呪いの原因
「あの空飛ぶ船、滞空艇だっけ。あれでペキュラまで来た時は本当驚いた」
「あのお方が頭まで下げられたものね。新手の征服法かと本気で思いましたわぁ」
「そ、その節はお騒がせしまして……」
「それはいいの。そんなことより是非その手腕を伝授して欲しい」
「しゅ、手腕……?」
「馴れ初めも気になりますわぁ! 告白はどちらから?」
「こ、告白……?」
「やー、本当凄いよ。全身皇弟カラー着てさ。束縛しまくりじゃん」
「それを拒否しないソニアさんも、本当に想ってらっしゃいますのね。うふふふふ詳しく聴きたいですわ!」
「こ、皇弟カラー……? え、皇弟カラー?」
怒涛の女子圧に押されていたソニアだが、聞き捨てならない言葉にはたと動きを止めた。
ソニアは改めて今日のドレス風聖女服を見下ろす。色はいつも通り白だが、襟掛けはマントのように長く、スカートの布もボリュームがある。アクセントに縁や重ねに紫色が使われていて、刺繍はいつも通り紫のジュスティラと銀の葉が入れられている。
アクセサリーのペンダントはクラウディオがくれたあの紫色の石がトップの銀のペンダントだ。
「ほら、同じ制服でも部署毎に色が違ったりするじゃないっスか」
「え? 何、急に。まあそうだね担当がわかるように色分け、してるね」
ソニアの思考はハンナが用意したドレスや他の聖女服の細部を辿る。何色だった?
「テノラス国立病院に勤める聖女達は紫と翠色の刺繍で、あたしは色が違うから、てっきり紫と銀は野良カラーなのかと」
初めて刺繍の色が周りと違うと気がついた時、言われた気がする。
『ソニアの刺繍の色は僕の指示だ』と。
「ええと、ノラ? はよくわからないのですけれど、自分の髪や目の色の服やアクセサリーを大切な人に贈るのは愛情表現のひとつなんです。『この人は自分のものです』って意味があって。贈られた方は身につけることで了承したってことなのですけど……」
ペンダントの時はどうだった?
クラウディオの目の色とそっくりで、クラウディオによく似合いそうだから取り替えようと言ったんだ。そしたら凄く怒って。
「要はー『わたし達らぶらぶでーす』って周知する行為なわけだけどー」
ソニアは堪らずテーブルに突っ伏した。
どうしてクラウディオが怒っていたのかわからなかったけど、今その謎が解けた。解けてしまった。
「わー、首まで真っ赤ぁ。ソニア知らなかったの? 常識だよ?」
「エ、エーリズ人は殆どが髪は金か茶、目は茶か緑なんで。相手に一番似合う色を選んで贈るのが普通っスー。『あなたはどんな色でも似合う』って言って虹色を贈ることもあるくらいっス」
「あら、エーリズとはあまり交流がないので知りませんでしたわ。言われてみれば確かに、エーリズの方々は茶が多いですわね。髪や目の色は魔力の影響で色が決まると言われているけれど、その辺が関係しているのかしら」
つまりこの紫と銀はそういうことで間違いない、と? チラ、と横目でハンナを見ると、強く首肯された。嘘だと言って欲しかった。
「もう恥ずかしくて外歩けないっス〜」
「いーじゃん、見せびらかしたらさぁ」
「そうですわ。あのテノラス皇弟の寵愛ですもの」
ソニアは何度目かの「あの」と強調された言い回しが気になり頭を上げた。
「クラウディオさんてペキュラでは、なんか有名なんスか?」
帝都の街を一緒に歩いている時は、特に変装とかしなくても皇弟だと気付かれたことはない。それくらいの認知度だった。
「なんせ『原初の子』だからね。実力主義のペキュラでは超超有名。世が世ならテノラスの皇帝は彼になってただろうねー。試したことはないけど、下手するとうちの大魔導士より強いかも」
「しかも頭脳も大変よろしいでしょう? ジュニアさんが喧嘩を売って返り討ちにあったことを含めて、とっても有名ですわ」
「『原初の子』? ジュニア? 誰のことっス?」
恥ずかしいのを誤魔化すべくソニアは先程追加されたサンドイッチに手を伸ばした。最初に食べたベーコンとレタスの具とは違い、オムレツとチーズだ。
「あ、ダメダメ。わたし小難しい話は苦手だから、『原初の子』の詳しい説明はクスフェ先生からでもきいて。ざっくり言うならすんごい魔力強い人ってこと」
「ジュニアさんは大魔導士様のご子息ですわ。名前はグレゴリー・シルベスト・ストロバトス。ペキュラでも指折りの魔導士でクロニクル級の実力がありますの」
取り皿に分けながら、ソニアは「ああ」と言った。
「あたしが治療依頼受けてる人っスね。え、喧嘩したんスか? クラウディオさんと」
「昔ねー。ソニアが治療する時は是非見学させてよ。自分より魔法が強い聖女って初めてだから興味ある」
「あ、それは全然、患者さんがいいなら大丈夫っス」
事前にクラウディオから仲が悪いとは聞いていたが。気になる話題がさらっと流れていってしまった。喧嘩の原因は何だったのだろう。
「ジュニアがオッケーならかー」
と言ってレレは渋い顔をした。
「奴は今、反抗期だからなー」
シャルロッテも同意するようにうんうん頷く。
(やっぱ反抗期なんだー。成人の反抗期ってどんななんだろ)
チーズオムレツサンド超美味い。ソニアはもう一個皿に取った。
その後もたあいのない話を続け、聖女達のお茶会は夕方まで盛り上がったのだった。
「お腹いっぱーい」
部屋に戻るなりソニアはソファへダイブした。食べても食べてもお代わりがどんどん来るし、美味しいしで、ついつい食べすぎてしまった。
「ソニア様、夕餉はいかがいたしましょう?」
「すまんっスが飲み物だけあれば大丈夫っス〜」
ソニアがグダグダしている間に、ハンナは不在中に届いた手紙を纏める。
「あ、ヴィルジュ様から面会の手紙が来ていますね」
「えっ、呪い関係っスか? 急ぎなら今からでも行けるっスよ!」
慌てて飛び起きたソニアをハンナは手で制し、落ち着いた声音で答えた。
「いえ、これなら明日でも大丈夫です」
「え、ホントっスか?」
「ええ。命に関わるわけではありませんので」
ハンナの言うことを信じて、その晩はゆっくり過ごし、翌日朝食を終えてさっそくランドリックの元を訪ねることにした。
例のごとく扉を潜っていき城の外へと出た。見上げたクロワーズ城の外壁はダークグレイだが、光が当たっている部分は薄ら青みがあり不思議な色合いだ。
(ペキュラに来ての初外〜! 迷子になりそうで出歩けなかったから外が気持ちいい)
ひんやりと澄んだ空気で天気も良く、うんと伸びをする。城のどの辺りかはわからないが、ロータリーを囲むように整えられた花壇があるので、お客を迎える車溜まりかと予測する。
丁度前方から馬車がやってきた。一見、乗車部分が二輪タイプの騎乗御者で「珍しい〜」と思ったが。
「あ、あれ? 馬じゃない?」
「あれは三輪型魔導式自走車です。クロワーズで馬車というと最近はあのタイプが主流になりつつあります」
「へぇ〜」
前は一輪、後ろには二輪の車輪がついていて、まるで子供が乗る木馬のように御者が上に跨っている。その後ろには二輪のカブリオレが繋がれているが、御者が前に乗っているので普通の二輪馬車と違って、後部に荷物も積めそうだ。
魔導の名の通り、魔石をエネルギー源にしていて、それを御者が操っていた。スピードを落としソニアの目の前で止まる。
「遅くなって申し訳ありません。どうぞお乗り下さい」
「え?」
「ソニア様お先にどうぞ」
(あ、ランドリックさんはこの国でも貴族だから、城の外にちゃんと自宅があるのか)
勧められるまま座席に座り、隣にハンナが乗った。座席はふかふかで、走り始めると振動も殆どなく快適だ。
「魔導式自走車? だっけ。そんなのテノラスの帝都ではないっスよね。ランドリックさんが作りそうっスけどね〜」
「お察しの通り、この魔導式自走車はヴィルジュ様がペキュラと共同開発したものです。クラウディオ殿下がテノラスに持ち込もうとされましたが、安全性や魔石の安定供給のバランス、交通法整備等を理由に貴族達に反対されたのです。低エネルギーかつ安全な改良版を制作するとおっしゃってましたがね」
説明されて納得した。走り出すとそのスピードは馬車より速く、人に当たると危ないのは容易に想像出来るし、速い分エネルギー消費も多いのかもしれない。
雑談をしているうちに、鬱蒼と茂る森の中を通り抜けた先の、薄暗く不穏な場所に辿り着いた。建物に飾り気はなく無機質で、更には城の門を抜けた覚えもない。要するにランドリックの自宅ではない。
「ここ、っスか?」
「はい」
ハンナはなんてことないように言い、入り口に立っていた見張りにランドリックからの手紙を見せた。クロワーズ城勤めの人達はローブ姿ばかりだったが、ここの見張りは軍服のようにきっちりした服を着て、剣を佩いている。
「囚人に呼ばれました」
「!? しゅっ……!?」
「ああ、この件か。待ってくれ、担当の魔導士を呼ぶ」
こんな場所でなければさらっとランドリックを囚人呼ばわりしたことを盛大にツッコミたい。というかここは何処なのか。
しれっとしているハンナの横でオロオロソワソワしていると担当の魔導士とやらがやってきた。長い髪を無造作にひとつに括り、大きな丸眼鏡をかけた男性で、ペキュラ魔導士達の揃いのローブを羽織っている。
「お待たせしました。担当官のティンバーです。ご案内いたします」
厳重に鍵のかかった扉を二枚潜り、廊下を奥に進み再び鍵のかかった部屋に通された。
ティンバーは「用意をしてきます」と席を外したので、ソニアは遠慮なく周囲を見渡した。
殺風景な部屋には椅子数脚と大きいデスクがあるのみで、窓全てには鉄格子が嵌められている。
「ハ、ハンナさん? ここは一体…」
「収容所です」
「やっぱりいぃっ! ランドリックさん何したっスかぁっ!? てかハンナどうして教えてくれなかったんスかあっ!?」
「ソニア様がお疲れのようでしたので。それに寝床もご飯あり、今日でも命に関わる事ではないだろうと判断しました」
「そ、そっかぁ……」
それ昨日も言ってたっスねぇと頭を抱えると、後ろから監視官二人に囲まれたランドリックが疲れた様子で現れた。着替えがないのかシャツはよれて、無精髭が生えている。さらに魔力制御の手錠が付けられている上に呪いが再発して、見るからに草臥れている。
「ランドリックさん! 大丈……」
「ソニア殿……。俺は君が攫われた際、徹夜で滞空艇の整備を行い、寝食の時間を減らして駆けつけた。……君は、昨夜は良く眠れたようだな」
「すっ、すまんっスー! 次から手紙はきちんと自分で読むっス! こんなことになっているとは思わなくて、遅くなって本当に申し訳なかったっスーー!!」
「大手を振って滞空艇の長距離試験運転が出来るって喜んで協力していましたよね? ちょっと恩着せがましくありません?」
「ぅん?」
「あっ! よく見たらお前はクラウディオの隠もがっ……!」
ハンナは目にも止まらぬ速さでランドリックの口を塞ぎ、そのまま指先に力を入れて締め上げた。いつもの澄ました控えめ美人の表情はなく、街のチンピラのごとき段違い眉で射殺さんばかりの眼力を放っている。
監視官が止めに入る前に、ランドリックが「むがん、ふががぃあがっ」ともがいてハンナは手を離した。ランドリックの頰に指の跡がくっきり付いている。
「え、何? 何だったスか??」
急にソニアとランドリックの間に滑り込んだハンナに目を白黒し、ソニアは首を傾げたが、そのタイミングでティンバーが部屋に戻ってきた。
「皆さん仲良しだったんですねぇ」
部屋の外まで声が届いていたらしい。場所が場所だけに、ソニアは騒がしくして悪かったなと、伝えようとしたが、ティンバーが押してきたワゴンの荷物を見てぎくりと身を固めた。ハンナも目を眇める。ランドリックだけがぴょこりと頭を跳ね上げた。
「あっ、俺の荷物!」
「ランドリックさんの、っスか?」
ティンバーはワゴンをデスクの横に止めると、窓側の椅子に座った。
「皆様もどうぞお座り下さい」
対面の席を勧められて、ソニアはワゴンから一番遠い席に腰を下ろした。順にハンナ、ランドリックと座る。
ティンバーは手元に用意した書類を巡り、説明を始めた。
「今回はこちらの不審物を当国に持ち込んだ罪でヴィルジュ氏を捕縛させていただきました。しかしながら本人はその害悪性に気がついておらず、且つ被害を受けている。よって罪を軽減し罰金刑のみとします。釈放にあたり身元引受人と立会人ということでソニア様を召喚させていただきました」
「そういうことっスか」
それならランドリックはすぐ帰れるので呪いの治療が出来そうだ。
「ヴィルジュ氏は釈放ですが、この荷物の返却は出来ません。その事をご本人が納得していなくて、召喚したというのもあります。皆様揃ってからご説明を、と思ったのですが」
ティンバーは眼鏡を押し上げてソニアを見た。
「貴女に説明は要らなそうですね」
「荷物は、処分して欲しいっス」
「ソニア殿! そんな、勝手に決めないで欲しい! まだ心ゆくまで分析していないのに」
両手の指をわきわきと動かして、切実な顔をするランドリックの後ろにワゴンはある。ソニアはその荷物をチラリと見た。
正確にいうと、どんな荷物かは見えない。ソレはドス黒い何かが渦巻いて、炎のように揺れているように見えた。揺れる先端からは、小さな手が出てきては近くのものを掴もうとにぎにぎして、陽炎のように消えていくを繰り返している。
その手の無邪気さと闇の禍々しさが相まってなんとも悍ましい様相だ。
「隣の貴女はどうですか?」
「少し靄がかかったように見えますが」
ハンナの答えにティンバーはひとつ頷き、懐から名刺を出した。
「申し遅れましたが、私こういう者でして」
中央にいたハンナが受け取ったので、ソニアは頭を寄せて横から見る。
“出入国管理室 呪術専門保安官 エイベル・ティンバー”
「呪術専門……ってことは解呪もっスか?」
「ええ、勿論専門です。というか外国から違法に持ち込まれた呪物の管理や解呪がメインです」
ティンバーは胸に手を当ててにっこりと微笑む。ランドリックは何度言っても専門家に診てもらわなかったので、ソニアはほっとした。これで肩の荷が降りるぞと。
「え、これもしかして俺の呪いと関係があるのか?」
「あるっていうか……呪いの原因、多分コレっスよ。あの黒くてうにょうにょもじゃもじゃしたのが見えないんスか?」
「全く」
「魔力の視覚化は生まれつき資質のある者か魔力量の多い者にしか出来ませんからね。ヴィルジュ氏はあまり魔力が多くないので見えないのでしょう。かくいう私も黒い澱みのようにしか見えません。ソニア様には動いて見えるみたいですね」
「わさわさ〜にぎにぎ〜って感じで気持ち悪いっス」
指をバラバラと動かして伝えるがソニアの拙い説明では全く通じていないみたいだ。
「ランドリックさんはこんなもの、一体何処で拾ってきたんスか?」
「呪術専門保安官としても入手経路の調査をしたいのでご協力願えますか」
「うっ……! それは、その」
「え? いい歳して本当に拾ってきたんじゃないですよね? おもちゃが欲しい子供ですか」
ランドリックは言いにくそうに口篭ったが、ハンナの歯に衣着せぬもの言いにムッとして喋った。
「これはエーリズの外交官に貰ったんだ。君達の婚約発表パーティに来ていただろう」
「えっ」
「パーティより数日前に来て、色々視察をしていたみたいなんだが、うちの工場にも来ていてだな、その時に。近々エーリズでも魔導具開発を始めるからよろしく、と挨拶がてら貰ったんだ。いや、今までエーリズは魔導具の取り入れや開発に積極的じゃ無かったのに、急にこんな素晴らしい物を創り出すとは!」
突然出てきた母国の話に、ソニアは驚き黙った。隣のハンナは再びチンピラの表情をしているが、興が乗ってきたランドリックは気がついていない。
「この軽さ、丈夫さ、小ささ。どれを取っても素晴らしい! このピストン構造は今開発中の四輪型魔導式自走車に是非応用させていただきたい! 金属成分の分析はペキュラの工房に置いている魔導具が一番性能がいいから持ってきたんだ。ああ、見てくれ。この愛らしい円筒の」
夢中になったランドリックがつい呪物に手を伸ばすと、待ち侘びた小さな手が黒い靄から大量に飛び出しランドリックに絡みついた。
「ランドリックさん!」
ソニアは立ち上がって手を伸ばし、ランドリックの肩を掴んだ。
「どうした?」
「うっ……!」
こんなに絡みつく手にランドリックは気がついていないらしいが、その手がソニアにも伸びてきた。触れた場所から虫が這い上がってくるような嫌な感触がして、ソニアは反射的に治癒魔法を放った。治療する時とは違う、呪いを解く時に使う、あの力技の治癒魔法を。
「うわっ!?」
「何だ!?」
突然の閃光にランドリックとティンバーから声が上がる。ソニアは構わず魔力を注ぎ、黒く絡みつく手や靄がランドリックから消し飛ぶのを確認して、やっと魔法を収めた。
「ふう、気持ち悪かったっス〜」
うへぇ、と黒い手が当たった場所を手でさすって感触を飛ばす。
「あ、ランドリックさん、いきなり魔法を使って悪かったっス」
「あ、あぁ。いや、いつもの呪いを祓うやつだろう?ありが」
「あああっ!?」
叫び声の主ティンバーの方を向く。どうしたのかと彼の視線の先を追うと、ワゴンの上には赤銅色に光る円筒形の物体が置かれていた。先程まで黒いもじゃもじゃが鎮座していた場所だ。ということは。
「呪いがなくなってるっス?」
ソニアが放つ治癒魔法の光の余波で呪物の呪いが祓われた本来の姿なのだろう。気持ち悪い靄が消えて良かったとソニアは思ったが、ティンバーは鋭い視線でソニアを見た。
「ソニア様、貴女確かエーリズのご出身でしたよね?」
「? はいっス」
「こちらの呪物もエーリズからの贈り物であった、と。まさかエーリズ貴族の犯行の証拠隠滅に来たのではありませんよね」
「どういう……えっ? や、ちょ……待っ、ちっ、違う! 違うっス!」
理解するのに数秒かかり、わかった途端にソニアは血の気が引いた。
そもそも呪いから原因や実行犯を探る為に専門家に見せたらどうだと、過去提案したのはソニアなのだ。なのにその呪いを消してしまった。
ソニアは両手を突き出して首を横に振りながら後ずさる。
ティンバーがテーブルを避けソニアの方に周りこんでくると、ハンナがソニアの前に立った。
「確かにソニア様のご出身はエーリズですが、今はテノラス皇帝陛下の弟で在らせられるクラウディオ殿下の婚約者であり、大魔導士様の客人というお立場です。尋問なさりたいのなら、先に大魔導士様への許可を求めます」
ハンナの申し立てにティンバーは顔を顰めて、眼鏡を押し上げた。
「わかりました、ひとまず下がりましょう。ですがこの事は大魔導士様に必ず報告させて頂きますよ」
ハンナとティンバーが睨み合い、バチバチに火花が散る中で、ランドリックが呑気な声を上げた。
「なぁ、呪物の呪いが解けたってことは、このピストンは持って帰ってもいいってことか?」
「「そんなわけないでしょうが」」
苛立つ二人の声が被った。
その後、身元引受人のサインと罰金の支払い手続きを黙々と済ませて、素早く収容所を後にした。
待たせていた馬車に乗り込むと、ソニアは深く息をついた。そのまま頭が下がり膝にくっつく。
「マジやらかしたっス……。本当、すまんっスー……」
座席は二人乗りなので、ソニアとハンナは座り、ランドリックは足置きに立ち乗りである。ゆっくり走り出した座席は狭く危ないので、ランドリックはソニアの頭を膝で軽く小突き起き上がらせた。
「済んでしまったことでくよくよしても仕方がない。元気出せ」
「そうですソニア様。そもそもの原因はヴィルジュ様なのですから、お気になさらず」
「いや、それもっスけど。結局ランドリックさんに呪いをかけたヤツを裁けないってことじゃないっスか。あたしのせいで」
しょんぼり沈みそうなソニアの頭をランドリックが乱暴にかき混ぜた。
「うわっ!?」
「あれをくれた奴は覚えているから大丈夫だ。その線から探れないかクラウディオに相談してみるさ。それよりピストンの素材なんだったんだろう。そちらが気になって仕方がない」
「赤みがかかっているように見えました。呪物の素材ですから碌な物ではないでしょう。人の血液でも混ぜられてたりして」
「その場合再現は無理だな。いや、豚の血で代用出来るか?」
「おやめください」
軽妙に話す二人にソニアは肩の力を抜いた。自分ばかりへこんでいてもしょうがない。出来ることをしよう。
「ハンナ、もしティンバーさんがあたしの取り調べをしたいと言ったら応じるから、そのつもりでいて欲しいっス」
「わかりました。ですが場合によっては国際問題になりますから、大魔導士様は許可なさらないと思いますよ」
お喋りしている間に、お城のロータリーに到着した。ソニアとハンナが降りて、ランドリックはこのまま馬車で都内の自宅へ帰る為、座席に腰を下ろした。
「ソニア殿、今日は助かった。最初はまぁ、疲れていて恨み言を言ってしまって申し訳なかったが、感謝している。思えば呪いのせいで余計に体調が悪かったんだな。そんなわけで、何かあったら遠慮なく連絡してくれ。街の案内でも買い物でも、請け負うぞ」
「ありがとっス。あたしの方こそ遅くなって申し訳なかったっス。次はハンナに任せないでちゃんと自分で手紙読むっス」
ランドリックを乗せた三輪型魔導式自走車がロータリーを出ていくところを見送って、ソニアは盛大なため息をついた。
「あぁー疲れたっス……」
「お疲れ様でございます。ランチはどのパンをご用意いたしましょうね」
ソニアは清々しく晴れた空を見て再びため息をついた。朝はあんなに爽快だった気分が疲れ果てている。
「まだ昼か。もう夜の気分っス」
「あっ! よく見たらお前はクラウディオの隠もがっ……!」
ハンナは目にも止まらぬ速さでランドリックの口を塞ぎ、そのまま指先に力を入れて締め上げた。
(お前、他国のしかも収容所で隠密の正体バラすとか正気ですか。いや正気じゃないですね。正気じゃないなら、ちょっとヒビ入れてもいいですね?)
メシメシメシ……。(頭蓋骨内に響く無情な音)
「むがん、ふががぃあがっ」(すまん、言わないからっ)
(だから離しくれ、痛い痛い痛いだだだだ!)
「皆さん仲良しだったんですねぇ」
そんな一幕。




