《18》血塗れの世界はただの屍骸。
昔々、それはもう大昔の話、その世界は平和と平穏に満たされた世界だった。
点在する国々が、それぞれに栄華を極めた。
平和。
平穏。
そんな言葉が似合う、笑顔の絶えない世界だったそうだ。
それは、過去の話なのだけれど。
もう、終わってしまった話、なのだけれど。
その世界は、本当に、本当に綺麗な、世界だった。
アーテロテーア。
神共によって滅ぼされた世界。
馬鹿で屑な化物共が、羨ましがって、嫉妬して、そして滅ぼされた世界。
紅い月が落ちて、殺されてしまった世界。
「虚しいな……」
虚しい、そう虚しい。
水の「法」を操る魔女との戦いは、結局引き分けだった。
お互いに魔力枯渇に追い込まれ、ぎりぎりの所でお互いにぶっ倒れた。
いつもそうだ。
三千戦三千引き分け。三千勝三千敗。
だって、彼女たちは「炎」と「水」だから。
どちらともに、拮抗し、対立し、そしてお互いの弱点でもあるのだ。
水の弱点である炎の「法」を操る、魔女は言う。
「この光景を見ていると、どうもセンチメンタルな気分になる……」
殺されて、成れ果てた世界。
その所為で、食料が枯渇して、平和な世界は、獰猛な弱肉強食の世界へ。
そして誰もいなくなった。
「眺めているだけで、精神を侵されそうだ……」
その魔女の台詞に、彼女の隣に立つ気の抜けた表情の、眠そうな灼眼の、それでも優しげな笑顔を持つ彼女の従者は言った。
「同感だね。この光景は、目の毒だよ」
「《世界の成れの果て》、か……」
「全く神共には共感できない。気持ち一つで世界を滅ぼしちゃうんだから」
「そうだな……」
「ハルマゲドン、アポカリプス、ラグナレク、ノアの大洪水」
「…………あの世界は、あとどれ位だろうか?」
「さぁね、僕はあの頭の狂った神共じゃないから。んでもま、まだ大丈夫。まだ、あの世界は滅びない」
滅びれば、全部終わって、全部死んで、黒い月に監視されて、成れ果てる。
「《天使》どもは、もう行動を起こそうとしている……」
「まぁね、あっちはもう十分に戦力を整えたし、あとは《パラダイス》の完成を待つだけだろうね。一応「僕らの子供」は既に臨戦状態さ。でもこっちはトップが不在だからね」
全てを統べる者。全てを統べるべき者。
「そろそろ、か……」
「そろそろだよ」
「もうすぐ、アイツは目覚める」
「狂わないと良いね」
「そうしない為に、私たちはアイツに「絶望」を教えて、「愛情」を与えた」
「ぷ、愛情か……。あれを愛情と表現するには、あの子はまだ幼すぎるなぁ」
「…………愛情、か」
愛情。その言葉は、自然と昔の記憶を喚起させる。
人間は、私たちの事を女神と呼んだ。
女神。
女神。
女神。
その言葉をなんども繰り返してみる。
そして思い出す。
あの退屈で、閉鎖された楽園で、彼に出会い、堕ちてしまった時の事を。
私は恋をした。
私は彼に恋をした。
まだその時は、私も幼くて、それでも私は、心の底から彼を好きになった。
なってしまった。
だから私は堕ちた。
女神から、魔女へ。
炎の女神から、炎の魔女へ。
嘲笑。
侮蔑。
友人だった女神にすら、白眼視される。
でも私は、それでも良いと思った。
そして私は彼と結ばれた。
幸せだった。
この上ないくらいに幸せで。
これが「愛」なのだと、「愛」はなんて素晴らしいんだろうと、そう思った。
それから少しして、私と同じように、下等な人間に恋をして、女神たちが堕ちてきた。
彼女は私の親友たちだった。私と一番仲が良くて、私に思い直すようになんども言ってくれた親友たちだった。
私はどうして?と聞いた。どうして貴方たちは堕ちてきた?と、そう聞いた。
彼女たちは口を揃えて言った。
「恋をした貴方が幸せそうだったから」
そして彼女たちも恋をして、そして相手と結ばれて「愛」を知った。
女神は「恋」をし「愛」を知ると堕ちる。
成れ果てて「魔女」になる。
狂って、成れ果てた女神。それが魔女。
愛。
愛に狂った女神。
「ルシアは記憶を無くして勘違いしているみたいだけど、彼女はもう女神に戻れない」
「……いや、案外、気付いているのかもな」
「気付いて無いよ。彼女は本気で女神に戻れると信じている。彼女の本当の目的は、頭のイカれたクズな化物どもに復讐することだからね」
その言葉に、「炎の魔女」は溜め息を吐いた。
「……お前は、本当にどうしようもない朴念仁だな」
「うっ!ってえ?どういう事?」
「……もう少し女の気持ちについて考えてみろ」
彼女の言おうとした事について考える鈍感な下僕は放って置いて、「炎の魔女」は遠くを見る。
そこには、きっと傷付いた「水の魔女」と「その下僕」がいるはずだった。
二人の魔女と、その下僕たちの間に、風が吹いた。