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《3》姫と天魔と悠久の約束

 

 悪魔は、闇の中を進む。

 暗い暗い、闇の中を進む。

 孤独で寒々しい、闇の中を、悪魔は進む。


 ゆっくりと、確かに、しっかりと。


 闇の中を、進む。

 光を目指して。

 目には見えないが、確かに感じる、光を目指して。


 そして魔王は辿り着く。


 そこは、暗く暗い闇の中に、一際不自然に存在する場所だった。

 紅い紅い、血の様に紅い水晶で出来た、円形の場所だった。


 その中心で。

 その真っ只中で。


 彼女は十字架に張り付けられていた。



 光を反射する、まるで本当に金で出来ている様な、艶やかで濃い金髪。

 細い、しなやかな肢体に、美しい、キメ細かい肌。

 慈悲に満ちた、丸く優しげな目付き。蒼海を湛えた瞳。長い、金色の睫毛。

 可愛らしい様で、それでいて大人びた、不思議な美貌。



「ああ、ああ……」


 彼女は慈愛に満ち、そしてまるで、最後の希望に出会ったかのような、感極まった、そんな表情で、悪魔を見る。


「やっと、やっと来てくれた……」


 悪魔はそれを、冷静な表情で見返す。


「さぁ、さぁ愛しい愛しい悪魔様……」


 そして彼女は微笑み、美しい蒼瞳から一筋の涙を流しながら、懺悔するように、神に許しを乞う様に、言うのだ。



「さぁ、早く、私を殺してください…………!」



 罪が暴かれる。

 罰が下る。

 償いの時は来た。

 


 そして、約束が果たされる時、これにまつわる全ての物語は、終わりを迎えるのだ。




 ◇◆◇




 囚われの姫が、最愛の男に、魔の王に、許しを乞う。殺してほしいと、許しを乞う。

 なんと捻くれた物語だろうか。

 

「ヒナ」


 秀兎は呼ぶ。凄く懐かしい、自分の妻の名を呼ぶ。


「なんですか秀兎さん?」


 それに、姫は答える可愛らしく首を傾げて、答える。


「お前は、ヒナだよな」

「そうですよ?何言ってるんですか秀兎さん」

「なぁ、ヒナ」


 魔王は問う。囚われの姫君に問う。


「お前は俺を、どう思う?」


 その問いに、ヒナは笑う。


「やる気がなくて、だらだらしてて、ふらふらーってしてて、世界の事情なんか知らないよーんな感じで、でも本当は欲張りで、心が弱い」

「はは、そのとーり」

「私は、そんな貴方が好きです」

「…………」

「私は、貴方が大好きです」


 姫は微笑む。綺麗な笑顔で、朗らかに微笑む。


「だから秀兎さん。私は貴方が大好きだから、だから――ごめんなさい」


 姫は謝る。彼女の顔がさらに歪む。涙を流すまいと我慢している顔をする。


「辛い役目だって言うのは、解ってます。私だって、絶対にやりたくない。でも、でも!私は、今の私には!――貴方の隣に、立っている資格が、無いから……」


 それは懺悔。


「だから秀兎さん。お願いします。――私を、殺してください」


 ずっと昔から、彼女が抱えていた、罪。


「約束を、果たしてください……!」


 苦痛に歪んだ顔を、魔王に向けるヒナ。

 秀兎は姫の顔を見る。その泣いてしまっている、光の姫君の顔を見る。

 そして、



「やっぱりまだ、気にしていたのか……」



 そして物凄く、残念そうに呟く。呟いてしまう。

 それに、姫は目を見開く。

 

「気にしていたのかって……、そりゃ気にしてますよ!だって私は―――貴方を裏切ったんですよ!?」


 罪の告白。


「…………」

「秀兎さんだけじゃない!ルシアの事も、私は裏切りました!だからあの子は千年の間、ずっと孤独に苦しみました!貴方だって、何回も心傷付けられました!それは全て私の所為!あの日あの時、私があの忌々しい神に騙されて貴方を売らなければ、全ては上手く行っていた筈なのに!誰も傷つく事は無かった!泣く必要はなかったのに!私の、――私の所為で!」

「…………」


 姫は謝罪する。悪魔に対し、謝罪する。


「ごめんなさいっ、ごめんなさい……!」


 悪魔はそれを、やはり冷静な態度で見る。


「今さら謝ったって、遅いんだ」

「……ええ、ええ解ってます。だから私は、貴方に殺されたい。裏切ってしまった貴方に、大好きな貴方に殺されるなら本望です!」

 

 そう言って彼女は、悪魔を見る。

 彼女が、世界でも最も愛する、男の顔を見る。見詰める。

 しかし彼は呆れたような顔で姫を見ていた。


「お前のがどうしたいのかは解ってる。どうしてそんなに死にたいのか、どうしてそんなに殺してほしいのかは、もう解ってる。ずっとずっと、悩んできたんだろう?恐ろしい程の罪悪感と、自分に対する嫌悪感で、心がいっぱいで、それの所為で心が軋んで、嘆いて嘆いて、疲れ果てたんだろう?そしてお前は、最後に縋ったんだ。《約束》に。《必ずお前を殺す》という約束に」


 必ず殺すと、二人は約束したのだ。

 それは闇の魔女がまだ、《鳥籠》に幽閉されて、深い深い眠りに付いていた時の話だ。

 二人は逃げていた。神から逃げていた。世界から逃げていた。

 でもやはり、悪魔は殺されそうになってしまって。

 その時に、彼女は思い出してしまったのだ。

 折角ショックで忘れていた、裏切ったという事実を、彼女は思い出してしまったのだ。

 そして世界が死ぬ。姫と共に死ぬ。悪魔も死ぬ。皆死ぬ。

 でも神が姫を欲して、結局また蘇ってしまうから。

 だからその世界の最後の瞬間に、二人は《約束》していたのだ。

 必ず、神を殺すと。そして、彼女を殺すと。

 結局それが果される事は、今までなかったのだけれど。

 けれど今回は、そうもいかないらしい。

 

「神は死んだ。一つ目の約束は果たした。そして二つ目の約束が残ってる」

「ええ、裏切り者のくせに図々しくも貴方の隣に立とうとする私を――――殺してください」


 それは、完全無欠で、完膚無きまでにエゴだった。

 裏切ってしまったから、罪の意識に苛まれて心が痛むから、悪魔の隣にはいられない。――――でもやはり、悪魔が好きで、世界がどうなっても良い位に彼女は悪魔に陶酔していて、それでもやはり、悪魔の隣にいると罪の意識で心が痛いから、――――だから、大好きな悪魔に、殺して欲しい。

 彼女はそう思っているのだ。

 完全無欠に、エゴだった。

 自分勝手な思想で、思慕で、事情だった。

 悪魔はとうに、裏切った事など、許しているのに。


「…………お前は、馬鹿だ」


 だから悪魔は、否定する。そのエゴを否定する。

 許しているから、否定する。


「なっ……!」

「俺たちは、とっくにお前を許してる!」


 彼女は、自分を許せていない。

 だから例え周りが彼女を許していたとしても、それでも彼女は、死を望むかもしれない。

 それでも。

 それでも悪魔は、叫び続ける。無駄かもしれくなくても、あがき続ける。


「お前がどんなに図々しくても、過去に裏切っていようと、俺たちはそんなものを気にする事はない!だって、それくらいに、それを許してしまうくらいに、俺もルシアも、お前が好きだから!」


 それは告白でもあった。悪魔が姫を暮らして初めてまともに言い放った、告白でもあった。


「っ」

「ルシアはここに来るまで、お前の裏切りの話に一切触れなかった。それどころか、必死にお前を助けたいと、心から願ってた。俺だってそうだ。そんな忌まわしい過去の話なんて、絶対に掘り返さない!」

「……で、でもっ!」

「お前過去の事気にし過ぎなんだよ!俺たちは過去を振り返らない!だからお前ももう振り返るな!後ろばかり眺めるな!膝を抱えて、うじうじ後ろばっか眺めてんじゃねぇよ!光なんだろ!だったら堂々と前向いて先を照らせよ!後ろばっか照らしてんじゃねぇよ!」

「…………」

「俺たちは、お前が好きだから。城の皆も、シャリー達も、母さんたちも、ルシアと俺も、お前が大好きだから」

「…………」


 秀兎は真剣な表情で、俯き気味の姫を、見据える。一歩一歩と近づいていく。

 そして最後の一歩で、姫の正面に立つ。

 涙が、ぽつぽつと零れている。

 

 秀兎は――姫を抱きしめる。


 背中に手を回して、温もりを与える様に。

 そして悪魔はそっと、耳元で囁くのだ。



「だから帰ろう。俺たちの世界へ」



「………ぅ、うぁ」


 彼女がより一層、涙を零す。それに混じって嗚咽が聞こえる。

 秀兎は、強く抱きしめる。

 決して離さないように、ぎゅっと、抱き締める。


「………うぁああ……」






 しかし。






 しかしそこで、姫は、嗚咽しながらも、言うのだ。

 残酷な事を言うのだ。


「……ごめん、なさい」


 それに悪魔が目を見開く。


「秀兎、さんっ。ごめんな、さい……!ごめんなさい……!」

「……ヒナ」

「もう、止まらないんです……!」


 

 彼女は、残酷な事を言うのだ。



「もう、止められない……!」


 姫はそこで泣く。大声で、泣き叫んでしまう。

 自分の過ちを、悔み、恨み、その所為で心が痛くなって、泣いてしまう。


 それでも。


 それでもやはり。


 彼女の過ちが、消える事は決してない。


「…………」

「ごめんなさいっ……。ごめんな、さい!」


 懺悔。謝罪。罪の告白。


「もう、もうこの月は止まらない!私が死なない限り、……止まらないんですっ!」


 遅すぎた。

 悪魔は、遅すぎたのだ。

 もう歯車は回っていたのだ。

 止めるのが、遅すぎた。


「…………」

「……ごめんなさい……っ!」


 もう、絶望しか残らない、最悪の選択肢の決断は、目前に迫っていた。


























 しかし。



 しかしそこで悪魔は、笑う。

 まるで、待ってましたと言わんばかりの、凶悪な笑みで、笑う。



 そして悪魔はゆっくりと、姫の背中に回していた手を、元に戻した。 

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