出会い
一度は部屋に戻ったソニアだが、ランチを包んでもらい再び外出することにした。
「ちょっとのんびり散歩してくるっス」
「お気をつけていってらっしゃいませ」
最近ソニアがひとりで自由にすることがなかったことに気を利かせて、ハンナは留守番をしてくれるらしい。
行き先は最初に迷子対策として教わった城の庭。ポケットから鍵を取り出して、差した。初めて自分で使うのでドキドキしていたが、特に魔法的な手応えもなく、ドアノブを回すと扉の間に繋がっていた。
「おお」
ずらりと並ぶ扉は何度見ても圧巻だ。忘れずに鍵を回収してから扉を閉めると、目の前からスッと音もなく消えた。これで後戻りは出来ない。
いや、部屋番号順に扉を潜れば戻れるのだが、気分的にである。
「“二”」
番号を唱えると左手側から扉がスライドしてきてソニアの目の前で止まった。扉を開けて中と外の景色を見比べる。ハンナと一緒の時は我慢していたが、今日はひとりなので遠慮なく見回す。
結果違いはなく、なんとなくそこにドア付き木枠を置かれただけのような気がする。
潜ると、潜った扉は消えた。
「不思議ー。“三”」
先程と同じように左側から扉がスライドしてしたので、それを潜り、もう一度繰り返すとそこはもう外だった。緑の木々が並び、ひんやりとしたそよ風が抜ける。
扉を閉めると今度は消えなかった。ん? と扉を開け閉めするが、これは正真正銘の木枠と扉だ。開けた先にクロワーズ城が見える。
「いいかしら?」
「あ、はいっス」
ローブを来たお姉さんが、微笑みながら声をかけてきた。ドアの前から退くとお姉さんは扉に鍵をさして、中へと消えていった。
(なるほど、帰り用のドアか)
納得して真後ろを振り返ればそこには門があった。大きく開門されていて、そこから都市の人々だろうか、ローブを着ていない人達が自由に出入りして、散策したりランチをしていた。
もちろん、ローブを着た人も沢山いて休憩をしている。下生えは綺麗に切り揃えられ、花壇には色とりどりの花が植えられている。ベンチも沢山設置されていて、庭と聞いていたが、どうやら公園のように使われているようだ。
庭を楽しむ人達に、心が和む。
近くのベンチは全て使われているので、日当たりが良くて人の少ない場所を探してソニアは歩き出した。
「こっちの方が良さそうっスね」
低木が植えられた曲がりくねった散歩道を辿る。その先に誰も座ってないベンチがあったので、ソニアはそこへランチバッグを置いた。
座るためお尻をベンチに向けると、向かいの低木の陰から木の棒が四本、横向きに突き出ていた。
「なんだろ?」
棒といっても良く磨かれて艶々した黒檀で、飾り彫もしてある。そんな棒が等間隔で四本。
ソニアは覗き込むように首を伸ばし、ゆっくりと近づく。
「ん? 椅子?」
背凭れを上にして、低木の枝を折り埋まっているそれは椅子だった。倒れた椅子の脚が低木から突き出している。
倒れていると起こしてあげたくなる。ソニアは脚を掴んで引き上げてみることにした。だが予想以上に重い。
「くっ、なんで、高そうな、椅子が、ここに」
バキバキと更に枝を折りながらなんとか椅子を起こす。座面にも背もたれにも柄織された布が張られて、中には綿も入ってフカフカ、立派な肘置きまでついた、ゴージャスな椅子だった。
「ふう」
腰に手を当てて額を拭う。枝が引っかかったのか、布から何箇所か糸が出てしまっているが、まだまだ活躍出来そうな椅子である。
満足そうに椅子を見てから、バキバキに折れた低木に視線を移すと、子供がうつ伏せで埋まっていた。
「なんでっ!?」
まんま、椅子と同じポーズ(?)で。この体勢ということは椅子に座ったまま低木に倒れ込んだということだろうか。
「え? どうやって?」
椅子めっちゃ重かったよ? と軽く混乱していると、倒れ込んでいた子供が「おい」と声を上げた。
「気がついているなら早く助けろ」
「え、態度デカ」
面倒くさそうな気配がする。出来れば椅子を元の位置に戻して立ち去りたくなってきた。だが、子供を再びあの重い椅子の下敷きにするのは気が引けるので、このまま去ってしまおうか。
ソニアが逡巡してる間に不安になったのか、子供は再び声を出した。
「早く助けろ〜!」
涙声だった。
仕方がないので低木を踏み分けて、子供の上に跨る。その時に足が視界に入り、やっと気がついた。両足とも膝から下に何か魔術式を書いた包帯のような細長い紐がぐるぐるとつま先まで巻かれている。
(足が……?)
ソニアはそっと子供の脇に手を入れて持ち上げた。小さいと思ったのに、これまた意外と重い。腰を入れて持ち上げる。
「大丈夫っスか?」
「助けるのが遅い!」
「へーへー、すんませんねー」
そのまま運んで、ゴージャスな椅子の上に下ろした。半ズボンを穿いた男の子は十歳に満たないぐらいで、金髪に赤い瞳をしていた。きりりとした吊り目で綺麗な顔をしている。
「全くノロい。しかもお前、ブスだな」
「へーへー、そーっスねー」
しかし生意気である。
髪に刺さった枝や葉を取り除き、ハンカチがないので袖で汚れた顔を拭いてあげる。あまりにも生意気でちょっと力が入ってしまったかもしれない。
「いてっ、おい! やめろ」
「こら、じっとしろ。ん? 擦り傷が出来てるっスね。治す?」
「はあ? お前が?」
少年は不審そうにジロジロと見てから、ソニアの服装を見て「お前聖女か」と言った。
「そっスよ」
「だがペキュラの制服じゃないな。さては偽者か?」
「テノラスから来」
「テノラス!? お断りだ!」
テノラスと言った瞬間少年の目がカッと見開き、掌を突き出された。鼻の上に皺も刻まれて本当に嫌そうだ。拒まれているのに無理矢理治療をするわけにもいくまい。
擦り傷の程度はよく洗って清潔にしておけば跡も残らず治る軽いものだ。
それに良い家の坊ちゃんっぽいので、きっと家人が探しにきているはず。治療もすぐに受けられるだろう。
(ま、大丈夫か)
くるりと背を向けて立ち去ろうとするが。
『ぐおぉぉお〜〜』
凄まじい音で振り返った。
『ぐううぅ、ぐるぐるうぅ〜〜』
「まさか……腹の音?」
少年は真っ赤な顔でソニアを睨みつけた。
「こっち見んな。あっち行け」
「本当、素直じゃないっスねぇ」
ひとまずそう返して、ランチバッグを少年に渡した。
「うまいっスか?」
「…………」
シカトされているのか、口が忙しいからか、こちらを見ずにはぐはぐと次々サンドイッチにかぶりついている。キラキラした目でほっぺに食べかすつけて夢中で頬張る姿を見ると、まあ態度の悪さを許してやらんでもないという気分にさせられる。
ソニアの好みに合わせて野菜多めだったのだが、少年の口にもあって何よりだ。ハンナが用意してくれた四切れのサンドイッチは少年のお腹にペロリと収まった。
一緒に入っていた紅茶の水筒に口をつけてホッと一息ついている。
「満足したっスか?」
「ふん」
反抗的にそっぽ向きつつ表情は穏やかだ。少年の捻くれた態度に笑いが溢れる。
「これも食べるっスか?」
ソニアはポケットからハンカチに包んだ堅焼きのクッキーを取り出した。そう、今日はいつもの聖女服なので、ハンナが来る前に仕込んでおいたのだ。
三枚あるので、ソニアは一枚摘んで口に入れる。さっきまで食欲がなかったのだが、少年の食べっぷりを見ていたら元気が出てきた。ザクザクガリガリした食感が美味い。
「おい、なんでブスが食べているんだ。全部よこせ」
「くくっ、しょーがないから残りはチビッこにやるっス。沢山食べて大きくなりな」
「ふざけるな、誰がチビだ! シル様と呼べ」
「はいはい、シル様っスね。あたしはソニアだよ」
「ふん」
シルが食べたランチのゴミをランチバッグに片付けて、立ち上がる。
「迎えは来るんスか?」
「そんなものいらない」
「どうやって帰るんス?」
クッキーを口に詰め込んだシルが手についたカスを払うと、椅子がふわりと浮き上がった。
「じゃーな」
そしてそのままふわふわ飛んで去っていった。
「おお、チビッこでも見事な魔法使うんスねぇ〜、ペキュラは」
空飛ぶ椅子を見送って、ソニアも部屋へと帰った。
戻ってからはランチであったことをハンナに話し、その後はちゃんと自分で手紙を読んだ。知らない名前の人はどの立場の人かきくと、ハンナはとても詳しくて、丁寧に教えてくれた。
それからレレとシャルロッテからお茶会のお礼が来ていた。楽しかったから滞在中にまた会いましょうとあったので、返事を書いてみる。
普段文字を書かないので大分下手くそな出来だが、まあ悪くはないはず。人生初手紙だ、とハンナに伝えたら微妙な顔した後に「殿下にはお書きにならないので?」ときかれた。
悪くはなくても下手は下手なので、そちらは遠慮する。もう少し上手になるまで、レレとシャルロッテ宛で練習させてもらおう。
お昼を抜いたからか夕飯はきちんと食べられた。
(手紙、結構楽しいかも。シル様に会えたのも、大分気分転換になったな)
生意気なチビッこだが、なんだか憎めない。次庭に出る時は一応おやつを沢山持っていこうと思う。
寝る前に窓辺に立ち、空を見上げた。今日は月がない。ソニアはなんとなく、ペンダントに魔力を通した。
トップが淡く紫色に光り、細い光線を伸ばす。伸びた先はエーリズではなくテノラス帝都の方角だ。
(クラウディオさんは、まだテノラスに居るみたい)
この光の先にクラウディオがいる。
今は何をしているだろう。
いつもだったら部屋に戻り、それぞれの時間を過ごしている頃だ。それで時々、寝る前に自室のドアを静かに開ける。真っ暗な廊下には、まるで切り取るようにクラウディオの部屋の明かりが細く漏れ伸びている。
ああまた仕事してるんだ、寝てないんだと思って、「おやすみ」と囁いてからベッドに入る。
今日はどうだろう。家にいるかな、お城かな。
想像すると、それは嬉しいような切ないような。なんだか泣きたい気分に似ている。
(やー、まだ三日だって。あ、あ、あ、あいあい会いたいとかっ……早すぎる)
まだここに来た理由に接触すらしていないのに。
「明日は依頼をこなそう」
早く治療が終わって早く帰れれば、もしかしたら出発前のクラウディオに会えるかもしれない。
そうと決めたら眠ろう。
ソニアはベッドに潜り込む。少しの名残惜しさを感じて、ペンダントの光線をつけっぱなしにした。紫色の光の先を見つめながら寝落ちしていた。
「ハンナ、そろそろ依頼をもらった大魔導師様の息子さんの治療に行こうと思うんスけど」
朝の支度バッチリ。ちゃんとポケットに鍵とクッキーを常備して、朝食も終えた。やる気に溢れた朝である。
だがハンナは困ったように手を頰にあてて小首を傾げて言った。
「それが、ソニア様と面会希望の方が朝からドア前でお待ちしておりまして。許可していないとお伝えしたのですが、会えるまで待つの一点張りで」
「えっ!? 待ってるっスか? 今?」
「はい」
「知ってる人っスか?」
「クスフェ教授です」
「あ、あ〜」
知ってる人だし手紙も来てた。
「ちなみにっスけど、大魔導士様の息子さんから面会希望の返事は」
「ないですね」
一応大魔導士からはいつ訪ねてもいいと言われてはいるが、初対面でそれもね、と思っていた。突撃して会いに行ってしまおうか、イデオンの対応をしようか、悩んだソニアはドアを開けることにした。
「教授サン? おはよーござ」
「ああああぁぁ、ソニア様。いつまででも待つ所存でございましたぁ。お会い出来て嬉しく思います。いひひひ」
「あ、うん」
相変わらずのハイテンション。甲高い声で笑いを漏らし、土気色の顔にパッと笑顔が広がる。両手を胸の前で組み合わせ、目をウルウルさせていて、正直言って不気味である。
「あたしに用事っスか?」
「はい、実はとある筋からソニア様が小生の授業に興味を持って下さっていると小耳に挟みまして」
とある筋などと濁しているが、レレとシャルロッテ辺りだろうか。お茶会でそのような話をした。
「はいっス。聖女の研究ってどんなことか、だったりあと普段魔導士の使う魔法も全然知らないので、そゆとこ知りたいな〜って」
「それでですね、これから城に所属している魔法剣士や魔導士の治療棟へシャルロッテ様が治療に参りますのでご一緒にいかがかと思いましてお誘いにあがりました」
「そういうことなら、行かせてもらうっス。見るだけじゃなくてあたしが治療に加わっても?」
「いっ、いひひひひ! 勿論です! ありがとうございます! 是非ソニア様のデータも取らせていただきたいです!」
「…………データ?」
治療棟は城の敷地内にあるらしい。扉で行けるというのでイデオンの後をついて行く。ハンナは忙しいらしくて留守番しているそうだ。
「治療棟にいる人は多いんスか?」
「ええ。殆どは魔獣狩りで出た怪我人です。ソニア様は魔獣をご覧になったことはないでしょう?」
「? はい」
ソニアが魔獣を見たことがないことに確信がある言い方をされて、首をひねる。
「やはり。いえね、弟子のひとりが最近仮説を発表したのですよ。魔獣は聖女を害しない、ないし避けると。なんでも、魔獣狩りに聖女を同行させたところ、魔獣の発現率が著しく下がった事から始まった説のようなのです。魔獣の群れに聖女を投入して確認したくはありますが、さすがに大魔導士に怒られてしまいますからねぇ。とは言っても、ああやはり」
イデオンが三つ目の扉を潜りながら横目でソニアをチラリと見てくる。
「ソニア様ならいけますかね?」
「やめてほしいっス」
「いひひひ、冗談ですよ、冗談」
何をもって行けると判断したのか。二度言うところが冗談に聞こえない。
扉は治療棟の入り口前に出て、顔を上げる。城の見える大きさ的に、治療棟はすぐ隣に位置するようだ。建物はテノラス国立病院と同じで白を基調としていて、清潔感がある。
中に入るイデオンのうしろについて、受付に会釈しながら入った。一階の一番奥は大部屋になっていて、ずらりと並ぶベッドには怪我人が横たわっていた。
怪我人にさっと目を走らせる。命に関わる程ではないが、軽症ではない。
「ソニアさん! おはようございます」
患者の様子を見て回っていたシャルロッテがソニアに気が付き、早足で近づいてきた。足運びに合わせて大きなお胸がたゆんたゆん揺れ、患者が俄かに元気を取り戻しているので、ゆっくり歩いてきてもらいたい。流血しているのにそんなに力んだら死んでしまうのではないかとハラハラする。
「シャルロッテおはようっス」
「急なお誘いでごめんなさい。予定は大丈夫でしたか?」
「大丈夫っス。大魔導士様の息子さんからも返事貰えなかったんで」
「あー、あのお方の所は連絡してあれば、返事を待たずに訪問しても問題ないと思いますわ。まあ確かに居るかも分かりませんが」
苦笑して、本当に困ったように言う。シャルロッテは息子を軽んじて言っているわけではないようだ。
(あんまり部屋に帰らない人ってことかな?)
シャルロッテの背後から、さらに二人が戻ってきた。こちらはイデオンと揃いのローブを着ている。
「ソニア様、こちら二人は私の助手です。今日は一緒に回ることになります」
二人と握手を交わす。あれだ、駅でイデオンを引きずって扉に詰め込んだ人達だ。
「今回は狼型魔獣の群れの討伐で負傷した方々の治療になりますので、殆どの方が咬み傷や爪による切り傷です。最初は一緒に回って、途中から別れて治療ペースを上げて行く感じでよろしいかしら?」
「いっスよ! よろしくっス」
「先に私からいかせてください。気がついたことがあったら教えていただきたいわ」
シャルロッテは柔らかな笑顔を浮かべて患者に近づいた。
ソニアの背後からイデオンの助手が小声で患者の情報を告げる。
「二十五歳男性、魔法剣士。右脹脛を噛まれています。幸い食いちぎられなかったのですが、噛んだ時に魔獣が魔法を使ったようです。その影響か傷の治りが遅く化膿が酷い状態です」
ひとつ頷き、患者の脚を診る。
(食いちぎられていないと言っても、咬み傷は骨にまで達しているなぁ。これは酷い、激痛だな。本人が痛がってないということは、痛み止めの薬を入れているのか)
テノラスでも酷い怪我や術後の患者さんには痛み止めが使われていた。因みにエーリズでは医学のみならず薬学も発達していないので、民間療法の薬草茶ぐらいの痛み止めしかない。
シャルロッテが患部に手を当てて治癒魔法をかける。患者が違和感で声を漏らす傍ら、イデオンの助手が懐中時計で時間を測る。数十秒程度でシャルロッテは手を離した。
「治療は終了です。魔獣の魔力が少々体内に残っておりますので、全て排出されるまではゆっくりおやすみなさって下さい。どうぞお大事に」
「ありがとうございました」
そう言ってから、助手が書いている書類へ目を移した。
「少し長くかかってしまいました。やはり魔獣の付ける傷は厄介ですね」
「そのようですね。レレ様も魔獣の魔力の除去は難しいようです」
ソニアはさっと手を上げて発言のタイミングを待つ。すかさずイデオンがソニアに声を掛けた。
「ソニア様、どうなさいましたか?」
「魔獣の魔力とは何スか? 初めてきいたっス」
以前、魔獣で傷を負った民間人を治療したが、その時はなにも魔力の気配に気が付かなかった。
「魔獣も強い相手と戦う時は魔法を使います。それで負った傷には魔獣の魔力が体内に入り込むのですが、そうすると傷の治りが遅くなるのです。それでも通常一週間もすれば、自然と体外に排出されるのですが、より強い魔力が留まり続けると壊死することもあるので、軽視はできません」
「なるほどっス。ここにいる怪我人は皆大なり小なり魔獣の魔力が入り込んでるとみていいっスか?」
「ええ、その通りです。ま、まさか見ただけですぐわかったと……? ああ、流石ソニア様、小生の矮小な予測など軽々飛び越え……」
「その通り」と言われ、ソニアは助手の案内について次の患者の前に移動した。ソニアも相手を安心させるようににこりと微笑みを浮かべる。患者は「よろしくお願いします」と言いつつもシャルロッテをチラ見する。
(いや、わかる。治されるなら美人がいいよね。この国の人だし、信頼度もね高いよね)
「二十七歳男性、魔導士。背後から飛びかかられて、肩に深い咬み傷、骨折しています」
「了解っス」
横たわる患者に「触れるっス」と声を掛けて肩に手を置く。探るように少しだけ魔力を流し、全身チェックする。
(確かに大きい傷は肩だけ。けど、脚に擦り傷多いなあ。あ? 待って、これか。魔獣の魔力って)
肩の傷口周りに、まるで砂をぶちまけたように小さな異物が沢山入り込んでいる。治癒魔法を流すと粒々が阻害してきて傷の治りを遅くしてくる。
(なるほど、これは邪魔だなぁ。なんとか出来ないかなぁ)
少し強めに魔力を流しても魔獣の魔力には効果がない。だが、一粒ずつ丁寧に自分の魔力で包んでみるとどうだろう。
(お、動いた。よしよし、それなら全部包んで)
骨折の再生は特に治療中激痛を伴う。なので、相手の神経を自分の魔力で遮断して、多少痛覚を鈍らせて傷を治す。完全に痛みを遮断してしまうと、患者が身体にかかる負担を自覚できなくなり、軽視してしまうから良くないとソニアは教わった。
そして患者のチェック用に流している魔力を患者の中から引き揚げるのと一緒に、魔獣の魔力を包んだ魔力も自分の方へ移動させ回収してみる。
(あれ? 移動させたあとどうしたらいいんだ?)
あれあれ? と悩んでいる間に、スポンと自分の体に入ってしまった。
「あ」
「え?」
「どうされました?」
ソニアの「しまった」というニュアンスの「あ」に、助手とイデオンがさっと様子をみにくる。ソニアが治療中、目を凝らして見ていたシャルロッテだけは口元を手で覆い驚きを隠せない。
「ソ、ソニアさん体調は?」
「だ、大丈夫、元気っス。あの、治療は成功したので心配いらないっスよ!」
いきなり「あ」なんてやらかし声を上げたら、患者が不安になるだろうと男性に声をかけるが、かけられた方も驚いて肩を撫でていた。
「治療中、いつもほど痛くなかったです。違和感もないし……。ありがとうございます」
そう、丁寧に頭を下げてお礼を言ってくれて、ソニアもホッとする。
「良かったっス。お大事に」
「痛くなかった、のですか? 一体どうやって」
「治療時間だけをみたらシャルロッテ様の方が早かったですが……。一体何がおこっていたのです?」
ひとまず場を収めようと思ったが、シャルロッテとイデオンが両側からグイグイ迫ってきて、ソニアはジリジリ下がった。
「ちょ、待って。いや、あたしもちょっとよくわかんないっていうか、わかってないっていうか……。もう一回やってみてもいいっスか?」
その後何人か治療をさせてもらい、なんとなくわかってきた。
身体に入り込んだ魔獣の魔力は、自分の魔力で綺麗に包み込むと移動させることができる。そして自分の魔力で包んだまま身体に入れると。
「吸収出来る? ですか?」
「はいっス。多分」
ソニアは自身の掌を裏表と返しながらまじまじと診るが、そこに魔獣の魔力の残滓はない。
「違和感もないし、大丈夫と思うんスけど、魔石とか水晶とか魔力と相性のいい入れ物にだったら移せそうな気もするっス」
「ひ、ひひ……いひひひひひ! だっ、大発見だ! この新事実をすぐさま確認しなければ! 貴方達、魔力測定の準備をして下さい!」
震えるような笑い声の後に叫び出したイデオンを見て、全員が三歩引いた。呼びかけられた助手達もげんなりしている。
「なにしているんです? 一番精密な測定機ですよ! ソニア様、是非今からご協力を」
「や、ダメっスよ」
「何故っっっ!?」
ソニアはにっこり笑って答えた。
「治療が優先っス。まあ、測定の準備? が間に合って患者さんがいいと言ったらその時は好きにどうぞっス」
「ソニアさん、私にもご指導よろしくお願いしますわ」
「シャルロッテ、一緒に頑張るっスよ!」
風のスピードで駆け抜けるイデオンを助手二人が慌てて追いかけていった。
シャルロッテはちゃっかり助手からカルテを奪って、確認してから次の患者の治療を始める。ソニアは隣から様子を窺う。
「なるほどですわ。こう、相手の体内で自分の魔力を操作するのが難しいですね。ソニアさんはいつもこのような治療を?」
シャルロッテは難しいと言いつつ、何度か練習し使いこなし始めている。
「自分の魔力を相手の身体に通して状態を確認するのはいつもしてるっス。そう教わってきたんで」
「ペキュラでは状態の確認や検査は医療従事の方々が事前に行なってくださいます。限りある聖女の魔力の節約もあるのでしょう。ですがやってみて、これは必要な工程だと感じました。聖女の多い、エーリズならではの方法なのでしょうね」
シャルロッテが溜め息をついて立ち上がる。次の患者の前に、今度はソニアが座った。相手に魔力を流して様子を見て、治療する。
「しかしこの、痛みを遮断する方法は素晴らしいですわ。ソニアさんは師から教わったんですの?」
「はいっス」
「本当に凄い方です。何者なのでしょう」
「先代の、筆頭だったんス。エーリズの」
答えながらも、ソニアはクラウディオに言われた一言も思い出していた。
『教会が解呪をしてくれるなんて僕は聞いたことがない。誰が言っていたの?』
(ババァ、あんたは何者だったの?)
「では、これはご存知かしら? ペキュラではもう常識なのですけれど。ソニアさんは怪我された時に自分に治癒魔法をかけたことはあります?」
「そりゃ、もちろん」
「治らなかったでしょう?」
「はいっス」
そう、自分で自分の怪我は治せない。全聖女が知っている事実だ。
カルテをめくりながら次のベッドを指示するシャルロッテが悪戯っぽく笑った。
「別の効果があるんですのよ」
「えっ!? 初耳っス! どんな?」
「体力が回復するんだよ」
「わっ!?」
急な背後からの声にソニアは驚き飛び上がる。
「あらあ、レレ。巡回は終わったの?」
振り返れば、可愛いツインテールの美少女ならぬ、美女(?)が腰に手を当てて立っていた。
「うん。ロッテがソニアといるって聞いたから、楽しそうだと思って来たよ。それにしても懐かしい話をしてるね」
「懐かしい?」
ソニアが聞き返すと、レレは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「自分に治癒魔法をかけると体力が回復する。五年くらい前にクスフェ先生が論文発表したんだけどね。証明にわたし達聖女は、自分に魔法かけながら何十キロと走らされたんだよ。何日もね」
「わお」
「正直、聖女は戦線にでることも走ることも少ないですからね。こんな能力証明されなくても困らないから実験を止めてくださいませと毎日訴えましたわぁ。今となってはいい思い出ですが」
怪我をした時、風邪で辛い時、自分の中で治癒魔力を巡らせると楽になる気がしていつもしてた。だがそれは体力が回復していた故にだったようだ。
(言われてみれば、納得かも。全くの無駄ではなかったのか)
「ところで二人はなんか変わった治療をしてるみたいだね?」
「そうですわ、レレ! レレもやってみて下さいませ」
そうして三人で病室を巡る。レレはあっという間にコツをつかみ、次々と治していく。
「なんかこの吸収? するとお腹の減りがマシかも」
「不思議ですわね」
「なんで患者さん達みたく魔獣の魔力が邪魔にならないんスかね?」
「その辺の面倒くさい事はクスフェ先生が確かめるでしょ。わたし達は治療、治療」
三人で治療するとかなり早い。大部屋の患者達はあっという間に全員完治した。
「いえーい」
レレとハイタッチして、お互いの健闘を讃えていると、息を切らせたイデオンが戻ってきた。
「測定の準備が出来ました!」
「本日の治療は終了いたしましたわ」
うふっ、とシャルロッテが愛らしく微笑む前で、イデオンは泣き崩れたのだった。




