《3》そして始まる。
その異変に、まず世界中の動物が気付いた。
そしてすぐに、世界中の人間がそれに気付いた。
夜が明けたのに。夜はもう既に明けてしまったのに、それは、空に残されていた。
月が、沈まない。
それどころか、近づいている。
まるで手を伸ばせば掴めそうなほどのサイズだった月は、もう既に両手一杯に伸ばさなければ掴めないほどに、巨大化、もとい接近していた。
だから、その光景を見て、世界中のニンゲンが恐怖し絶望した。
そしてその絶望に、恐怖に反応するように。
まるでその絶望を吸収したかのように。
月は色を変えた。
紅く。
まるで血のように、紅く。
青い空に、ぽっかりと、紅い水溜りが出来たように。
月は、紅く染まった。
そして――
◇◆◇
勇者の居る国は、未曾有の混乱が起きていた。
各地から伝達魔術で寄せられる鎮圧部隊の派遣申請。
状況報告。
その他諸々。
国の宰相である三重川はそれらの対応に忙殺されていた。
そして彼自身も混乱し動揺していた。
要因は、二つ。
一つは早朝、突如として届いた伝達魔術による情報。
旧日本において、全ての人間が反乱を起こした。
旧日本、つまりあの極東の島国全土に存在する人間が、国を裏切り、新日本を名乗ったのだ。
……だがまぁそれはいい、どちらでもかまわない。今や勇者の国は中央大陸全土なのだ。
大事なのは、二つ目。
勇者と勇者姫、そしてその親衛隊全てが、消えた。
国の指導者たる勇者、すなわちミラン・アルノアードと、ヒナ・ラヴデルト・フリギア、及び彼女の親衛隊が、忽然とその姿を消した。
指導者不在。
軍部の混乱。
アルゼンフォーエムス侵攻も、ままならない状態。
(クソッ!こんな大事なときに!)
三重川は思わず悪態をついた。
とそこで。
とそこで、何故か心が震えた。
心臓の辺りが、ぶるっと、何かに震えた。
それに反応して、悪寒が背筋を駆け抜ける。
(……今度はなんだ!)
そして――
◇◆◇
その国の、空が一望できる部屋で、彼と彼女は、空を見上げている。
「……もうすぐ、始まるね」
「…………ああ」
また、始まる。
神と悪魔の戦いが、また、始まる。
「今度は、どっちが勝つと思う?」
「……悪魔が勝つと思う」
だって、悪魔は。
だって悪魔は、彼の、かけがえの無い、親友なのだから。
「貴方はいつもそう。いつも彼を信じてる」
「それぐらいしか、俺は出来ないから」
親友なのに。
親友なのに、敵同士。
「……まったく、荒事は嫌いなのに」
戦いたくないのに。……戦えと囁く呪い。
まったく、吐き気がするほど、この運命は、憎い。
彼女は、彼に顔を寄せて。
「泣かないで。彼に会うのに、泣き顔は相応しくないよ」
笑って。
「ああ……、ああ。そうだよな」
そして――
◇◆◇
神の国で、彼女は歌う。
《 紅い月紅い月 》
それは祝詞。
《 呪いで創られし、紅い月。綺麗で穢い、紅い月 》
それは絶望の祝詞。
《 貴方は何の為に生まれてきたの? 》
世界を喰らい潰す、絶望を目覚めさせる祝詞。
《 絶望で塗装された紅い月。禍々しくも儚き紅い月 》
それを、彼女は謳う。
《 穢れた月が、闇夜を照らす 》
美しい声。
《 禍々しき赤き光で、黒に塗れた地を照らす 》
響き渡り、地が振動する。
《 紅い月。紅い月 》
彼女を中心に、地が染まる。
《 全てを滅ぼす終焉の月よ。ωを告げる偽りの月よ 》
彼女は微笑んで、微笑んで、暗黒の夜空に浮かぶ星々を見上げて、見上げて。
《 共に行こう、紅き月よ 》
その先にいる、愛しい悪魔に微笑んで。
《 さぁ今こそ、黒き世界にωを告げたまえ 》
そして――
◇◆◇
とある場所の、とある城で、彼は静かに座っていた。
そこは、空が一望できる、中央庭園の中央にあるテラス。
その場所で、彼は、悪魔は、闇の魔女と共に、空を見上げていた。
使用人長の淹れてくれた紅茶は、まだ温かい。
「……なぁ、ルシア」
悪魔は、言う。
「なんだ」
「……もう、世界は終わるのかな?」
「さぁな、お前次第だ」
「……そっか、…………そうだよな」
自分の行動で、世界の命運が決まるらしい。
重い。
はぁ、と悪魔はため息。
「無理だよなー。なんでこうなったんだろ。やだなー世界の命運とか。ほんともー重いなー」
まぁ、彼にはそんな事は、どーでもいいことなんだけど。
世界がどうこうとか、死ぬとかやり直すとか、ホントもうどーでもいい話なのだ。
「お前はやれるだけの事をやればいいさ」
「だよねえ」
「約束を果たすも良し。破るも良し。お前の好き方を選べばいい」
「うーん」
「お前の決定で、世界が変わる」
「おめぇえー、重いぜー」
「……ま、私はどちらにせよ、お前の決定に従うさ」
「ありゃ、やけに素直じゃないですか」
「いいだろう?これが最後の会話になるかもしないのだ。どんなキャラだろうと最後は必ずデレるのだ」
「それが世界の死亡フラグだったりして」
「不吉な事言うな!」
「はははは」
悪魔は笑う。
もうすぐ、始まる。
聖戦。
神と悪魔の醜い戦い。
終わりの、ωの物語り。
そしてそれは、今までずっと引き分けてきた。
悪魔は死に。
世界は死に。
神はヒメを失い。
全てが、ドロー。
だけど。
だけど今度こそ、勝ってやろうじゃないか。
と悪魔は思う。
この世界で、こいつと、あいつと、そして皆で笑い合おう。
終わらせてたまるものか。
罪も、罰も、贖いも、約束も。
全部ぶっ飛ばして。
今度こそ。
今度こそ、間違えない。
「……絶対に、勝ってやる」
と、悪魔が言った。だから魔女は。
「その意気だ」
と笑って。
「…………」
「…………」
そして――
◇◆◇
そして、絶望の鐘が鳴る。
遠くから、空の向こう側から聞こえる、覚醒の声。
≪ ヒュゥウゥィィイィィイイィィィイイイイ―――― ≫
月が啼く。
絶望の月。
終わりを告げる月。
月は啼いた。
最後の戦争が、始まる。