桃花④
Nがハートの元へと辿り着いた時には、既に戦況は佳境を迎えていた。
「あははっ!ぬるい攻撃だね!」
数十人のPKたちは、ただ1人のプレイヤーに向かって雨霰と武器を振るうが、その攻撃は悉く空を切る。
ハートにとって、彼らの動きはあまりにも緩慢で、あまりにも鈍い。
スローモーションにも等しいその両手で、ハートにダメージを与えることなどできるはずもなかった。
ならばとハートを無視してその場を離れようとすると、凄まじい勢いで短剣が飛んできては、その動きを牽制した。
「おいっ!聞いてねえぞ!なんでコイツがここにいるんだよ!」
「クソっ!死んだはずじゃねえのかよ!」
死んだはずのかつての探索者のリーダーが、どうしてこんなところにいるのか。
唐突に現れたハートに、彼らの混乱は絶頂だった。
「で、どうするの?帰る?それとも死ぬ?あははっ」
今の攻防によって、ハートが本物――否、本物以上であると理解させられたPKたちは、ゴクリと唾を飲み込む。
笑顔のまま語られたその言葉が、脅しではなく単なる事実であると彼らは知っていた。
「てめえら、ズラかるぞ!」
「けどよお。あいつらの体持ってかねえと、今度は俺たちが――」
「いいから行くぞ!こんな怪物相手にしてられっか!」
リーダー格らしい男の一言で、PK達は撤退を始める。
どうやらNが出る必要はなさそうだ。
去っていくPKたちのステータスを見て、Nは思案げに眉をひそめる。
PKたちは確かにレベルが高かったが、しかし塔に集まった自警団の戦力で相対できない程ではない。
少なくとも前の世界では、数の暴力で難なく勝利できる相手だろう。
実際の戦闘を見ていないので推察でしかないが、おそらく自警団の長所であるはずの数の多さが、逆に混乱や戦意の低下を招く原因となっているのだろう。
主戦力の不在、桃花の不在、まったく知らない環境。
こんな状況では統制など取れるはずもないだろうが、まさかここまでとは。
Nがそんなことを考察している内に、桃花はハートに近付いていた。
PK相手には超人的な反応で全方位の敵を察知していたが、桃花の接近にはまったく気がついていない。
桃花に敵意がないせいだろうか?
「――ハートさん」
「……あっ!とーかちゃん!ここにいたんだ!」
嬉しそうな声をあげて、ハートが振り返る。
先ほどまでとは毛色の違う笑みを浮かべていた。
Nの位置からでは、桃花の顔は窺い知れない。
しかし、その声は普段の穏やかなものからは程遠く、押し殺したかのような重みを伴っていた。
「――なぜ、彼らを殺さなかったんですの?」
桃花のその言葉に、ハートはキョトンとした顔で首を傾げる。
「なんでって、みんなで決めたでしょ。プレイヤーは殺さないって。忘れちゃった?」
「彼らは……PKなんですのよ?」
当たり前のように、何も変わらないトーンで言うハートに、桃花は声を震わせて反論する。
しかし、“PKであるかどうか”はハートにとって意味のない区分のようだった。
「知ってるよ。けど、それは区別しない。プレイヤーは等しく殺さない。それが探索者のルールでしょ?ルール破りなんて、真面目なとーかちゃんらしくも――」
「今ここで逃せば、未来で誰かが殺されるだけですわ!」
桃花にとって、PKは秩序を乱す悪であり、すぐにでも殺すべき絶対的な敵だ。
それがハートのいない30年間で、貫いてきた正義だった。
しかし、ハートにとってはそうではない。
「あははっ。前に会った時も言ったでしょ。こんな世界じゃ、おかしくなるのは仕方ないって。恨むべきは、殺すべきはこんなゲームを始めたやつらなんだよ」
ハートにとっては、このゲームの運営が絶対的な悪であり、殺すべき敵である。
そして、プレイヤーは等しく被害者であり、よほどのことがなければ殺しはしない。
それが、ハートが塔での30年間で得た価値観だった。
ハートは、再びニコリと笑って言う。
まるで友達を遊びに誘うように。
「ねえ、とうかちゃん。また一緒にパーティ組もうよ。昔みたいにみんなでまた――」
「ふざけないでくださいまし!」
ハートの言葉を遮って、桃花が怒声をあげる。
まるで、その続きなど聞きたくないとでもいうように。
「わたくしはもう、全部乗り越えて、諦めて、忘れたはずだったのに……どうして今更になって帰ってきたんですの!?」
桃花にとって、ハートは過去だ。
探索者の掟も、かつての仲間も、桃花がとっくの昔に諦めたものだ。
そんな折に現れたハートは、かつてと何も変わらない笑顔で。
そんな彼女に、過去を捨てた自分が責められているかのようで、今の正義を否定されているかのようだった。
「あなたを忘れたわたくしを恨んでいるのなら、そう言えば良いのではなくって!?それなのに、そんな、昔みたいな笑顔で、何も変わってないみたいな顔で、何もかもを変えていって!!こんなことになるなら、いっそのことあなたなんて――」
「トウカ!!やめるんだ!!」
Nが桃花の肩を掴み、言葉を遮る。
桃花は、自分が負の感情に呑まれるままに言ってはいけないことを口走りそうになっていたことに気づき、青ざめる。
そして、目を逸らすようにしてうつむいた。
「……申し訳ありませんわ」
桃花はそれだけ言うと、逃げ去るようにして走っていった。
桃花の一連の行動を、ハートは表情の読めない笑顔で見ていた。
「ふひっ、とーかちゃんは相変わらず怖いなー」
展開に合わない言葉を吐くハートに、Nが深々と頭を下げた。
「すまない、ハート。トウカは最近、どうにも不安定でね。キミにも辛く当たってしまった」
「んー?別に気にしてないよ」
あっけらかんと言ってのけるハートに、Nは強い違和感を抱いた。
ハートは他人に負の感情をぶつけられることを酷く嫌う。
人に怒られるようなことをすればすぐに逃げるし、特に今回のように笑い事では済まされないようなパターンは、長時間引きずる。
例えば昔、Nが性別関係のことを気にして黙って姿を消した時は、かなり長い間根に持たれた。
そんなハートが、気にしていないなんてことがあり得るのだろうか。
「本当にすまない。あとでトウカからも……ああいや、トウカはなるべくキミたちとは会わせないようにするよ」
「だから、気にしてないって言ってるでしょ。ほら、頭上げて。むしろ怒っちゃうよ」
そんな風にむくれるハートは、かつてとまったく変わらないように見える。
しかしNには、今のハートとかつてのハートが、まったくの別人のように思えて仕方がなかった。




