《10》魔王の後悔
「な、なんだ!」
客間のほうから聞こえる轟音。
エルデリカは素早く客間へと向かった。
「……!萌黄!」
客間の前で呆然としているメイド長萌黄に声をかける。
「状況を報告しろ!」
「あ、え、でもエル、これって……」
彼女は動揺した様子で部屋の中を指差す。
エルデリカも客間を覗く。
しかしそこに広がっていた光景に、エルデリカは呆然としてしまった。
魔王が堂々とソファでねっころがってスヤスヤ寝ている。
客間の壁の一部がぼっこりと無くなっており、外の風が入り込んできている。
そして、勇者姫と、魔女がいない。
どういう事だ。
どういう事だこれは。
何故魔王は敵地のど真ん中で悠々と寝ている?
何故高硬度を誇るユング岩で出来た客間の壁に穴が開いている?
何故あの二人はいない?
がしかしその時だった。
状況を整理できず、困り果てていたエルデリカが見ていた大穴の前を、白と黒の何が猛スピードで横切った。
変な雄叫びを上げて。
慌ててエルデリカは大穴から外の状況を確認する。
がしかし、確認したからと言ってどうこう出来る状況ではなかった。
白と黒の何か――いや、あれは姫と魔女だ――が、戦っている。
並みのスピードではない。空中を飛び回り、衝突、また離れ、衝突。その繰り返し。
「…………」
一体、何が起きているのだろうか。
◇◆◇
「はぁぁぁぁぁぁ!」
剣と剣が衝突。光と闇、相反する力がぶつかり合う。
「生意気な小娘が!」
「図に乗るな魔女め!」
闇は、負の力。
光は、正の力。
その間に0など存在しない。
世は光に満ちている。故に闇があるのだから。
魔女は姫君の剣を弾き、一気に間合いを取る。
「ちっ、水掛合戦かっ、これでは埒が明かない!」
そもそも、魔王がまだ封印されていなかった頃の彼女は《光の物質化》が出来なかった筈だ。
いつ、誰が、どうやって姫君の封印術式を解いたんだ。
「くそっ、物量作戦だ!」
魔女は両手を広げる。
彼女の腕の周りから、闇が生まれる。
大量の黒い霧、それが《闇》。
それは蟲のように、雲のように、彼女の周りを満たし、そして、収束する。
暗黒の剣に変わる。
禍々しく、それでいて美しいフォルム。危なく妖しい、そんな剣が、まるで整列した兵隊のように所狭しと並んでいる。
その数、約一万。
「串刺しにしてやる!」
剣が、まるで億千万の矢のように飛ぶ。
姫を包囲し、縦横無尽に暴れまわる。
姫はそれらを避ける、避けまくる。
まるで鳥のように、蝶のように、華麗に避ける。
一万の剣は、服を掠める事はあっても、その純白の蝶を切り刻む事は出来ない。
「ちっ、剣は邪魔ですね……」
姫君は呟き、動き回りながらそのしなやかな指を踊らす。
すると彼女の周りに白い剣が生まれる。
数は五本、だが標的は彼女のなのだ。近付いてきた黒い剣を白い剣が斬る。
本数が少ない分、光の能力、効果は黒い剣よりもはるかに高い。
数的には不利だが、能力の差ではこちらが上だ。
白い剣が切り伏せると、黒い剣は霧散する。
白い剣は、次々と襲い来る黒い剣を次々と切り伏せる。
あっと言う間に一万の黒い剣は無くなってしまった。
「魔女の癖に小ざかしい真似ですね!」
「姫はおとなしく城に篭っていろ!」
魔女は闇で巨大な槍を構築。こちらに向けて放つ。
「ただの姫ではありません!私は勇者の姫なのです!」
彼女も負けじと巨大な槍を構築。黒白の槍が衝突、そして共に崩壊。
「ちっ、中々やるな……」
魔法は無理だろう。何せ彼女には魔法が効かないのだ。もちろん呪いの類も無しだ。
ではどうする?
「…………」
がしかし、そんな事を考えている余裕は、今の彼女には無かった。
姫は猛スピードでこちらに突進。
「っ!」
速い!
魔女は闇で剣を生成し、放つ。
しかし姫君はジグザグに突進、どれも当たらない。
「はっ!」
姫は魔女に急接近、拳を突き出す。
――ここで肉弾戦とは!
「このっ!」
上手く力を受け流す。が、それでも後退するほどだ。強い。
「くっ!」
このままではまずい。一度間を取る。
「逃げるんですか!」
追ってくる。
「肉弾戦は得意ではないんだがな!」
拳を突き出す。
「っ!」
姫はそれを避ける。
がしかし、魔女は笑う。
だってそれはフェイントだから。
避けるのが前提なのだ。
魔女は素早く体勢を立て直し、拳を強く握る。
姫は、反応できない。
「はっ!」
ヒット。
上手く、そして力強く腹部に入った。
「くはっ!」
しかし鳩尾ではなかった。
姫は後退。間合いを取る。
「はっ、はっ、はぁ…………」
まずい、ダメージが大きい。
「あっははははは、もうスタミナ切れかぁ!?」
魔女は挑発。
「口ほどにも無い!自国民の前で無様に死にさらせぇぇぇ!」
巨大な、巨大な《杭》が、構築されていく。
漆黒にして、妖しく、荘厳な装飾が施された細長い杭。
十本。
その杭たちが、一気に彼女に向かって放たれた。
「くっ!」
速い!
が、姫はすぐさま光を収束、純白の盾を構築。
杭を防ぐ。弾く。
「無駄だバァーカ!」
魔女は指を踊らせる。
杭が、加速する。
そして貫く。
しかし
「馬鹿はそっちですよ!」
姫は、盾の後ろで、光を収束して弓を構えていた。
「はっ!」
純白の矢が射出、加速。
矢の周りでは呪文のような文字が渦巻いている。何かしらの魔術か、呪い。
「小賢――っ!」
矢は、もう一段階加速。と同時に分裂。
その数は、五本。
魔女は、対応できない。
「ぐぅ!」
喰らう。
両足、両手、腹。まるで磔刑のように。
そしてふっ飛ぶ。
そのまま城へ。
轟音と崩壊。
そして静寂。
「はぁ、はぁ、はぁ」
やがて歓声。
自分をたたえる声。
勝利。
あの場所は王族の簡易牢獄所。ふっ、狙い通り。
「あはははは!」
中々にしぶとい相手だったが、まぁ問題無し。あの矢にも気絶用の呪いをかけておいたし。
「さぁ邪魔な女はいなくなった事ですし〜」
姫の目付きは、何処と無く狡猾で、意地悪そうで、そして獰猛な蛇に似ていた。
◆◆◆
夢。
それは、夢。
夢なんだ。
もう、終わってしまった、光景なんだ。
彼女が笑って、
俺も笑って、
そして、皆が笑う。
そんな光景は、もう無いはずなんだ。
だけど見てしまう。
夢に出てしまう。
もう無いはずの光景が、見えてしまう。
そんな光景の中で、彼女が微笑んでいる。
「――」
自然と、呼んでしまった、彼女の名前。
彼女が微笑む。
嬉しそうに、はにかむ。
その顔を見ていると、心が、ギュッと締め付けられるようで。
余りの痛さに、冷たさに、自然と涙がでる。
◆◆◆
不意に、目が覚めた。
「あっ……」
名残惜しさと共に、目覚めた。
「おはようございます」
声が聞こえる。
優しげな声が聞こえる。
「…………」
ゆっくりと身体を起こすと、椅子に座った聖女の姿が目に映った。
「あ〜、俺、どんくらい寝てた?」
「せいぜい10分程度ですよ」
「ね、寝言とか、言ってた?」
「知らない女性のような名前を呟いてましたよ」
うぇ、マジかよ……。
誰の名前を呼んだのか、思い出そうとする。
と、
「痛ッ」
頭痛。
思い出せない。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ……」
……なんだ、まるで脳に思い出すなとでも言われているかのようだ。意味が分からない。
…………………。ていうか。
「すげぇボロボロじゃん」
ワイルドだ。
折角の綺麗なドレスが、ボロボロになっている。
「いや思いのほか強くて、結構手こずりましたよ」
とか何とかいいながら紅茶を啜る。むせる。
戦闘の所為か、顔が赤い。
「まぁ、大丈夫か」
アイツは、そう簡単に死ぬような奴じゃないし、それに執念深いし。殺したら呪ってきそうな奴だし。しぶといし。
「それはそうと、魔王様。よだれがたれていましたよ」
え?
「え、う、嘘!?」
濡れている。はずい。ちょいはずい。
よだれを気にしていると、突然勇者姫は唇の横を擦ってきた。
「うぉ」
びびった。
「何すんの?」
すると彼女は小首をかしげる。
「何って、いやよだれを拭いてあげてるんですよ?」
「いやいやいや、なんでよ?」
「魔王である貴方が、よだれたらしてるなんて威厳も何も何じゃないですか」
「う〜んそれもそうか……、ってお前なぁ〜。これでも俺らってあれなんだぜ?敵対してるんだぜ?そこんとこ、分かってる?」
「だったらなおの事、私と敵対するんでしたらもっとキッチリしてください」
…………まぁ、言われてみれば、そうなのかも知れない。
でも、懐かしいやり取りだ。
記憶があった頃は、確かこんな感じだった。
温かい。
そして。
痛い。
このやり取りを奪ったのは自分なのだ。
自分が何もしなかった所為で、こうなっているのだ。
抗うべきだったかもしれない。という、自分に対する後悔。
惨めで、そして卑しく、愚かだ。
と、
「なぁに私の所有物とイチャついている?」
そんな女王様発言と共に、
「しぶといですね……」
魔女は復活。