《1》教祖と天魔と選択肢
「ああ、誰かと思えば、悪魔か……」
男は、感慨深そうに言う。
「…………」
秀兎は、黙って周囲を見回す。
神の亡骸の周りには、四人のローブを纏った天使たちがいた。
淡い黄色の髪の少女。
白髪の男。
栗色の髪の女。
水色の髪の少女。
それは、自分の配下と共に次元の狭間に消えた天使たちだった。
「なんでこいつらここにいるのって、ちょっと驚いた?んじゃその疑問に答えてあげよう」
教祖は言う。
「まぁぶっちゃけると、お前の部下は俺の部下の『思念体』とよろしくやっていたわけ」
それに、赫夜が頬を膨らませて「私はちゃんと生身でやったけどね」と小声で反論。
「んまぁ思念体とは言えこいつらも油断していたわけですが、それでもお前の配下は結構強かったみたいよ、悪魔」
その声に。
その声音に、秀兎は、聞き覚えがあった。
「お前が、教祖……?」
「あ、何。もう俺の正体に気付いちゃったかんじ?」
「…………」
「そう睨むなって、怖い怖い」
秀兎は右手を教祖に向ける。
その手から、黒い、真っ黒な光が放たれる。
「《アイギス》」
栗色の髪の女がそう囁く。すると教祖の前に青白い魔法陣の様な物が現れる。
それが黒い光を防ぐ。
「言っておくけど、お前はこの世界で最悪な化物じゃない。もっと強い奴なんてごまんと……」
「どうでもいいよ、そんなもん。それより――」
悪魔は睨む。その男、教祖と名乗る、その男を。
「お前の目的は、一体何だ……?――――最高勇者閣下殿?」
「…………はっはっは」
それに応えるように、教祖はゆっくりと仮面を外す。
そしてやはり、その顔には、見覚えがあった。
完全に忘れ去られていたであろうそいつは、何とも感情の宿らない無機質な瞳で、悪魔を見据えていた。
◇◆◇
最高勇者閣下――屑島コクト。
ヒナとの初デートの時に高度三千メートルからのスカイダイビングにて飛来した、人間。
そう。人間――の筈だった。
彼は紛う事無き人間の筈だった。
しかしもう既に、彼が人間でない事を、秀兎は理解していた。
纏う雰囲気は人間ではない。
完全に人外のそれだった。
威圧的で、強大。
そして何より、この人外が跋扈する場所に、ニンゲンがいる筈ない。
「取り敢えずこれを返しておくよ」
と教祖は腕を振る。すると、教祖の足元で何かが動き、その何かが放射線を描いてこちらに放られた。黒い、何か。秀兎はすぐにそれが何かを理解し、それを受け止める。
「……!」
それは、美しい銀髪を持つ、少女だった。
黒いドレスを身に纏い、まるで陶器の様な白い肌を持つ少女。
ルシア――ルシア・クワイエットアンデッド・ダークキス。闇の魔女。
「ルシアに何を――!」
「騒ぐなガキが」
教祖は右手を振るう。すると魔法陣現れて、秀兎を拘束する。
「な、……ッ」
その魔法陣の効果なのか、手足が動かなくなくなる。手足の自由が奪われた。
「さっきも言ったが、お前みたいな奴をちょちょいと捻るのなんか朝飯前なんだぜ」
「くっ……」
「……さて、何から話そうか」
教祖は思考するように、顎に手を添える。
「まぁぶっちゃけ、こいつを殺したのは、この俺だ」
と教祖は紅い球体をコツンと叩く。
「…………何故?」
ここで教祖がどう答えようが、その答えは秀兎にとって取るに足らない物だろう。だから秀兎は、答えを聞いたらそのまま話を進めようと思った。
それを察したのか、教祖は肩を竦める。
「俺の、世界で一番欲しい物を取り戻すため」
「ふぅん……」
教祖は神の亡骸、紅い球体に寄りかかる。もう一度拳で、軽く叩く。
「つってもまだ手に入れてねぇけどな。欲しい物はまだこん中にある」
「…………」
「安心しろ、光の姫じゃねぇから」
「…………」
教祖は道化の様に、大袈裟に手を広げて笑う。
「まったく、ホントもうどこのふんばり物語だよ。だるいったりゃありゃしねぇ。でもま、そのおかげでやっと取り戻せるんだから、報われたわ」
そして教祖紅い球体に振り向き、両手を、紅い球体に「沈」めた。
まるで水に手を入れたように。
紅い球体に手が沈み、小波が立つ。
「よっと……」
そしてそこから、教祖に抱えられるように出てきたのは、「女」だった。
黒髪の女だった。
まるで死人の様な、肌が真っ白な、女だった。
「――――」
それに、教祖と秀兎以外の、全員が息を呑む。
秀兎はそれは、ただ見るしかできない。
教祖は何かを呟く。
「―――~」
何かよく解らない言語を呟く。
すると。
すると女の全身に、紅い鎖の様な物が浮かび上がる。
「…………」
それは、文字だった。細かい、何かしらの文字が連なっていた。
しかし秀兎には判る。それが何なのかが、なんとなく解る。
それは――文字通り、「鎖」だろう。
呪詛だ。あの女を眠らせる為の呪詛だ。
だってその呪詛は、――鎖は、ルシアの力で自分自身を縛っていたそれと、同じだったからだ。
闇の鎖。記憶に確かに残っている、文字の鎖。
そしてそれが、解かれていく。
少しずつ少しずつ、解かれていく。
そして全てが解かれて。
「…………」
女は、ゆっくりと瞳を開いた。
綺麗な綺麗な金色の瞳だった。
目が覚め、背筋が凍り、全身に悪寒が走る程にその女は、美しく妖しく儚くて。
未だに眠たげな瞳で、教祖を見る。
すると嬉しそうに微笑んで。
それに教祖も微笑んで。
「お帰り」
と言う。
それに少女は、笑う。
「あは」
女は、教祖の腕から軽やかに降りて、笑う。
「あっははは」
燐光が女を包む。衣服になる。白い白い衣服になる。嗤う。禍々しく、嗤う。
「あっははははははははあっっはははははははは―――――!!!ただいま!おはよう!ひさしぶり!」
それに女が笑う。嘲笑う。嗤う。
「あは!!あはっはははははははははっははははぁはは―――!!》
何故笑うのか。何に対して嗤うのか。それは全く分からない。
《あっはははははははっはははっは――――!》
その不可解さに。その禍々しさに。
秀兎は既視感を感じていた。
何処かで、こんな光景を、見ていたような気がするのだ。
《は、はぁ、はー。はっはっはっは……》
笑いを止め、少女は教祖の方を向く。
《……馬鹿な人。私を目覚めさせるなんて、世界で一番馬鹿なんだね》
道化っぽく、両手を広げる。
《あぁ、でも私は好きよ。貴方のそんな所がだぁいすき。馬鹿で真っ直ぐで愚かな所が大好き……》
「そうかい。そりゃ良かった」
教祖は苦笑しながら、悪魔を見る。
「こいつが俺の世界で一番欲しかった物だ」
「…………」
「笑えるだろ?たった一人の女を救う為にこの世界の殆どの命を弄んできたんだぜ?」
「………………」
狂ってる。純粋にこいつは、狂ってる。と秀兎は思う。
愛に溺れて、狂ってしまっている。
教祖は再び、紅い球体をコツコツと叩く。
「こいつの思惑と、魔女たちの思惑。その上に俺の思惑を重ねて、上手くこいつを殺す事が出来た。マジでだるかったけど、これで俺の目的は達成されたわけだ」
秀兎は女を見る。黒髪金瞳の女。
すると女は、
《ハァーイ》
と手を振ってくる。
そしてやはりそれにも、秀兎は既視感を感じた。
「…………なぁ、お前は、誰だ?」
《また漠然とした質問ねえ》
「俺は、……お前の一挙一動に既視感を感じているんだけど、何、お前、俺の元知り合い?」
《…………》
女は秀兎に近づく。ゆっくりとした足取りで、近づく。
そして女は、秀兎の顔を覗き込んだ。金色の瞳が、金色の瞳を覗いている。
《……悲しいねぇ》
女は悲しそうに眉を顰める。
「…………」
《私は化物だ。周りを不幸に撒き散らし、欲深く、諦めの悪い化物だ。お前もそうだろう?》
「……お前は、何なんだ?」
《……まぁ、そこはどうでもいいか》
女は微笑む。儚げに微笑む。
いつの間にか、教祖も秀兎の前に立っていた。
「知ってるかぁ悪魔。今、この《月》は、俺らのいた星に向かって絶賛降下中なんだぜ」
それに、
「…………」
秀兎は俯く。
「このままじゃあ地上の魔女や人間は死ぬよな。だがそれを止める方法が一つある」
教祖は、ゆっくりと秀兎の顔を見据える。
「この《月》の現支配者、依り代である『光の姫君』を、――――殺せばいい」
秀兎は、
「…………」
何も言わない。
「殺したくないのなら、世界を見捨てろ。俺はこいつを救う為に、もう何千万っていう命を犠牲にした。こいつ『一人』の為に、だ」
女は、笑う。ケラケラと笑う。
《馬鹿だよねぇ。不幸を振り撒く私なんか助ける為にさ。底なしの馬鹿。阿呆。愚直というかさぁ》
「俺たちはもう用が済んだからもう行く。この世界から、この次元から、去る。お前の邪魔なんてしないよ。だから、さぁ選択しろ。『一人の為に世界を殺す』のか、『世界の為に欲しい物を諦める』のか、二つに一つだ」
だがその問いに秀兎は
「……………………………」
やはり俯いたまま、答えない。
教祖は、左手を振るう。秀兎を拘束していた魔法陣が消える。
そしてそれを合図に、教会の面々が次元を裂き、その裂け目に消える。
最後に、女が笑う。
《私が何者なのか知りたいみたいだから教えておくけどね、――私はアンタと一緒で、周りに不幸を撒き散らす自己中心の化物だよ。欲しい欲しいって叫びまくって、他人の迷惑なんて二の次で、いっつも自分の事しか考えない、そういう化物だよ……》
そう言って、女は消える。
「…………………………………………………」
秀兎は、顔を上げる。
目の前では、紅い紅い球体が、ゆっくりと光り始めていた。
ちなみに、ここで出てくる「謎の女」はこれからの展開の伏線のようですが、出番はこれきりです。偽フラグです。