最終章《終》.不幸な魔王
《さて……》
秀兎は十字架を見詰める。
今から紅い月の落下を止めなくてはならない。
だから秀兎は、その十字架にゆっくりと触れた。
十字架が砕かれる。
全てが砕け散ってゆく。紅い水晶が、全て砕けてゆく。
そして闇だけが残った。
まだ終わらない。
それだけでは終わらない。
◇◆◇
秀兎が紅い球体に消えて数分後、今度は物凄い勢いで白い何かが吐き出されるように飛び出してきた。
側近四人組は慌ててそれを注視する。しかしルシアには、それが何か分かる。
それは姫。自身の片割れ。
ヒナ。――ヒナ・ラヴデルト・ライトキス。
低い放物線を描くように飛び出したヒナ、ルシアはとっさに右手を振り、彼女の着地点に闇で巨大なクッションを生み出した。ヒナは受け身も取らず、ボフンッとその巨大なクッションに埋もれる。
側近四人組が萌黄を筆頭に、そのクッションに向かって駆け出し、すぐさまその白い物がヒナだという事に気付いた。
ヒナは、涙を流してる。顔を両手で覆っていた。
「ヒナ!」
シャリーが呼びかけるが、ヒナはピクリとも反応しない。
「ヒナ!」
今度はルシアがクッションに近づき、ヒナを呼ぶ。するとヒナはそれにぴくりと肩を震わせた。そしてがばっと起き上がり、ルシアを見詰める。
「ル、ルシア……」
動揺した顔でルシアの顔を見詰めるヒナ。が、数秒でその表情は泣き崩れ、おもむろにルシアに抱きつく。
「……しゅ、秀兎さん、が……!」
「…………」
やっぱりか、と魔女は内心で悔む。自分の予想通り過ぎて、やはり自分の非力さを呪いたくなる。
しかし表情には出さない。だって魔女は魔王を信じているから。
「…………」
でもやはりそこで、自分の胸が締めつけられる。
切なさとか、悲しさとか、愛しさとか、悔しさとか。そんな諸々の感情で心がきゅっとなっている。
痛すぎる訳ではなく。痛すぎない訳ではない。確かに感じる、むず痒いような痛さを、確かに感じている。まるでニンゲンの様に。余りに短い生に一喜一憂し、愚直に恋し、そして素直に愛を与えてしまうようなニンゲンの様に、彼女は心の痛みを感じていた。
「……ぅ、ぅぁ、うぁああああああぁああぁああ!」
姫は悔む。
自分の愚かさを、醜さを、卑しさを、悔む。
あまりの悔しさに、姫は泣いてしまう。
心が締め付けられる。
――――そしてそんな慟哭に呼応するかのように、月が揺れる始めた。
「始まるぞ……」
魔女は呟く。しかしそのささやきを塗りつぶすように突如、轟音が響きわたる。
六人は直ぐに異変を察知する。その轟音が自分たちの頭上、――つまり天井からしたのだと、すぐに気付く。だから六人はほぼ同時に、天井を見上げた。
そして同時に、言葉を失ってしまう。
紅い、紅い文字の様な連なりが、物凄い勢いで渦巻きながら急降下、紅い球体を取り巻き始めた。
その光景に、六人は言葉を失う。よくわからない事態に、思考が停止する。
紅い球体は徐々に、その紅い文字たちに支えられるようになりながら、浮き上がる。
そして。
《―――ぁあぁあぁあああああああぁぁぁああああぁああああぁああぁあぁあぁ――――ッ!!!!!!!!》
叫び声が響き渡る。
その叫び声は正真正銘、魔王にして悪魔である黒宮秀兎その人の声だった。
「しゅ、秀兎、さん……」
ヒナは茫然とした表情で、その場に崩れ落ちた。
◇◆◇
闇の世界で。
全てが闇で満たされた世界で。
今度は紅い、紅い――奇怪な模様か文字が連なり、連なり、連なりまくった何かが、闇の果てからこちらに向かってくる。
それも全方位。赤、赤、真っ赤っか。まるで血みどろの様にドロドロとしたそれは、物凄い勢いで秀兎を目指している。
《……あれが》
それは――「絶望」。絶望で編まれた、全ての人間を消し去る呪詛だ。
支配権が秀兎にある今、秀兎が月に「止まれ」と命令すれば月は止まるのだ。――と、そう簡単に問屋が卸してくれるはずもない。
背負わなくてはいけないのだ。
発散しきれなかった絶望を。
役目を果たせずに月の周りを覆い続けている、あの紅い紅い絶望を。
そうしなければ、絶望は月を破壊してしまうから。
覆っている月にいる人間を消し去り、絶望を発散させてしまうから。
だから悪魔は、全てを統べなくてはならない。
絶望を。ため込まれた絶望を、悪魔は背負わなければならないのだ。
《まぁた俺「象徴」になるのかよ……》
憎しみを集める為の魔王という象徴。今度は絶望を集める為の象徴。
悪魔は、迫りくる絶望の波を、優しげな眼差しで見詰める。
月の周り覆っていた、鮮血のベール。
あの為に。
あの呪詛を編む絶望を集める為に、勇者は、ミランは、したくも無い戦争をしていたのだ。彼は、彼自身は本当は、ただ世界の平和を願っていただけだというのに。
絶望の勇者。絶望を集める為だけに呪われた、呪われてしまった、悪魔の親友。
その彼が言った言葉を、悪魔は唐突に思い出した。
《上位と下位の欲張りは違う、か……》
自分は、我儘なのだろうか。
これは俺の傲慢なのだろうか。
いや、考えるまでも無い。きっとそうなのだろう。
だって自分の欲しい物の為なら自分が傷つくのだって平気で我慢できる程に、自分は狂っているから。
《欲張りは程々ね……。やっぱりアイツは親友思いだなぁ》
そんな親友の忠告まで、思いまで無視して、自分は我を通すのだ。
だからきっとそんな俺は、傲慢で欲張りで、だから……、
《だからきっと、あいつらも泣かせちまう……》
救えないにも程があるだろ。今さら自分を嫌悪する悪魔は、自分を好いてくれる、聖女と魔女の顔を、またもや唐突に思い出す。
死にたくて、でもやっぱり、自分の事が好きだから死にたくないと言った聖女。
千年待って、自分の事をずっと考えてくれて、殺そうとして殺せなかった魔女。
二人とも、自分を好きだという。
愛してくれるという。
温もりに飢えている自分に、温もりを分けてくれるという。
憐れみでもなく。
施しでもなく。
ただ単純に自分たちが好きだからと、彼女たちは言った。言ってくれた。
《聖女魔女とか……、ははっ、どんだけ高級セットだよ》
それだけで、ただそれだけで悪魔は、彼女たちの為なら自分の身体がどうなろうが、心がどうなろうがどうでもいいと思ってしまう。
そんな自分は、――やはり異常だろう。同時に、不幸でもある。
なんと扱いにくい性格か。なんと制御できな本質だろう。あるいは性根と言ってもいい。
《……何が不幸かって、こんなめんどくせぇ性格になってしまった事自体が不幸だろ》
しかし後悔はしていない。悪魔の本質である「全て欲しい」という衝動と、黒宮秀兎の本質である「自己犠牲」が合わさりこんな偽善者全開野郎みたいな性格になってしまった事が例え「不幸」だとしても、自分は絶対に後悔など微塵も感じていない。
そんな俺を、好きだと言ってくれる人がいるから。忠誠を誓ってくれる人がいるから。
だから黒宮秀兎は、そんな「不幸」にむしろ「幸福」を感じるのだ。
こんな「不幸」があったからこそ彼女たちに出会えたのなら、彼女たちと過ごせたのなら、自分はそれを「幸福」だと認識できる。
欺瞞かもしれない。偽善かもしれない。自己満足かもしれない。
――彼女たちは、自分の所為で泣くかもしれない。
《……出来れば泣かせたくなかったけど》
自分が死んだら、もっと泣くかもしれない。
そんなのは、――嫌だ。
だから悪魔は、自分を鼓舞するように、大見得を切る様に、高々と言い放つ。
《俺は、全てを統べる悪魔だッ》
誰に対してではなく、自分に、自分自身に対して。身を締める様に。そして締めくくる様に。
《だからこれっぽっちの絶望背負うくらい、楽勝なんだよぉぉぉぉおおおおおおッッ!!!》
◇◆◇
月が、元に戻り始めている。
紅が、月を染めていた血の様な紅が、渦を巻き、一点に集中し、月は本来の色を取り戻していく。
白く。
神聖なまでに白くなっていく。
それに全ての動物が、ニンゲンが、歓喜する。
一斉に、笑い合うのだ。
月を戻す為に、自分たちが憎んだ悪魔が犠牲になったとも知らずに。
月を戻す為悪魔の為に、誰かが涙を流した事など知らずに。
平然と笑い合うのだ。
◇◆◇
―――そして、悪魔は呑みこまれた。
紅い紅い絶望に。
全てを壊す、絶望の呪いに。
《―――ぁあぁあぁあああああああぁぁぁああああぁああああぁああぁあぁあぁ――――ッ!!!!!!!!》
襲い来る絶望は、冷たく、それでいて濁流の様に激しく。
莫大な喪失感。
甚大な脱力感。
膨大な虚無感。
何もかも失って、何もかも諦めて、心がひび割れて砕け散ってしまいそうな程の、絶望。
悪魔は叫び続ける。
叫び続ける事で、自分を維持していた。
叫び続けるのを止めると、壊れてしまいそうだったから。
だから悪魔は叫び続けた。
もう喉が張り裂けるくらいに、絶望に支配されない為に、悪魔は叫び続けた。
◇◆◇
月が、地上から離れ始めている。
空を見上げればわかる。馬鹿みたいに大きな地上が、段々と遠退いていくのがわかる。
それでも、叫び声は止まらない。
彼はずっと叫び続けている。
必死で足掻いて、もがいて、苦しんで。
「なんで、なんで……っ」
ヒナは涙を流す。これまで以上に、たくさん流す。
別にそれで罪が許されるわけではないというのに、ヒナは涙を流す。胸が、心が痛くてしょうがないから。苦しいから。自己嫌悪で押し潰されてしまいそうだから。そして何より――秀兎に会いたくて、心配で、不安で、寂しくて、寒くて。だからヒナは涙を流す。
心が、痛くてしょうがない。
その痛さを紛らわすためではないが、ヒナは自分の拳を地面に叩きつけた。
「う、ううう、うぁ、うあぁあああああぁぁあああああ――――ッ!」
私は馬鹿だ。馬鹿で阿呆で間抜けだ!
何が殺して欲しいだ。結局自分の好きな人を苦しめているではないか!苦痛を与えているではないか!何が好きだ。何が愛しているだ。私はただの自分勝手な小娘じゃないか!馬鹿で!愚かで!卑しくて!ずるくてッ!結局!……結局、私が、私自身が、彼を傷付けてるじゃないかッ!!
「私の、私の所為で……!」
――私が馬鹿だから。私が愚かだったから。だから貴方を傷付けてしまう……!
でも、悪魔はそれでも彼女が好きだという。
好きで好きでしょうがない。
だから喜んで彼女の過ちも直してくれる、背負ってくれる。
――優しすぎる。貴方は、優しすぎる……。私には、眩し過ぎる……。
「ぅ、ふうぅぐ……あぁっ!」
だから彼女は、申し訳ないと思う。眩し過ぎる彼に好かれるほど、自分は良くできた生き物ではないから、だから申し訳無くて仕方がない。そしてそれも、心を締めつける。痛くて痛くて、涙が溢れる。
馬鹿で愚かで卑しくて、それがもう本当に悔しくて。
別にそれを嘆いた所で、あの叫び声が今さら止まるわけでは、無いというのに。
◇◆◇
《あぁぁあぁあぁああぁ――――ッッ!アアぁぁああア!》
苦痛。精神的苦痛。心を蝕み、精神を苛み、魂を侵す絶望。
でも、それがどうした。
悪魔自分自身に言い聞かせる。
全てを統べる、悪魔なんだろう?欲しい欲しいと叫び続ける、悪魔なんだろう?
……そうだ。……そうだ!俺は化物なんだ!
全てを統べる、最悪の化物。傲慢な最低の化物。
心が割れる。……それがどうした。
精神が軋む。……それがなんだ。
魂が、壊れる。……だからどうした!
救うって決めたんだ!笑わせるって決めたんだ!俺がどんなに傷つこうが構わない!全部背負いこんでやる!誰一人欠けさせはしない!そう決めたから!だから俺が全てを統べてやる!
《アァァアアぁああぁ、アァアァアアアアぁああぁアァァアアアアアアア――――!!!!》
◇◆◇
アアアアアアアア、ァァアアぁああああアァアアああぁ…。アアアアアアアアアアアアアアアア!
◇◆◇
アァァァアぁァぁアアああァぁアアああアぁアぁ…ッ!アア……アぁアアァ!アアぁァアアアアア!!
◇◆◇
アアぁぁアアァ………ぁ………ぁぁ………………………。ぁ……………。
◇◆◇
………………ぅぁ………………………ぁ………………………………………………。……………。
◇◆◇
――そして、全てが終わった。
月は悪魔を贄に、本来の姿を取り戻した。徐々に徐々に、本来の高度へと戻ってゆく。
そしてその中心で、泣き声が聞こえた。
悲痛な叫び声の様なそれは、二人の美しい少女が発していた。
全てに絶望し、全てを失ってしまったかのようなその悲痛な叫び声の周りでは、すすり泣く声も聞こえた。
少女たちは美しいかった。――いや美し過ぎた。だって少女たちは人間じゃないから。
そんな少女たちの足元には、一匹の化物が倒れていた。
いや化物と言うには、あまりに人間らし過ぎるけれども。
しかしそれは外見の話で、彼は列記とした化物なのだ。
全てが欲しいと叫び続ける、化物なのだ。
しかしもう彼は、動かない。
心が壊れてしまったから。
呼びかけても呼びかけても、絶対に動かない。
うんともすんとも、ぴくりとも動かないのだ。
心が、絶望に支配されているから。
もう光が見いだせないから。
悪魔の魂は、深い深い絶望の底で、壊れてしまったから。
だから。
白い姫は嘆く。泣き叫ぶ。
黒い姫は嘆く。泣き叫ぶ。
誰も、誰もその嘆きを止める事は出来ない。
はい、どうでしたでしょーか?
長々と読んでくださいました方お疲れさまでした。
ぱぱっと読んでくださった方、有難うございました。
始まりがあれば終わりがあると言いますが、いざくると物悲しさものです。
そうそうそういば、私黒ウサギはハッピーエンド至上主義者です。
はい、どうでもいいですね。