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ダルシアンと出会ったのは
二十二歳の時。
医師の資格を取り、けれど僕は医者にはならず、医療用AIなどを作る会社に就職した。
同い年のダルシアンは、そこに二年先に就職していた。
濃い色の髪
長身でやや猫背の彼は
IQが高いと評判だった。
でも、ルックスは悪くないけど
無口でよくわからない人だな、というのが第一印象だった。
けれど。
誰もが頭を悩まし、放り出す問題を
さっさと解決した。
糸口をつかむのが素早いと、遠巻きに尊敬する人が多かった。
話しかける人もいたけれど
ダルシアン本人は、人と会話する間も惜しんで研究に没頭している。
それに、いつも暗~い雰囲気を漂わせている。
でも
僕はそんなことは気にしない。
彼と組めば、必ずすごい経験ができると確信していた。
少々人づきあいが悪くて陰気な人でも構わない。
「君と一緒に研究がしたい!」
はじめ、彼は逃げていたけど
僕のほうが器用で実験がうまいので、研究が進む。
相棒になるまで、そう時間はかからなかった。
彼の構想を、僕が形にする。
彼といると、楽しくて仕方がなかった。
彼が眠っている間に、僕が実験をし、
僕が眠っている間に、彼は考える。
だから会話はそんなに多くない。
お互いをよく知っているとは言えない。
けれど、ダルシアンが強い感情を持っていることは知っている。
たった一人の人を助けるために
研究を重ねている。
コールドスリープしている、
一人の少女のために。
彼はすぐに、社内トップの発明家になったけれど
彼女を救うには、全く足りていないようだった。
「ダルシアン、君と研究がしたい!」
食堂で食事をしていると、俺の隣に座るや否や、彼はそう言った。
誰だ……?
「君、ダルシアンだよね?」
彼は、俺のシャツの胸ポケットに入れてあるカードを、勝手に引っ張り出してみる。
「やめろ。」
取り返した。
彼は自分のカードをこちらに見せる。
「僕はルイス。今年入社した。君と同い年!よろしく!」
片手を差し出す。
俺は握手せず、トレーをもって席を立つ。
「あれ?まだ残ってるじゃない。」
俺は、人から期待されるのは疲れるし、もううんざりしている。
彼は、俺のどんなうわさを聞いてきたのか、目を輝かせていた。
次の日も、彼は俺の隣に座った。
やっぱり。
俺は席を立つ。
「ダルシアン、逃げるなよ。
少しくらい会話してくれたっていいだろ?」
次の日は現れなかった。と思ったら、部署の俺の席に座って待ち伏せしていた。
「早いね。もう食べてきたの?」
俺はため息をつく。
「つきまとわないでくれ!」
彼はにっこりする。
「やっとはっきりした声が聞けた。」
「悪いけど、出てってくれないか。仕事の邪魔だ。」
「仕事ってこれ?この表のとおりに薬品入れてけばいいの?」
彼は手袋をはめ、
「白衣借りるよ!」
手際よく作業した。
俺じゃない。彼の責任だ。黙ってみていた。
俺と研究したいっていうんなら、俺より早くこなせる自信があるんだろう。
「これで全部?」
午後の分の仕事の半分近くが、昼休み中に片付いた。
席を返してもらい、チェックしたけど、ミスなくできている。
驚いた。
「君はどこの」
「ルイス。僕の名前はルイス。覚えて!」
「……ルイスはどこの部署希望なんだ?」
まだ入ったばかりで研修中なのだろう。
「ここがいいな。君がよければ、君の隣がいい。」
にっこりする。
「今日からでもここで働きたいな。
研修ってすごい退屈で。君の仕事手伝うほうが断然面白そうだからさ。
午後は?何するの?」
俺の座っている椅子の背もたれに肘を載せて、俺の顔を横から覗き込んだ。
近い。
「あんまり近づかないで!」
横目でにらんだ。
なれなれしすぎて、威嚇せざるを得ない。
「はは!怖い怖い!」
昼休みが終わった。
「研修に戻れよ。」
「見学も研修のうちだよ!」
とほほ笑んで、うっとうしい前髪を払った。(作業中は自前のヘアクリップで止めていた。)
ルイスは午後中うちの部署にいた。
先輩研究者に付きまとっていた。
彼女は後で言った。
「ルイスが来てくれると助かる!」
俺の器用さは並みだから……。
「かわいいし!」
……自分が雰囲気暗いのは、わかってる……。
ルイスが研究室をのぞいて言う。
「あれ、君はまだ帰らないの?」
「…。」
残業じゃない。
俺は、自分の研究を退勤後にしている。特別に機材を使わせてもらって……。
「それって、君の従妹のための研究?」
誰かからうわさを聞いたんだろう。
「そう……。」
「僕も手伝うよ。指示して。」
試したいことが複数あった。
「どれを先にやるべきか。」
「全部試せばいいじゃない。」
彼はそれらを同時進行で進めた。
作業が終わると彼は言った。
「ごめん、なれない道具と機械だから手間取って……。」
それでも俺よりずっと早い。
「ルイスは何専行だったんだ?」
「医学部で内科医の資格を取ったんだ。」
驚いた。
「それじゃ、こういう研究は、」
「初めてだよ。もちろん下調べはしてきたけどね。」
得意げに、にやりと笑う。
「……。」
俺は……彼と組むことにした。
この会社の社長である叔父に頼んで、ルイスの研修を中止にしてもらった。
ルイスがうちの部署にやってきた。
「ダルシアン、よろしく!」
と、彼は片手を差し出す。今度はちゃんと握手した。
「こちらこそよろしく。一緒に頑張ろう。」
彼となら、リアーナを治せる気がする……。
彼は、ふっと笑った。
「やっと君の笑顔が見れた!
ようやく僕の魅力に気づいたわけか!」
顎をあげ、ニヤッと笑い、流し目でこちらを見る。
俺はびっくりして手を放す。
「!?」
「あはは!冗談だって!」
と、片手で俺の肩をゆする。
「ちょ、やめて!」
「ああ、ごめん!」
手を振る。
なんなんだこいつは……。ため息をつく。俺は楽しそうな彼に、
「ルイス、今日の分の仕事だ」
表を手渡した。少し多めに。
彼は、きちんと時間内にこなした。
半年後には、どのチームよりも速いペースで研究が進むようになった。
次々と成果が上がり、どの内容も製品化できるようになっていった。
俺が指示すると、最初のころはルイスが質問してきた。
「なんで今はこっちを進めてるのに、これのデータがいるの?」
「足りないものはそれだと思うからだ。」
「へえ?」
わからないなりに、ちゃんと仕事をしてくれた。
「ああ!だからあの時あの作業が必要だったわけか!」
単純なことは言わなくてもできるようになっていった。
そのうち、こちらで作業工程を考えなくても、方法を考えてくれるようになった。
俺は、使える時間が各段に増えた。
あらゆる資料を読み、問題点について考え、仮説を立て、ルイスに指示する。
この数値が出るようにしてほしいと、丸投げする。
突破できればまた次の……。
樹木の枝が伸びて成長するように、
研究が進んでいく。
リアーナを治すための材料も、
この中にある……。
「やったことを全部報告してほしい。
できたかできないかじゃなく、内容が知りたい。」
それは、はじめに言っておいたこと。
ルイスは読みやすく、作業内容を毎日報告してくれる。
細かいことも、役に立つときがあるから、俺はそれらも頭に入れる。
ルイスがうまくいかないと言ってくることもある。
彼が躓くということは、商品にするのに障害があるということ。
スムーズになるよう考え直す。彼も意見を出す。
出来上がったプロトタイプと、作業工程の資料を提出し、チェックが通れば、その研究はいったん終わりになる。
ほかの作業員が資料道理に作ってみて、ちゃんとできれば、実際の工場で試料が作られ、特許になる技術があれば申請され、審査を経て商品になる。
俺たちが何とかして編み出さない限り、人の助けになる物は、何もでき上らない。
何も、人に届かない。
ただ……。もっとリアーナの病の研究をする時間がほしい……。
毎日数時間、二人でやっているけど、まだ治す方法がわからない……。
「別の世界に行きたい……。
シアンは、そう思うこと、ない?
……どこか違う世界の、誰もいないところに……。」
いとこのファブリアーナは、そう言って俺を見た。続けて、
「ただ、自由で穏やかな毎日がほしい……。」
俺はうなずいた。
彼女の綺麗な横顔を見る。
紫がかったグレーの瞳。
長く、まっすぐな茶色の髪が
頬にかかってる。
彼女は
頬の髪を
形のいい華奢な手で、耳にかける……。
俺は言う。
「ここから出て、どこか違う場所で、二人で暮らそう。」
リアーナは俺を見る。
「それって……プロポーズみたい……」
そうか……確かに……。
「そう……だね……。」
彼女の目が見開かれ、表情が輝く。
結婚の……約束……。
それは、俺にはまだ夢のようで、
だれにも縛られない、明るく幸福な、どこか違う世界に二人でたどり着きたいという、
子供の願望なのだけど。
「俺は、リアーナとずっと一緒にいたい。」
リアーナが喜びに輝く。
「私も……!ずっと、シアンと一緒にいたい……!」
俺も幸福で……
「リアーナ……!」
「シアン……!」
俺たちは、お互いを抱きしめた……。
そのころの日常は過酷だった。
俺たちが、ほかの人より少しIQが高いために、
周りの大人たちから、将来は多くの人を救う人間になるだろうと期待され、
たくさん勉強させられていた。
……勉強がつらかったわけではない。
二人で上位を取り合って競うのは、楽しかった。
けれど、
大人たちの期待もその分、高まって行った。
多くの人を救うために頭脳を使うのが、あなたたちの役割だと言われた。
みんながそういう目で見た。
大人はそういうものなのだ。
俺たちは、彼らの言う通りの道を進むしかないのだろうか……。
逃げ道もなく
褒め急かされて
大人たちの乞う方向へ走らされ
たった一人で檻に閉じ込められ
期待に応えて、人を救い続ける人間にならざるを得ない……。
まだ、どう生きていきたいか定まらない、十代の僕たち。
何を夢見ることも許されず、
この先、俺たちの自由はどれほどあるのだろう……。
不安を抱え、俺たちは手をつないで歩いていた。
リアーナは、星空のVRが好きだ。
生命のいる可能性がある惑星からの星空の眺めを、作ったりしていた。
「頭が壊れたら、許してもらえるのかな……?」
声に出す前に、彼女は答えがわかっている。
聞き終わる前に、俺も。
大人たちに反抗することも、
過度な期待と愛情の混ざったものが、俺たちに向かないようにすることもできず、
二人でどこかへ逃げることを、何度も考えた。
皮肉にも、勉強に集中している時は、大人たちのことを忘れられた。
「望んで信じていれば願いが叶うんなら、そんなに楽なことはないって思ってたけど、
……こういうこともあるんだ……。」
CTの画像を見て、彼女は言った。
十歳の時から一緒に育った俺たち。
十六の時、彼女は、脳の病気でコールドスリープすることになった。
「運用が始まったばかりの技術に間に合って、幸運だ。」
と、医師は言った。
幸運……?
大人から見れば、不幸中の幸いなのかもしれないけど……
俺にとっては、場違いな、言われたくない言葉だった。
「思ったとおり、みんながっかりしてて、ほんとうんざり。
別の世界に目覚められたらいいんだけど。
シアン、もしそうなっても、悲しまないで。」
二度と会えないかもしれない。
リアーナは、自分のことより、俺を案じていた。
「リアーナ。必ずまた会える。
そしたら、二人で自由に暮らそう。
待ってるから。安心して。
きっとすぐに治療法が見つかるよ。
……そうだ……
俺が見つけるよ。
俺が、リアーナを治す。」
そうしよう。彼女に微笑むと、
「シアン……!」
彼女は、俺の片手を両手で握って泣いた。
……彼女の時が、止まった……。
いつもの場所に、彼女がいない……。
……彼女は、凍り付いて眠っている……。
俺は
それがとても悲しく、
寂しく、
つらすぎる……。
今年入学した大学の寮へ、入ることにした。
引き止められたが、俺は深く頭を下げ、叔父の家を出た。
……俺は……
リアーナの望みを
かなえてあげたい。
大人たちの期待の重圧を、
はねのけてやりたい。
自由をあげたい。
そして、
自分も。
……まずは彼女を治したい。
けれど、
育ての親である叔父の会社、医療用AIや人工臓器などを作る会社に入社することは、
避けて通れない。
なら、最大限活用して、得られるものを得よう。
ルイスは変な奴だ。
よほど俺に興味があるらしい。
しょっちゅうにこやかに話しかけてきて、俺の隣に座ろうとする。
直毛の暗めの金髪、
うっとうしそうな前髪を斜めに流している。
痩身、色白で
年より若く見える容姿
瞳の色は濃い青。
俺たちを見て、女性たちが何か噂している。
そんなだから、はじめは同性愛者なのではと逃げた。
けれど、そうではなさそうで、(女性に振られたと言っていた。)
実験を手伝ってもらったら、複数同時にこなした。
俺の短所が、彼の特技だった。
彼は、俺の構想から、手順、準備、実験、論文、
さらには再実験や特許の申請までスムーズにこなす。
俺たちの研究の中から、いくつも製品化され、
人の助けになるものが作り出された。
それはうれしいことで、
俺は少しだけ、心の安定を得た。
彼と組んでから六年後、
十分会社に貢献したし、二人で独立することにした。
リアーナを治療し、迎え入れ、ルイスと三人で運営する会社を作るために。
自由な暮らしを望む彼女は、名義だけになるだろうけど。
しかし。
前からコツコツ研究していたけど、どうシミュレーションしても、リアーナを治せない。
多くの記憶を失ってしまう……。
俺に考え付く限りをスパコンにシミュレーションさせたし、実験もダメもとで繰り返した。
とても疲れる……。
ルイスは楽しそうにちょくちょく横道に背れて、
何かしらの成功発表や特許をもぎ取っているけど……。
ファブリアーナを治すには、
全く未知の
ブレイクスルーが必要だ。
二階建ての、俺とルイスの研究所。
夜型の俺は、
ときどき屋上に上がって、
夜空を見上げる……。
少しの間、星々を見、
広大な宇宙を思う。
……足りないものや、答え。
……そういったものは、
天体のようにマクロな遠くではなく、
意外と身近なミクロの世界にあるものなのかもしれない……。
見る方向が、視点が違っているから
見えないのかもしれない……
それとも、求めずにいたほうが、
案外向こうからやってきたりするものなのかもしれない……。
独立して二年がたち、
研究所が手狭になってきたので、広い建物を探し始めた。
山間に使われなくなった民間の観測施設があると聞き
俺は一人で訪ねていった。
見てみるとなかなか良さそうなので、もう一日下見しようと思い、
乗ってきたキャンピングカーに泊まることにした。
夜
眠ろうとすると
突然ノックの音がした。
「夜分にすみません。」
ドアを開けると
そこには長身の若者が立っていた。
中性的な顔立ちのその人は、変声前の少年のような声で、
「あ、こんばんわ。突然申し訳ありません。
ひとつお尋ねしたいんですけど、あの観測所に用事があって来たんですが、閉まっていて、何かわけをご存じですか?」
と、品の良い口調で話した。彼女(?)の茶色の眼を見て言う。
「去年、チームが解散になって閉鎖されたそうです。」
「……そうでしたか……。
久しぶりに友人に会いに来たんですが、残念……。
……あ、お休み中のところ、どうも失礼いたしました。」
華奢な体型の若者は、申し訳なさそうにドアを閉めた。
妙な客が気になり、そっとドアを開けてみる。
背が百九十㎝近くありそうなその人は、林のほうへ歩いていく。
長いワンピースのような服を着ており、まるでカーテンが歩いているようだ。
おかしなことに、近くに車が見当たらない。
「待ってください!」
俺が叫ぶと、彼(?)は立ち止まり、振り向いた。少し驚いた様子。
俺は薄着のままその人を追いかける。
このあたりの夜は冷える。
部屋着やカーテン一枚では震えるほど。
彼をまっすぐに見て言う。
「あなたに聞きたいことがあります!話したいことも!」
寒い。息が白い。
「いいですけど。」
彼の息は、白くならない。
いきなり、
若者の背後に、
水銀でできたドームのようなものが現れた。
「では、どうぞ中へお入りください。」
その人は感じよく微笑んで、水銀の中へうずもれるようにして入っていく。
一瞬逡巡したが、俺も目をつぶって通る。
特に何の感触もなく、床に立った。
目を開くと、
広い空間があった。
中央に、透明な日時計のようなテーブルが一つ。
物はそれだけ。
そのあたりと、俺たちの周りだけが明るく(暖かく)、
あとは真っ暗だ。
その人は僕を見て、
「お話の後で、観光案内をしてくださいますか?」
と言い、ニコッと笑った。
俺たちは日時計のそばへ行き
暗闇から滑るようにやってきた椅子に腰かけ
日時計の上に、いつの間にか現れたコーヒーを飲んでいる。
「あの、おひとりでいらっしゃるんですか。」
訊ねてみた。
「はい、一人です。
……そうですよね……気になりますよね……。」
と、所在なげにコーヒーを飲んでいる。
それから若者は、少し落ち着かなげに言う。
「あの、あなたの考えていることを覗いたりなんてしていないので、ご安心ください。」
俺はむせる。
「あ、すみません……。」
彼女(?)は膝の上のカップをいじり、肩を狭める。
なんとか気力を出して、俺は話す。
「単刀直入に言うと、僕は病気のいとこを助けたいんです。
あなたに力になってもらいたい。どうかお願いいたします。」
「そうですか……。
あの……でも、残念ながら、私には医療の知識がないんです……。
でも、協力はできます。
私の体の細胞はあなた方とは違いますし、故郷の技術で成り立っていますから、何かしらの目新しい発見や、多少のヒントが得られるかもしれません。
それでよければ、できる限り協力いたします。」
俺はうなずく。
「それで結構です。ぜひお願いします。」
その人はぱっと笑顔になり、
「それでは、一か月間よろしくお願いします!」
「え?」
暗がりから、無人のキャンピングカーが
ライトを光らせてやってきて、
俺たちの横に停まった。
俺が借りているキャンピングカー……
若者はあわてて、
「あ、すみません、この子、勘違いしたみたいで……」
と、一瞬日時計を見やる。
「観光は明日からお願いします。おやすみなさい。」
急に寒くなり、
キャンピングカーと椅子に座った俺だけが、観測所の前にたたずんでいた。
翌朝。
「いい乗り物ですね!」
その人……長身のエイリアンは、キャンピングカーの助手席で上機嫌だ。
「私のは、ごらんになった通り、そっけないですから。」
今はデニムシャツとチノパンを着ている。
「失礼ですが、人間そっくりの姿に見えますけど、それは元からですか。それとも……」
と、昨日訪ねてみた。
「元からこの姿です。
じぶんと同じ姿の人たちがいる星を選んで、この地球に来たんです。」
「あの、もう一つお尋ねしますけど、……違ったら謝ります。
女性の方ですか?」
「私は、今は性別がないんです。
昔はありましたけど、一人の時間が長くて、無くなりました。
体はそうですし、心は……もともと自分でもはっきりしないです。」
と、話していた。……性別のない人は、この星にもいるけれど、
「一人が長いせいでというのは……?」
人そっくりなエイリアンは、細い手を前髪にやり、
「ええと……私の星では、」
説明しづらそうなので、
「すみません、やっぱり結構です。」
謝って質問を取り下げた。
名前は
「スワロウ」
だと言った。俺にはそう聞こえた。
俺は運転しながら言う。
「僕のいとこは、もう十年以上コールドスリープしています。脳の病気で。」
「コールドスリープですか……。
……私の故郷では、全員が定期的にコールドスリープしていました。」
どこか、痛々しい口調。
定期的に……?どんな必要があってのことだろう。
「スワロウさんの故郷はどんなところなんですか?」
コールドスリープ、冬眠が必要なほど、寒い星なのかもしれない。
ではどうやってこの地球の環境に適応しているのか。
失礼のない範囲内で、情報がほしかった。
それも、リアーナの研究に役立つかもしれない。
けれど、返事は短かった。
「暗くてつまらないところでしたよ。
でも、この星は命にあふれてて、賑やかで楽しいです!
私、植物も動物も、初めて本物を見たんですよ!」
と、くすくす笑った。
キャンピングカーは、森の中を走っている。
エイリアンの若者(?)スワロウは、窓から入る風を気持ちよさそうに浴びていて、肩まであるまっすぐな薄茶色の髪がなびいている。
横顔は少年のようでもあり、女性のようでもあり……。
「あの銀色の、あなたの部屋はあのままでいいんですか?」
「あの子は好きなようにしているし、呼べば来るのでお気になさらず。」
と、上品な笑顔をこちらへ向ける。
俺はルイスに出来事を電話で話し、(とても説明しづらかった。)
スワロウを研究所へ連れて行き、紹介した。
ルイスは俺のことを
「最高な奴だ!」
と言い、何度も大笑いした。
僕たちの今の研究所は、郊外にある。
おととしまで勤めていた会社がいらなくなった施設を、二年前に買い取って整えた。
小さいが、そこそこ新しくて使いやすい。
研究室に置いてあるテーブルを囲んで、俺とルイス、スワロウはコーヒーを飲んでいる。
「スワロウさん、性別は?」
「ルイス、さっき話した通り、失礼だから。」
前のめりの彼をたしなめると、スワロウは、
「あ、いえ、お話しします。
私の星の人は、一定期間、同じ人たちが集まっていると、一人が女性に、数人が男性に変化するんです。
人が入れ替わるとまた変化します。
二人で過ごしていると、男女になります。
一人で暮らしていると、私みたいに性別がなくなります。」
「わあ、なんかドロドロしてそうですね!」
ルイスは楽しそうだ。
彼はまだ、俺の話を完全には信じていないだろう。
俺は確信しているけど……。
「そうですね。
そのほかに、生まれたときから一生女性の人たちが少数いて、祖と呼ばれます。
大昔は蜂のような社会だったようです。
女性が統治していたんですね。
私は数回男性に、二回女性に。
どちらになった時も嫌な感じがなかったので、私の心は両性なのかもしれません。」
まずは血液検査をさせてもらおうかな。それから……
「へえ、あなたの星、興味あるなぁ。……失礼。」
と、ルイスはスワロウの近くに椅子を寄せ、品よくテーブルの上に置かれているスワロウの手を取り、自分の手を重ねる。
「あれ、手が冷たい。寒いですか?」
と、脈を診ている。
スワロウはくすっと笑って、
「半分変温なので、お気遣いなく。」
「細い手。うらやましいな。
皆さん背が高いんですか?そしてお若い?」
「はい。私は低いほうです。
この星に来てからは、さらに少し。
故郷より少し重力が強いからですね。
若く見えるのは、もともと私たちの体質です。
それに、調整もされています。」
ルイスはスワロウの片手に指を絡め、片手を添える。
調整されてるってのは、どういうことだ?
老化を遅らせているのか?寿命を延ばす技術か?
「骨格が華奢ですね。
あ、この三人で一か月過ごしたら、性別変化しますか?」
「ルイス。俺にも質問させろ。」
「いえ、お二人は細胞が違うので、影響ありません。」
と、くすくす笑う。
特に悪影響の心配はないだろうと判断して(この星生まれの友人がいるわけだし。)俺たちはマスクもせずに話をしている。
お互い影響があったら困る。
「そうですか?試してみては?」
ルイスは微笑んで立ち上がり、片手をスワロウのあごの下に添える。
「ルイス?何をふざけて?」
スワロウはうっとりと微笑んで、
「ルイスさんが、もう少し背が高かったら……。」
見つめ合い、ルイスが囁く。
「高かったら?君、いい香りがするね?」
二人はキスした。
「ルイス!!?」
俺は目をそらす。
「……なるほど。」
と、彼はすぐに離れて退室した。
廊下から彼の笑い声が聞こえる。
「あの……私たちの体はアルカリ性なんです。
PHは重曹くらい。すみません、お塩ありますか?」
と、スワロウは手で口を覆う。
「給湯室にありますけど……」
「少し、いただきますね!」
二人とも給湯室へ行った。
少し経って戻ってきたルイス。
「スワロウさん、血液検査受けてくれるって。」
俺はビクッとする。
最初のころ、彼はやたらと俺に近づきたがり、触ろうとしていたのを思い出していたから。
彼は噴き出す。
「ああ!ダルシアンのことは、もうとっくにあきらめてるし、気にしないで!
君は君のままでいいんだ。」
慰めるような口調。
「それより眠り姫を救うんでしょう?僕はそのためなら何でも協力するよ!」
楽し気に笑う。
今の話は録音録画から消しておこう……(スワロウとの会話を記録するためにカメラを回している)……記憶からも消したい……。
ルイスは、少し寂しそうに口元をあげる。
「……そんな怖がらないでよ。最初のころのことは謝るよ。」
俺は思いなおす。
傷つけてしまった……。
「……謝らなくていいよ。」
「ふふ。君があまりにも暗くって一人っきりだから、ちょっと無理にでも僕の存在を示しておきたくなったんだよね。」
「ああ、悪い……。すまない……。」
彼は微笑んで言う。
「君と仕事のパートナーになれて、僕は最高に幸せだよ。」
「うん、感謝してる。
研究に付き合ってくれて、本当にありがとう。ルイス。」
と、俺は微笑む。
彼は、嬉しそうににっこりする。
「君がもし、冷酷な奴だったら、僕は組んだりなんかしなかったよ。
ダルシアンは陰気だけど、
心は温かい、やさしい人間だって、僕は知ってるからさ!」
俺は、ふっとほほ笑む。
「大丈夫、君は必ず眠り姫を救えるよ!」
彼は時々、そう言ってくれる。俺が落ち込んでるときとか。
「ありがとう。ルイス。」
彼がいるから、俺は走り続けられる……。
「あの、ダルシアンさん。」
「はい。」
「あの子は、私の頼みをたいてい何でも聞いてくれるんです。
なので……あなたの従妹を治せるかどうか、聞いてみましょうか?」
「!?……。」
ありがたい話だけど……正直あのドームは薄気味悪い。
スワロウはいい人のようだけど、宇宙船は信用できない。
それに、俺がリアーナを治したい……。
治療法を知っているなら教えてもらいたいとは思う。ヒントだけでも欲しい。
けれど……
スワロウの、俺たちの研究に協力できることを、とても喜んでいる様子が気になる。
人を助けたいという気持ち。
必要とされたいと思う気持ち。
それを断ることはできない。
「いえ、まずは、あなたからヒントを見つけ出したいです。」
銀色のドームに頼るのは、そのあとでもいい。
スワロウは嬉しそうな笑顔で、
「そうですか!お役に立てたらいいですけど……!」
その喜びようには、何か、暗い孤独な過去があるように思える……。
スワロウがどういう人なのか、この星の人間とどう違うのか、知っておきたい。
宇宙船に関しても、スワロウの知っていることを教えてもらおう。
うちにあるすべてのスパコンを稼働させて
ルイスが採血した、スワロウの血液を分析させる。
本人は細い腕でテーブルに頬杖をついて、俺たちの研究を眺めている。
「機械が頑張って動いてるって、いいですね。
私の星の機械は、無言だったので。」
暗い目をして、
「……多くの問題や困難を解決しようとしてあの星の状態になったんでしょうけど、この星のような希望のある時代もあったんだなって。
……この星はいい未来に進んでほしいです。」
ああ……スワロウは
避難してきた人なんだな……
と分かった。
希望のない暗闇の星から……。
俺は言う。
「……あの、スワロウさん、
毎日研究所にいるだけで、本当に観光になってますか?」
本人は観光だと言っているので、話を合わせる。
「もちろんです!
お二人がどんな答えを出すか、わくわくします!」
「スワロウさんて、ほんとかわいい人ですね!」
ルイスは通りすがりに、手の甲でスワロウの髪を暖簾みたいになでている。
スワロウは、恥ずかしそうに、嬉しそうにほほ笑む。
俺は二人を放っておいて、(よくしゃべる人たちだ。)別室へ行き、上がってきた分析結果を見て、思考の網を広げる。
一度仮眠をとってから、一晩中研究した。
翌朝。
いったん家に帰ろうと研究所を出ると、ちょうどルイスが出社してきた。
「昨日、引っ越しの話をしたら、手伝ってくれるって。」
と、彼は研究所の上を指して、
「あの水銀みたいな乗り物なら、精密機器も安全に運べるらしい。」
俺は声を落として言う。
「ルイスはあいつの中に入った?」
「うん。」
「どう思った?」
「確かに得体のしれない感じはあるけど、主であるスワロウの指示には絶対に従うらしいし、取説は僕も読んだけど、ほんとにただの機械っぽかった。」
俺たちは、スワロウの話を録音している。
ルイスが聞いた、宇宙船の説明も、俺は後から聞いた。
『私の頼みを聞いてくれる、忠実な船です。
取説にも、そういう機械だって書いてありました。』
と、話していた。
「なら、お任せしよう。……ところで、なんで聴診器を?」
首に下げている。
そういえば昨日、身体構造についてスワロウから話しを聞いた。(船が作ったという紙の資料を使って。)
いやな予感しかしない。
「医学部。」
「知ってる。」
「レントゲンもMRIもないし。」
「だからってエイリアンに聴診器は意味ないだろ!
楽しそうなのやめろ!
興味本位に医療器具で遊ぶな!」
「ああ、確かに。」
今気づいたらしい。
「……買おう!レントゲンも、MRIも。」
ルイスは前のめりに俺を見上げて、眼を覗き込む。
「……何をひらめいた?」
「視覚聴覚を補助するAIを体内に設置する研究をしたことがあっただろう。
それを進める。読み返しといて。それは仕舞え!」
聴診器を指す。
「了解!」
彼は忠犬みたいな目をして楽しそうに笑って、聴診器を外して引き出しに放りこんだ。
アパートの自室に帰宅して、睡眠をとり、
昼すぎに研究所へ戻ると、
ルイスが、スワロウ用のマイクロチップを作っていた。
マイクロチップは注射すると、MRI ほどではないが、体の状態がわかる。
タンパク質でできており、そのうち分解される。
スワロウに、
「何か、検査できるものをお持ちじゃないですか?」
と聞いたところ、スワロウは頬に片手をやって、
「あの子にはできるんですが、システムに止められていて。」
とのことだった。
「生命維持装置のシステムが、宇宙船であなたの詳しい検査をすることを拒んでいる?」
「はい。」
「それは、僕たち地球人に、あなたのデータを知られたくないということですか?」
「さあ、システムの考えは、私には理解できないので……。」
「システムは、船にあるんですか?」
「いえ……。」
スワロウは辛そうに口をつぐむ。
それから、何か決心したように俺の眼を見て、
「システムは、私の体の中にあります。」
前の会社が、今もつながりを保ってくれている。
というか、保たさせている。
出るときに、叔父からずいぶん引き留められたし、どうしても俺を傘下に入れておきたいらしい……。
研究報告と商品開発の権利を条件に、MRIほかいくつかの機器を貸してくれることになった。
新研究所に届けてもらう。
おじとは仲がいいとは言えないけれど、頼らせてもらえるのはありがたい。
僕とスワロウは、研究所の屋上にいる。
周囲は林に囲まれ、点々と老人ホームや古い寺院があるだけで、町からは離れている。
車通りもない、とても静かな場所。電磁波も少ない。
ここは、精密機器がいくつも置いてある研究所だった。
新しい機種は小型化され、この場所は不要になった。
「ダルシアンさん、一生懸命で泣けてきます。」
スワロウのきれいな目が潤んでいる。
「すべてが従妹のファブリアーナさんのためだなんて…。
ルイスさんは、辛くないですか?」
心配そうに僕の目を見る。
仕事漬けで、プライベートの時間が少ないと知ったからか。
ダルシアンがファブリアーナにばかり尽くしているからか。
「……少し寂しいときもあるけどね。辛くはないよ。ありがとう。」
笑みを作ると、
「そうですか。」
スワロウも口元をあげる。
ダルシアンに信頼されていて、ともに研究ができ、彼の仕事をまぢかで見られる。
僕は、それだけで十分楽しい。
スワロウは景色を眺めて言う。
「私はこの星が大好きです。
……けど、長くいるとそのうち……
友人たちが、一人、また一人、いなくなってしまう……。」
ぽろぽろとアルカリ性の涙をこぼす。
スワロウは、この星の住人よりずっと長命らしい。
僕はスワロウの肩、というか背中に手をやる。(スワロウは僕より十センチ背が高い。)
スワロウの孤独に寄り添う。まっすぐ目を見て言う。
「僕が、君と同じくらい長く生きる方法を教えて。
君の星の人は、なぜ長命なの?」
君を孤独から救いたい。
「……ルイスさん…!」
スワロウは感動して僕に寄り掛かる。
「……私たちも、もとは短命だったそうです……。
けど、古代人たちが作り出したシステムが、私たちの体を変えて長命にしているんです。
事故などで想定の寿命より早く死んだ者は、クローンとして再生されます。
……コールドスリープも、決められたときに決められた期間……
あの星にいる限り、私たちはシステムに……」
暗い声でそう言って、黙ってしまった。青ざめて震えている。
……思った以上に深刻だ……。
スワロウのつらそうな表情が、地獄からやってきたことを表している。
理解できないシステムに、支配されている世界……。
今も、スワロウの体の中にそれがある……。
「……よく脱出できたね。」
「あの子……あの船は、他星のものです。
システムの影響を受けませんでした。
船員が亡くなった後も長く漂っていたのを、私が見つけて呼んで、そのまま乗って、一人で逃げてきたんです……。」
一人で……。
「……つらいだろうね……。」
仲間のことも、もちろん助けたかっただろうけど、とにかくなりふり構わず、システムの支配から逃げることしか考えられなかったのだろう……。
スワロウは、しがみつくように僕の頭を抱えた。ハーブのような香りがする。
「ルイスさん!どうか、祖先と同じような……繰り返さないでください……!」
この星だって、
選択次第では、
生も死も、
システムにコントロールされる日が来るのだということ……
スワロウは僕に涙を落とさないよう、袖で目を覆っている。
「繰り返さないと、約束してください……!」
「うん、わかった。」
震えるスワロウの頭をなでる。
もう僕には
スワロウが大切な人になっている。微笑んでスワロウの眼を見る。
「約束するよ。君を悲しませることはしないよ。
僕は、君がこの星に来てくれてとてもうれしい。
君と出会えて、本当にうれしいよ!
……ところでスワロウ、一個頼みがあるんだけど、僕には敬語なしで話してよ。」
スワロウは、少し恥ずかしそうに、
「……うん!ルイス……!」
と、微笑んだ。
ルイスがはっきりと言った。
「僕が思うに、スワロウは今も言葉を制限されてる。」
俺は彼を見る。
「質問に答えないことや、言いよどむことがあるけど、言えないからなんじゃないかな。」
「俺もそう思う。」
スワロウは心身に、厄介で深刻な問題を抱えている。
俺は、血液検査とマイクロチップから得られたデータから、数か所に人工物があるようだと彼に説明した。
「脳にあるシステムが言葉を制限しているんだろう。
ほかにも、全身の細胞が老化しないよう、コントロールしているシステムがどこかにあるようだ。」
それか、もしかしたら……
「おそらくこの物質が細胞に働きかけている。」
「ん、今の間は何?」
「なんでもない。」
「そう。シミュレーション。」
「よろしく。」
たった二つの検査データでは、いくつか齟齬が出るけれど、ほぼダルシアンの推測通りのようだ。
僕の家のソファーに、僕とスワロウは、寄り添って腰かけている。
スワロウが、僕に言う。
「ルイス……。」
「何?」
「私が中性だったらよかったのに……。」
「僕がアルカリ性だったら……。」
僕はスワロウの片手を持ち上げ、顔を寄せる。
「それは、だめだよ……!
ルイスは、私と同じ体になっちゃだめだよ……!」
首を振り、ぽろぽろと涙をこぼす。
「スワロウ……なら、僕が君を中和するよ。
どうしたらいいか、ダルシアンと研究するから。」
笑いかけ、指でスワロウの涙を拾う。
「……うん……。ルイス……」
「何?」
スワロウは、僕を見つめる。
「……私を……………ずっと好きでいて……。」
僕は微笑む。
「もちろん。スワロウ。」
「ルイス……。」
スワロウも、うっとりと微笑む。
僕たちは見つめ合う。
「スワロウ、愛してる。」
スワロウは心を震わせ、
全ての不幸が
孤独が押し流されたように、
幸せの涙を流して泣いた……。
スワロウがドアをくぐって研究室にやってくる。
「おはようございます。」
「おはよう。」
「あの、今日から引っ越し準備と言ってましたけど、今日引っ越すのはまずいでしょうか?」
「今日?」
と、僕とダルシアン
窓の外が急に真っ暗になる。
部屋の中央、テーブルをどけたあたりに、ガラスの日時計のようなものが、天井を通り抜けて下りてきた。
「電源も安定のまま運びますので、ご安心を。」
スワロウは日時計に近寄り、しばらく黙る。
僕らは、『座っていてください。』と言われたので、着席している。
床下でモコモコ音がし始めた。振動はない。
「基礎を掘り出しているところです。」
「……。」
「では、出発します。」
「……。」
傾きも、加速度もない。
「……到着です。どのあたりに置きましょうか?」
日時計の下の床が透けて明るくなる。
そこから、新研究所の敷地が見下ろせた。
新研究所の隣に、現研究所が立った。
電気、ガス、水道、ちゃんと使える。
スワロウはドームの外面に手を浸してなでて、(なでると少しさざ波が立つ。)
「この子は私の中にあるシステムと同期させてあるから、考えるだけで動いてくれるんだ。」
「魔法みたいだね!」
「あ、魔法使いの友達もそういってた!」
と、笑った。
やっぱり脳にシステムがあるんだ……。
ダルシアンは小石を拾った。それを握りしめ、
「これを取り出せる?」
「できます。」
宇宙船がふわりと膨らんで透明になる。
あたりが暗くなり、日時計が滑るようにやってきて、一瞬のち、ダルシアンは手を開いた。
小石が消えている。
手を降ろすと、空中に石が現れ、床に落ちた。
ダルシアンと僕は、顔を見合わせる。
現研究室から新研究室への荷物の移動は、
スワロウと水銀船のおかげで一日で済んだ。
人里離れた元観測所なので、そちらには住居スペースが何部屋もある。
一人部屋が八つ、二人部屋が四つ。
共有スペースのラウンジには、自販機を置いた。(毎日の食事はこの中に入っている)。給湯室と外に置いてあったやつ。
「僕の家の引っ越しも頼もうかな。」
「いいよ、ルイス!」
午後にはそれも済み、次の日には、前の会社から借りた機器も届いて、設置も終わった。(そちらは業者が。)
スワロウの検査と研究に追われ、
一週間がたった。
俺たちにできる限りのことは調べ、データをじっくり読んだけど、まだまだ不明なことがある。
……今日は休暇。(週二日休業ということにしてある。俺は仕事してるけど。)
ルイスとスワロウは、ラウンジで盛り上がって話をしている。
二人とも幸せそうだ。
俺の存在を忘れていちゃつくのはやめてほしいが!
俺は研究所のガラスドアを押し開け、
傘をさして外に出る。
研究所の周囲は開けていて、地面は土で固めてある。
建物から少し離れたところまで歩いていき、立ち止まった。
確かこの辺に……。
「宇宙船。……二人だけで話ができるかな。」
水たまりの上に、銀色のドームがうっすらと表れる。少し、地面から浮いている。
俺は、それに近づいて言う。
「スワロウを助けたい。
…けど、本人に知られると、スワロウを拘束しているシステムに、反発されるかもしれない。」
どれほど助けたい気持ちがあっても、俺たちにはお手上げだ。
自分たちには、システムの全貌を知る手立てがない。下手なことはできない。
ただ、ドームならなんとかできるんじゃないか……。
スワロウが、生きて故郷をぬけ出せたのは、
このドームが、星のシステムも、スワロウのシステムも、
だましている、または忘れさせているからなんじゃないだろうか。
それができるんなら
システムを無力化することもできそうだ……。
俺の声掛けに反応して、宇宙船の姿がはっきりした。
雨がドームを貫通しているように見える。
「あなたは、スワロウの星で生まれたのではないと聞いきました。
僕が頼んだら、
スワロウを縛っているシステムを、解除してくれますか?
スワロウが束縛から解放されたいと願っているのは、あなたも知っているでしょう?」
小石がワープしたのを思い出す。
ドームなら、スワロウの体内のどこかにあるシステムを取り除けるかもしれない。
『主の頼みを聞く機械。』
今まで船の主であるスワロウ本人が頼めなかったのなら、俺が。
「スワロウを、自由にしてやってください。」
すると宇宙船が近づいてきて
俺を
飲み込んだ。
日時計が遠ざかり……
あたりが明るくなる……。
雨の音が聞こえ……
俺は水たまりに倒れた……。
何とか腕時計を見ると、五分もたっていない。
一時間くらいに感じたのに……。
しばらくは、息をするのも必至で動けなかった。
ドームは、スワロウについて、知っているすべてを
俺の頭にじかに説明してくれた。
スワロウの星のこと。
スワロウがクローンで
DNAがかなり書き換えられていること。
スワロウの体に備え付けられている
システムのこと。
そして、
どのように解除し助けるかということ……。
「この方法でいいか?」
と問われた。
「少し時間がほしい。」
と答えたら
離れていった……。
……俺はようやく肘で上体を起こす。
船は透明で見えない。
「スワロウには乱暴じゃないのに……。」
……目が覚めた。
研究所の自分の部屋だ。
ベッドから起き上がる。
意外と調子は悪くない。
服も髪も乾いて、きれいになっている。
ノックの音がした。
「どうぞ。」
心配そうなスワロウが顔をのぞかせる。すぐ外で待っていたらしい。
「気分どうですか?」
「あんまり。」
ショックだったから。スワロウの顔をまともに見れない。
「ラウンジの前で倒れたんですよ。」
「ああ。」
何とかそこまで歩いた。
「あ、ここに運んだのも、服を乾かしたのもあの子だから、ルイスを勘繰らないでやってください。」
「ああ、うん。」
あいつ医者の免許あるし、目の前で倒れたから、何かしら対応してくれたと思うけど。
「脳震盪だそうですよ。
あの子、謝ってましたけど、何かあったんですか?聞いても答えてくれなくて……。」
謝るんなら、もう少し穏やかに説明してほしかった……。
そして、吐き捨てるな……!もしかして俺を嫌ってる?
……宇宙船が教えてくれたことを、鮮明に思い出す……。
スワロウは長い足を折り曲げて、中腰になって俺の顔を覗き込んでいる。
よく似合っている、柔らかな風合いの白いシャツが、目の端に映る。
医者モードのルイスもやってきた。俺の様子を見て心配そうに、
「ダルシアン!?」
「どこか痛みますか!?」
辛い……。
俺は泣きそうになって布団をかぶって横になる。
「おい!?」
「ダルシアンさん!?」
「もう少し休んだら大丈夫だから。」
「……。……そうですか……なんでも頼ってくださいね?」
スワロウは部屋からそっと出て行った。ルイスが言う。
「何があった?」
布団をはがし、俺の腕をつかみ、腕時計を見る。
血圧や酸素濃度などを確認しているんだろう。
「疲れてるんだ。休ませてほしい。」
「……。」
腕を放し、布団をかけてくれた。深くため息をつき、
「あとで聞かせて。」
「……。」
部屋を出て行った。
俺はベッドから出てドアに鍵をかけ、
机に向かい、
端末を開いてひたすらキーボードをたたいた。
俺は車を運転しながら言う。
「あの銀色の船は、何者なんだろうな。」
助手席にいるルイスが答える。
「スワロウが言うには、
『自分の星より高度な文明が作ったもの。』らしい。
『デザインは味気ないけど、優秀で親切な機械』だって。」
俺とルイスは、森の中をドライブしている。
スワロウを救う計画を彼に話すためだ。
とても気が重い。
二日前に倒れて以来、
何度もルイスから、船から何をされたのか、俺が何をしに行ったのかと心配そうに問いただされた。(ルイスが船に問うても、答えてくれなかったらしい)。
けれど。
ルイスに話す決心がつくまで、時間がかかった。
……いや、決心というよりは、覚悟するほかないという感じだ。
……車を止め、俺はルイスに船であったことを慎重に話す。
「頭にじかに情報を流し込まれた。
スワロウの星がどういう状態で、
システムが人々にどんな支配をふるっているのかを、知った。
そして、スワロウが今、どんな状態なのかということも。
船は、
スワロウの中にあるシステムを、
解除できると言っていた。
スワロウを、救えると。」
と、端末の入っているバッグを自分の膝に置いた。
「スワロウの体とシステムについて、書き留めておいた。
俺たちの調べたデータと合致する。
わからなかった点も、明らかになった。」
ルイスは俺の様子から、
何か楽観できない事態が生じたと、気づいていた。
それが……スワロウのことだと、たった今知った。
俺は、ギリギリと心が痛んでいる。
彼は、わずかな希望を求めるように、
すがるように俺を注視している。
「……ダルシアン。船は、スワロウを、救えると言ったんだね?」
「ああ。」
救える。
救えるけれど……
辛い。
俺は、
二人を引き裂く事実を、宣告をする。
「……ただ、時間がかかると……。それから、遠くで治療すると……。」
彼は
それに気づく。
自分が真っ二つに切られていると。
口先で
ささやいた。
「……どのくらい。」
俺は、
……首を横に振る。
俺に促され
ルイスは息を吸い、
吐いた。
握りしめた手が、震えている。
彼は、しばらく向こうを向いて
手を噛んで
外を眺めた後、
「…………見せて。」
俺たちの仮説は、間違っていた。
スワロウのシステムは、全身に及んでおり、
全ての細胞でひとつながりの、一体構造になっていた。
レントゲンにも、MRIにも映らないわけだ。
小石がワープしたように、
スワロウのシステムを取り除くことはできない。
時間がかかる。
七十から二百年と、水銀は言った。
ルイスと楽しそうに話し
明るく笑う、
スワロウ。
暗い痛々しい声で
故郷の話をする
スワロウ。
……その全身、隅々まで
……呪いに侵されている……。
それを解くには、多くの時間が必要……。
ルイスがつかんでいる端末が、
きしんでいる。
彼は苦しそうに、
肩で息をしている。
見てのとおり、
俺たちには、解除できない。
俺たちには、
スワロウを救うことは、
できない。
「……どのくらい。」
ダルシアンは、首を横に振った。
もう二度と、スワロウに会えない……。
後戻りは、できない……。
ダルシアンの判断だ。
僕も同意するだろう。
彼が、そう判断せざるを得なかった、その内容を、
……見なければ……
スワロウを救うには、
見て、
納得して、
同意しなければ……
そして、
それと引き換えに、
永遠に会えなくなる。
それでも僕は、スワロウを救いたい。
「……見せて。」
スクロールすると、何の抵抗もなく、次の記述が出てくる。
悲惨な現実が……。
……救いたい……!
ひどすぎる……!
スワロウを……
解放したい……!
今すぐに……!!
怒りと悲しみが、同意する。
……ダルシアンの、僕とスワロウを避ける様子から、なんとなく察しはついていた。
スワロウを救えないか、
もしくは僕とスワロウを引き離さなくてはいけないのか。
後者でよかった。
僕は、涙を流しながら顔をあげ、ダルシアンを見る。
「ダルシアン……
僕に伝えるの、つらかっただろう。
でも、
救えないのかもしれないって、思ってたから、ほっとしたよ。
救えないけど一緒にいられる、よりも、
二度と会えないのだとしても、救えるほうがいい……。」
彼は同情して僕の眼を見る。
「ルイス……。」
「ああ……短かったけど……スワロウと過ごせて、楽しかった……。
君が船に聞いてくれてよかった……。
君から、この話を聞けて良かった……。
機械から聞かされたくはないから。」
僕は微笑む。
「ありがとう。ダルシアン。」
彼も、涙がにじんだ。
「俺も……本人と一緒に医者から伝えられるより、ルイスから聞きたかったな……。」
ファブリアーナの病気を宣告されたときのことだ……。
……誰も、どの医者も、彼女を治せない。
眠らされて……
いつ……目覚めるのか、わからない。
二度と、会えないかもしれない。
なのに、俺は、何もできない……。
もうすぐ彼女は、冷たく凍る……。
それは、俺にとって、失うのとほとんど同じこと……。
現実だ、現実だと、誰かがつぶやいている。
リアーナは言う。
「いいの。……どうせなら、私を縛る人がみんないなくなってから目覚めたいな。」
俺を見て、
くすっと笑った。
「そしたらシアンはおじいさんになっちゃってるね!」
「……。」
「シアン。……生きててよ?絶対だからね?」
翌朝。
俺とルイスは、
運んでほしいものがあると嘘をつき、
スワロウとともに、ドームに入った。
相変わらずこの中は、俺たちと日時計の周りだけが明るく、
あとは闇。
『システムに気づかれるな。』
ルイスには、そう話してある。
「ルイス、ここんとこ、元気ないね?それに、なんだか悲しそう……。」
スワロウはルイスの肩に手を置く。
「そんなことないよ。忙しく研究したから、疲れてるだけ。」
と、ルイスは笑って目をこすっている。
「そう?じゃ、これが終わったら昼寝しよう!」
スワロウはにっこりする。
ルイスは愛しそうにほほ笑み、うなずく。
「新しい自販機だったね。場所はどこ?」
裾の長い、白色のワンピースのような、軽やかな服を着たスワロウは、
一歩、一歩、
俺たちから離れ、
(明かりとともに分離し)
優雅に歩いて、
日時計へ向かう。
ルイスが震えて涙をこぼす。
俺は言う。
「その方法でいい!」
何事かと振り向いたスワロウは、
その瞬間、
足元から沸き上がった液体に、
包まれるように飲まれた。
そのまま、山のように立ち上がった透明な液体は、
大きな四角い水槽の形になる。
スワロウは、その中を、
ぽつぽつと小さな泡をあげながら、
死んだように漂っている。
「スワロウ!!」
ルイスは水槽に駆け寄る。
うっすらと目を開け、
長めの髪と衣をなびかせて、
長い手足のスワロウは、
動かない。
「スワロウ!!」
ルイスは走る。
けれど、あと一歩で水槽に触れることができない。
水槽も、日時計も、
遠ざかっていく。
「待て!!連れて行かないで!!」
悲痛な叫びが響く。
「お願いだ!僕も一緒に連れてって!!」
俺とルイスは、銀船の外に出された。
「行くな!!」
ルイスは必死に追いかける。
けれど、
船は空へと昇っていき、
上空へと、一瞬で飛び去り、
見えなくなった。
「スワロー!!あああ!」
ルイスはくず折れる。
「どこへ連れて行くんだ……!!
僕を置いていかないで……!!
いつまで待てば……!」
俺は彼に近寄る。
「……ずっと一緒にいたかったのに……!
何もいらないから、そばに……!」
俺は彼の背に、
そっと手を置いた。
……それから研究所へ戻った。
しばらくして、俺の部屋のドアがノックされた。
開けると、
いつになく服が汚れ、
髪も乱れて、
袖を濡らしたルイスが、
うつむいて立っていて、
つぶやくように言った。
「眠り姫を救うためなら、どんなことでもするよ。」
それからルイスは、ほとんど休まずに仕事を続けた。
やめとけと、言いたかった。
でも、言っても聞かないのは明らか。
少し休めと言うと、
「わかってる。でも、放っといてくれ。」
とても見ていられない……。
スワロウは帰ってくる。と、言ってやりたい。
必ずまた会える。と、諭してやりたい。
……なのに、できない……。
いつもの場所に、リアーナがいない……
リアーナは、凍り付いて眠っている……
二度と、会えないかもしれない……
二日目、とうとう倒れた。
それでも研究しようとする彼を肩に担ぎ、
何とか彼の部屋へと運んだ。
ベッドへ寝かせ、靴を脱がせ、青白い顔に言う。
「何かいるものあるか。」
彼は薄目で俺を見て、
近寄るよう合図する。
かがむと、
彼は俺の首に片腕を回し、
顔を引き寄せた。
すぐに、
彼の口が、俺の口をふさぐ。
片手が顎に。
……仕方ない……。
口を開けさせられる。
彼の舌が、俺のに触れる。
両手で力を込めて、
頭をつかまれる。
寂しさと、
恋しさが、
俺を身代わりにして
放さない。
悲しみと、
怒りと、
痛みと、
妬みが、
爪を立てて
俺をつかむ。
ルイスは泣きながら離れると、目を腕で覆って言った。
「……苦くない……。」
重症の彼に言う。
「……二日休んだら、また働いてもらうから。」
「うん。わかってる。……ごめん。許して。」
弱々しい声。
「……謝らなくていいから。」
布団をかけてやり、
彼の部屋の冷蔵庫から、水と栄養補給飲料のボトルを出し、サイドテーブルに置いた。
彼が言う。
「ダルシアン……コールドスリープしたい……。」
「……わかるよ。」
俺も、リアーナと一緒に眠りたかった……。
俺は……部屋を出た……。
二日後。
昼に起きて研究室へ行くと、
見かけ上はほぼ普段通りのルイスが、テキパキと働いていた。
スワロウの星の古代人たちのうち、
ほんの数人が、願いを実現させた。
病にならず、皆が寿命を全うできる世界を……。
その純粋な願いを満たす技術は、権力者、AI、多数の人たちによってアップグレードされ、
全ての人を支配する呪いとなった。
他星へ行く船もなく、
他星からの救助も難しく、
文明は後退し、
自分たちを支配するものについて知る人はいなくなり、
街や仕事や娯楽があっても、
取り囲んでいるのは、闇と静寂。
ある程度、体のシステムが劣化するまで死ねない。
それまで生きる気力がなく、自殺しても、
クローンとして目覚める。
本人は覚えていないが、スワロウも数回自殺している。
と、ドームは言った。(ルイスには話していない。)
自殺者、心中者が後を絶たないらしい……。
スワロウは、趣味の天体観測で、偶然ドームを見つけた。
スワロウの発した信号に、
ドームは答えて下りてきた。
ドームは呪いの影響を受けなかった。
乗船したスワロウに、ドームは、
「自分は一人の主の頼みを聞くために作られた機械だ」と、説明した。
スワロウは、主不在のドームの新しい主人となり、
「文明が発達していない世界へ行きたい」と頼んだ。
スワロウの頼みを、ドームは何でも聞いた。(デザインの変更はできなかったらしい。)
ただ一つ、
呪いから解放されたいという願いは、
スワロウから頼むことができなかった。
それがわかっているドームは、
特例として、俺の頼みを聞いたのだ。
システムを取り除く方法は、
とてもじゃないけど、俺とルイスにはできないやり方だった。
一度細胞をばらすと言っていた。(ルイスには話してない。)
……作業中の状態を見れないようにするためのやさしさか、
それともこの星があまり好きじゃなかったのか、
何らかの必要性があったのか、
ドームはどこかへ行ってしまった。
けど。
スワロウが目を覚ましたら、
必ずこの星に、戻ってくるだろう。
……ルイスが生きているうちに帰ることを……祈るしかない……
リアーナは、いつか目覚める。
……いつ?
自分が研究すればいい。
同情している彼のやさしさに、
僕は、甘えた。
スワロウと、
もう二度と会えない。
僕は、
何もできなかった。
スワロウを、
失ってしまった……。
スワロウを治してやれなかった代わりに、
ファブリアーナを助ける研究に没頭して、
少しでもショックを、悲しみを、和らげようとした。
けれど、
ショックは薄まらないし、研究するほど、
ダルシアンがうらやましくなった。
彼は、ファブリアーナのために、できることがある。
彼なら、研究を続けていけば、いつかは彼女を目覚めさせることができるだろう。
妬んでいることに気づいた……。
僕がダルシアンを妬むなんて……。
……ダルシアン……!
彼に縋り付きたくなった。
悲しみも、
妬みも、
恋しさも、
痛みも、
怒りも、
全部彼に受け止めてもらいたくなった。
「何かいるものあるか。」
スワロウ以外に……
それは、痛みを分かち合ってくれる人……。
僕は、彼のやさしさに甘えて、
縋って、
彼を引き寄せて、
強引にキスした。
抵抗しないだろうと思った。
彼はただ、受け止めた。
普段の彼なら、抵抗せずにはいられないことだろうけど。
なぜ?
なぜなのか、僕は知っている。
知っているから、そうしたくなった。
けどすぐに、
妬みや怒りより、
悲しみと恋しさが勝って、
彼を放した。
「……苦くない……。」
そのことが、とても悲しかった。
「ごめん。許して。」
……謝る僕に彼は
「謝らなくていい」と言った……。
やさしさに、救われ、慰められた……。
妬んでごめん……。
彼がファブリアーナのために、
今までどれほど努力してきたのか、
一番よく知っているのは僕なのに……。
僕の部屋のソファーで、僕はスワロウに言った。
「スワロウ。愛してる。」
……スワロウは、幸せの涙を流した。
……泣き止むと、
まるでやさしい神様のように、
美しく微笑んで言った。
「ルイス。……私も愛してる。」
と。僕の両腕の中で……。
……スワロウを、失ってはいない。
……スワロウは、必ず僕のところへ帰ってくる……。
……目覚めてからは、理性が戻った。
怒りも妬みも消えていた。
……ダルシアンにしたことを、後悔し、深く反省した。
けれど……
「謝らなくていいから。」
あの口調……
やっぱり彼も、
ファブリアーナが眠った後、僕と同じような状態だった……。
いない人を切望し、
嘆き、
やさしい人に泣きつきたくなる……。
……だから、僕に深く同情したし、許した。
……出会ったころの彼は、とにかく陰気で、暗い目をしていた。
彼は、僕をあんまり見ていなかったけれど、
僕はずっと、彼を見ていた。
彼なら、この気持ちを受け止めて、痛みと悲しみを分かち合ってくれると、
そして許してくれると、知っていた。
彼は同情して、僕を見ていた。
僕の痛みは、この研究に向かった当初の、彼自身の痛み。
彼は、僕を慰めたいと思ってくれたし、
同時にそれは、当時の彼自身と向き合うということ。
そこから始まったのだと、改めて思い出して、
今彼は何を思っているだろう……。
僕がスワロウのために、
そして、僕自身のために、
できることを見つけるのを、待っている……。
僕のすべきことは、
スワロウを、待つこと。
愛を見失わないこと。
スワロウの望みを、かなえること……。
俺も研究を始めようと、端末の前に着席した。
すると、ルイスがやってきて言った。
「この間は、本当にごめん。
……ダルシアンは謝らないでいいっていったけど、その言葉に慰められたけど、後悔してる。
君にも、スワロウにも、ファブリアーナにも、悪かった……。」
知ってる。
後悔するだろうとわかっていて、止めなかった。
同情から。
リアーナが眠った直後の自分と、彼が重なった。
俺は言う。
「……気づいたことがある。」
彼が、スワロウを救うことに同意した時から。
彼は顔をあげ、後悔の眼で俺を見る。
「自分の寂しさに気づいた。」
……思いかえすたび、
ルイスは叫び、
怒り、
嘆き、
悲しみを追いやろうとし、
スワロウを求め、
俺にしがみついた。
そのたびに、俺は、俺自身に気づいた。
それらは、過去の自分に在った感情。
そして、今も、
彼と同じような人恋しさと、寂しさがある。
長い間なかったのだけど……。
いや、気づかないふりをしていたんだ。
「……それと、ルイスにもっと感謝すべきだと。」
彼を見上げ、少し微笑む。
「俺も後悔している。」
「……。」
「リアーナのためという独りよがりな目標へ進むために、
ルイスはいつも隣で頑張ってくれていたのに、
ちゃんと大切に思っていなかった。」
ルイスは、俺が思いつくたび、あらゆる研究をこなしてくれた。
任せっきりにしてしまっても、
不満ひとつ言わずに、成果を報告してくれた。
なのに、俺は自分のことに必死で、彼をあまり見ていなかった。
もう、八年も……。
深く同情し、痛みを受け止めたことで、
俺は初めて彼と向き合った。
「……ずっとこれまで、
リアーナには俺しかいなくて、
俺にはリアーナしかいないと思って、
彼女の自由のために研究してきたけど……
この先リアーナを治せたとして、
当時と同じ関係を続けられるかというと、
それは難しいということに気づいた……。」
彼女は十六のままで、俺は三十歳になっている。
「……一緒に悩んでいた、大人たちからの期待の圧力を、
俺はもう苦しいと思わなくなっているし、
彼女は自分ではねのける力を持っているとすら、
思うようになっている……。
変わらないつもりでいた。
変わっても、
気づかないふりをしていた。
……彼女を救いたくて進んできたけれど、
いつの間にか彼女と離れ、
見失ってしまっていると、気づいた……。
……彼女と歩めないのなら、
俺は、
たった一人だ。
だから、俺にもルイスと同じような感情がある……。」
俺の、寂しさを埋める研究を
ずっと支えてくれていたのは、
ルイスだ。
スワロウを治せない代わりに、
リアーナのための研究を進めているルイスの姿を見て……
彼に、謝りたくなった。もういいからと、言いたくなった。
「でも……だからどうということじゃなく……」
それでも考えて、
たどり着いた答え。
「俺は、このまま研究を続けたい。
目覚めた彼女が俺を嫌うとしても、治したい……。」
でも、ルイスは……
スワロウの代わりだとか、
リアーナを治す可能性を持っている俺と続けるとか、
そんなのはこちらも辛すぎるし、
だからルイスは下りてもらって構わない。
そう言おうとした。
「独りよがりじゃないよ!!」
はっきりした声に顔をあげると、ルイスはまっすぐに俺を見ていた。
「ファブリアーナは、必ずダルシアンに感謝すると思うし、新しい治療法は、多くの人を救う。
僕だって、彼らのために、研究してきたんだ!
確かにスワロウのことはひどくショックだったけど、いつか会えると信じて待つことができる。
必ず帰ってくるから!
……ダルシアン。僕は、君の力になりたい!」
……力強い……。
「…ありがとう。」
彼と向き合ったことで、彼と手がつながった。
彼の手が、俺の手を引っ張っている。
頼もしいな……。
そう。ルイスは最初からそういうヤツだった。
彼の強さに気づいて、俺は彼と組もうと思ったのだ……。
俺は微笑む。
ずっと、彼に支えられてきた。
感謝しかない……。
……そうだ。
俺たちは、進むしかない。
『いい未来に進んでほしいです。』
『どんな答えを出すか、わくわくします!』
……スワロウの言葉だ。
「ルイス…一緒に研究を続けてほしい。いい未来を作るために。」
いい答えを見つけるために。
そうして待っていよう。
いつか、この星に帰ってくる
スワロウを。
ルイスはうなずき、
「もちろん!」
嬉しそうに笑った。
……明るい……。
俺も……うれしくなる。
彼は、指示を待つ賢い犬みたいな目で俺を見る。
「それじゃあ、次は……」
二年後。
とうとうついに、
ファブリアーナを治療する方法が確立した。
スワロウのシステムの一部をヒントに、組み立てた。
汎用性があり、あらゆる病の人に使える。
しかし。
「老化しにくくて、長命になってしまう。どうしても……。」
俺は頭を抱える。
スワロウの星の闇が、ぬぐい切れない。
計算によると、平均寿命が数倍も長くなることになる。
でも、どれも省けないし、組み替えられない……。
あらゆるシミュレーションをしても、それ以上のものにならない。
ルイスが言う。
「これで完璧に完成してるんだ。長命の点は、後々改良できる時が来るよ。」
そう思うしかない。ため息をつく。
「探し続けるしかないな。」
「……ダルシアン。ひとつ頼みがあるんだけど。僕を検体一号にしてほしい。」
ハッとする。
「大丈夫。自分で処置するから。君に迷惑はかけないし、長命になれば、それだけ長くスワロウを待てるから。」
プログラム通り手術するのは機械だ。調整が済めば、受ける人は誰であっても同じ。
俺はうなずいた。
「わかった。」
半年かけて準備した。
俺はルイスに言う。
「何度も確認してるけど、これは非合法な技術だし
学会で発表してないから、正規の手順を踏んでない。
ほんとにこの段階でいいのか?」
「いい。
学会を通したら何年かかる?
若いほうが成功率が高い計算なのに、これ以上待てない。」
俺たちは、今年で三十三になる。
「……わかった。始めよう。」
3Dプリンターで作ったAIの入った生体機器を脳底に固定し、肝臓の下に新しい組織をつける。
組織は、あらゆる病を治すための物質を合成する工場のようなもので、材料となる物質がごく少量ずつ保存されている。
AIは、それらに指示を出し、コントロールする。
材料の培養をし、運搬し、本人に治療経過の報告をする……。
機械による手術は、一時間ほどで終わった。
俺は半日、ルイスが目覚めるまで見守った。
「ルイス?」
目覚めた彼に近寄る。
彼は俺を見上げる。
「……ダルシアン……。」
「無事終わったよ。」
俺は微笑む。
「うん。ちゃんと額に画面が出てる。……設定通り機能してるよ。」
彼だけが見える画面だ。AIの報告が表示される。(特別に作った仲介機を額に貼れば、端末の画面でも見れる。)
「よかった。」
「痛いけど。」
顔色がよくない。
「食事を持ってきた。食える?」
いつもの自販機食。
電動ベッドで上体を起こして食事させた。
これから何か月かかけて、内設したシステムで、全身のDNAを書き換えていく。
合法でないのは、この点……。
「若返るの、うれしいな!」
とルイス。
代謝がよくなり、細胞が老化しにくくなるため、二十歳ほどの外見まで若返ることになる。
ルイスは忙しくても身ぎれいにしているし、体型も変わらず若く見えるけど。ナルシストなんだろう。
「次はダルシアンが施術を受けたらいいよ!
初めて会ったころのダルシアンは、白髪が一本もなくて、肌キレイでかわいかったな!
今も手帳(携帯端末)に隠し撮りした写真が」
俺は、ふっと笑う。
「点滴に毒盛るぞ。」
「ああっでも今のほうが男前だから、エイジングも楽しみなんだよね!迷うな。
……あれ?ダルシアン?」
退室した。
体調が悪い時の彼は、節操がなくなるらしい。
くだらないこと言ってないで休んでろ。
でも、ひとまずほっとした。
「冗談だって。……痛っ」
僕の部屋のソファーで、
スワロウが言う。
「ルイス……。」
「何?」
「私が中性だったらよかったのに……。」
「僕がアルカリ性だったら……。」
スワロウの手に、顔を寄せる。
「それは、だめだよ……!ルイスは、私と同じ体になっちゃだめだよ……!」
涙をこぼす。
「スワロウ……なら、僕が君を中和するよ。
どうしたらいいか、ダルシアンと研究するから。」
指でスワロウの涙を拾う。
「……うん……。ルイス……」
「何?」
スワロウは僕を見つめる。
「……私を……………ずっと好きでいて……。」
……スワロウは……、僕に言いたいことがたくさんあったはずだ。
この録音は、今の研究所に引っ越す前のものだ。
僕とダルシアンは、スワロウといるときはいつも腕時計で録音していたし、
研究所のあちこちに、センサー付きのカメラを設置していた。
画像も音声も、今は僕が全て持っている。
スワロウの声を聴くと、姿を見ると、涙がにじむ。
こうして聞いていると、鮮明に思い出す。
「……ずっと好きでいて……。」
『もちろん。スワロウ。』
「ルイス……」
僕たちは見つめ合う。
僕は言う。
『スワロウ、愛してる。』
スワロウはまるで、
呪いが解けたかのように、
幸せの涙を流した。
「ルイス。……私も愛してる。」
僕を抱きしめた……。
「スワロウ。待ってるよ。何年でも、君を待ってる。」
ルイスの施術から一か月がたった。
毎日、彼の体とシステムの状態を、データに取っている。
「順調みたいだな。」
「うん。」
「……なあルイス、考えてることがあるんだけど……」
「何?」
「大量に書いた、……スワロウのシステムについてのデータだけど……。」
「……うん。」
「消してしまってもいいかと思うんだけど……。
俺の記憶には全部残ってて、もう発想の材料になってしまっているんだけど、
端末に入力したヤツは、どうしよう……?」
「ううん……」
ルイスはもう二度と見たくないと思っているだろう。だから俺が……
けれど。
「僕が預かってもいいかな。
もう一度見て、消していいと思うところを消すよ。」
「……無理はするな。」
心配だ。
「うん。」
彼は笑みを浮かべて見せる。
……あのシステムの解除は難しすぎるとしても、仕組みは理解できた。
もちろん、この惑星の人間にそのまま流用できるものではない。
けれど、悪であっても完成されたシステムからは、無数のヒントが得られる。
AIも細胞学も、使い方次第で兵器にも医療機器にもなる。
多くを学び、歴史を知ることも、新しい発見や発明に必要だ。
でも……。
あのデータは消してしまいたい。
俺とルイス以外、だれも知る必要のないものだから。
十日ほどたって、ルイスが言った。
「あのデータ、全部消したよ。ちょっとすっきりした。」
俺はうなずく。
リアーナにシステムを設置できるまで、何年かかるだろう。
学会で発表して、複数のチームが検証して、試験して……
五年はかかるか……。
その前に、俺は自分自身にも、システムを設置しようと思う。
リアーナは十六歳のまま目覚め、
十六歳の外見のまま、最長四百年生きることになる。
俺も、彼女と一緒に生きたいと思うから……。
ルイスと同じように、システムを入れて、
リアーナを待っていよう……。
「ダルシアン。君も、システム入れるんだろう?」
「ああ。」
ルイスが嬉しそうににっこりする。
「だったら早く設置しよう。準備するね。」
「え、これから?」
ルイスが発表準備そっちのけで、俺のシステム作りを始めた。
三日後。俺は機械に囲まれた電動ベッドに横になった。
目覚めると、ルイスがそばで手帳をいじっていた。
「あ、ダルシアン!」
彼は嬉しそうに立ち上がる。
近くのワゴンから水のボトルを取る。リモコンでベッドを起こす。
「調子どう?」
「痛い。一度に二か所はしんどいな。」
キャップを開けたボトルを手渡してくれた。俺は毛布から手を出して、受け取って飲む。
ボトルが重く感じられる……。
ルイスが顔を背けた。俺は上半身何も着てない。
彼はワゴンから俺のパジャマを取り、ボトルを受け取った。
「着せようか。」
「ああ、手伝って。」
しんどい。ルイスはこの状態でしゃべってたな……。
ルイスは俺にパジャマを着せ、前立てのボタンを留めながら、
「辛そうだね。食べれそう?」
「あんまり……。」
「でも、食べたほうがいいよ。持ってくるね。」
やさしく微笑んで食事をとりに行った。
戻ってきた彼に言う。
「お前は発表準備をして。何かあったら呼ぶから。」
「了解。」
彼は研究室へ行った。
……そうさせないと、俺に食べさせて、寝かしつけて、子守唄を歌い始めそうな雰囲気だった……。
一週間後。
抜糸も済んで、調子が戻ったので、発表準備をルイスと一緒に進め始めた。
ラウンジで食事をしていると、ルイスがやってきて言った。
「ダルシアン、しばらく前から思ってることがあるんだけど……」
「何。」
「今、この治療技術を必要としてる人たちがいるだろうと思うんだ。」
「……。」
「学会を通すと、間に合わないような……」
「そうだな。」
一人でも多く助けたい。それは、お互い思っていることだった。
コールドスリープするか、
システムを設置して完治し、長命になるか、
どちらを選ぶかは、人によって違うだろうけど……。
「治療を進めつつでも、発表準備はできる。」
「うん。」
俺は、しっかりとうなずき、ルイスの眼を見た。
「うわ……何、この……胡散臭い画面……。」
ルイスが引いている。
「仕方ないだろう!」
即席で、患者募集のページを作った。
患者の状態や病名、残り時間などを入力してもらう。
適合者にはこちらのアドレスを送る。
オンラインで面談をした後、ルイスが本人に会いに行く手筈。
ルイスがページを手直ししてネットに上げると、
三日で数百人の応募者が集まった。
中にはいたずらもあるだろう。
症状などの書き込みが病名と合っていないものなどはAIが削除する。
中には、物心ついた時から機械につながれていて、VRの中だけで暮らしている子もいた。
今は、車や飛行機に乗れない人や、遠方にいる人は受け入れられない。
心苦しい……。
あの船があれば……。
三十人が、治療を受けることに同意し、研究所にやってくることになった。
より速い治療が必要な人から受け入れ、
再度本人の意思を確認したのち、
治療を施した。
一人、また一人。
順調に病がよくなっていく彼らを見ていると、こちらもうれしくなる。
ルイスもうれしそうだ。
俺は、患者たちにはっきりと言う。
「このシステムは、外見が年を取らず、寿命が長命化してしまう欠点があるけれど、
かならず、五年以内に解決するので、待っていてください。」
半年後、
三十人全員の治療が終了した。
半数はもうここを出て、新しい日常を送っている。
学会に提出する資料も作り終えて、
あとはもう一度チェックして送るだけになっていた。
夜中。
非常ベルが、鳴り響いた。
僕は飛び起きて、廊下に出る。
階下から、煙が上がってきている。
「火事だ……!」
二階の部屋にいる子たちが次々やってくる。
「外へ!」
僕は二階の部屋を急いで確かめる。誰もいない。
一階には、自分で歩けない子がいる。
急いで下に行き、ほかの子と一緒にその子を担いで、外へ運び出す。
「一階は誰もいない!」
と、だれかが言った。
スプリンクラーが作動していて、みんなびしょ濡れになった。
外へ出てる。
見渡して、
僕は、ぞっとする。
「ダルシアンがいない……!!」
止められたが、研究所の中へ戻った。
煙は、
研究室の左奥にある、
機材室の中から。
閉まっているドアのドアノブを触って、
やけどした。
「ダルシアン!!」
ドアに体当たりする。
びくともしない。
ドアの下から、
赤い炎を生やした液体がしみだしている。
彼のいる研究室から外へ出る出口は、
これ一つしかない。
「ダルシアン!!」
白衣でドアノブをつかんで開けようとした。
すぐ内側に倒れているかもしれない。
けれど、患者が四人来て、問答無用に僕を外へと連れ出そうとする。
両足を引きずられる。
「いやだ!離せ!ダルシアン!!」
隣の建物、元研究所から、患者が一人走ってきた。
誰もいないと、廊下にいる僕らにジェスチャーした。
機材室で、
何かが爆発する。
ダルシアンがいる部屋の、
高いところにある窓が、
割れる音がする。
息苦しさと
匂いに気づいて
振り向いた時にはすでに、
退路近くにある機械が
炎をあげ始めていて、
漏れ出た無臭で可燃性の液体が、
急速に成長する
赤黒い炎とともに、
広く床を這って、
足元まで来ていた。
……熱い炎。
焼きつくそうと、
俺を取り囲んでいる。
炎を突っ切るしか、逃げ道はない。
……突然、焼けつく熱が弱まった。
炎の揺らぎがゆっくりになり、息苦しさが消えた。
誰かが、
炎の中からやってくる……。
炎から出て、
俺の眼の前に現れたのは……
…………リアーナだった……。
お気に入りだった、紫とグレーとピンクの花模様のドレスを着ている。
十六歳のリアーナは、生き生きと言う。
「私は別の世界へ行くの!シアンも一緒に行こう!」
嬉しそうに微笑んで
俺に手を差し出す。
十六歳の俺は、
迎えに来てくれた彼女に、喜んで手を伸ばす……。
……でも、手を取らず、下した。
「リアーナ。
俺はずっと、リアーナを自由にしたいと考え続けてきた。
リアーナが、生きていたいと思えるようにしたいと。
……でも、気づいた。
リアーナがそうしたいと望めば、道は開けるんだ。
天文学が好きなら、天文学者になる道を進めばいい。
望めば、願いをかなえられるんだ。」
「シアン……?」
不満で不安な顔。
「君を治せる治療システムを作ったんだ。
リアーナ。
望んで。
挑戦して。
夢をかなえて、生きて。」
「シアン……!」
「さあ、戻って。」
俺は微笑んで手を振る。
彼女は首を横に振る。
「いや!!
シアン!私はシアンが世界で一番大切なの!!
私が望んでるのは、
シアンと一緒に行くこと!!」
「俺もリアーナが世界一大切だ。
だから、生きて。
……俺の友人が、君をサポートする。彼を頼って。」
「そんな……!」
彼女は目を伏せ、うつむく。震えている。
リアーナが眠ってから十七年、
思い描いていた形とは違うけど、
これが、
俺が君のためにできることの、すべて。
どうか、受け取ってほしい。
俺の願いを、俺の研究成果を、
リアーナは、
苦しみながら受け取る。
「シアン……
全部間違ってたら、許さないから!」
そう。それでいい。
君は生きていて。
俺は近づく。
「幸せを祈ってるよ。」
彼女がこちらを見上げる。
両手を握りしめ、震えて、
たくさんの涙をこぼしている。
俺はリアーナの髪に触れる。
「ありがとう。」
十七年分変わってしまったのに、別れを惜しんでくれて、俺は幸せだ。
炎も研究所も消えて、どこだかわからない場所にいる。
「……!……!」
彼女の声が聞こえなくなる。
でも、なんて叫んだのかはわかる。
あの時のルイスも、そういっていた。
「リアーナ。俺も、そうしたかった。」
本当に、
あのまま、元気な君と、
ずっと一緒に生きていられたら、
どんなによかっただろう……。
目も見えなくなる。
立っているのかどうかも、分からなくなる。
俺を呼んで泣いている彼女が、
隔てられて、
消えていくのが感じられる。
「ありがとう。
俺のリアーナ……。
……元気で。」
……ああ……会えてよかった……。
何かが爆発し、ダルシアンのいる部屋の窓が割れた。
僕は、僕の足をつかんでいる彼らの眼を見て言う。
「放して!消火するんだ!助けたいんだ!」
彼らは放してくれた。
僕は、廊下に備え付けてある消火器を二本持ち、
研究室へ走る。
ガスマスクをつけ、
厚手の手袋をはめ、
ダルシアンのいる部屋のドアを、少し開ける。
隙間から、床に向かって消火剤を吹き付ける。
後ろからやってきた患者に、ガスマスクの場所を伝える。それから
「二階の消火器も全部持ってきて!」
防護服を着た患者二人と交代で消火作業をし、
五本使いきって、バケツの水を何度もまいて、ようやくダルシアンを見つけた。
水を入れたバケツと、端末と、空気ボンベを持ち、部屋に入る。
熱い室内で、
消火剤に手を入れて手探りでダルシアンを探す。
この辺に見えた……。
「いた!」
僕は彼の頭に水を注ぎ、
消火剤をどける。
酸素マスクを彼の口に当てる。
システムの仲介機を頭に貼り、端末を操作する。
「ダルシアン……!
どうか……!」
彼のシステムと、
つなごうとした。
けれど……。
何度呼びかけてもつながらない……。
答えがない……。
わかっていた……。
見た目で……。
彼はもう……。
ダルシアンは……
システムごと……
焼き尽くされていた……。