囚われた皇弟様
「お待たせしました」
エーリズ王都南部に位置する宿屋の一室に、イーデンが音もなく滑り込んだ。手に持っていた頭大の木箱をテーブルに置く。
「本当にあったのか……」
ロハンは信じられない、と呟く。
「さすがご友人、といったところですよねぇ」
イーデンは肩をすくめて、隠密用のマントを外しクローゼットにしまう。代わりに荷物を取り出して、顔を洗ってメイクを始めたイーデンを横目に、ロハンは嫌そうに箱に視線を落とした。
ランドリックが呪われた原因の報告をハンナから受けたクラウディオは、こう言った。
『それであいつがピストンを回収されるのを黙って見送ったって? ありえない。駄々を捏ねて暴れて、莫大な金を積んででも絶対取り返すはず。……まだあるな。エーリズから貰い受けた“プレゼント”はそのひとつじゃないはずだ。テノラスにあるランドリックの工場、工房、屋敷、全部探せ」
その命令を受けて探索すると、城から一番近い工房からあっさりと見つかった。
ランドリックの弟子から提出されたそれを、エーリズへの手札のひとつとして預かっておいたのだが、思いがけない使い道が出来てしまった。
急遽隠密経由で取り寄せられ、イーデンが今し方取りに行ってきたのだ。
まつ毛を整え、綺麗な二重を作り、魔導具の目薬で目の色を変える。銀髪のウィッグを被り、髪をセットする。
「こんなものでしょうか」
リップを塗り唇のトーンを上げれば完成だ。
黒のハットとロングコートを羽織り、振り返る。
「おお、すごいな。遠目に見たらクラウディオ様とそっくりだ」
「一度会ったくらいの相手なら十分騙せるでしょう。それで、貴方はまだですか?」
「うっ……!」
ロハンは少し躊躇った後、思い切って箱の蓋を開けた。ピストンと呼ばれる、中に入っている価値のよくわからない金属の塊を、両手でしっかり掴んだ。普通の金属よりひんやり感じてぞっとしたが、先入観からかもしれない。
そのままゆっくり十を数えて手を離す。
「こ、これで呪われたのか?」
「私には判別しかねます。準備が出来たのなら行きましょう」
箱の蓋をしっかりと戻し、クローゼットに隠してから部屋を出た。
メモを見ながら、書かれた住所へと向かう。
「これは……思ったより、その、古い建物だな」
これまた前回訪問した教会と大差ないボロ具合のデリオン教会が姿を表す。サイズ的には一回り大きいが、その分余計に崩れそうな印象だ。
今回初めてデリオン教会を目にするロハンはオブラートに包んだ感想を述べた。
軋む扉を開けて中に入ると、ガランとした礼拝堂にひとりシスターがいた。祭壇の花や御供えを交換しているようだ。
イーデン達に気がつき振り返った。
「ようこそいらっしゃいませ。お祈りでしょうか?」
イーデンは帽子を取り、会釈してからシスターに近づいた。ロハンも後に続く。
「いえ、こちらで呪いを解いてくださると聞いたものですから」
「あ、ええ! 聞いていますわ。お待ち下さいね」
シスターはイーデンを改めて視認すると、にこりと笑って奥へ入っていった。
(情報伝達されてる。変装してきてよかった。クラウディオ様は特徴が多いから)
何気ない様子で乙女像まで歩を進め、見上げる。
(見られている気配)
横目でロハンに視線を送ると小さく頷かれた。気配の元を辿ろうかと集中するも、途中でシスターが戻ってくる。
「準備が出来ましたのでどうぞこちらへ」
シスターの後ろに続き奥へ進むと、簡素な応接間へと案内される。色褪せたソファを勧められ腰を下ろすと、部屋にもう一人シスターが入ってきた。
「失礼します」
年若いシスターだった。シスターベール下の髪は淡い金色で、カラメルのような赤茶色の瞳はくりっと大きい。小さな鼻、艶やかな唇と合わさって愛らしい顔立ちだ。
「初めまして、シスターアウロと申します」
挨拶されたので、二人で立ち上がる。
「お会いできて嬉しいです。僕はラウ、こちらは友人のリックです」
「リックだ。よろしく……頼む、ます」
握手を交わして改めて座ると、案内してくれたシスターがお茶を出してくれた。それぞれに口をつけてから、イーデンが話し出した。
「数日前、友人の呪いについて神父様に相談しましたら、此方の教会を紹介されました。幸い、友人も僕を探していたようで、早く落ち合う事ができたので、藁をも掴む気持ちで参りました」
「そうだったのですね。早めに来て下さって良かったです。実は数日後に大掃除がありまして。別の教会へお手伝いに行くので、しばらく留守にする予定なんです」
「お手伝い、ですか?」
「ええ、だってオンボロでしょう?」
シスター服を着ているが、冗談めいた口調で戯けて言えば普通の娘のようだ。
「冬になる前にみんなで協力して修繕してしまわないと」
「なるほど、仰るとおりです」
「あら、お客様は正直ですね」
軽く談笑を交わした後、「さて」とアウロは本題に入った。
「呪われているというのはリックさんの方ですね」
「お分かりになりますか?」
「ええ、両手が真っ黒ですもの。呪いの原因はわかっていますか?」
アウロはリックの前に膝をつき、まじまじとその両手を見つめる。
「とある方がお貴族様から頂いた物を下賜して下さったんですが、それではないかと疑っています。その“とある方”もまた呪いを受けていたそうなので」
「まあ。そのいけないお貴族様はどなたなのでしょう?」
「お名前はちょっと。……外交官のどなたかとだけ」
そうイーデンが対応すれば、アウロは聞き取れないほど小さな声で「親王派がいるとこね」と呟いた。
(親王派。外交官に多いのか。派閥の筆頭はアンクローディ侯爵家だな。呪いに王家が絡んでいる可能性もある、か?)
ロハンの手を一通り見ると、アウロは懐から魔法陣の書かれた紙をだしてテーブルに広げる。
イーデンはさっと目を走らせる。
(ペキュラの解呪士が使う魔法陣と似ている。ベースは一緒といったところか)
「どうぞ、陣の上に両手を置いて下さいますか」
「ああ」
もう一人のシスターがテーブルに透明の水晶皿を置き、燭台に刺さった蝋燭に火を灯した。
アウロはロハンの両手の上に、もう一枚魔法陣の書かれた紙を被せる。
「始めます」
一言いうと、上の魔法陣の紙を左手で押さえ、右手で下の魔法陣に魔力を流した。下の陣が淡く光るが、徐々にその色を黒く変え、上の陣に吸い込まれていく。
上の紙が真っ黒に染まるとその紙を引き剥がし、蝋燭で火を着けてから水晶皿に落とした。皿の中で残った紙がぐずぐずと崩れていく。
「終わりました。いかがでしょう?」
「ああ、大丈夫だ」
イーデンは心の中で「大根役者ロハン」と名づける。大丈夫だってなんだその台詞は、なんだその棒読みはと。
「手が動かしにくくなっていたそうですが、治ったみたいですね。シスター、感謝します」
「いいえ、困っていましたらいつでもお訪ね下さい」
アウロは下に引いていた魔法陣を畳んで懐に仕舞った。
「それにしても解呪の魔法が使えるなんて驚きました。この辺りで習えるのですか?」
「ああ、違います。これは父に習ったんです。父はペキュラにいた事がありますので」
「そうでしたか。すみません、立ち入った事をきいてしまいましたね。こちらは僅かばかりですが」
小さな皮袋を差し出すと、素直なシスターは目を輝かせて受け取った。
「ありがとうございます。修繕が捗りますわ」
「お帰りになったわよ」
「お見送りありがとうございます、エニ」
客人が帰った応接間で、アウロはウキウキで皮袋を開けた。
「まあ! 見てくださいエニ! 修繕して、ご飯も買えますよ」
「これは、すごい大金ね。やっぱり貴族だったのかしら」
二人とも服装は平民同等だったが、茶金髪の男の方はお茶を飲む姿勢がとても整っていたし、敬語に慣れてないようだった。
「そうかもしれませんね。沢山話していた方が従者って感じでしたもの。でも」
「従者の方が美人だったわね」
「そうなのです。やっぱりあれですかね。囲ったりとかしてるんですかね」
「不謹慎ですよ、シスターアウロ」
そう嗜めるも、エニもあの二人からただならぬ雰囲気を感じていた。銀髪の彼が甲斐甲斐しいというか、やたら気を回していたように思う。
「ごめんなさい。髪色が珍しいのも相まってついふざけてしまいました。そういえばテノラスの皇弟様のような髪色でしたね」
「ああ、アウロは入城を見にいったんだっけ。今日はとうとう王太子の婚約パーティーだね」
アウロは巾着の口を閉じて立ち上がった。
「ええ。私たちも大掃除を終わらせないとですね」
暗闇の中、クラウディオはふと目を開けた。
(パーティ会場であのまま意識が飛んだか。ここは何処だ)
何度か瞬きをすると暗闇に目が慣れてくる。見える範囲に窓はない。だが真っ暗ではない。光源を探して寝返りをうつと、首元に違和感を覚えて手を当てた。
(首輪……)
もしかして、と思い魔法を使おうとするも、いつものようには発動しなかった。
(魔力封じか。しかし腕輪や足輪タイプもあるのに首輪を選ぶとは趣味が悪い)
魔力封じの魔導具の殆どはペキュラ産だ。魔力が多すぎて暴走させてしまう子供用に腕輪や足輪が、犯罪者用は腕輪足輪に加えて首輪や手錠型が売られている。違いとして犯罪者用は外す時に装着者の体液が必要になる。
また、装着する相手の抑え込む魔力量によって弱から強までグレードがあるが、これは一番強いタイプの様だ。
(うーん、動かせる魔力は一割ってところか。王宮破壊は無理だな)
普段は魔力を広げて生き物の気配を探知しているのだが、その範囲も今は狭い。自分から五メートルくらいといったところか。
億劫に腕を動かして耳を触る。
(一、二、三……あれ、ピアスにイヤーカフも、全部着いたままだ)
試しにピアスの一つに魔力を通すと、雑音がした後にニコラの声がした。
「くっ……ザザッ、オ様っ! クラ、ディオ様、ご無事で、かっ!?」
「ニコラ」
「ああっ、クラウディ、様! よかっ……!」
音が切れ切れで聞き取りにくいが、通信機はつながった。
(わざと取らないで、盗聴してるのか? いや、エーリズ側にそこまでの魔導具への理解がないからスルーしてしまった? 技術力が違いすぎて読めない)
一応警戒してピアスを指で二度叩くと、ニコラがハッとする気配が伝わってきた。
「わたっ、側、ジャミングや盗聴は有りませ、が、音が悪……ね」
この場合クラウディオ側にジャミングがあるか、距離が離れているかだが、ジャミングがある割に通信の九割は聞こえてしまっている。
(つまり距離が離れすぎている……?)
「……ラウディ、様が居なく、て二日が経っていまっ……。聖女フィリスが、識不明のクラウディオ様を、付き……診て、ると、治療室に篭ら、ていて面会も許、てもらえません。今テノラスを通、て抗議しています。わた、の方でも今回の不審な件は今証拠を揃えてい……ころです。イーデンとロハン、戻る、で辛抱して下さい。本当にご無事……すよね?」
クラウディオはピアスを一回叩き、通信を切った。なにも言わずとも必要な情報を述べてくれて有り難い。
(二日経っているなら王宮から移動させられていても不思議じゃないな)
頭を起こすと強い目眩に襲われて、再びベッドに頭を戻す。吐き気が治まるのをまってから、今度はゆっくり慎重に頭を上げた。
シンプルなスラックスとシャツだが服は着ている。室内は今寝ているベッドと中央にテーブルセット、ドアが二つある。
灯りのもとはテーブルの上に置かれた燭台だった。ベッドから降りて蝋燭の匂いを嗅ぐ。ほんのり甘くて饐えた独特の臭いに眉を顰める。
(薬漬けにする気か)
テーブルには水差しも置いてあった。試しにコップに注ぎ舐める。
(臭いにやられてて味が分かり難いが、やはり甘い気がする)
コップを置き、ドアに近づく。一つは開かなかったが、もう一つはバスルームだった。だが蛇口はなく、外から湯を運び込むタイプだ。トイレも壺が置いてあるだけという旧時代的仕様だ。水がアレなのに排泄量が筒抜けなのはいただけないが、無いよりマシだろうとバスルームを出る。
テーブルに戻るとコップの中身をベッド下に捨てて、空のコップに魔法で水を注いだ。一気に飲み干す。
「ふう」
ひと息ついたところで人の気配を察知して、テーブルにコップを戻す。開かなかった方の扉をじっと見ていると、ノックもなく開けられた。
「あら、起きられたのね」
予想通り、入室してきたのはフィリスだった。
テーブルに置かれた使用済みのコップを見てにんまりと笑う。
「体調はいかが? 後でお食事も運ばせますわ」
「ここは? 体調は問題ないから部下の元に戻りたいのだが」
「……随分落ち着いているのね。飲み足りないのではなくて?」
フィリスはクラウディオの前に立つとその胸に指を突きつけて命令した。
「“座れ”」
「!?」
クラウディオの膝からがくりと力が抜けて、その場で正座する。立ちあがろうとすると首輪からビリッと電流が走り、再び力が抜けてしまう。
(首輪の装着者はこの女か)
犯罪者に着けられる魔力封じの輪には、逃亡や装着者へ反抗をすると、このようにペナルティが発動するものが殆どだ。
フィリスはクラウディオの髪を掴んで上を向かせ、その口元に水差しをあてがって中身を流し込んだ。勢いよく流れ出た水は口と言わず鼻にも侵入し、クラウディオは不様に咽せる。
「ゲホッ、がはっ、はっ」
「ふふふっ、本当魔導具って面白いわねぇ。さあ“飲みなさい”」
命令されると意思に反して甘い水が喉を通り落ちていく。体は言うことをきかず、息苦しいのに呼吸より飲み下す事を優先した。
「美味しいでしょう? コレはね、理性という檻から解放してくれるんですって。その願望を我慢せず、やりたい事をしたいように出来るのよ。一度使ったら止められないと人気なの」
「ゴクッゴクッ、ぐっ、げほげほっ、ガボッ」
フィリスは空になった水差しをテーブルへ戻すと、息を切らせたクラウディオの顎に指をかけて見下ろす。
「あらぁ。お人形の様に美しい顔が台無しね。とっても汚いわ」
その目は愉悦に染まり、頰は紅潮していた。隠された仄暗い欲望がチラつくのに気がつき、クラウディオはフィリスを見返す。
「貴女は王太子の婚約者のはずだが?」
「ええ。王妃の立場って魅力的よね。だから結婚はするんだけれど、王太子ってちょっと顔が地味じゃない? 怒りっぽいしすぐ命令するし、あんまり好みじゃないのよね。それに」
フィリスはクラウディオの頰を指先で辿る。そのゾッとする感触に手を叩き落としそうになるのをグッと我慢した。
「ソニアに貴方は勿体ない」
「……ソニア?」
「ソニアを何処に隠したの? “教えなさい”」
ここで、この流れでソニアの名が出るのか、と内心驚愕する。フィリスがソニアを意識しているからこそだろう。
エーリズがソニアを諦めずに再度探し始めたことは、思っていた以上に重要な事らしい。ペキュラへは周囲に公表せず行かせた、自分の警戒心の高さを評価したい。
はく、と勝手に開けた己の口を意思の力で閉じると、再び電流が放たれる。だがこれだけは言えない。
(そうか、僕は……)
「ぼ、僕は、囮、か?」
痺れる体でつっかえながらもそう言うと、フィリスはクラウディオの体を蹴り倒し、胸を踏みつけた。艶かしい脚を晒しながら、頰に手を当てうっとりと微笑んだ。
「そうよ。そして私のおもちゃ。陛下が好きにしていいと仰って下さったの」
目の前がチカチカする。先程大量に飲まされた水のせいか、痺れた体が震えだす。
(この女の首をへし折りたい)
なけなしの理性を総動員して己を抑え込む。エーリズがソニアを欲する理由がまだわかっていないのだ。
『理性という檻から解放してくれる』
(そういうことか。成程、人によっては媚薬として作用する場合もあるということか。)
「うふふ、一体何を我慢しているのかしら?」
フィリスはわかっていると言わんばかりの態度でクラウディオに跨り、胸に手を添えた。その拒否感に、殺意を込めて睨みつけてしまう。
「ひっ……!? なによ、このっ!」
殺意の圧力を肌で感じたのか、フィリスは慌てて立ち上がりクラウディオの顔を蹴飛ばす。そしてそのまま部屋を出ていった。
「はあっ」
クラウディオは苛立つままのそりと起き上がり、手始めにテーブルを掴んで壁に叩きつけたのだった。
***
「反抗期が、終わりましたよ!!」
その知らせを受けたのは、午前の勉強を終えて、レレとシャルロッテと三人でランチをしている時だった。
急ぎ食べ終えて、伝えられた治療棟の個室に向かったソニア達を出迎えたのは、天使のような麗しい少年だった。
「ご、ごめんなさいお姉さん。会ったことある気がするんだけど、思い出せなくて……」
大きく赤い瞳を潤ませて、胸の前で両手を握りしめてプルプルと震えながら、こちらを見上げている。サイドの髪は長く、反抗期時は刈り上げられてた襟足は丸く整えられて女の子のように可愛い。
レレが差し出したお菓子をはにかみながら嬉しそうに受け取ってお礼を言う姿を前に、ソニアは呆然とした。
「いや、誰スか」
「ジュニアさんですわぁ」
「変わりすぎじゃ?」
「うふふ、コレくらいで驚いてたら駄目ですわ。十三〜四の頃なんて、急に髪を黒く染めて『闇の精霊に選ばれし者』なんて名乗ってたんですのよ。面白すぎて映像を記録してしまいましたわぁ。天使ジュニアさんも記録しておきましょう」
反抗期の他に、とんでもない拗らせ期があったらしい。シャルロッテがいそいそと記録の準備をしている。
「わたしはレレだよ。忘れてても大丈夫だから」
レレは記憶の混濁を起こしているシルベストに自己紹介していた。ソニアもレレの隣に移動して、シルベストに挨拶した。
「あたしはソニア。シル様、よろしくっス」
「よろしく、お願いします。ソニアお姉さん」
顔の両側についた赤いほっぺが、喋るとふくふく動く。
(かっっわぁ〜……)
思わず両手を伸ばしてその頭を撫でくる。
「わわっ」
「ちゃんと全部思い出して、元通りになるから。だから心配しなくて大丈夫っスよ」
ソニアがにかっと笑うと、不安そうなシルベストはふにゃりと笑み崩れた。
背後から「今の笑顔ナイスですわぁ」と聞こえたが、今はスルーしておこう。
その後イデオンが検査にやってきて、「魔術の解除が三日後になりそうです」と教えてくれた。詳しい内容は後でお知らせします、と言うので部屋で追い込みの勉強をする事にした。
***
『私は約束を守っているよ。偉いだろう』
怯え、不安、焦り、そして諦め。
そんな感情ばかり宿していた瞳だが、たった数回、片手で足りるくらいだけだが、とても穏やかだった時がある。
普段は嫌がる陽の光に眩しそうに目を細め、遠くの何処かへ言葉を紡ぐ。
『私は偉いだろう。君に褒めて貰えるのが楽しみなんだ』
こちらを見ていても、別の誰かと勘違いしているようで、それはとても愛おしそうに。
発狂することなく治療をうけて、子供のように穏やかに眠りにつく。
その日、その目は、一体誰を映していたんだろう。
***
「うわっ」
ソニアは目を開けて、開口一番に驚きの声を上げた。それもちょっと嫌そうな。
そのままちょっと固まって天井を見上げる。
(ジ、ジジィの夢見たー……。ババァの夢は時々あるけど、ジジィは初めてかも。うわ、うわー。なんか……)
「嫌なこと起きそう……なんてね」
ソニアはさっと起きて身支度を始めた。今日はとうとうシルベストの魔術を解除する日だから、ソニアも気合いを入れる。
ハンナが用意してくれた朝食をきっちり完食して治療棟へ向かった。今日はハンナも一緒に来て、部屋の外で待ってくれているそうだ。
「おはようございまーす」
個室がある治療棟の最上階へ行くと、解除の準備で多くの人が行き交っていた。シルベストの隣の個室はベッドや備品を全て移動させて、物の無くなった床に魔法陣が描かれている。
「ソニア様! おはようございます! 今日という日をいひ、ひひっ、たの、楽しみにしていましたぁっ! いひひひ!」
「う、うん。よろしくお願いするっス」
「こちらこそっ、よよよよろしくお願いします!」
興奮し過ぎて口が回っていないが、部屋の空いたスペースに魔導具をテキパキ配置しているので、魔術の方は大丈夫だろう。
解除の部屋を通り過ぎて、シルベストの部屋をノックすると、低い声で「どうぞ」と返事が来て入室した。
「やあ、おはようソニア殿」
「ソニアお姉さん、おはようございます」
「大魔導士様、シル様、おはようございまス」
シルベストが体を起こすベッドの横に、大魔導士が座っていた。城で面会した時と違い、心配そうな父親の顔をしている。その顔を見て、シルベストもちょっと不安そうだ。
「シル様、解除前に体調を診させて欲しいっス」
「はい、お願いします」
シルベストの手を取って魔力を細く流す。シルベストの体内の魔力は脚を起点にぐにゃりと歪み、渦巻き正しい流れを掴みにくい。
ソニアの治癒魔法は物質(肉体)の損傷に左右されない魔力の流れに沿って、自己再生能力を爆発的に増幅し、有るべき状態へ回復させるものだ。
(本人の魔力が歪んだ状態は初めてなんだよね)
シルベストの治療には何よりも速度がいる。迷っていて出血多量にするわけにはいかない。シルベストから手を離して顔を上げると、ふと大魔導士が視界に入った。
「あの、大魔導士様の魔力の流れを診せてもらうことは出来ますか?」
「ん? 構わないが」
「ありがとうございます。現在シル様の魔力が歪んだ状態にありますので、復元する時の参考にさせていただきます」
大魔導士の手を取り、その流れを脳裏に焼き付ける。
「親子だと似るものなのかい?」
「必ずしもではありませんが、似てる人も居ます。シル様の魔力が正常になる前に分解が始まってしまったときは、大魔導士様の魔力の流れを参考に創り出します」
「魔力の流れなんて事細かに覚えてられるものなのかね?」
「それは大丈夫です」
ソニアは大魔導士の手を離して、努めてにっこりと微笑んだ。
「最善を尽くします」
時間が近づくとレレとシャルロッテが来た。
「わたし達は、もしも要員。ソニアの魔力で足りなかったら力貸すよーっていう」
「まぁ、ソニアさんの魔力の前に私達の魔力なんて微々たるものですけれど」
「そんなことないっス。心強いっス」
それからローブを着た人が何人も部屋に入ってきて、イデオンから説明が始まった。どうやら下の魔法陣は万が一の暴走から周囲を守るための陣らしい。ソニアは当然中で、レレとシャルロッテも一緒に入ってくれるようだ。
「扉の間への鍵、他にも魔導具をお持ちでしたら、外してから入って下さい。万が一魔法陣に魔導具の影響が出ない為の措置です。術後お返しいたします」
「あ、はいっス」
鍵とペンダントを外して預ける。
他に数名、中に入る魔導士達と話して、開始の時間になった。大魔導士に抱かれたシルベストが入室する。
「皆、よろしく頼む」
「「「は!」」」
大魔導士は魔法陣の中央に置かれたベッドにシルベストを横にし、陣の外へ出た。イデオンや助手も外へ出る。残った人達は、元々シルベストの下に付いて同じ研究をしていた人達だそうだ。
「ソニア様、今日はよろしくお願いします。流れとしては、脚の包帯にかけた魔法を解除、停滞魔法の解除、重力魔法と反転換ベクトルの切り離しと解除となります。ソニア様は切り離しのタイミングで治療に入ってください」
「はいっス!」
「では始めましょう」
寝転がったシルベストの脚側に魔導士達が集まったので、ソニア、レレとシャルロッテは頭側に集まった。ソニアはシルベストの手をしっかりと握る。
「大丈夫っスからね」
「ソニアは凄いから、安心して」
「すぐに良くなりますわ」
「う、うん!」
緊張気味のシルベストも聖女達に囲まれて少し表情が緩む。こんなに小さいのに泣き出さないだけで素晴らしい。
シルベストの相手を二人に任せて、ソニアは魔導士達を注視する。
皆が見守る中、魔術が刻まれた鋏で脚の包帯がジャキジャキと切り開かれていく。両脚分除去すると、シルベストが「ふわっ!?」と驚きの声を出した。すると、ソニアの握っていた手にも違和感が走る。
(! 小さくなった!?)
少し小さくなって止まったようだが、確実に時間はない。魔導士達はシルベストの脚の下に魔法陣を敷き、詠唱を始めた。
詠唱は言霊に魔力を乗せて魔法陣に更なる効果を乗せる為に唱えるのだとか。ソニアは授業で習ったが、実際聞くのは初めてだ。簡単な魔法は本人の魔力コントロールで事象を起こせるから使うことはない。
(もう少しで停滞の魔術が解除される。そうすれば急成長が始まる)
時間に作用する魔術が無くなれば逆成長の現象は解消されるはずなのだ。
皆が固唾を呑む中、シルベストの脚から紫の靄のようなものが立ち登り、消えた。
するとソニアの握る小さくなった手が、今度は軋みながら大きくなった。
「痛い! 痛い痛い!!」
「!?」
シルベストが叫びと共にソニアの手を強く握り返す。ざっと全身を確認したソニアは反射的に治癒魔法を使った。
「ソニア様!? 早過ぎます! 治癒魔法が反転換ベクトルの影響を受けてしまう!」
「わかってるっスけどっ! 足がっ」
「は!? あ、重力魔法と反転換ベクトルの切り離し、急げっ!!」
(まず痛覚の遮断を……!)
急成長した上半身に問題無いが、つま先が変形し、指が欠けていた。だが、ソニアは流し込んだ治癒魔法が不思議な引力に引かれ、思ってもいない方向へと流れていくのを感じ、慌ててその威力を弱めた。足先が変色している。
(分解はギリギリ耐えてる! だが血の流れがおかしい! つま先に溜まっていっちゃう)
魔力で流したいが、渦巻いたシルベストの魔力毎、引っ張られてつま先に集まっていく。このままだと破裂という名の分解が起こる。
失血、の二文字が頭に浮かび冷や汗が背中から吹き出した。
(兵士を治療した時みたいに、シル様の魔力ごと巻き込んでコントロールするんだ!)
シルベストの魔力と自分の魔力だけを、正規の流れに戻すように流していく。
(早く、早く)
たった数秒がとんでもなく長く感じる。
魔導士達が数人係で切り離しの魔術を行っている。
(もう少しだ)
一番手前にいた魔導士が振り返りソニアと目が合う。
(来た!)
「切り離し、出来」
全部聞く前に、引力の負荷が無くなった手元にありったけの魔力を流した。強い魔力から迸った光が部屋中を満たす
(頭、肩、腕、胸、心臓。腹部、腰、やっぱ脚の魔力の流れがめちゃくちゃだ。このままじゃ歪に再生しちゃう。創るんだ、大魔導士の魔力の流れの通りに)
「うっわ、エグ」
「魔力量が桁違い過ぎますわ」
流し込んだ魔力の流れがスムーズになった事を確認して、ソニアは魔力を止める。そのまま頽れて四つん這いになった。
「っは、あー、はぁっはぁっ、ど、どう、スか?」
光が引いた部屋の中では魔導士達があんぐりと口を開けてソニアを凝視していた。力み過ぎて、解除に使った魔法陣が掌の中でぐしゃぐしゃになっている。大魔導士も瞠目してソニアを見た。
「確認はペキュラの筆頭聖女たるわたし、レレ・トアが責任もってさせてもらうよ」
レレは背筋を伸ばしてシルベスト前に立ち、その胸に手を当てて魔力を巡らせた。ソニアはなんとか立ちあがろうと頭を上げるも、そのままへたり込んでしまう。
「うん、脳みそがあって、心臓も動いてる。両脚も問題なさそうだ。今は治療の負荷で寝てるけど、完璧だよ。ソニア、いえい」
レレはソニアに向かってぐっと親指を立てて笑った。
「はは、いえーいっス」
怠くなった腕を上げてソニアも親指を立てて返す。シャルロッテが水の入ったコップをソニアへと差し出した。
「あ、ありがとっス」
「いいえ。他にして欲しいことはございますか?」
「そーっスね、パンでも食べたいっス」
「起きてられるなんてソニアタフー。でも逃げた方がいいんじゃない?」
「逃げる?」
レレが「ん、あれ」と指差す方に視線を向けると、両目から涙の洪水を起こしているイデオンがいた。何か小声でブツブツ呟きながら、ゾンビのようにフラフラとこっちに向かってくる。
「あの暴走する魔力の中での見事なコントロール信じられないほど膨大な魔力こんな素晴らしい聖女は初めてお目にかかったああ私はなんと素晴らしい瞬間に立ち会ってしまったんだろう感動だ感動と奇跡の嵐の中に私は今いる魔力測定の計器類は壊れてしまったがそんなことは瑣末なことだソニア様のこの魔力量間違いなく原初の子に認定されて良いはずいやそんなことになったらお近づきになれないかもしれないそれならそんなことは知らせず今のうちにもっと実験を」
「ひぇ……」
なんとか立とうとするもソニアの足に力が入らない。
「止めて欲しいっス〜! もしくハンナ呼んで欲しい〜!!」
「了承致しましたわ」
「先生はまかせてー」
レレがさっとイデオンの前に立ち塞がる。シャルロッテが素早く部屋の外に待機していたハンナを呼んでくれる。ハンナはソニアを背負うと、小走りでその場を後にするのだった。
部屋に戻ったソニアは食べながら寝落ちした。
「はあっ!?」
夜も更けて、真夜中にソニアは目覚めた。壁に掛けてある魔導燈の灯りは付いているが、光量は落としてあり薄暗い。
ソニアはソファでそのまま寝てしまったらしく、ブランケットが掛けてあった。テーブルにはハンナが取って来てくれたのであろう鍵とペンダントも置いてある。左手からは絶対離さないと握りしめたバターロールが無惨な姿で転がり出てきた。自分の食い意地が少々恥ずかしい。
布巾で手を拭き、洗面台に行って口をすすいで水を飲んだ。
「変な時間に目覚めちゃった」
とりあえず無惨なバターロールを平らげてしまおうか、と再びソファに座ろうとした時。
ふわ、とカーテンが動いた。
「ハンナ?」
暗闇に浮かび上がったシルエットが、ゆっくりこちらに近づいてくる。細い骨格だが、薄暗い魔導燈が作り出すそれは、男性の影だった。
「誰スか?」
男ははっきりと顔が照らされない位置で立ち止まると、丁寧に一礼した。
「ソニア様、初めておめにかかります。私はテノラス皇帝陛下の隠密です。伝言をお届けに参りました」
ーーカットシーンーー
イーデンとロハンは席を立ち、教会を後にした。宿へと戻る道すがら、小声で話す。
「次はどうする?」
「そうですね、アンクローディ家も気になりますが、先に総本山の方を調べましょう。今自由に動けるのは私たちだけみたいですから。それはそうと、貴方。演技下手すぎませんか? 曲がりなりにも貴族でしょう。腹芸の一つとして身につけているものではないのですか?」
「悪い。どうにも苦手で」
「全く。私のフォローに感謝し、っふぇっくしゅんっ!!」
「風邪か?」
「いえ、噂でもされたんですかね」
ロハンのフォローにより、シスター達からただならぬ仲だと勘違いされているなんて、知る由もない二人なのだった。
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ありがとうございました。




