孤児経験があるせいか、食べ物の確保は結構シビアだ。“食べない”はダイエットだと思っている貴族と違い、“食べない”は死を連想する。なので常備食を切らさないようにはしていたのだが、それらが無くなっている。


(外出された?)


 様子のおかしさに一度自室へと戻る。緊急時のみ使用するように、とクラウディオから渡されたソニアのペンダント(発信機)の受信機を起動した。平たく削った水晶の画面には十字にラインが入り、その交差を中心に大中小の同心円が描かれている。その小円の少し外側に、小さな点が一つ明滅している。画面下方には発信機の方角と距離が文字で表示された。


「なっ……どうしてこんなに所に!?」


 再び攫われたのかと思ったが、部屋から食べ物が無くなっているので、これは多分本人の意思だ。


(まさかエーリズへ行くつもり? そんな、油断してしまったわ)


 昨日無事に依頼であった大魔導士の息子の治療を終えたし、エーリズでも婚約発表パーティは昨晩だった。一山越えて気が緩んだのかもしれない。


(でもなぜ急にエーリズに? そんな素振りはなかったのに。いえ、それより馬で追いつけるかしら。ああ、どうしましょう)


 既にクロワーズ城とエーリズ国境の三分の一程の距離まで進んでいて、このまま直進すると魔獣の森へ一直線だ。魔獣の森は道が無いので、馬で入るのは難しい。このまま森へ入られたら追いつけない。

 ハンナは受信機を抱えて部屋を飛び出した。

 ハンナは隠密の中でも潜入と情報操作を生業とした工作員で、早駆けや伝令は専門外だ。


(クラウディオ様、まさかこんな先まで予測してこの男を付けた、なんて言いませんよね?)


 そんな自分の能力を把握しているハンナが嫌々向かった先はランドリック邸である。

 前庭を突っ切り、ドアノッカーをキツツキのごとく連打すると、頭がボサボサで隈の浮いた男がよろよろと顔を出した。


「うるせー……誰だ」

「ランドリック様、私です」


 明らかに徹夜明けのランドリックは一度目を擦ってから「ああ」と言った。


「クラウディオんとこの。あー、ハンナ殿だったな。何の用だ?」

「ソニア様が居なくなりました」

「へー……えっ!?」

「エーリズへ向かったようです」

「なんだって!?」


 半眼の瞳がばっちり開きハンナを見る。ハンナは人差し指と親指で丸を作って横に構えた手を目線まで持ち上げた。


「ランドリック様が持つ乗り物で今すぐ使えて一番速い物を出して下さい。操縦者付きで」


 『出せなければ情報操作してスポンサーがいなくなるように仕向けて研究費を無くしますよ』と掲げた手を振り振りして脅してみれば、ランドリックは背筋をシャキッと伸ばした。


「だ、大丈夫だ、ある! 開発中の四輪魔導車がある! 整備するから四、いや三時間待ってくれ! 俺が運転するから――」


 ランドリックは喋っている途中で駆け出し、叫びながら邸の奥に駆け込んで行った。


(その間に食料の準備でもしましょうか。イーデンと連絡が取れるといいんだけど。それと大魔導士様にも手紙を出して……でもその前に)


 ハンナはくるりと振り返って、門横の生垣へ魔法で出した水の矢を放った。


「どわっ!?」

「そこで何をしているんですか? ティンバー保安官様」


 生垣から飛び出したティンバーは鼻の頭までズリ下がった眼鏡を直して咳払いした。


「んんっ、監視対象が行方を眩ませたのです。関係者の見張りは当然かと」

「まだ疑ってたのですか?」

「こちらも職務ですから。ねぇ、ハンナ様、でしたか? ソニア様はどちらへ向かったかご存知ですか?」


 お互いにこりと微笑んで牽制する。眼力がバチバチに火花を散らしながら、ティンバーが笑を深める。


「見張りの報告ですと真夜中に荷物を抱えて走り出てきたそうですよ。やましいところがぐえっ」


 言葉の途中でハンナがその襟を掴み上げて引き寄せる。


「見たのですか? いつ? 何処で? どんなご様子でした? お怪我などはありませんでしたか?」

「うぐ、ぐるし……ちょ、手を、手、を……」

「教えて下さい。すみません、寝ないでもらえますか? ちょっと」


 顔色が青くなっていくティンバーをハンナはガクガク揺すった。




「待たせたな!」


 約束のちょうど三時間後、ランドリック邸の前庭に新しい乗り物が姿を現した。

 四輪魔導式自走車、略して四輪魔導車。前後に長い箱馬車のような見た目で、御者席は箱の中に搭載。三輪よりスピードが出せるように安定感のある四輪にした自信作だ。

 ということをゴーグルと繋ぎを着たランドリックが嬉々と説明してから、やっとハンナの隣に立つ人物に気がついた。


「あれ? あんたは確か出入国管理の」

「ティンバーです。覚えて頂けていて光栄です」


 ランドリックがハンナを見て首を傾げる。ハンナは務めて無表情に答えた。


「付いてくるそうです」

「はあー?」

「監視対象が単独逃走したのです。要注意者のあなた方も監視されることをお忘れなく。上手くいけば黒幕とソニア様が接触するところを押さえられますから」

「ふーん。まぁ、俺は構わないけどな」


 それからハンナは少々がっかりした気持ちで乗り物を見た。


「それで……滞空艇は用意出来なかったのですか?」

「あれは前回のテスト飛行の後、改良するのに動力を解体しててすぐに出せないんだ。しかも飛行には関係各所に許可取りしないといけないんだが、それはクラウディオじゃないと許可が降りないだろう?」

「それもそうでした」


 許可証を偽造できなくもないが、時間がかかりそうだ。


「なんだよ、なんだよ。四輪ちゃんだってそう悪くはないんだぞ。市街地走行を想定して造ったから、そこまで爆発的に速くは無いが、それでも馬の駈歩よりは速いぞ」

「休憩無しで行けば追いつけるかしら?」

「補給とオーバーヒートを避けるのに長時間の連続使用は難しいが……ソニア殿は今どの辺りだ?」


 ランドリックに訊ねられてハンナは荷物から受信機を出して画面を見せる。


「えっと真っ直ぐ西に……西に!? え、遠っ! このまま進んだら森に突っ込むぞ!? 四輪ちゃんでは行けない」

「ですよね。森に入る前に捕まえたかったんですが、無理そうですね……」


 朝見た時よりさらに進んでいるソニアにハンナは遠い目をする。速すぎる。こんなに足が速いなんて知らなかった。


「何で移動してるんだ?」

「それが駆け足らしいんです……」

「“らしい”?」

「うちの者が見張っておりましたので」


 ティンバーが眼鏡を押し上げながら言うと、ランドリックは不可解そうに腕を組んだ。


「なんで追いかけなかった?」

「くっ……追いつけなかったんですよ! 走るのが速くて。飛ぶ為の魔導具も用意していなかったので」

「そんなにか……」


 ランドリックは頭をかいて、ハンナが持ったままの受信機を確認して、提案した。


「うーん、四輪魔導車で追っても追いつくかは一か八かだな。どうする? 正直整備されている道を使った方が速く進めるし、正規のルートで追いかけてエーリズ国内で捕まえた方が確実じゃないか?」

「……そうですね。仕方ありません、そうしましょう」


 エーリズへの入国はもう避けられそうにない。捕まえて、御身を守ることだけ考えよう。


「まぁ、軽いともっと速く進めるんだがな」


 ランドリックとハンナは揃ってティンバーを見た。ティンバーは視線を右往左往させながら忙しなく眼鏡を押し上げる。


「け、軽量化の魔法なら使えます! 長距離飛ぶ魔術は得意でなくて、すみませんね!」

「絶対使えよ。オレもクラウディオの説教からの研究資金減額は御免だ。じゃあ荷物積んでくぞ。道中の整備道具と、燃料の魔石と、ハンナ殿の荷物は?」

「食料等を準備しました」


 足元に置いていたトランクを示す。


「よし、全部詰めてすぐ出発だ」


 御者席にランドリックが乗り込み、その隣にティンバー、後ろの席にハンナと荷物を乗せて出発した。

 少々狭いが乗り心地は悪くない。暫くはすることもないわ、とそう思ってハンナは窓の外に視線を向けた。

 今はお昼前の時間。魔導士が多いペキュラでは働いている人が多く、通りの人出は少ない。もう少ししたらお昼休憩で賑わうのだろう。

 徒歩や箒に乗って移動する人々が、少々珍しい四輪魔導車をチラリと見てくる。

 そんな中、一台の馬車とすれ違った。


「!?」


 通り過ぎていった馬車を振り返り、後ろの窓から、その何の変哲もない馬車を見送る。最近ペキュラで多い三輪魔導車タイプではなく、馬に引かせた普通の馬車。


「どうした?」

「……いえ、なんでもありません」


 一瞬だったが間違いない。ハンナは馬車を操縦していた御者の顔を反芻した。


(あれは、皇帝陛下の隠密……。何故ここに?)


 だが今はソニアを追うことが先決だ。ハンナは前を向いて座り直した。

 



***




「と、パン最後か〜」


 小走りしながら包みを抱えてパンを取り出す。口に咥えて再び肩に背負い直すと、走るスピードを上げた。

 夜中からずっと全力で走り続けているが、身体の中で魔力を回しているからか疲労はそれほどない。眠気も今は我慢出来るくらいだが、空腹だけはどうにもならなくて困る。

 籠いっぱいにあったパンはとうとう無くなり、オレンジ水も飲み切った。瓶に残ったオレンジのスライスを食べ切ったら持ち出した食糧はすっからかんだ。そろそろ何処かで補給をしたいが、移動してきた道程に町や村は見当たらなかった。

 急勾配などもなく、魔導士達に管理されている実りの多い広大な畑が広がる場所ばかりだった。冬なのに青々と広がる畑に、ペキュラの豊かさが見える。

 太陽の位置を見るに、そろそろ昼時だろう。


「夜までに町を見つないと」


 誰か人に聞ければいいのだが、綺麗に区画分けされた畑がどこまでもどこまでも続いている。畑を守る為か、白く細い結界の塔が点々と建っているので管理する人はいるはず。

 暫く畑の間に通る道を全速力で駆けていくと、遠くに何かが浮いているのが見えた。


「なんだろ」


 さらに近づくと、それが人だとわかった。箒に乗った人が上空から畑にシャワーのように水を降らせていた。


「おーい!」


 少し走るスピードを緩めて大きく手を振ると、気がついて箒の柄の先をこちらに向けて飛んできてくれた。

 滑らかなターンを繰り出し、ソニアの横について並走し始める。


「びっくりした。貴女何処から来たの?」


 赤みがかった暗い色のローブを羽織った女性だ。


「クロワーズからっス。食べ物がなくなっちゃって、この辺りに買える町か村なんかあるっスか?」

「一番近い町はここからあっちに真っ直ぐ。徒歩だと一時間くらいよ」


 丁度進行方向だ。一時間ならもう少しだから頑張ろう。


「助かった! ありがとっス!」


 ソニアは手を振りながら再びスピードを出した。


「まあ、貴女のスピードなら二十分もかからないかもね……」


 女性の呟きがソニアに届くことはなかった。




「あ、あれかな? やったー!」


 町は思っていたよりずっと近くにあった。一時間もかからなかったのだ。

 結界の塔が四方にあり、それを繋ぐように高い壁が町を囲んでいた。門で入町税を払って、簡単な質問に答える。


「観光か? 農業研究か? ん? もしかして聖女様ですか?」


 聖女の制服というのはこういう時便利だ。身分を証明してくれる。


「テノラスのだけど、聖女っス。クロワーズから来て、森に行きたいからその補給に寄ったっス」

「あ、もしかして『聖女がいると魔獣が出ない』って噂の検証ですか? クロワーズの魔導士は本当、聖女様に無茶苦茶な実験させますよね。お気をつけて、奥まで進むなら鉈とか持っていくといいですよ。藪や小枝が多いので。あと虫除けとか」

「なるほど、ありがとっス」


 そのまま出国するとは言えないので、濁して言うといい感じに勘違いしてくれた。アドバイスももらえたので買い揃えようと思う。

 それにしても、やっぱりイデオン一派は無茶苦茶なんじゃんとソニアはうんうん頷いた。


 門番に大まかなお店の場所を聞いて、まず鉈を買いに行く。刃物を買うのは初めてなので、お店の人のお勧めを聞き、持ち手が手に馴染んで、刃渡が長すぎないものを購入した。そのお店は背負い籠も置いていたので、それも購入。軽く拭いてもらって、抱えていた大判の布を内側に敷いたらピッタリだった。布と籠の間に一旦鉈を仕舞って、次はパン屋へ。


「あれ? 安い!」


 ふわっふわの、小麦を使った白いパンがテノラスの半額近い。


「街の外に畑がありましたでしょ? 農業研究所の畑なんだけど、品種改良とかで品質が安定しない作物を安く卸してくれるんですよ」


 いい町だ。遠慮なく山型のティンブレッドを五本買った。そのまま背負い籠に縦に差し込む。お店にお願いしたら空き瓶に水も入れてくれた。虫除けの匂い袋も買って準備はバッチリだ。

 食べ歩き用に、屋台で平型マフィンのサンドイッチも買う。ベーコンレタスの具が美味しい。

 足早に森側の門へ向かえば、近くでりんごを売っていたのでそれも幾つか買って籠に入れる。


「籠、便利……!」


 持ち金が尽きて、町を出た。森まで、整備された道は無いが、人が通って出来た土の道がある。ペンダントで方角を確認すると、早速左腕にティンブレッドを抱え、右手に鉈を携えて走り出した。


 森に入ってすぐに土の道と行きたい方向が分たれて、鉈の出番となった。なるべく開けた木の間を狙いながら、時折ザクザクと蔦や藪を払って進んでいく。見えない場所から蛇や虫が飛び出して来るのは怖いので、なるべく足元が隠れない場所を選んだ方がよさそうだ。

 一本目のパンがなくなり、二本目を取り出す。


「これめっちゃうま」


 がぶがぶと齧りながら進む。おかげで腹具合はいい感じだ。

 だが進むスピードががくんと落ちてしまった。


「やっぱり道を使った方が良かったかなぁ」


 森を奥へ進むにつれ、藪の密度が増して進み難くなった。それに地面が斜めになっていて、足への負担が大きい。日が傾き始めると森の中は真っ暗にる。動くのは危ないだろう。魔獣も出るとか、出ないとか。身を隠しながら夜間座って休める丁度いい場所はないかと、遠くに目を凝らすと、不意に足が滑った。


「しまっ……!」


 ふんわりと積もった落ち葉が斜面を緩やかに見せていたのだ。気がついた時にはゴロゴロと転がり落ちていった。





「はうっ!?」


 ソニアは顔をガバリと上げた。空は真っ暗で、夜明けの気配はない。

 どれくらい気絶をしていたんだろう。手を動かそうとして、冷えで固まっていることに気がついた。冷えた体をさすり、怪我の確認をする。幸い軽い打ち身くらいで、落ち葉がクッションになったみたいだ。それより、筋肉痛で全身が軋む。打ち身より痛いかも。


「はあーっ」


 寒い指先に息をかけてほぐしながら、辺りを見回す。そしてぎくりと視線を止めた。

 暗闇の中から黄色い双眸がこちらを見ていた。何度か瞬き目を慣らす。体は伏せているものの首を真っ直ぐ伸ばし、体毛は黒地に焦茶で縞模様が入った生き物だった。丸い耳と焦茶の縞で彩られた厳つい顔つき、太い四肢の先は柔らかそうだがその指に鋭い爪を隠しているのだろう。頭からお尻までがソニアより大きくい。全身がほんのりと淡く光っているのは、魔法だろうか。


(つまり、魔獣……!)


 初めての邂逅に息を潜める。目を逸らせば牙を剥かれそうで、逸らせない。落ちた場所はこの魔獣の住処だったのかもしれない。家に帰って知らない人が寝ていたら、そりゃ嫌だろう。怒られても仕方がないが、死にたくない。


(『聖女がいると魔獣が出ない』は嘘。結果はお知らせ出来なそうっスねぇ〜)


 緊張感に冷や汗が伝う。後は落ちてきた急斜面。横の藪を突っ切って走っても転んでしまうだろうし、そもそも背中を見せた時点で死ぬだろう。

 必死に活路を見出そうと頭をフル回転させていると、ふと魔獣がが瞬きをした。そして後ろ脚の腿の辺りを舐めて、再びソニアを見た。

 

(え? ん?)


 釣られるように後ろ脚へと視線を動かす。よくよく見ると、黒い毛はしっとりと濡れて艶があり、茶色の毛は赤黒く汚れている。


(怪我、してる?)


 魔獣はまた腿に顔を向けてスピスピと鼻を鳴らしてソニアを見る。


「な、治して欲しい、とか?」


 まさかね、と思ったが、魔獣がは長い尻尾を縦に一振りして、伸ばした前脚の上に顎を置き目を閉じた。


「マジか……」


 籠を下ろして恐る恐る近づく。傷口は綺麗な切り傷だが深い。血は止まらずにじわじわ流れ続けている。


(人間がつけた傷だとしたら、治したらマズい? でもこのままだとあたしの命がマズい)


 討伐に失敗して逃げ出した魔獣とかじゃありませんように、と願う。頭が良さそうだし、無作為に討伐されるようなことをする子には思えない。


「さ、触るっスよ」


 そう声をかけると、一旦目を開けてこちらを黙視して再び閉じた。

 ソニアはそっと手を伸ばして、怪我をした脚のつま先に手を置き、もう片方の手を傷の上にかざす。


(あ、クロワーズ城の怪我人と似てるかも)


 傷口の周りに他の魔力が入り込んでしまった治りにくい怪我だ。丁寧に魔力を取り除き、傷を塞ぐ。


「終わったっスよ」


 戻る時も背中を向けないようにして、そーっと籠まで後退りして戻ると、魔獣は立ち上がり、脚を試すように軽くジャンプした。そしてまた、じっとソニアを見た。

 ソニアはぎくりと身を固める。「助かったからもう用無しだ!」なんて無情があり得るのかも、と警戒したがそんな事はなく、魔獣は数歩進んでソニアを見た。


「ついてこい、的な?」


 ソニアの言葉に魔獣はしっぽを左右にブンブン振り、前に進み出した。ソニアは籠を背負い、慌てて追いかける。ソニアのスピードが上がると、魔獣はさらに速く歩いた。

 ソニアは籠からパンを出す。落ちた時に入り込んだのか、一緒に落ち葉がガサッと落ちた。パンの表面を手で払おうかと思ったが、手が汚い。諦めてそのままかぶりつく。空腹では走れない。

 進む速さは小走りくらい。先導する魔獣が藪や下生えを踏み潰して進んでくれるのでかなり歩きやすい。

 ペンダントの光線で方角を確認する。大きくズレてはいないので、速さ優先でひたすら後をついていく。


(空が明るくなってきた)


 空を見ながら進んでいたら、不意に足元が軽くなり、たたらを踏む。藪を抜けたのだ。森は暫く続くが、人が踏み分けて出来た道が近くにある。エーリズ側に抜けたのだ。

 顔を上げると魔獣は前方におらず、既に森の奥へと戻っていた。


「あ、ありがとっス」


 魔獣の背中に声をかけると、しっぽを一振りして、瞬く間に森の奥へと消えた。




誤字報告ありがとうございます(^人^)


今回ソニアが使っている斜めがけポーチは書籍版番外編、休日のお出掛けでチラッと出てきたあのポーチ。旅に連れまわされてすでにボロボロの予感。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
聖女がいると魔獣が出ないかどうかはわからないが、魔獣が聖女の存在を認識できるのは間違いないようだ
私覚えました。 この世界の聖女は炭水化物を燃料に魔法で加速して馬より速く走る。そしてカロリーがなくなると走れなくなる。(風評被害)
空腹で走れない…マイクラか
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ