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【これが冬を迎えた夫婦です。】(さなえ・炎鳳/『これがお嫁さまのしきたりです。』)

『これがお嫁さまのしきたりです。』より。

本編その後のさなえと炎鳳。


 晶国の南は赤龍家が統治する地域。

 温暖なこの場所も、今は短い冬を迎えている。

 といっても、温暖なこの地域は冬期でも雪はなく、氷を張る日も少ない。同じ晶国でも最北にある山脈の麓にあるという氷龍一族が守る一帯は、極寒ですべてが凍てつく長い冬をすごすらしい。地域差とはすごいものだ。


「まぁ、とにかく、お風呂の気持ちいい季節だよね」


 のんびりとちゃぷんちゃぷんお風呂の湯を揺らしながら私が呟くと、背中合わせで入浴している炎鳳が身じろぎして言った。


「い、一年中、風呂は気持ちよく感じるが?」


 なんとなく炎鳳の声が動揺している。お風呂について私が楽しくない時期があると誤解したのだと悟った。


「いやいや、私も一年中気持ちいいよ。こうして炎鳳と一緒に入ると、しみじみ平和だなぁと嬉しくなるし」


 言って、私は湯舟からざぶんと腕を出して伸びをした。外気にさらされる腕。お風呂に長くつかった肌にはひんやりと気持ちよい。

 伸びをして見上げる空に、もわもわと湯気のあがってゆく。その向こうには満点の星があるはずだ。

 ここは夫婦専用の露天風呂。晶国の南を守る名門赤龍家頭領であり晶国の将軍職もいただいている炎鳳は、なかなか立派な露天風呂を構えている。なんでもこの南の地方では、夫婦で風呂に入るのがしきたりだそうで。それが仲の良いことのバロメーターであり、愛情表現でもあるようで。

 日本から異世界トリップしてきた私には納得できるような納得しかねるような不思議なしきたりの積み重ねがある晶国ではあるけれども、私はこの炎鳳に恋をして想いを返してもらって、結婚して、今、幸せに暮らしている。

 背中にトンと自分の背をもたれさせてみる。

 私が突然もたれてもびくともしない堂々とした大きな彼の背中だけど、突然の接触に驚いたのか、炎鳳はごほっごほっと咳こんだ。

 結婚して一年経っても、初々しい旦那さまだ。

 一緒にお風呂に入ってもこうして恥じらって、背中合わせか、互いに身体を隠すようにしてしずかに浸かっている。清い。とても、清い。もちろん床にあがれば、それなりにそれなりの夫婦ではあるのだけれども、お風呂はやはりずっと神聖な場所なのだ。

 それがここら一帯のしきたりや文化なのか、炎鳳の価値観なのかはまだよくわかっていない。私の周りに既婚者の使用人もいるけれど、親密な夫婦のことなどおいそれとは聞けない。

 でも、これでいい。

 ちゃぷちゃぷと湯を手でゆらして波紋をつくる。背中合わせの彼にもこの波紋は届いているだろう。

 炎鳳も返事みたいに、ちゃぷちゃぷと湯を揺らした。

 私はこういう平和をとても愛している。

 共にお風呂にはいることのできる時間を。



「……また、行くの?」


 私がたずねると、ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、炎鳳の背が強張った。

 しばらくの沈黙の後、「あぁ」と返事があった。


「東の国境あたりで争いが再発している。東の統治をしていた者達が、国王が定めた以上の税を取り立て、圧政を強いたようでな」

「前も東の方で問題があって駆けつけてたよね?」

「あそこは民の部族が細かく分かれ、話し合いよりも武力行使になりがちなのだ」


 炎鳳の言葉に私は頷く。

 揺れる湯を見つめる。

 やわらかな湯気。

 あたたかい湯。

 大きくて頼れる背中――傷だらけの。戦いの痕。剣や槍、矢の傷痕が残る、背中。

 鎧に守られていても、激しい戦いになれば鎧どころではなくなるのか、それともそれすら貫く武器なのか――詳細は教えられていない。今は。でも、おいおい私もこの国の戦いについて学んでいかねばならないと思っている。たとえ炎鳳が望んではいなくても。

 それが、この南を統べる赤龍家の頭たるものだ。


「しばらく露天風呂もおあずけだね。つまんないな。冬は気持ちいいのに」

 

 私がそう言うと、炎鳳が焦ったように言った。


「ひ、独りでなら使ってもいい、ぞ」


 誰かと使うのは駄目だけど、独りなら良い――この誰か、というのは女性も駄目なのだ。

 夫婦の――神聖なお風呂だから、このお風呂を使っていいのは、炎鳳と私だけ。


「一人では入らないよ。待ってる。戻るまでは、みんなと大衆浴場使うよ。……この露天風呂は、炎鳳と入りたいの」

「……あ、あぁ」


 動揺するみたいな返事をして、炎鳳は黙ってしまった。

 もわもわと湯気があがる。


「……怪我してかえってきたら、また二人での入浴おあずけになるからね」

「あぁ……身体を傷つけないように帰ってくる」

「でも、戻ってきて、またすぐに出て行っちゃうとかだったら。もしかしたらせっかくの帰還の時間も私が月の物だったら、一緒に入れないよ」

「あぁ、長く、なるだけずっとここに戻っていられるよう、善処する」


 炎鳳の声が誠実に丁寧に、私に応えてくれる。

 彼のあったかい言葉が胸に落ちてくる。

 戦いの地にでかける炎鳳にこんな嫌味なことを並べたいわけじゃない。

 本当に言いたいのは。


  『……怪我だろうが、短期間だろうが……生きて、帰ってきて』

 

 でも、心の中で言って、絶対言葉にはしない。

 私は決めている。

 炎鳳の妻になったときから、決めている。


「炎鳳、行ってらっしゃい。ここは、大丈夫」

「……」

「このお風呂は――この赤龍の地は、みんなと一緒に私が守るよ。だから安心して、行ってきて」

「さなえ」


 炎鳳が私の名を呼ぶ。

 あたたかい。お風呂より、あたたかい声。

 

「はい、炎鳳」

「……留守を頼む」

「うん、まかせて」


 本当は――……怖い。

 

 だけど、そんな怖さがいったい何のためになるだろう。

 いま必要なのは、頭領が出陣することで手薄になるこの赤龍家の留守を、私が家のみんなと協力して守ることだ。

 この湯の美しさを保つことだ。

 私と炎鳳のお風呂だけじゃなくて。

 みんながそれぞれの家のお風呂で、共同入浴場で、笑顔で湯を楽しんで、身体をあたためて、ゆあがりに美味しいお茶を飲んで、明日への希望を持つことだ。

 そういう毎日をつむぎだすことに、恐れは、いらない。


「……さなえ」

「なあに」

「触れても、いいか」


 さっきとは打って変わった頼りなさげな声で炎鳳が言う。

 やはり、一年経っても、可愛い人だ。

 

「もちろん、いいよ――旦那様」


 いつもは言わない呼び方をすると、炎鳳の背がびくっと揺れた。


「……感謝する。俺の――お嫁さま」


 そう言って、炎鳳は、ちょっとだけ身体を私の方へとひねった。私もまた炎鳳のほうへと身体をむける。

 彼はそっと私の額に口づけを落とした。

 やさしく、やさしく。


「さなえが健やかであることを、いつも祈っている」


 とても穏やかな口づけと共に祈るようにそう呟かれる。

 私もまた、目を瞑って唇を開く。


「……炎鳳が、いつ何時も、健やかでありますように」


 祈りを込めて、言葉を紡いだ。


 どうか、どうか――……。

 たくさんの願いが重なっていく。

 炎鳳と私だけじゃなく、きっとそれぞれの家で。家族を遠い地に送り出す家庭で、それぞれの在り方で、願いや祈りを重ねていっていることだろう。



 炎鳳がそっと私の額から唇をはなし、申し訳程度に私の髪にもういちど口づけた。

 そしてまた清らかに、背中合わせになった。


 私たち夫婦のお風呂の時間。平和の証。

 見上げる満天の星に、炎鳳とその率いる隊の道を守ってくれると願う。

 できうる限り穏便におさまるようにとも祈る。


「やっぱり、お風呂はいいね」


 私がそう言うと、返事みたいに背中合わせの炎鳳が私の背に軽く自分の背をもたれさせた。

 あたたかなぬくもりが背中の彼から伝わってくる。

 彼にはめずらしい、自分から身体をもたれさせてくるふるまい。


 ……甘えていいよ。


 言葉にはせず、私もまた彼にわずかに背に身体をあずける。きっと「人」の漢字みたいになってる。

 助けあって生きていく、そういう形になってるはず。

 こうして。 

 守られるばかりでは少しはなくなってるのかなと思って、私はその幸福を噛み締めたのだった。



 


fin.


−−−−−−−−−−−−−−

↓ 


(おまけ)


 しばし離れても、ちゃんと炎鳳が戻ってこられるように。この場所をちゃんと守れるように。

 頑張るぞーっ、なんて柄になくまじめに思って。

 そろそろ湯から出ようと声をかけようとしたときだった。


「さなえ」

 

 炎鳳が先に私を呼んだ。


「なあに?」


 背中側を意識しつつ返事をする。


「風呂からあがったら……」

「うん」

「……さなえの髪に香油をぬってもいいか」


 炎鳳がおずおずと聞いてくる。その律義さが微笑ましい。

 彼は結婚しても、妻に触れるために何かきっかけとなる理由をつくるのだ。おずおずと私の意志を確かめる。

 可愛らしい。

 だから、ほんのちょっとだけ悪戯心がでてしまう。


「うん、香油、お願い。でも」

「でも?」

「触れるのは、髪だけでいいの?」


 私のとぼけたみたいな問に、背中が明らかにこわばった。

 そしてしばしの沈黙の後。観念したみたいにこくんと息をのんだのが伝わってきた。

 そして。


「……髪以外にも……触れ……た…いです」


 晶国の将軍様であり南の赤龍の頭領、筋肉ムキムキマッチョマン炎鳳の、小さな声が懇願するようにお風呂に響いたのだった。

 きっとだあれも聞いたことのない声音。

 ま、私も炎鳳だけに見せて聴かせる姿があるんだからおあいこだよね?

 私は背中あわせの旦那さまにやさしくやさしく応えた。


「炎鳳だけが触れていいんだから、大事にしてね?」


 私がそう言ったとたん、背後ではごほごほっと咳き込んだ。

 本当にいつになっても可愛い旦那さまだなあと思いつつ。

 つまり、これぞお嫁さまの醍醐味です、ってことだよねとにんまりしたのだった。




 (ほんとにおしまい!)

 

 

 

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