演劇部
足立と田中の二人は、文立学園大学のD棟の前に来ていた。
D棟とは、入学式や卒業式などの学校行事を行う劇場がある大学で一際大きい施設だ。
「ここ入学式くらいでしか入った記憶ないけど、演劇部の部室があったんだな」
D棟を見上げる足立。
「演壇の裏に部室があるみたいですよ」
田中は、スマートフォンに目を落としながら そう言った。
「草野さん遅いっすね。D棟の前で待っててくれって言って、もうけっこう経ってますよ」
「ふむ・・・」
草野は、D棟の鍵を借りてくると 学生課に向かったきり 戻ってきていなかった。
結果、ふたりは 15分ほどD棟の前で待ち惚けを喰らっている。
足立は、やけに豪華な作りをした両開きの扉に手をかける。扉にはカギがしっかり掛かっていた。
足立は、煩わしそうに嘆息をひとつ。
「もうスマートホンで呼び出せよ」
「もうしてます。つーか、先輩もいい加減、携帯 買ってくださいよ」
「必要性が感じられないな。大体スマートホンってなんだよ。細い本(?)か? あっ、薄い本の仲間か」
「ホンじゃなくてフォンです。ーーーん!」
田中のスマホが、ポンっと音を立てる。草野からのメッセージを受信したのだ。
そこにはーーー、
「D棟の裏口にまわってくれ、って来ました」
「裏口?」
足立と田中は、草木が生い茂る細い道を押し進み、D棟裏手に回るとーーー、
「草野さん!」
草野が簡素な裏口の前に立っていた。
「待たして悪いね。この劇場はイベントくらいにしか使わないから、表の入り口は普段閉まってんだ。部員もいつもこの裏口から出入りしているよ」
草野は、そう言って裏口の鍵を開けて2人を中に招き入れる。
「ーーー気をつけてくれ。中は暗い」
言う通り、室内は薄暗かった。
足立たちは入ってすぐの階段を登ると、下手側の舞台裏に出る。
そのまま舞台裏を進んでいくと扉があった。そこを開くと、さらに細い通路が伸びている。
「部室に向かう通路は細くて狭いんだ」
通路は、本当に細くて狭かった。
その上ダンボールや衣装掛け、棚などが置かれおり、人ひとりが何とか通れる幅だ。
通路はL字に伸びており、途中に男性用と女性用の控え室が左右にあり、突き当たりに演劇部の部室があった。
部室は、そこそこの広さがあるが、幾つものロッカーや棚が並べられており、演劇部の部員数を考えると少し手狭のように感じる。
「あれが草野さんが言っていた金庫ですか」
ロッカーや棚の並びに 件の金庫は置いてあった。ダイヤル式の金庫だ。
「あぁ、そうだ。取り敢えず、こっちに来てくれ」
足立と田中は、パーテンションで区切られている応接スペースに通された。
使い古したソファーに腰を下ろす足立と田中。
年季が入ったセンターテーブルを挟んで、草野も腰を下ろした。
「今日は、他の部員さんたちは?」
「休ませたよ。2人にゆっくり調査してもらいたいからね」
「なるほど。それでは、早速なんですがーーー、」
田中は、姿勢を正して 本題に入る。
「先ほど仰っていた容疑者というのは、誰なんです?」
「そもそも、どうやって容疑者を特定したんだ?」
「罠を仕掛けたんだ」
「罠?」
「あぁ」
頷いた草野は、センターテーブルの上に鞄から取り出した封筒と防犯ブザーを置いた。
「・・・部員の誰かが、金庫の部費を盗んでいると踏んでいたからね。防犯ブザーを金庫の内側に仕掛けておいた」
草野の罠はこうだ。
防犯ブザーの着脱パーツに紐を結びつけ、その端を部費の封筒に繋いでおく。
その後、防犯ブザーを見つからないように金庫の内側にテープで貼り付けておくと、部費を盗もうと封筒に手をかけた瞬間、着脱パーツが抜けてブザー が鳴り響くというわけだ。
「ーーーそして、金庫の側にこっそり音響マイクを置いておいた。部室中に鳴り響いたブザー音はマイクを通じてスピーカーで舞台と客席中に鳴り響いたって寸法だよ」
「なるほど。そうなると 容疑者は、その時 この建物にいた人物という事になりますね」
「あぁ。3人まで絞り込めたよ」
草野は、次いで、机の上にD棟の見取り図を広げた。
「ブザーが鳴ったのは、昨日の午後4時ごろ。その時刻にこのD棟には 俺を除いて3人いた」
広げた見取り図には、ばつ印が3つ付いている。おそらく容疑者である3人が 犯行時刻いた場所を指し示しているのだろう。
「俺は、ブザーが鳴った時ここにいた」
見取り図の左の方、舞台下手側から客席をぐるりと囲うように音響室への通路が伸びていた。その途中に小部屋があり、草野はそこを指差している。
「音響室への通路の途中にある小部屋だ。物置のような所なんだが、俺はいつもここで舞台の脚本を執筆しているんだ」
「え? なんでそんなトコで執筆してんの?」
足立が怪訝そうな目で草野を見た。
確かに、老舗部活の部長ともあろう者が物置で作業しているのは、いささか不可解な事だ。
「静かで程よく狭いから集中できるんだよ」
「あぁ、なるほど・・・」
「あっと! そうだ!」
草野は、何かを思い出したかのように、手を叩き鞄から1枚の紙を取り出す。見たところパンフレットのような物だ。
「来月、うちの部でやる舞台だよ。こんな時に言うのは何だけど、よかったら見に来てくれ」
「はぁ・・・何の舞台やるんですか」
田中は、差し出されたパンフレットを手に取りながら、何となく尋ねてみる。
すると、草野は目の色を変えて、興奮した声音で教えてくれた。
「ーーーファンタジー要素を盛り込めた純愛物語だよ! ストーリーてしては、さる王国の騎士スティーブと古の魔物の美女クロエが恋に堕ちるところから始まるんだ。しかし、魔物から王国を守る騎士と人間を食べ物としか見てこなかった魔物。種族や価値観を隔てたふたりが徐々に打ち解け、結ばれていく感動物語だよ」
「へー、なかなか面白そうですね」
「題して、《スティーブとクロエの純愛物語! そのとき哲郎は!?》だよ!」
「哲郎!?」
「え!? なに? いきなり知らない人の名前出てきた!?」
混乱する足立と田中を横目に、草野はさらに饒舌に語り出す。
「さっき説明した騎士と魔物の純愛物語だよ。だが、それを魔物クロエに叶わぬ恋をする哲郎の視点で描くんだ!」
「哲郎の存在感があり過ぎて、スティーブとクロエが霞む!?」
「何者なんだ、哲郎!?」
「哲郎は、下町の少年だよ。人付き合いが苦手で、常におどおどとした話し方しか出来ず、そのせいで周囲の人間たちから グズだの、ノロマだの、デクだのと罵られて、人間を信じる事を忘れてしまったただの少年・・・」
「哲郎の設定、悪意に富んでない?」
こんな設置の濃い新キャラを純愛物語にねじ込む辺り、草野の心の闇が深そうな気がする。
「・・・そのせいか、哲郎は人間に興味を無くしてしまってね。人外の魔物に惹かれる様になるんだ。その相手が森深くに隠れ住んでいた魔物クロエだよ。だが、クロエは人間を食物としてしか見てないからね。哲郎も喰われる定めだったんだが、あの・・・哲郎の見た目が、いろいろと“あれ”でね。食欲が湧かないって事で放置されていたんだ。それを哲郎が、特別扱いされていると勘違いして・・・叶わぬ恋を助長させて・・・」
「も、もういいもういい! クロエに優しくされて、勘違いしちゃったんだね!」
「そうっすね! モテない男子がよくする奴ですよね!」
ぶつぶつと呟きながら暗黒面に落ちそうな草野を、急いで引き止める。
「ーーーうん、まぁ そうなんだよ。でも、基本的には、哲郎はストーリーには絡まないだけどね」
「じゃあ、いらないだろ哲郎・・・」
「だな。哲郎邪魔でしかないな・・・」
「いやいや、哲郎はいるよ! ひとつの物語にふたつの叶わぬ恋を織り込ませる事によって・・・」
「もういい! 分かったから。演劇の話はまた今度で!」
「そうですね! 本題に戻りましょう!」
草野を このまま喋らせると、見たくもない彼の闇に触れそうだったので、強引に話を打ち切る。
露骨に不満な顔をする草野。だが、これでいいはずだ。多分。
あと、演劇も見に行かない。多分。
「ーーーそれで、ブザーが聞こえてどうしたんですか?」
「あぁ、ブザー音が聞こえてから大急ぎで部室に向かったよ」
演劇部の部室は、草野がいた小部屋のちょうど反対側。舞台上手側の奥にある通路を進んだ先だ。
「舞台裏を通ってね。その際、下手側の舞台袖に水谷イズミがいた」