クビになったその日に受けた出張依頼
よろしくお願いします。
その日、ソニアは王城から追い出された。
「お前の様な聖女はもう必要ない!即刻立ち去れ!」
「はあ?」
朝食のクロワッサンを頬張っているところだった。王城勤務の聖女寮の私室に騎士が3名やってきて、ソニアを引っ立てた。咄嗟にもう一つクロワッサンを鷲掴む。
「ちょ、もぐもぐ。どーいふことれすかっ!?」
「どうもこうもない。貴様が聖女フィリス様の手柄を横取りし、筆頭聖女に居座っているカラクリはもう暴かれている」
「へえ!?フィリス!?」
「慈悲深い陛下により、宮廷聖女解任だけで済んだ事を感謝しろ!」
騎士に両脇を持ち上げられ、足が浮いたまま連行される。そのまま城壁の外に放り出される。
「二度と王城に足を踏み入れる事は許さない」
ガシャーン!と目の前で王城の裏門が閉められた。
「マジか…」
ソニアが住むエーリズ王国は治癒魔法を使える女性の出生率が高い国だった。少しでも治癒魔法が使えれば“聖女”と呼ばれ、国が運営する治療院に保護される。
聖女は平民や孤児出身でも一目置かれ、きちんとした教育を施された。そうして治療院采配の元、国中の診療所へと配属される。特に優秀な者は宮廷聖女として、貴族や王族の治療を担当し、時に見染められて嫁入りする事もあった。
そんな宮廷聖女の今の筆頭はソニアであった。
幼い頃に治癒魔法の才能が開花したソニアは、教育を受け、孤児でありながら弱冠12歳で宮廷聖女に選ばれた。その治癒力は他の追随を許さず、前任のお婆ちゃん筆頭聖女の推薦を受けて、15歳の時に筆頭聖女に選ばれた。
それから3年。真面目に誠実にやってきたつもりだった。
最近では王族の誰かに嫁入りするのでは?なんて噂もあるくらい優秀だったのだが。
「フィリスかー。あいつ、やったな」
とりあえずソニアは食べかけの方のクロワッサンを齧った。筆頭聖女に施される食事は大層ウマイ。
サクッ、モチッである。バターが鼻からフワ〜、である。
フィリスは3人いる次席のひとりだった。トップの中でも貴族出身でとりわけ容姿がいい。ふわふわハニーブロンドと青い瞳。ナイスバディの持ち主だ。
対してソニアは案山子を思わせる藁色の直毛にチャーミングなそばかす。鼻は低めのまな板持ちである。
「筆頭なのに華がない」と散々言われた。貴族マナーもなかなか身に付かず、フィリスからは度々「筆頭を譲りなさい」と言われていた。
予想するに、実家の権力を使ってどうにかしたのだろう。
指についたパンカスをぺろりと舐めて、ソニアは自身を見下ろした。既に勤務服である宮廷聖女の制服に着替えていた。白いシスター服に似たデザインで、階級を表す腕章を付けている。本来なら帽子もあるのだが、そちらは朝食中につき被っていなかった。本当に着の身着のままである。
一度、城を見上げる。
そこに居るであろう患者をほっぽり出すのは申し訳ないし、残った聖女に頼むのも気が引ける。
「ジジィ…もう寿命の時が来たんだよ。成仏しろよ」
小さな声で呟いてからソニアは空いた手で腕章を外して裏門前に捨てて歩き出した。
「クビになっちまったし、しゃーないか。あー、なんか仕事はしないとご飯食べられないなー」
ソニアはもう一つのクロワッサンに齧り付いた。
「あーうまーい」
二度と食べられないだろうとゆっくり味わった。
ソニアはそのまま真っ直ぐにメインストリートへ向かった。王都は孤児院訪問や治療院巡回などで、時々重病者が出ていないか見回っていたので迷わず歩ける。
ストリート沿いの大きいオープンカフェの近くでは靴磨きが何人もスタンバイしている。
火遊びした後カフェで朝食を摂り、そのまま宮廷に出仕する男爵様や忙しい商人を相手に靴を磨くのだ。
カフェの要らない木箱を貰い、腰痛持ちの靴磨きから治療と交換で靴墨を分けてもらい、木箱に書いた。
『簡易治療所。一回1000ガル』
王都に住む平民の平均収入は25万ガル。
宮廷聖女の治療はどんなに安くても一回10万ガル、治療院でも聖女の治療は1万ガルからと思えば格安激安である。
ソニアは靴磨きの横に並び、木箱の横に立った。
「聖女さん、治療院には行かなくていいのかい?」
「やー、クビになっちゃったんスよ」
「へーそうなのかい。腰痛がスッと治っちまったんで、腕は悪くないと思うんだがなぁ」
「そうっしょ?へへ〜」
ソニアが鼻の下を人差し指で擦るのを見て、元腰痛持ちの靴磨きは「わかったぞ」と言った。
「さては言葉使いが悪いからだな。聖女さん達はみんなお綺麗な喋り方だもんなぁ」
「あ〜、はは、それはあるかもっス〜」
雑談していると、靴磨きの台に足がドン!と乗せられた。お客さんが来たので会話をやめた。
靴磨きのおっちゃんは「磨きますね」と声をかけて布を当てはじめる。仕立ての良いスーツを着たお客さんはタバコを吸いながらコホッと小さく咳をした。すかさずソニアは声をかける。
「喉の調子が悪いなら治療はいかがっスか?安いよ〜」
男はチラリと見てから鼻で笑った。
「はっ、フリーの聖女なんざたかが知れてる。大人しく物乞いと言え。まあいい。やってみろ」
「はーい。あざまーす」
ソニアが手をかざして魔法を使うと、一瞬ピカッと男の喉元が光った。男は目を丸くして首を触った。
「…へえ、悪くない。ほらよ」
「まいど〜」
男はチップを弾んで倍払ってくれた。
食事は屋台で一食500ガル、宿は一泊5000ガルくらいが相場だったはずだ。追々着替えや風呂代を考えると、1日で7〜8000ガルくらい稼いでおきたい。
目標の4分の1が一気に稼げてソニアはニヤニヤが止まらない。
その後子供が来て、遊んでいて捻ってしまった足首を治した。それを見ていた別の子供が、熱を出してふらついているお母さんを引っ張って来たので治し、見ていた人達が安いけど腕は悪く無いぞと、ちょこちょこお客さんとしてやってきてくれた。
ソニアは段々楽しくなって来た。いいじゃん街角。
お昼を回る頃には目標達成である。
「お嬢ちゃんは休憩するのかい?」
「するー。お腹空いたっス。おっちゃんは今日はお終い?」
「うんにゃ、次は夕方だ。仕事を終えた紳士がイイヒトのところへ向かうのを捕まえて磨くのよ」
「なるほどね〜。今日はありがと、助かったっス。夕方にはあたしが店終いだから、バイバイっス〜」
「おう、じゃあな〜」
靴磨きのおっちゃんと別れ、キョロキョロして屋台を探す。フラットブレッドサンドの店が目についたので、小走りに行ってパパッと購入して戻ってきた。
予算より少々高めの700ガルだった。ついでにドリンクも購入してしまったが、午後もしっかり働けば問題なし。大口を開けてかぶりつくとシャキシャキした新鮮な野菜の歯応えが嬉しい。畑のない王都で新鮮野菜は中々お高い。それを思えばむしろ700ガルはお得だ。
果実水も少し酸っぱいのが美味しい。
「ちょーうまーい。ソースも合う〜」
看板代わりの木箱に腰掛けて、ストリートを眺めながら青空の下で食べるランチは最高だった。
宮廷聖女になった12歳からずっと忙しかった。こんなにのんびりした時間は既に薄れて思い出せない。
「クビんなって良かったかも…」
ゆっくり咀嚼していると、目の前をやたら立派な四頭立ての馬車がガラガラと通って行く。艶があり美しい馬車なのに、何故か御者が騎士。護衛も居ない。
さらに後ろの荷台にはそぐわない木箱がぎっちり積まれていた。貴族の馬車だと荷物が多い場合はもう一台馬車を用意する人が大半の中、珍しいなぁとソニアは見送った。
完全に馬車が通りすぎ、その後ろをなんとなく見続けていたら、扉が勢いよく開いた。駐車場がない為、馬車は止まる事なく進んでいるが、そのスピードは幾分ゆっくりになっている。
そして開いた扉から男がひとり、飛び降りた。
「えっ!?」
近くの通行人もぎょっとしている。何が起きるんだろう、と見ていたら男はソニアを見て大股で近づいてきた。
「え゙ぇ…?」
眩い銀髪の男だった。白い房飾りが付いた黒銀色の詰襟は、着る人を選ぶ様なタイトなデザインだ。だが男は普段着のようにさらりと着こなしている。
間近に迫ると紫の瞳は驚く程に美しかった。
眼前に立つ男はチラリと木箱を見たので、ソニアは慌てて口の中を飲み込んで空にした。
「えと、お客さんスか?」
そう問うと、あろう事か男は片膝をつき、掌を胸に当てて挨拶した。
「クラウディオと申します。聖女様でお間違いないでしょうか?」
挨拶が丁寧過ぎてソニアはぎょっとした。
筆頭聖女といえど宮廷で、孤児出身のソニアに頭を下げる人はいない。明らかにどこぞかの高位貴族なのに宮廷筆頭聖女の顔を知らないというのも、微妙に警戒心を煽った。
「はあ、まあ、そうっス」
「出張は行ってますか?」
「患者が遠いところにいるってことスか?えっと、食事が出るならいっスよ」
「いえ、治していただきたいのは馬なのです」
「うま」
クラウディオは長い銀色のまつ毛を哀しげに伏せて言った。
「実は父が危篤との知らせが先ほど届きまして、急ぎ自宅へ帰るところなのですが、馬を替える時間も惜しく、最低限の休憩だけで、日中の殆どを走らせ続けたいのです。なので走行中、疲労した馬に回復魔法をかけて頂きたいのです」
ソニアはなるほど〜!と納得した。走り続ける馬は可哀想だが、父の死に目に会えるかどうかの瀬戸際なら形振り構っていられないというのも理解できる。
「いっスよ!食事付き、一回魔法使う毎に1000ガルで受けるっス!」
ソニアがニカッと笑うと、クラウディオの肩から力が抜けた。
「その条件でどうぞよろしく頼みます」
「クラウディオさんのお父さんは聖女に診せたっスか?」
聖女の力量にもよるが、診せても治らない時は寿命という場合もある。
クラウディオは哀しげに笑みを浮かべた。
「我が家は遠く。中級の聖女様に診て頂いた事はあるのですが、現状を維持するのが精一杯と言われました」
「じゃあお父さんの方も診るっス。間に合う様に急ぎましょう!」
ソニアは残ったパンを口に詰め込み、箱をカフェへ返すと、果実水の瓶を片手に歩き出した。
「ふぁっきの ばしゃ れすか?」
既に遠ざかった馬車を指差すと、クラウディオは呆然とした顔で頷いた。
そして眉を下げて微笑み、ソニアにお礼を告げた。
「ありがとうございます。聖女様」
「ソニアっス!孤児出なんでただのソニア!よろしくクラウディオさん」
2人が王都の門を潜り抜けると、路肩に先ほど見た馬車が停車していた。馬が繋がれたまま草を食んでいる。
「ロハン!済まなかった!」
「クラウディオ様!ご無事でよろしゅうございました!」
騎士は御者台から降り、クラウディオに駆け寄るとソニアに視線を移した。
「ロハン、一緒に来てくれる事になった聖女のソニア殿だ」
「ソニアっス!よろしく〜」
ひらひらと右手を振るソニアにロハンは笑顔を向けた。
「そうですか。よろしくお願いします」
その目は笑っておらず、信用されて無い事を感じたがソニアは別段気にならなかった。宮廷中で向けられる貴族からの嘲りの視線に比べれば屁でもない。
「じゃあ、あたしは御者台に一緒に座らせてもらうっス〜」
本来ひとり掛けの座席だが、ゆったりした幅で作られてるので、ひっついて2人で座る。ロハンは居心地悪そうに身じろぎした。
ロハンの鎧が当たりどころによって痛いので、ソニアも尻の位置を調整する。
「ソニア、よろしく頼む。ロハン!途中で御者を交代しよう」
「問題ありません。ゆっくりお休み下さい」
馬車が動き出す。街中で見るものより速く、馬は大分速足だ。王都を出てしまえば道は舗装されておらず、速い分よく揺れた。
しかし思ったより風が来ない。良い天気なので、時々吹くそよ風が気持ちいいくらいだ。その事をロハンに問うと何やら風避けの魔導具とやらを使っていると言った。
「この辺りだと魔導具は珍しいですね」
「へぇ〜」
貴族はやっぱり珍しい物を手に入れるのが早いなぁと思った。
1時間も行くと馬の足並みが乱れて来た。
「魔法かけていっスか?」
「え?あ、ああ」
ソニアは今までに馬に治癒魔法をかけたことがなかった為に、試しに一頭に魔法をかけてみる。するとその馬だけ元気になってしまい、余計動きが乱れてしまった。ストレスや不満から馬がいななく。
「おっと、どうどう」
ロハンが宥めるが、中々真っ直ぐ走らない。
(まとめて魔法をかけないとダメだ)
残り三頭にまとめて魔法をかけると、機嫌を直したのか再び速足で進み出した。
「人に使うのと感覚は変わんなさそーだね」
「お前…」
「ん?」
ぽそっと呟いたのは聞こえなかったのか、ロハンは驚愕の顔でソニアを見た。
「今三頭一気に魔法をかけたか?」
「あ、すまん!次はきちんと四頭まとめて魔法をかけるっス!あんなに機嫌が悪くなると思わなかったよー。今のはサービスってことにするんでクビにしないで欲しいっス〜」
こんな何にも無い道端に放り出されたら流石に泣く。そう思ってへこへこと頭を下げると、ロハンは詰まりながらも「ああ」と返事してくれた。
(ふぅ〜危ない危ない。1日に2回もクビになるのはごめんだよ〜)
それから大体1時間おきに一回治癒魔法をかける仕事が日が落ちるまで続いた。
途中、クラウディオから御者交代の申し出があったが、ロハンは断り馬車を走らせ続けた。
「いや、ソニア殿の魔法は凄いな!?」
「へぃ!?」
出会って数時間しか経っていないのに、すっかりロハンの目はキラキラしてしまっていた。
なんて事ない軽い治癒魔法なのに何故。
日が完全に落ち、野宿用の焚き火を囲み3人で食事にし始める。と言ってもご飯は梨だ。
馬車の荷台に積んである木箱には馬用の梨がたっぷり詰まっていた。途中宿を取れない可能性を考えて馬のご飯だけを取り敢えず積んできたらしい。
馬は梨を食べてから、足元の草を食べ出した。ずっと走り通しだったのだ。腹ペコだろう。
クラウディオは魔法が使えるらしく、バケツを馬車から出すと水で満たして馬達に差し出した。
人はお馬様のご相伴に与り梨を1人一個ずつ貰う。水分もたっぷりで甘くてウマイ良い梨だ。ついでに果実水の入っていた瓶に水を入れてもらってごくごく飲む。うむ、水もウマイ。
「ソニア、食事を用意すると言っていたのにこんな物ですまない。途中村があったら何か買うので、嫌にならないで欲しい」
「えー?別に大丈夫っス!こんなウマイ梨は初めて!」
にこにこ笑いながら皮ごと梨をかじるソニアを見て、クラウディオは眉尻を下げる。
「クラウディオさんって、すげー良い人っぽいスね!そんな気遣わなくても大丈夫!病人いるってわかっててやっぱ行かね、なんて言わないっス」
「疑っている訳ではないんだが…すまない。今まで何度打診しても上級聖女を派遣してもらえなかったもので」
「上級?派遣?つーか聖女なんてそこらの診療所行けば診てくれるっしょ?」
聖女は国が運営する診療所にいれば公務員扱いで毎月お給料が出るのだ。貴族が個人契約してお抱えにする事はあっても完全フリーの聖女なんて逆にそうそう居ない。よっぽど職場の人間関係が悪いとか、やむにやまれぬ事情有りの人だ。
それ程聖女がそこら中にいる国で派遣されないとは?とソニアが首を捻ると、クラウディオとロハンは顔を見合わせて済まなそうな顔をした。
「そう言えば焦っていて言い忘れたかも。すまない、僕は隣国の人間なんだ」
「隣国…っスか。じゃー目的地も」
「隣国、テノラス帝国だ」
「へ〜!テノラスは初めて!つか外国初めて!楽しみっス!」
テノラス帝国は国民の殆どが生活魔法を使え、そこから派生した魔導具開発に力を入れていると聞いた事がある。
「本当に助かるよ。王宮で宮廷筆頭聖女様と面会させて頂いたのだが、テノラスの様な生活魔法に特化した庶民臭い土地に行きたくないと言われてしまって」
「え!?」
流石のソニアもこの発言に梨をもぐる口が止まった。
(筆頭聖女に面会した!?いつっスか!?全然身に覚えが…)
「ソニア?」
「あ、えええと、あー筆頭聖女に会ったんスねー!いつ?どんな人でした?」
「ああ、筆頭聖女様というのは聖女様達の憧れらしいね。一昨日の晩餐会でお会いしたよ。侯爵家出身の御令嬢とかで、見た目は美しい方だったけどね」
ソニアの前のめり棒読みはスルーしてくれたみたいだ。
クラウディオは言葉を濁して困った様に笑い、ソニアは頭を抱えたくなった。
(フィリスかー。あいつ何やってんだよ、筆頭名乗るんだったら助けに行けよ!)
「えーと、美人じゃ無いけど私で我慢して欲しいっス」
「我慢だなんてそんな!ソニアに来てもらえてすごく助かってるよ。それにソニアは可愛いと思うよ」
「はは、それはどうも〜」
美青年からすんごいお世辞きた。
これ以上言ってもクラウディオに気を遣わせてしまうだけなので、ソニアは話題を変える。
「テノラスって道端で簡易治療所してても捕まらないっスか?」
「ん?依頼が終わったらちゃんと送り届けるつもりだから帰りの心配はしなくてもいいよ?」
「やー、実は今朝仕事先をクビになったんスよ〜。折角テノラスまで行くなら仕事しつつ観光でもしてゆっくり滞在してみようかと」
「ああ、そうなんだ。大変だったんだね。道端で商売は露店扱いなんだ。商業ギルドに申請所があるから申請すれば誰でも商売出来るよ」
それを聞いてソニアはやる気が出て来た。
(新しい町で心機一転!悪くないっス!)
夜はクラウディオとロハンが交代で見張りをしてくれるらしく、勧められるままソニアは馬車を借りて眠る事にした。
「おじゃましまーす」
そっと馬車の扉を開ける。かなりゆったりした広さの馬車なのに、雑然としていた。
「おお…」
座席は向かい合わせで備え付いているが、片側はトランクが積んである。着替えと、あと布類が入ってるんだろう。トランクの合わせ目から布端が3箇所くらいはみ出している。あと丸めたハンカチらしき物が隙間に押し込まれていた。
それらの上に開けっぱなしのカトラリートランクが載っていた。夜は皿もフォークも使っていない。水用のコップを出すのに開けたんだと思うが、皿が割れると怖いので(値段的に)そっと閉じる。
残ったスペースには書類束が積んであり、ペーパーウェイトの様に口の開いた巾着が置かれている。巾着の中はカットの揃った石がゴロゴロ入っていた。鈍色でほんのり緑を帯びている。
宝石にしては透明度が低い気がしたが、そもそもアクセサリーを持っていないソニアはそういう事に詳しく無い。
孤児が手を触れると盗人と言われるのは身に染みているので、触らない様にだけ気をつける。
(メイドも連れていないし。よっぽど慌てて出て来たんだろうな)
もう片方の座席はクッションと毛布が載っているので、ありがたく横になる。
ふわっと爽やかな花の香りがした。
いつもの習慣で、ソニアは夜明けと共に目が覚めた。
よだれだけ垂れていないか服の袖で拭いて確認してから馬車の扉を開けた。
馬車の外では焚き火の番をしながらロハンが湯を飲んでいた。クラウディオは小さい折り畳みの椅子に腰掛け、膝掛けを被り目を閉じていた。
「おはようっス」
「おはようソニア殿。早いな」
ロハンはソニアにも湯を汲んでくれる。
「カトラリートランクに茶葉とジャムがあったスよ?」
「…ポット忘れたんだ」
「ああ」
残念すぎる理由だった。
そのまま手渡された梨を齧っていると、クラウディオが目覚めた。
「ん、ソニア…おはよう」
「おはようっス。馬車で眠り直す?」
クラウディオは立ち上がって思い切り伸びをした。肩のあたりからバキッと小気味良い音が鳴る。昨日はきちんとセットされていた前髪がぱらりと崩れた。
きっちり着ていた詰襟や中のシャツも着崩されていて、チラリとのぞく鎖骨はなんとなく見てはいけないものを見ている気分にさせる。
「いや、次はロハンの休憩だ。午前は僕が御者をするから、食べたら出られる?」
「いっスよ」
「問題ありません」
全員が湯と梨で朝食にして、馬を繋いで直ぐに出発した。
御者席に再び2人で座る。クラウディオはロハンより細身な上、鎧を着けていないので昨日よりゆったり座れた。当たっても痛くなくていい。
ふわっと花の香りがして、馬車のクッションの匂いを思い出した。
「と、ごめん。これは未婚の女性には失礼な距離感だね…。昨日のうちに気がつけば良かったな」
ぴったりくっついて座る事に少々抵抗があるらしく、クラウディオは謝罪した。
「問題ないっス。そもそも気づいてたってどうしようもないじゃん。馬車の中から馬はちと遠いから魔法かけづらいし」
「すまない。お礼は弾むよ!」
「やった!やる気出たっス!」
ソニアがニカッと笑うとクラウディオは眉を下げて微笑んだ。
「ソニアの明るさはなんだか心が軽くなるよ」
「そー言ってもらえると嬉しっス」
ガラガラと順調に馬車は進む。
クラウディオは話が上手く、会話が弾む。
「そうだ、次の村に着いたらソニアの好きな食べ物買ってくるよ。何が食べたい?」
「パン!パン食べたい!」
「パン?もっとお菓子とかじゃなくて?」
「お菓子も好きだけど〜。パンが好きっス!」
ソニアは孤児だったのだが、その中でも特に貧乏なスラムの孤児だった。その辺の草だったり、クズ野菜だったり、肉に至っては腐りかけ以外を口にした事は無かった。
パン屋の存在は知っていたが、店先で匂いを嗅ぐだけで石を投げられるので、聖女として拾われるまで食べた事が無かった。
「も〜初めて食べたパンは本当に美味しくて!しかも種類もすっごいあるし!パン大好き!!」
ソニアのパン愛をクラウディオは穏やかに相槌を打ちながら聞いてくれた。
「そうか。じゃあパンを沢山買う事にしよう」
「クラウディオさんは何が好きっスか?」
「そうだなぁ…」
クラウディオは迷ったそぶりを見せてから、ソニアの耳元に近づいた。整った顔が間近にあり、色恋に無頓着なソニアも少しドキッとする。
「内緒にしてくれよ?実は…ジャーキーが好きなんだ」
「ジャーキーって。あの保存食の?」
クラウディオはほんのり頬を赤くして頷いた。男前が照れているというのは、なんだか目を潰しにきたのか?と言うくらい眩しい。
「騎士達は遠征なんかで度々口にするらしいのだ。試しに貰ったら好物になってしまって。だけど貴族の間では、その、保存食を口にするなんてと言われていて。いつもこっそり食べるんだ」
確かに貴族はいかに新鮮な物か、いかに珍しい物を食すかで権力を表したりもする。庶民にも保存食と認識されているジャーキーを貴族が好物と言うのは嗤われてしまうのだろう。
「貴族も大変っスね〜。でもあたしもジャーキー好き!中々腐らないし!特に牛のは美味しいよね!ジャーキーもあったら買って欲しいっス」
「っ、ああ!もちろん」
ソニアは今日も1時間おきに馬に魔法をかけた。その時クラウディオが首を回していたので、ついでに魔法の範囲をクラウディオまで広げる。クラウディオは瞬いてからソニアを見た。
「今…」
「あっ、勝手に魔法をかけてごめんっス!なんか首が辛そうだったんで」
貴族は結構こういうのされて「当然」ってタイプと、気に障るってタイプとで分かれるんだよな。と、ソニアは慌てて謝ったが、クラウディオは素直にお礼を言った。
「ありがとう。凄いね、直ぐ楽になったよ」
「どう、いたしまして…」
にこっと笑顔を向けられるとなんだか照れてしまう。
(エーリズの貴族と全然違くてなんだか調子狂うなぁ)
その日は順調に進み、お昼過ぎに通りかかった村で買い物も出来た。クラウディオは約束通りパンをカゴ山盛りに購入してくれて、ジャーキーも買った。野菜やソーセージも幾つか購入し、梨を食べて空いたスペースに収めた。
昼食はそのまま町の食堂で食べ、午後はロハンの御者で日没まで進んだ。
丸一日馬車に乗っていて流石のソニアも尻を始め身体中痛い。降りてから体を動かし、軽く運動する。
「ソニア疲れたでしょう?おいで」
今日午前中ずっとクラウディオと話していたからか、だいぶ仲良くなり距離が縮まった気がする。
クラウディオはソニアを手招いて折り畳み椅子に座らせると、肩を揉み始めた。
「クラウディオさん!?あたしなら大丈夫っス」
「でも治癒魔法って自分には効き辛いって聞いたことあるよ?ソニアは僕とロハンへ馬と同時に魔法をかけてくれているだろう?だから僕達実はあんまり疲れてないんだ」
済まなそうに肩を揉むクラウディオを見てると、心がほわっと癒された。
(人に気遣われるのってなんだか嬉しいなぁ)
宮廷聖女になってからは、蔑みや嫉妬に晒されてばかりで随分疲れていたんだなぁと、今更知る。
「ありがとっス。気持ちいい」
「どういたしまして。このペースなら明日の夜までに国境に着くよ。国境越えたら宿で一泊して、次の日の夜迄には家に帰れるはず」
「わかった。頑張るっス」
肩を揉んでもらっている間にロハンが簡単なスープを作ってくれたのでありがたくいただく。ついでに鍋とポットを買っておいたらしい。パンをお腹いっぱい食べて、食後にジャム入りのお茶を淹れて貰った。
今日もありがたく馬車を拝借して眠ろうと立ち上がったソニアをクラウディオが呼び止めた。
「ソニア、クリーン魔法する?」
「クリーン魔法??」
「知らないか。僕がやってみるから見てて」
クラウディオの手から魔力が放たれると、足元から滝の様な水柱が立ち上がりそのまま上空へ通り過ぎて消えた。
「うおぅ!?」
ソニアは水を目で追って上を見て、再び視線をクラウディオに戻すと、シャツの袖口や襟が少し汚れていたはずが、きらめく白さに戻っている。濡れてもいない。黒銀の詰襟やスラックスも、色的に分かりづらいがきっと綺麗になっているのだろう。
何回も上空とクラウディオの間で目が往復してしまう。
「こんな感じ。お風呂もないし、する?」
「おおぉお…お願いするっス」
「じゃあ目を閉じて、息も止めてね。3、2、1、はい!」
クラウディオがはいと言った瞬間、足元から水が湧き上がった。正確には温めのお湯だ。全然冷たくない。
水の中から上空に消えていく水流の塊を見上げる。
夜空に消えていく水は焚き火の光を反射して、オレンジの流星の様だ。輝きながら弾け消えていく煌めきに見惚れた。
「キレイな魔法…」
体も、臭い始めていた服もすっきりさっぱりだ。
余韻に浸りながら正面に視線を戻すと、何故か2人は後ろを向いていた。
「?ありがとう……えと、どうしたっスか?」
クラウディオがそっと振り返るが、その顔は掌に隠されている。
「あの、すまない。配慮が足りず…。その、少々スカートが、捲れてしまい…申し訳ない」
ソニアは自身のスカートを見下ろすが、既に元通り下がっている。
女性が脚を出すのは閨時のみ、と言われてはいるが庶民はそこまで厳格ではない。しかも宮廷にいた頃は「ガリガリの孤児は慰み物でも要らないな」なんて言われていた事を思えば、クラウディオの反応は大分気を遣わせてしまっている。
「大丈夫っス!じゃおやすみっス〜」
けろっと笑って扉に消えていくソニアを、なんとなく納得がいかない顔でクラウディオは見送った。
「僕って男に見られてないのかな」
「テノラスでクラウディオ様のお顔は男前だと人気なんですけどねぇ…」
そんな会話はソニアに届かなかった。
馬車の中で昨日の様に横になると、変わらず爽やかな花の匂いがした。
「いいにおい…」
何の花の匂いかわからないけど、好きな匂いだった。
3日目の午前はロハンが御者席に座った。
早々に村があったが、食料に問題が無かったので先を急ぐ事にした。
お昼休憩にソーセージを挟んだパンを食べ、馬の食事が終わり出発の支度をする。午後の御者はクラウディオに交代だ。
「よろしくねソニア」
「はーい」
再びぎゅっと席に収まる。
馬車を走らせ始めてから、クラウディオはぽそりと言った。
「…ロハンともこうして座ってるんだよね」
「そうっスね〜。でもクラウディオさんと乗ってる方がいいっス」
「え…!」
クラウディオが喜色の含んだ声を上げるが、ソニアは苦笑した。
「ロハンさんの鎧は当たると結構痛くて〜。あとクラウディオさんと比べると彼はでかいから狭くて〜」
「ああ、そういう……。待って、鎧当たってたの?あれエッジの所は少し当たっただけでも痛いだろう!?あざになってない?大丈夫!?」
「だっ、大丈夫大丈夫!自分にも魔法使ってるっス!」
「自分に魔法使う程痛いのか?って、治癒魔法って自分には効き辛いんだろう!?完治してないんじゃないのか?」
既にくっついている腰をさらにぐっと押され、ソニアは一瞬眉を顰めた。それを目敏く見咎めたクラウディオの顔が険しくなる。
「そんなに気にしなくていっス。そのうち治るし」
「本気で言ってるの?」
クラウディオの言った意味がわからずソニアは首を傾げた。昔から孤児である事で軽んじられてきたソニアにクラウディオの言う意味は理解出来なかった。
「…わかった。なら、今日の宿で手当てするから」
「へっ!?いやいやいや!流石に遠慮するっス!尻の横の腰辺りだから」
クラウディオはチラッと一暼してから、息を呑むほど美しい微笑みを浮かべた。だが何故かソニアの背筋にはゾクッと悪寒が這い上がる。
(話題を!話題を変えろあたし!!)
「あ、あー…えっと、クラウディオさんのお父さん頑張ってまスかね!?」
単純な脳みそを捻り出した話題に自分でがっかりした。もう1人自分がいたら後ろ頭に盛大な平手をかましている。
(危篤の人に頑張ってるか?なんて、すごい無神経…!!)
「そうだねぇ。最期に立ち会いたくはあるけど、でもずっと覚悟はしてたからね」
穏やかに凪いだ笑顔を見せるクラウディオに、ソニアも冷静さを取り戻す。
「…長いんスか、闘病生活が」
「うん。一年前には余命宣告を受けてね、既に家督は兄が継いでいて…準備はしているんだ。時々聖女に診てもらったりしても無理で。主治医にもね、もうエーリズの筆頭聖女並でないと癒せないだろうと言われて。今回も国交ついでの駄目元で頼んでみたんだ。期待はしてなかったから」
ソニアは顔を顰めた。そんな打診は受けていないし。多分、受けない。
(あのジジィの方からあたしを手放す事は無いだろうね)
苦い思いから目を逸らす。既に過ぎた事。割り切る事には随分慣れた。
「でも、ソニアに会えた」
「え?」
「ずっと気になってたんだ、その制服。ソニアは宮廷聖女?」
「あ。あー、ははっ。そっス、クビになったけどね〜」
クラウディオの探る様な視線から目を逸らす。
やましい思いがある。
自分は死ぬと分かっている患者をあの城に置き去りにして来たのだ。
「よかったらテノラスの宮廷で働かない?推薦するよ」
「んー…、やめとくっス!」
目を合わせない様に苦笑するソニアを見つめたままクラウディオは「ふぅん」と意味あり気に応えた。
「気が変わったら言ってね」
「はは、あざまーす」