《4》そして天魔は全てを統べる。
うぉぉぉおおわりそぉぉぉ!
悪魔は笑う。
にやりと、それこそもう――悪魔的な笑みで。
笑わずにはいられなかった。
思い通り過ぎて。
何もかも彼の思い通り過ぎて。
だから笑わずにはいられなかった。
その笑みに、姫は目を見開いて、悪魔を見詰める。
「秀兎、さん……?」
困惑を隠せない。不可解な物を見る目。
絶望の選択、その決断が迫る今。――悪魔は、姫の顔を見ながら、柔和に微笑んでいる。
しかしそれは、それはまるで、天使的に優しい、柔和な笑顔なのに。
どこか悪魔的な、嫌らしそうな笑みにも見えた。
自分の願いが、欲が、望みが、叶いそうな瞬間で、それでもポーカーフェイスを気取ろうとして、でもそれが隠し切れていないようない様な、そんな顔だ。
「いつかさ」
秀兎は微笑みながら言う。
「いつか、こんな日が来ると思ってた」
姫を見詰めながら。
「絶望しか残らないような選択肢が、絶対に来るって。どうしようどうしようってなる選択が、必ず来るって思ってた。だから俺は、そういう選択でどうしようか、ずっと心に決めていたんだよね」
きっと来るものだと、解っていた。
万が一来なくても、それはそれでいいのだが、自分は欲張りで欲しい物がたくさんある化物なのだ。だから、いつかこんな選択が来るのは、予想できていた。
そしてその選択で、どんな決断を取るのかも、考えていた。
ずっとずっと、黒宮秀兎は考えていた。
だから彼は、迷わずその選択を取る。
誰もが幸せになれるであろう選択を、彼は取る事にする。
「なぁ、ヒナ」
秀兎は未だに困惑気味のヒナに向かって問いかける。
「……はい?」
「この《月》を、紅い月を止める為には、お前を殺さなくちゃいけないんだろ?」
それにヒナは表情を固くする。
「……ええ、そうです」
「教祖が言ってたんだけど、――あ、教祖っていうのは」
「知ってます。勇者閣下殿でしょう?」
「ありゃ正体まで知ってんの」
「だってあの人が私をここまで連れてきたんですから」
「……まぁそれは置いといて、アイツが言うには、この《月》の現支配者は、お前なんだよな?」
「はい。神は死にましたので、自然的に支配権は私に移りましたけど……」
「じゃあさ、……」
そこで秀兎は、彼女の頭をに手を乗せた。
「……まさか!」
しかしヒナは気付いたようである。悪魔が何をしようとしているのか、分かってしまったようだ。
だからそれを止める。
「止めてください!これは、……これは私が!」
しかし。
「俺はお前を失いたくない」
しかし悪魔は、やはりそう言うのだ。
悪魔は姫の瞳を見詰める。
「俺はお前が好きだから、だから失いたくない」
「で、でもこれは……!」
「ヒナ」
悪魔はやはり、姫を抱きしめる。
「俺にやらせてくれ」
「だ、駄目です!これは、私の問題で……!」
「お願いだヒナ。俺はお前が好きだから、だからやらせてくれ」
温かい。悪魔の温もりが、姫に伝わる。
「やめてください!そんな、そんな事絶対――!」
「許さなくてもいい。だけどこれが俺だから。俺の選択なんだ」
「そんな、……そんな!」
そこで、姫は泣いてしまう。
自分の愚かさを呪って、泣いてしまう。
自分の愚かさを嘆いて、泣いてしまう。
「ごめん、……ごめんなヒナ。また、お前を泣かせちゃって》
そして悪魔の声は重複する。
悪魔の力を使う為に、声音が変化してしまう。
そして、悪魔は言う。
《光の姫君よ、お前から……奪おう。月を支配する権利を奪おう》
ずるりと、何かが体内から奪われてしまう感覚に襲われる。
それに気が遠退いてしまう。しかし姫は、意識を手放さない。
手放す訳には、いかないのだ。
月の支配権を失い、姫は水晶の十字架から解放される。
その反動で崩れ落ちる姫を、悪魔が支えた。
姫は悪魔の背中に手を回し、彼を抱き締める。
「待って、待って、ください……!」
彼女は泣いている。泣かせたのは、悪魔。
「なんで、なんで秀兎さんが……!私の所為なんですから、私が……」
《だから、お前を死なせたくないんだ》
「でも、でも私だって、秀兎さんを死なせたく……」
《俺は死なないよ。大丈夫、だって悪魔だから》
「……待って、くださいよ…………!」
ヒナは秀兎を抱き締める。彼が何処にも行かないように、ぎゅっと抱き締める。
「私は、……もう嫌なんです!私の所為で、誰かが傷つくのが!」
《…………》
「待って……!」
しかし悪魔は言う。
《お前は我儘だ》
追及するように。
《お前は、自分が死にたいからって、俺に殺してもらいたいからって、自分を窮地に追い込んだ》
糾弾するように。
《俺はお前を殺したくないのに。………………だからお前は――ずるい》
しかし姫は反論する。
「分かってます!」
悪魔の顔を見上げて、反論する。
「ずるいっていうのは判ってます!――でももう改心しましたから!もう死にたくありませんから!だから!だからこれは私が――――――――――――――」
しかしそこで、ヒナは言葉を紡げなかった。
何故ならそこで、悪魔は姫にキスをしたから。
口を塞がれてしまって、姫は言葉を紡ぐ事が出来なかった。
姫の顔が、驚愕で塗りつぶされる。
一秒にもみたいな瞬間的な“それ”を終わらせたのは、悪魔の方だった。
《それでも俺は、――――お前が好きだ》
「っ!」
《言って無かったけど、お前が初めて魔王城に来て俺を救うって言ってくれた時、滅茶苦茶嬉しかったんだぜ》
「待って……!違う……!あれは、あれは私が……!」
《救って欲しくて、来たんだろ?約束を果たして欲しくてさ。――でも俺、そん時嬉しくて泣いちゃったんだぜ?俺を理解してくれる奴が現れて、もしかしたらお前なら、俺の傍に居続けてくれるんじゃないかって、そう思ったんだ》
そして。
《俺はお前に恋をした》
一目惚れとは、いかなかったけれど。
《『黒宮秀兎』はお前に恋をした》
この世界で生まれた黒宮秀兎という人格は、彼女に恋をした。
純粋に、ありのままに、『彼』は彼女に恋をした。
悪魔という存在も、光の姫君という立場も関係なく。
『彼』は、彼女に恋をしたのだ。
《最初は凄く怖かった。どうせいつかは俺から離れるだろって心の何処かで諦めてて、お前に歩み寄る事をしなかった。ずっと流されるまま受け入れてた。でもさぁやっぱり、この二年間は結構寂しかったんだよねぇ。もちろん城の皆だって好きだけど、けれどやっぱり、――俺はお前が好きだったんだって、自覚した》
「……でも、そんな」
《勝手に封印されちゃってごめん》
「……何、を………」
それは、悪魔の、罪の告白。
《あの時相談するべきだったんだ。なのに自分勝手に決めちゃって、お前を泣かせてちゃった》
懺悔。
《だからこれで贖おう》
贖罪。
《俺は、……『約束』を破る事にしたよ》
約束破り。
《俺以外の全てが幸福になる選択を、俺は選びと取ろう》
「待って……、待って…………!」
ヒナは泣いていた。瞳から、その綺麗な蒼海の瞳から、綺麗な涙を流す。
《俺はお前を救う為なら、どんなに不幸になろうと構わない》
だってこれは、君を救いだす為の物語だから。君を救いだせるなら、彼はどんな不幸だって受け入れる。
「そんなの、そんなの自己満足じゃないですかぁ……」
そうなのもかもしれない。自己満足なのかもしれない。だけど、……だけれどやはり悪魔は、姫が好きだから。彼女を傷付けたくないから。だから。
《必ず、お前を笑わせて見せるから》
姫の後ろで、闇が膨れ上がる。
悪魔の支配する闇が、膨れ上がる。
それは人の形をしていた。
闇は姫に、手らしき物を伸ばす。それが分裂して、いくつもの手が、ヒナに巻き付く。
《決して晴れぬ、悪魔の闇》
その手がヒナの腕にも回って、抱き締めていた手が、――解かれてしまう。
そしてそのまま、闇は外に出ようと秀兎から離れ始める。姫君を、連れながら。
「待って……、待って!!」
徐々に、二人の距離は開いていく。
姫は悪魔に手を伸ばす。
悪魔はその手に触れる様に、手を伸ばす。
けれど届かない。
《俺はお前が好きだ。この気持ちに、嘘偽りはない。お前の全てが、俺に温もりを教えてくれる。俺を照らしてくれる……ヒナ。俺の、俺だけの『光の姫君』》
今の表現は少し詩人ぽくて、秀兎は少し照れくさそうにうする。
《俺は約束を破るけど、それでも俺を許してくれ。全てが終わってもまだ俺を好きでいてくれ。》
「待って……!!」
そして秀兎は微笑んで、
《さようなら》
そして。
そしてそれを合図に、ヒナはグンッと後ろに引っ張られる。
悪魔から一気に遠ざかり、――――そして闇に消えた。
◇◆◇
魔女は泣いた。自分の無力さを呪い、泣いた。
◇◆◇
姫も泣いた。自分の愚かさを呪い、泣いた。
◇◆◇
そして悪魔は、全てを統べる。
全てが欲しいと叫ぶ、欲しい欲しいと叫び続ける悪魔が、全てを統べる。
紅い月が堕ちる。
でも悪魔はそれを認めない。
地上にも、もう欲望や感情で真っ黒に染まってしまった大地にも、悪魔の欲しい物があるから。
だから悪魔は。
《……俺は》
全てを、統べなくてはならないのだ。