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街角聖女はじめました  作者: たろんぱす


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16/20

化かし合い

いつもありがとうございます。

誤字報告も感謝です。

 エーリズ王国。大陸の西に位置する国で、北から西まで深い森に覆われ、東には海、と他国から侵略されにくい立地であった為、力無き小国であったがその歴史は三百年と長い。

 だが百五十年ほど前、テノラスの勢力拡大による侵略戦争の余波で、逃げてきた人々からの掠奪や暴力により、国家存続の危機に晒された事がある。

 その時、ひとりの少女が現れた。

 デリオン教の信徒で、莫大な魔力を持つ娘だった。彼女は様々な魔法を使いこなした。時には炎で戦い、時には水で清め、時には大地の恵みを配ったそうだ。

 だが、彼女にも出来ないことがあった。それは怪我や病気を治すこと。彼女はその憂いを毎日デリオン神に問うた。今日もまた貴方の元に何人も見送りました、何故自分はこんなにも力が足りないのでしょう、救えないのでしょう、と。

 そしてある日、神は応えた。

 彼女に治癒の力を授けたのだ。

 さらには彼女が祈る度に、聖女がひとり生まれたという。


(ソニアが言っていた“デリオン教”。聖女多産のルーツとも言える逸話があり、国教であるにも関わらず信者が驚くほど少ない)


 黄昏の長い影に紛れるように、クラウディオはデリオン教会の中に滑り込んだ。年季の入った扉は手で強く押さえると木屑が落ちる。

 ざらつく手を払い、目深に被った帽子を外して中を見渡す。天井は補修をしているようだが、壁は間に合っておらず、板の隙間から西陽が差し込んでいた。正面に据えられた祈る少女の像がオレンジに色付く。

 デリオン教は偶像崇拝が無い。神像が存在しないだけなら宗教としてそう珍しいことでも無いのだが、デリオン教はこの少女像があることで異色を放っていた。


(“共に祈れば願いが神に届く”ねぇ)


 信仰の対象であったり、神に関係する者でもない。ただ一緒に祈る為だけの像なのだ。


「こんばんは、お祈りですか?」


 帽子を胸にあて、少女像を見上げていると、右横にある扉から神父がひとり現れた。色褪せた黒いキャソックは飾り気がなく、袖は擦り切れている。落ち着いた声音でゆっくりと喋り笑顔は柔和だが、足音が小さく肩幅が広い。

 クラウディオも柔和に見える笑顔を浮かべて、神父に向き合った。


「すみません、観光で来たんです。エーリズの国教だと聞いていたので」

「それは、はは。見窄らしくて驚いたでしょう? 総本山はご覧になりましたか?」

「いえ」

「観光でしたらあちらがお勧めですよ。王都より北の領地にあるのですが」


 総本山の情報はクラウディオも掴んでいた。信仰しているわけでもないのに、高位貴族数名が毎年高額な寄付をしている。


「いえ、あの」


 言いにくそうに言葉を切って、視線を彷徨わせる。


「……何か悩み事でしょうか?」


 神父がそう口にするのを待って、躊躇ったフリをしてから、クラウディオは答えた。


「……実は、知人が呪いを受けまして。デリオン教会で解呪をしてくれるという噂を聞いて、訪ねて来ましたが……本当なんですか?」

「ああ、そういうことでしたか。ええ、教会がというわけではなく、解呪が出来るシスターが居るんです。お待ち下さい」


 神父はそう言って講壇の下から筆記用具を取り出してメモを書いた。


「こちらがそのシスターがいる教会の住所です。どうぞ、ご友人の方とお訪ね下さい」

「わざわざありがとうございます。一度国に帰り、参りたいと思います」


 メモを受け取り会釈をして帽子を被る。


「ええ、悩める時はいつでもおいで下さい」


 クラウディオが扉から出るまで、神父は見送っていた。


 教会から出たクラウディオは急ぎ足にならないような歩調で裏路地を歩く。途中、影のような男がクラウディオの斜め後ろについた。


「どうだった、イーデン」

「教会の奥に下から風が出るところがあったので、地下室か地下通路かは間違いなくありますね。ただそちらの部屋には数人が詰めている気配があり侵入は出来ませんでした」

「そうか」


 表通りに出たところで停車していた馬車に乗った。すぐに動き出す。

 クラウディオが帽子と黒のロングコートを脱ぐのを待って向かい側に座っていたニコラが声を掛けた。


「お疲れ様でした〜」

「頼んでおいた事は済んだ?」


 脱いだ物を預かり、ニコラは座席の下にしまった。代わりに黒銀の刺繍が入った詰め襟のジャケットを渡す。


「勿論です。クラウディオ殿下は途中で体調不良になり馬車内で休憩してます、の体で何箇所か寄付に周りましたのでアリバイバッチリです」


 詰め襟の前を半分閉じて、髪を若干乱す。おでこに軽く白粉を叩けば、顔色が悪く見えた。


 クラウディオ一行がエーリズ王宮に到着したのはパーティ一週間前である五日前のことだった。

 エーリズは外交国が少ない。陸地で行き来出来る国はテノラスかペキュラのみである。最近は海路を使い、森向こうの国と交流していると聞いていたので、今回のパーティにはそちらの国も参加しているだろうと予測していたのだが、蓋を開けてみれば国賓はクラウディオ一行のみだった。ペキュラからすら来ていない。


 前回は王宮の一角に宿泊したのだが、今回は大きな迎賓館を丸々貸し出されて、「人手が足りないだろう」とメイドやフットマンを大勢入れられた。

 国王の好意と言われれば要らないとは言えないし、最上級の扱いを無下にも出来ない。だがクラウディオ側からしたら大量の見張りを流し込まれた気分である。実際、全員とはいわないが、スパイが数名紛れ込んでいるのだろう。

 おかげで、行動は全て筒抜け。こうして偽装でもしないとちょっとの自由もなくなった。


 更には迎賓館でクラウディオに用意された一番いい部屋は、ワンフロアで一部屋の為、広すぎて防犯上よろしくない査定が隠密イーデンから出ている。


「こんなものか」


 出来栄えを確認して白粉をニコラに返す。

 ついでに先程もらった教会の住所が書かれたメモを渡した。


「これは?」

「デリオン教が解呪を出来るのではなく、ここに解呪が出来るシスターがいるらしい」

「わかりました、調べておきます。貧乏な教会みたいですからねぇ。ただの運営費稼ぎだといいんですけど」

「どうだかね。着くまで休む」

「はーい。今日の晩餐会はあっさりご飯だといいですね〜」


 目を閉じながらそれな、と思う。クラウディオはエーリズに到着した翌日から毎晩、歓迎会という名の晩餐会に呼ばれていた。王太子の前祝いと言われれば断り辛く、また食事が毎度脂っこい。

 出席者は毎晩ほぼ同じ。国王と王妃、不機嫌な王太子とその婚約者のフェリス。それから宮廷伯の中でも王の側近や御前会議のメンバー。

 日中は前回訪問時にキャンセルした相手先とのお茶会や昼食会に時間の大半を使っている為、正直ゆっくり食べる時間がない。


「……ソニアと食事がしたい」

「はいはい、ご褒美は仕事を終えてからですよー」


 独り言のつもりだったが、すかさずニコラに釘を刺されてしまった。


 今日で五度目の晩餐会。晩餐会中はクラウディオが上層部の相手をしている為、晩餐室に護衛が集中する。手薄になったその間に隠密が王宮内を探りまくった結果、隠し通路を加えた完璧な見取りに、重要な書類を納めた金庫の中やら宝物リストやらまでが判明している。


 残りは例の、潜入させていた部下が殺害された王族の私的なエリアの最深部だ。

 禁書庫は人がひとり通れるだけの狭い通路の先にあり、隠れる場所もないらしく、隠密達でさえ難航していた。だがここ数日は、晩餐会中に短時間ながらも潜入に成功していた。

 まだ詳細な情報は持ち帰れていないが、軽く書物に目を通した感じ、そこにあったのはデリオン教の資料や古い魔法陣。

 そして謎にある膨大な量の家系図。それは沢山枝分かれして全てを書き写すのが困難な程だそうだ。載っている人ひとりひとり精査している時間もないし、その家系図を残す意図くらいは、今晩掴んで欲しいものだが。


 迎賓館へ戻り、玄関ホールに控える使用人達に体調不良を印象付けてから部屋へと戻る。

 寝込んでると見せかけて細々した報告書に目を通して、全てを処分すると、エーリズ国王から見舞いという名目でフルーツ盛りの差し入れが来た。


「通信の魔導具が無い割に情報伝達早いですよね〜。あ、晩餐会の出欠を聞かれたので、出席ですが軽い物をってお願いしておきましたよ」

「ああ、助かる」


 正直胃疲労は本当だ。

 エーリズ側はこうして監視している事を隠しもしないどころか、差し入れなんて白々しい理由で「監視しているぞ」と圧をかけてくるのだから。


 軽くシャワーを浴びてから着替えたいのだが、エーリズの風呂は魔導具を使用していない為テノラス程手軽に準備出来ない。そしてそもそもシャワーが普及していない。仕方ないので魔法で身綺麗にし、用意されていた晩餐会用の衣装に袖を通す。


「正装足りるか?」


 国力を示す為にも同じ衣装を二度着てはいけない。面倒なことこの上ないが、舐められるのは論外だ。


「大丈夫です。ビンセントさんが滞在日数の倍、衣装を用意してくれていたので。どうしても困った時用に『同じに見えない! ビンセント流着回し術』なるメモ束が同梱されていました」

「ふ、熱心なことだね」


 頼りになる部下達が支えてくれているので、クラウディオも立派に囮の仕事をこなすか、と襟を正して部屋を出た。

 扉の外に待機していたロハンとニコラを伴い晩餐室へと向かう。

 晩餐室の前で執事が開けた扉をくぐると、いつもと様子が違っていた。

 いつもだったら貴族達が着席しており、クラウディオが入室後、王太子と婚約者、王と王妃という順で入室するのだが、今日は既に上位四名が着席していたのだ。


 白髪交じりの落ち着いた金髪と、同色のショートボックスに整えた髭、目元を細めると笑い皺が出来て柔和に見える顔がクラウディオを見た。

 続けて、隣に座る王妃も微笑んでこちらを見る。


「申し訳ありません、遅れてしまいましたでしょうか」

「いや、我々が早く着きすぎたようだ。フィリス嬢」

「はい、国王陛下」


 国王の呼びかけにわざわざ王太子の婚約者が立ち上がり、クラウディオの腕に手をかけて軽く引いた。

 ふんわりと巻かれたハニーブロンドと、少し垂れた青い目からは可愛らしさと清らかさが演出されていて、とても他人の悪事をでっち上げて城から追い出したようには見えない。


「本日のお席はあちらへどうぞ」


 そう示されたところはフィリスの隣りだ。

 いつもは上座に両陛下が座り、その長く伸びた両辺の座席、王妃側を順に王太子、婚約者が座り、王側の一番上にクラウディオが、その隣はクラウディオと会話したい者が日替わりで座っていたのだが。


(席の格を下げたな)


 クラウディオは何も言わずに左手を胸に当て、笑顔で礼のポーズだけとりフィリスの案内に従った。

 機嫌の悪い王太子の横にフィリスが座り、その隣にクラウディオは座った。


「申し訳ありません。わたくしがどうしても殿下とお話ししてみたいと我儘を申しましたの」

「そうでしたか。美しい方と食事が出来るなど、僕こそ願ってもないことです」


 フィリスの方を向くと、彼女越しに王太子が視界に入る。王妃譲りのキャラメルブラウンの髪、国王譲りの緑の瞳を持つ王太子だが、威厳に欠けるように思う。

 前からクラウディオに対してはあまりいい態度ではなかったが、今回の訪問に限ってはずっと不機嫌を隠しもしない。


「ご気分がよろしくないと伺ったのですがもう大丈夫なのでしょうか? わたくしをお呼びくださればよろしかったのに」


 フィリスがそう言い、顔色を診る為に顔を近づけてきた。その背後で王太子が睨んでいる。


(嫉妬か? それにしてもこの女、随分態度が変わったな)


『テノラス? 何故わたくしがそんなところへ行かねばならないの?』


 前回の訪問時、そう拒否してきた時とは別人のようだ。結果だけみれば、前テノラス皇帝は助かっているが、「治療を断られた」という事実を無かったことにする気はない。


 クラウディオは軽く微笑み、フィリスの鼻先に届きそうな距離に頭を下げた。


「ご心配ありがとうございます。ほら、もう顔色は悪くないでしょう?」


 間近で甘く微笑めばフィリスの頰が桃色にほんのりと色付く。ぼんやりとこちらを見つめるので、見つめ返すと、痺れを切らした王太子がフィリスの腕を掴んだ。


「おい」

「あっ、申し訳ございません。そ、そうでしたわ、今日はとっておきのワインがありますの。体調がよろしいのでしたらご一緒にいかがですか?」


 フィリスの合図で給仕が動き出し、其々のグラスにワインを注いで周る。


「我が侯爵領産のワインで、わたくしが大好きな物ですの。お父様がご用意して下さって、とっても美味しくてお勧めなんです。折角テノラスの皇弟様がいらしたのですもの」


 フィリスが掌を向かいの座席、王のすぐ隣りに向けると、そこに座る男が会釈してよこした。フィリスの父であるアンクローディ侯爵だ。クラウディオも笑顔を返す。

 

「僕の為にご用意いただき感謝します」


 ワインは王太子、フィリス、クラウディオと同じ瓶から順に注がれ、次の人にも続けて注がれた。

 王と王太子が口をつけたのを確認して、クラウディオもグラスの脚を持ちくるりと回して匂いを嗅ぎ、少量口に含む。


(赤ワイン。通常に比べてやや甘い。睡眠系の薬剤の甘さに似ている。爽やかな酸味に隠れて若干の饐えた酸味。後味はスモーキーさがある。これは麻薬系薬物からかな。うん。百パーセント混ぜ物してある。が、即死系の毒ではない)


 とうとう来たな、という感じだ。向こうが動き出したという事は禁書庫への侵入はバレたと思って間違いない。


「少し甘口過ぎましたか? わたくしの好みの味なのですが……子供っぽくて恥ずかしくなってきました」


 指先で頰を押さえて、恥ずかしそうな仕草をするフィリスに、クラウディオは優しく言った。


「いえ。恥ずかしながら、僕も甘口のワインの方が好きなのです。これはとても美味しいですね。後味のスモーキーさも癖になります」


 見せるように二口目を含む。


「その香りはお父様のこだわりなんですって。ふふ、わたくし達、気が合いますね」

「そのようです」


 和やかに晩餐会は進み、グラスが空くと、リクエストを訊かれずにすかさず同じワインが注がれた。その晩は三杯程飲み干した。




「クラウディオ様、吐き気などはありますか?」


 部屋に戻り、毒見を済ませた水差しから注いだ水を手渡されて、クラウディオは一気にあおった。


「大丈夫だ。それより隠密は無事か?」

「ええ。晩餐室に入室した時点で作戦中止の合図を出しましたので、ご心配なく」


 クラウディオは深くため息をついて、ソファに仰向けに転がる。

 その横でニコラが脈を図りながら、皮膚変色や発疹がないかチェックする。


「一回で命に関わる毒、というわけでは無さそうですね」

「ふらつかずに帰ってきた自分を褒めたいよ。たった三杯で酷い浮遊感だ。しかも全力で暴れたい」


 その言葉にニコラや控えていた他の侍従がギョッとする。


「そんなことしたらエーリズ王都なんて一瞬で消えますからやめて下さい」

「わかってるから我慢してるだろ。……王都を一瞬で消す、か」


 想像したら、それはとても素晴らしく気持ちがいいことのような気がした。陶酔しているとニコラが釘を刺す。


「……ダメですよ」

「王宮だけなら?」

「ダメです!」

「ははっ」


 笑って誤魔化すが、これはあんまりいい状態じゃない。そもそも薬物耐性が強いクラウディオが影響を受けている時点で、盛られた薬は相当に強い。しかもはっきりとなんの薬が盛られたのかわからないので解毒剤がない。


(他の奴らも普通に飲んでたから、専用の解毒剤はあるはずだ)


 侍従にワインを部屋でも飲みたいと申し出たが、数がないと断られてしまったので、成分分析もすぐには出来ない。


「ひとまずこちらを服用して下さい」


 ニコラが出したデトックスを促進する薬を飲み下し、クラウディオは目を閉じた。無理矢理にでも眠らないと、何かを破壊してしまいそうだ。




 翌朝は酷い頭痛だった。

 婚約パーティー前日で予定は詰めていなかったので、一日部屋で休むことにする。


「どなたか宮廷聖女を派遣してもらいましょうか?」

「……そうだな、試してみるか」


 ニコラに手配を頼むと、予想通り、お昼前に派遣されてきた聖女はフィリスだった。

 クラウディオはベッドから身を起こし、弱々しい笑顔でフィリスを出迎えた。


「筆頭聖女様自ら来てくださるとは、感謝します」

「いいえ、お祝いに来てくれた大事なお客様ですもの。わたくしが来るのは当然ですわ」


 ベッドサイドの椅子に座ると、クラウディオの手を両手で握り治癒魔法を使う。


『触るっスよ』


(そう、ソニアは必ず触れる許可を取るよね)


 こんなふうに当たり前に触れたりしなくて、気遣うようにそっと魔力を流し、繊細にコントロールした魔法で優しく治す。


(治癒魔法を使う人によって全然違うものなんだな)


 特に病気の度合いなど気にせず、ただ相手の身体に魔法をかけただけの治療。


「いかがですか?」


 治癒魔法を使い、そう問いかけるフィリスに、ソニアを思い浮かべた優しい顔で微笑みかける。


「良くなりました。ありがとうございます」

「当然のことをしたまでですわ。そうだ、回復されたのでしたら、ランチタイムをご一緒しませんか?」

 

 クラウディオは繋がれたままの掌を返し、軽く握り返す。フィリスがハッとして顔を赤くした。


「ええ喜んで。ご一緒させて下さい」


 クラウディオの部屋で一緒に食事をしながら、フィリスは上品に笑い雑談を交わす。時折、クラウディオに見惚れる。

 この女が何某かの仕事を頼まれているのは間違いない。だがどうにも簡単過ぎる。


 ランチに供されたワインは例の赤ワインだった。


「後から、所望していたと耳にしましたの。父にお願いして一本融通してもらいましたわ」


 嬉しいです、と答えながらも一杯に止める。

 もう飲まないのか? と不思議そうにするフィリスに「昼から飲み過ぎるのもね」と苦笑すれば、納得して引き下がった。そして、残ったワインは持ち帰るという。


「大好きなんですけど、沢山飲んでいるところを父に見つかると叱られてしまうのです。内緒にして下さいね?」


 よく出来た言い訳を用意したものだ。悪戯っ娘の可愛い様子を作り上げたフィリスに、クラウディオも合わせて、冗談のように「二人の秘密ですね」と返した。


 フィリスが退室すると、ニコラがすぐに昨晩の薬を用意してくれたので服用する。他の侍従がニコラの指示でワイングラスに残った数滴のワインを丁寧に回収して小瓶に収めた。


「分析出来そうか?」

「量的にはなんとも心許ないですが、やってみます。瓶を持ち帰るとはあちらも抜け目がないですね〜」

「だが再び僕に飲ませたな。依存性がある系で言いなりにさせたい、が狙いか?」

「十分あり得ますね〜」


 言いなりにさせたとして、その狙いが何なのか。

 昨日から宮廷内の警備が強化され、隠密達も身動きが制限されてしまい、これから探るのは難しい。


「明日のパーティーを終えたら翌日には帰りたかったんだが」


 今回を逃すと次に入り込む機会は、随分先になるだろう。

 

「そういえば例の家系図は何か進展あったか?」


 潜り込んだ隠密に、覚えている限り全ての家系図の書き出しを頼んでいたのだが、載っている人物方面から調べられないだろうか、ということだ。


「あ、それが……」

「あったんだな」

「やー、よくある名前ですし? 苗字はないし、どうかなーって感じなんですけど」

「誰の名前だ」

「……『ソニア』です」

「へぇ」


 部屋の温度が急激に下がり、クラウディオの手の中の水の入ったグラスがパキリと音を立てて凍りつく。

 ニコラを始めとした室内の人々がごくりと息をのんだ。


「帰るわけにはいかなくなっちゃったな」




***




 その夜、エーリズ王宮で一番大きなホールは豪華に飾られ、人々は歓談しながら主役の登場を待った。クラウディオもリブ柄の詰め襟にペリースを身につけ、配られたグラスを片手に主役の登場を待つ。


 暫くして、国王と王妃が登場し、軽い挨拶の後王太子とフィリスが笑顔で手を振りながら現れた。王太子が婚約についてのスピーチを行い、フィリスが王太子妃としての志を発表し、乾杯となった。


 祝いの場での杯はひと息に飲み干すのがマナーである。国王入場前に配られていたグラスを全員が掲げ、呷った。クラウディオも。


「ぐ……」


 だが胃に落ちた瞬間、カッと熱くなり塊となって喉元まで迫り上がってきた。持っていたグラスを近くにいた給仕のトレイへ乱暴に置き、よろめきながらバルコニーへ足を向ける。

 他国のパーティー会場で嘔吐したなどと、そんな失態で突かれる隙を与えたくない意地で外へ向かったが、頭がぐわんぐわんと大きく揺れ、庭に降りきると限界が来た。

 ペリースを毟り取り、そこに吐き出した。


「ぐ、はっ……げほっ」


 異変に気がついた人々が外へ出てきて遠巻きに見つめる。その人垣を割って出てきたのはフィリスだった。


「大丈夫ですか!?」


 真っ白く清純なドレスで地に膝をつきクラウディオ覗き込む様は正に聖女だろう。

 だが彼女はクラウディオの様子を見ると、小さく呟いた。


「五倍の濃度で意識があるなんて、化け物ね」


 愉快そうに顔を歪めて。


タイトル変換予測に仮名漢字様々な馬鹿試合ばっかり出てきて困りました……。


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― 新着の感想 ―
毒を盛られました 現在何もかも破壊したくなる衝動と戦っています 危険なので部屋に戻らせてください って主張した場合の反応を見てみたい衝動に駆られる展開ですね。 クッ、チカラガ……シズマレシズマレ……
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