桃花③
桃花の背に、鋭利なナイフが突き刺さる。
その瞬間、見る間にHPゲージが減っていき、一瞬の後1となった。
桃花の持つ、死亡するほどのダメージを受けた時HPを1だけ残して耐えることができるようになるアイテム『身代わりの宝玉』が弾け飛ぶ。
「――『暗殺』+『暗器の達人』+『先制快進』+『バックパンサー』」
背中から声がした。
ひどく冷淡な声だ。
そして、聞き覚えのある声だった。
「――ッ!昇離、さん?」
桃花を刺したのは昇離であった。
彼は表情の抜け落ちたような顔で桃花を睨みつけている。
昇離の使った『暗殺』というスキルは、バックアタック時に超低確率で相手を『即死』させるスキルだ。
そして、確率上昇系のアイテムやスキルで補助することによって、相手を確定で『即死』させることのできる『確殺コンボ』。
超強力な技だが、どのスキルも習得に途方もない時間を要する上、相手の背面から攻撃しなければならない、ほとんどのボスには効かないなど、厄介な制約の多い技であるため、現在は誰も使えない幻の技――そのはずだった。
ナイフを引き抜いた昇離は、次のスキルを使用する。
「『爽閃』」
短剣系のスキルの中でもトップクラスの発動スピードを誇る攻撃で、残ったHPを確実に削りにいく。
現在の桃花のHPは1。
触れただけでお陀仏だ。
そこに反応のしづらい背中から、最速の一撃を叩き込む。
敵を殺すための最善の一手であり、誰であれ反応すらさせずに殺せる一撃。
「――は?」
――相手が祇園桃花でさえなければ。
昇離の目の前から、桃花の姿が掻き消えた。
何か特別なスキルを使ったわけではない。
ただ移動しただけだ。
それだけなのに、昇離にはその姿が見えなかった。
桃花は腰から細剣を引き抜くと、スキルを発動する。
「『手加減』+『散花』」
相手に死亡ダメージを与えた時、必ず相手のHPを 1残す『手加減』。
そして、細剣系スキル最強と評される『散花』。
そんな2つのスキルをくらった昇離のHPは1となっていた。
『手加減』がなければ死んでいただろう。
たった、一撃。
たった一撃で、桃花は昇離を殺せた。
『即死』などいらない。
2発目を放つ必要もない。
その一太刀には、一世紀の間戦い続けてきた者の重みがあった。
これが、世界を二分するギルドの長の力。
昇離は桃花の攻撃によってバランスを崩し、転倒する。
互いの残りHPは共に1。
しかし、両者の間には埋めがたい差があった。
「ははっ、なんだ。結局こんなもんか」
天を仰ぐように、自嘲するように、昇離は笑う。
相手に信用させ、機を伺い、不意を突き、それでも届かなかった。
「……いつ気付いた?自分がお前に向けられた暗殺者だってことに」
「気づいてなどいませんわ。ただ、いついかなる時も相手が“敵”である可能性を捨てていないというだけで」
たとえ不意打ちに気づかずとも、桃花と昇離では圧倒的に地力が違う。
レベルはもちろん、スキル、アイテム、反応速度、突然の事態に対する対応力など。
2人が歩んできた100年には、それだけの違いがあった。
桃花はポーションでHPを回復しながら尋ねる。
「……どこの差し金ですか?」
「言うわけねえだろ」
久遠のメンバーにしてはレベルが低すぎるし、久遠の長がこんな胡乱な作戦をとるとは考えづらい。
他のメンバーが関わっていればあるいは、といったところだろうか。
「1つお聞きしますが、寝返ってこちら側に付くつもりは?」
「……流石、こんな生き地獄を“楽園”なんて言ってる奴は違うな。頭から花でも咲いてんのか?」
「……残念ですわ。その優秀なスキルを、ぜひ我々の元で活かしてもらいたかったのですが」
「不意打ち限定、倒せて1人。モンスター相手には何の役にも立たないし、これから始まる大抗争でも全くの役立たず。これで優秀だなんて、とんだ笑い話だな」
昇離は嗤う。
力の足りない己を恥じるかのように。
「やはりあなたは――」
その時、昇離の口が動いた。
なにか、口に含んでいた物を噛み砕いて飲んだようだった。
次の瞬間、昇離のHPゲージが動く。
ダメージの回復による立て直しを警戒した桃花だったが、しかしゲージが動いた方向は回復とは真逆であった。
「な!?まさか、自傷ダメージ!?」
昇離は、あらかじめ口に含んでおいた毒ポーションを使って自殺を図ったのだ。
昇離の残りHPは1であり、一瞬の後0に変わる。
HPが0になってから回復する手段は、このゲームにはなかった。
昇離の体が少しずつ透けていく。
「結局、全部嘘だったのですわね」
「……あんたのファンってのは嘘じゃねえよ。ただ、過去形だけどな」
やがて昇離の肉体は完全に消えて無くなり〈昇離〉はこの世界から消失した。
少年が消え、1人部屋に残された桃花は、独りごちる。
「……勝手なことばかり言ってくれますわね。わたくしだって――」
そんな桃花の独り言を遮るように、足音が響く。
足音はどんどん大きくなり、部屋の扉が開けられる音がする。
「桃花様!」
部屋に飛び込んできたのはshaynだった。
「……shayn、あなたどこに行っていたの?」
「申し訳ありません!緊急事態ゆえ、急いで報告しようと会議室へ向かったのですが、入れ違いだったようでして」
「緊急事態?」
「久遠の光が宣戦布告してきました!100周年に合わせてピースターの街を襲撃すると言っております!」