桃花②
昇離がギルドの見学に来てから1週間が経とうとしていた。
昇離は現在自警団に併設された寮に住んでおり、そこでの生活にもある程度慣れ始めていた。
そして本日、昇離はギルドの集会場に来ていた。
そこでは毎月【秩序派】に属するギルドが集会をしており、昇離はそれを見学させてもらっているのだ。
【秩序派】とは、この世界を第二の故郷とすることを決めた者たちの事であり、治安維持やプレイヤーの保護を目的として活動している。
【秩序派】と言っても、その大部分は自警団で構成されており、それ以外の中小ギルドはほとんど自警団の傘下のようなものだ。
そのため、この集会も自警団の決定事項やプレイヤー全体に協力が必要な事案を伝達するための場となっている。
ゆえに昇離のようなソロプレイヤーやギルド長以外のメンバーも数多く集まっており、集会場には実に1,000人近いプレイヤーがいた。
「……以上が、次回の襲撃イベントにおけるモンスターの出現位置の予想です。ゆえに我々自警団の方針につきましては――」
司会の自警団副団長〈shayn〉が卒なく議事を進めていく。
もはや100回以上繰り返されてきたことであり、その内容に関心のある者はほとんどいないだろう。
ではなぜ、彼らはここに集まってきたのか。
それは、この集会が少し特別だからだ。
今回の集会には自警団の団長である桃花が登壇し、さらに各ギルド長と話し合いの場を設けている。
いつもであれば桃花は街の防衛に忙しく、この集会には参加しない。
ではなぜ今回は参加するのか。
このゲームが開始してから、もうすぐ100年が経とうとしている。
周年イベントは10周年以来開催されていないが、なにせ次は100周年だ。
なんらかの大きなイベントがあるかもしれない。
それに備えて、【秩序派】の結束を高める必要があった。
その為に、桃花は今回こんな場を用意したのだ。
「……以上を持ちまして、第276回定例集会を終了いたします。続きまして、『自警団【篝火】』初代団長である〈祇園桃花〉様よりお言葉を頂戴します。お忙しい中わざわざ来てくださったのですから、愚民どもは一言一句聞き逃さないように――」
「shayn、下がりなさい」
「はっ!申し訳ありません、桃花様!」
他所のギルド相手にとんでもない発言をしそうになったshaynを降壇させると、桃花は壇上に登った。
その所作はとても洗練されており、一挙手一投足が見る者の心を奪っていく。
桃花は丁寧にお辞儀をすると、よく通る美しい声で演説を始める。
「わたくしたちがこの世界に閉じ込められて、もうすぐ100年になります。我々は未だ、この世界が何なのかを理解できていません。ましてや、元の世界で我々がどうなっているのかなど、知ることができようはずもありません」
桃花が始めたのはこの世界の話だった。
彼女の言う通り、プレイヤーは“外”の様子がまったく分からない。
懸命な延命治療の末に全員が奇跡的に100年以上生存し続けているのかもしれない。
あるいは、自分達の肉体は既に存在せず、電脳世界に閉じ込められているのかもしれない。
ある日突然寿命が尽きて、フッと死んでしまうかもしれない。
それとも、このまま生も死もなく永遠の牢獄に囚われ続けるのかもしれない。
「不安に思う気持ちも分かりますわ。このまま生き続けていったい何になるのか。この世界に生きることに意味があるのか。分からなくなっていることでしょう」
子どもが生まれる訳でもなく、技術が発展する訳でもなく、かといって何もしなくとも死にはしない。
そんな状況を、果たして生きていると言えるのだろうか。
「ですが、それがなんだと言うのですか!?この世界がなんなのか分からない、自分の生きる意味が分からない、それは元の世界と何が違うと言うのですか!?生きる理由や意味は、決して他人から与えられる物ではありません。自分で掴み取る物です。それは、どんな世界になろうと同じではないのですか!?」
桃花の言葉が熱を帯び、会場全体を包み込んでいく。
自身の言葉を、その熱量でもって人の心に刻みつけていく。
「この世界は、決して偽物ではありません。我々は今、この世界に生きているのです!」
この世界は、嘘偽りのない本物の世界。
ゆえに、『ゲームクリアすればこの世界から脱出できる』などという幻想に縋り付かず、しっかりとこの世界を生きていこう、というのが自警団ひいては【秩序派】の主張であった。
「だからこそ、わたくしは彼らが、久遠の光が許せません! この本物の世界においてPKがどんな意味を持つのか、分からないはずもないでしょうに! 彼らは私欲のためにその禁忌を犯したのです!」
そして【秩序派】と対をなすのが【脱出派】。
この世界からの脱出を第一目標とした派閥だ。
彼らはゲームクリアのためならばPKであれ平然と行う。
そしてPKとは、この世界を現実であると捉える【秩序派】にとっては、紛れもない殺人であった。
「ゲームクリアを目指すというのは結構な話です。しかし、その為に他者を傷つける行為は、到底許されるものではありません! 彼らは英雄などではなく、ただの人殺しです!」
彼らは、この地獄からの脱出を目指す英雄などではなく、この世界の秩序を乱す人殺しでしかない。
ゆえに、我々は戦わなくてはならない。
この世界の秩序を保つために。
「久遠の脅威から、罪なき人々を守る為にも。皆さんのお力をお貸し下さい。どうかこの世界に、争いなき恒久の楽園を」
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「演説、素晴らしかったです! もう桃花様のカリスマ性が溢れ出ていたというか……! ああ、自分の貧弱な語彙力が恨めしいです!」
「そ、そうですか……」
それから数時間、桃花はギルド長たちとの会議に臨んでいた。
久しぶりの桃花の出席とあり、会議は大いに盛り上がったが、しかし議題がそう多いわけでもなかった。
会議はそう長く続かず、ギルド長たちは外で待つ自分のギルド員を連れて帰っていった。
昇離は、ギルド長たちを見送った桃花にすぐさま駆け寄り、話しかけていた。
「それにしても、良かったんですの?わざわざこんなに長い間待っていただかなくても――」
「いえ! 桃花様のためなら待ち時間もへっちゃらです! ……それに、自分も彼らと同じような状況ですからね。同じように外で待ってる人たちの話も聞きたかったんです」
自警団に守られているのに、自分たちは何もしていない。
今回わざわざ桃花の話を聴きにきた者たちは、そんな現状に忸怩たる思いを持っていた。
「――団長殿、少々宜しいですかな?」
「〈シュークリーム〉さん。どうなされました?」
と、そんな2人に話しかけてくる人物がいた。
見た目は年老いた紳士のようであり、顔にはその名の通りのしわくちゃな笑みが浮かんでいる。
彼は集まっていたギルド長の内の1人であり、桃花ともそれなりに付き合いの長い人物であった。
「自分のギルドに帰る前にもう一度ご挨拶をと思いましてね」
「まあ、それはわざわざありがとうございます」
「いえ、普段から団長殿にはお世話になっていますからね。礼をしっかりと尽くさねば、バチが当たるというものです。……ところで、これまで中立を保っていた“城塞乙女”が久遠に付くという噂は本当ですか?」
柔和な笑みに少し陰を落として、老人は尋ねる。
挨拶を、と言っていたが、本題はこのことについてだろう。
「……まさか。彼女は争い事を嫌います。PKに加担するなどもっての他でしょう」
「だと、いいのですが。かの探索者の内の1人が動くとなれば、追従する者も出てきましょう」
「……そうでしょうか?ギルドが解散したのは、もう30年も前ですのよ?」
「忘れることなどできませんよ、誰も。もはや夜明けの探索者は伝説です。あなた方は、それだけ鮮烈だった」
懐かしむような遠い目をするシュークリームだったが、桃花の目が冷たく凍えていることに気がつくと、慌てて元のしわくちゃの笑みに戻した。
その後、少しだけ世間話をして、シュークリームは自分のギルドに帰っていった。
「……あの、1つお聞きしてもよろしいですか?」
「構いませんわよ」
「桃花様は、お辛くないんですか?」
「なんの話ですの?」
「だって、久遠の光のリーダーは桃花様の、その、仲間だったじゃないですか」
久遠の光、それはかつて夜明けの探索者のメンバーの1人であった人物によって作られたギルドだった。
「……大嫌いですわ、あんなガサツな女。だから、辛くなんてあるはずもありません」
「……そう、ですか」
「わたくしたちが同じギルドにいたのは、ひとえにハートさんがいたからですわ。そして、ハートさんを失った今、わたくしたちの道が違えたのは必然ですわ」
かつての探索者のリーダーは、もういない。
ゆえに、探索者たちの道が交わることは、決してない。
「あ、そうだ。桃花様、shaynさんがどこにいるか知りませんか?ちょっと借りていた物を返したいんですけど」
「そうですの?丁度わたくしもshaynに用があるので、一緒にいきませんこと?」
「マジですか!お願いします!」
暗くなった雰囲気を切り替えるように、明るい声で昇離は話す。
桃花はそんな昇離の気遣いに好印象を持っていた。
2人は共にshaynの待つ部屋に向かう。
「ところで、その借りていた物とはいったい……」
「桃花様のお宝映像を多数記録したファン必見のデータファイルです!」
「……はい?」
「いやー、昨日はshaynさんと桃花様談義で一日中盛り上がっちゃって。それで、この世に1つしかないこの映像記録の数々をお借りできたんですよね。これが本当に素晴らしくて……桃花様?どうされました?」
「……い、いえ。なんでもありませんわ」
どうしてそんな物を持っているのか、どうしてそれを他の人に見せてしまうのか。
桃花は、後できっちりとshaynを問い詰めることに決めた。
少し歩くと、shaynの待つ部屋へと辿り着いた。
扉を開け、中へと入る。
「shayn、あなた――て、あら?」
しかし、部屋の中には誰もいなかった。
「変ですわね。確かにここにいるはず――」
桃花が部屋の奥を見渡そうとしたその時、桃花の背に鋭利なナイフが突き刺さった。