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 見たことがないほど白く清潔な広い部屋だった。

 わたしは椅子に座っていた。

 ほかにも大勢の人が等間隔に並べられた椅子に座り前を正視していた。だれも身じろぎ一つしない。まばたきがなければ精工な人形に見えるほどだ。

 全員が灰色のジャンプスーツを着ていた。年格好も近い。子供というのはためらわれるが大人というには若すぎる。十代後半だろう。

 髪や肌の色は違うし個性もあった。そのはずなのになぜか全員がおなじ顔に見えた。

 学校という施設でおこなわれていた授業というものに似ていた。戦前の風景を記録した映像媒体で観たことがある。しかしあの映像の子供たちは泣いたり、怒ったり、笑ったり、表情豊かに騒いでいた。

 ここにいる人たちの顔がおなじに見える理由を理解した。

 だれもが一切の感情をうしなったような無表情なのだ。

 突然、バシンと音がして部屋の照明が消えて非常灯に切り替わった。

 毒々しい黄色の往来が陰影を際立たせる。大がかりな無菌室のようだった部屋は一瞬で見なれた地下の密室になりはてた。

 視線を感じて隣を見やった。

 悲鳴をあげそうになった。

 隣の青年の顔は半分が人間で、半分が皮と肉が削げ落ちた赤黒い髑髏だった。

 みながいっせいにわたしを見た。

 全員が人間の身体に異形の貌をのせていた。

 割れんばかりに喰いしばられた長い歯。こわばって小刻みに震える突きでた頬骨。深い眼窩にぽつりとうかぶ煮えたぎったような赤い眼球。

 わたしはそれを知っている。あらゆる動物の天敵。災厄の魔獣。滅ぼすもの。

 怖かった。

 たまらず、わたしは両手で顔をおおった。額に触れた指先の感触に違和感をおぼえた。おそるおそる手を見る。溶け落ちた皮が張りつき、赤黒い血肉に濡れていた。

 恐かった。

 額から左目にかけてわたしの顔も変貌していた。

 こわかった。

 彼らがではない。

 自分も彼らのようになってしまうことが恐ろしかった。


「セヴィおねえちゃん」

 アムの声に飛び起きた。

 防護服のなかが冷たい。寝汗でぐっしょり湿っていた。

 悪夢をみていた。こういうことは度々あった。しかし目覚めたら夢の内容は憶えていなかった。

 今回ははっきり憶えている。恐怖と嫌悪とそしてわずかな懐かしさ。それらがないまぜになったような奇妙な心地だった。今までは曖昧模糊として取りとめがなかった悪夢の正体をようやく見定めることができた。

 あの白い部屋と怪人の群れがなにを意味するのか。

「セヴィおねえちゃん」

 膝をついたアムはわたしの太ももに触れてうつむいた。様子がおかしい。長い睫毛の下できょろきょろとさまよう眸は必死に言葉を探しているようだった。

「アム。なにかあったの?」

「おねえちゃん。どうしよう。お母さんが虫に食べられてるの」

 一気に目が覚めた。

 悪い予感はしていた。それでもアムがしぼりだした言葉のおぞましさは想像を絶した。

 アムの母親が寝台代わりに使っている機動車のもとへ急いでむかった。

 ドアが開けはなたれた機動車の後部座席でアムの母親は力なく横たえていた。

 静かだった。この近くでは常に聞こえていた声を殺した咳の音がない。のぞきこんで確かめる。

 薄く開いて渇くままになっている目と唇。相手が無抵抗と見るや容赦なく肉をかじる貪欲な黒い甲虫が青白い肌の上を点々と這っていた。

 アムの母親は息絶えていた。

 わずかばかりの薬を持ち帰り、あとは衛生兵に託してわたしは気絶するように眠った。ほかの二班はまだ帰投しておらず、報告するべき上官もいなかった。

 あれから数時間。容態が急変したというわけではないだろう。正直、最初からわかりきっていた。医者も満足な施設もなく、素人が見つくろった薬が効かなかっただけ。

 風前だった灯火がかき消えただけだ。奇跡はおきなかった。それだけの話だ。

「おねえちゃん。お母さんは。グレイスお母さんはどうしちゃったの? なにをしてあげればいいと思う?」

 アムはわたしの手を握ったまま母親の遺体を見つめていた。わたしも茫然と立ちつくし、小さな手を握りかえしてやることしかできなかった。

 なんて言葉をかければいいのか。どうしてやればいいのか。わたしにはわからなかった。

「なにもする必要はありません」

 か細い声が背後から聞こえた。

 後光というにはあまりに陰鬱な非常灯の光を背負った黒づくめの修道女が立っていた。マリアだ。厚々と闇がのった顔は不気味な仮面のように笑っていた。

「母親は神の御許に召されました。じきにあなたもおなじところにいけます」

 その唄うような声も、すべてをあきらめたような微笑も、そしてもちろんアムへの発言も、すべてが気に障る。

「ふざけるなよ。前にもいっただろ。二度とそんなことぬかすな」

「怒っているのですね。セヴィさん。気持ちはわかります。以前はわたしもそうでした。しかし怒りに任せた抵抗ではもはやわたしたちは救われません」

 一人、また一人とマリアの後ろに避難民が集まってきた。両手を組んで瞑目するものもいた。アムの母親にむけたものではない。マリアに祈りをささげている。

「ずっと疑問に思っていました。どうして主はわたしたちにこうも辛くあたるのだろうと。ここに閉じこめられて、ようやく答えが見つかりました。これは運命なのです。わたしたちに穢れた大地と不自由な肉体を放棄させ、新たなるすばらしい世界に導くため。すべては神のご意思なのです」

 マリアが説く教えとやらが破滅思想に傾倒しているのはわかっていた。そんなものでも、自暴自棄になり、ともすれば錯乱する民間人の精神を繋ぎとめるための一助になっていたのは事実だ。だから問題視しつつも目をつむっていた。

 しかし、わたしたち兵士のほとんどが不在となったタイミングで、マリアはいよいよ本領を発揮したようだった。

 今や薄汚れたがりがりの修道女につき従う徒党は二十を超えた。どこからわいてきたのか。まるで配給をせがむ群衆だ。

 わたしは一歩踏みだした。そろいもそろってなさけない面をひっさげた一団と対峙する。

「神の意志だって? びっくりするほど短絡的なこじつけだな。あんたはアバドンを間近で見たことがあるのか。わたしが正しい答えを教えてやる。神はいない。新たなる世界なんて都合のいいものもない。死んだらすべてが消えてなくなってそこで終わりだ。消えたくないなら戦うしかない」

「その戦いの結末はあなたの後ろで虫にたかられていますよ。多大な犠牲をはらって最善を尽くしてもたった一人を救うこともできなかった。なにより、あなたは最初からわかっていたはずです。アムの母親の結末も。そしてわたしたちの結末も。違いますか?」

 違う。そんなことはない。アムの手前、そう否定したかった。兵士として否定するべきだということもわかっていた。

 しかし、マリアをにらみつけて唇を噛むことしかできなかった。

「苦痛と悲劇しか生まない抵抗などあまりにむなしい。神を信じなくてもかまいません。しかし行きつく先がおなじならばせめて安らかであるべきだと思いませんか?」

 アムが強く手を握ってきた。彼女のあたまを撫でて気の利いた優しい言葉をかけてやれればどんなによかったか。

 実際はアムを正視することすらできずにいる。わたしにアムは救えない。

 マリアにゆだねれば、少なくとも苦しみをやわらげることはできるのかもしれない。あの後ろにいる連中のように耳障りのいい言葉を妄信すれば、悲惨な現状に花畑柄のうすらぼやけたフィルターをかけることはできるのかもしれない。

 わたしは小さな手のぬくもりを手ばなしかけた。

 そこで音に気がついた。

 いつからか、壁を叩くような打音がかすかに聞こえていた。

 音の発信源をもとめて群衆もきょろきょろと視線をめぐらせはじめた。その動きが全員に伝播するころには、彼らの視線は一点に集中していた。この格納庫エリアを閉ざす自動隔壁のほうだった。

 音は隔壁のむこうから響いてくるようだった。

 なにかが隔壁を反対側から叩いている。

 ぞわりと全身が総毛だつ。

 この状況でそのなにかが歓迎されるべきものであるはずがなかった。

「神の遣いだ」群衆の一人が叫んだ。

「使者がおとずれたぞ」

「我らにも旅立ちのときがきたのだ」

 ざわめきはたちどころに熱狂へと変わった。群衆は隔壁に殺到した。

 すでに隔壁の前には数人の兵士が集まっていたが、護るべき民間人が大挙して死地に押しよせるという事態に対処できるわけがなかった。

 圧倒的多数の人波になすすべもなくあれよあれよと蚊帳の外に押しやられる。この格納庫エリアに籠城することになった最初の退却戦が思いかえされた。

 初老の男が隔壁の横にある開閉制御盤に取りついた。反対側の制御盤は破壊してある。この格納庫エリアの封鎖を解放する唯一の手段だった。

「やめろ。開けるな」兵士は口々に制止を叫び、銃をむけるものもいた。しかし死に救いを求める人間が相手ではこけおどしも通用しなかった。

「マリア。あんたからいって止めてくれ」わたしは彼らの指導者を呼んだ。「やつらがもたらすのは安らかな死とはほど遠いぞ」

 マリアは遠巻きからこちらを傍観していた。その表情は子供のやんちゃを見守る親のようにおだやかで、あまりの場違いさに吐き気さえおぼえる。

 アムがわたしの腰にしがみついてきた。小さな身体は凍えるようにふるえていた。

 この子だけはなんとしてでも護りたい。それがわたしの主目標。存在理由だ。

 さきほどはマリアにゆだねかけてしまったが、こんな最期が救済であってたまるか。

 わたしは小銃をかまえた。安全装置のセレクターを連発に切りかえる。

 そんなに死の国へ旅立ちたいならわたしが手伝ってやる。

「セヴィおねえちゃん。なにするの」アムが身体をゆすってきた。

「あいつらを殺す。目つむってな」

 脅しも威嚇射撃も省くつもりだ。対アバドン用亜音速弾で横なぎにすればもろい人間の群れなどひき肉にできる。はた迷惑な自殺志願者を一掃できれば後腐れもない。

「だめだよ。お願い。やめてよ」

「なぜだ? あいつらは死にたがっている」

 アムはわたしからはなれて後ずさった。

「あなた……だれ? こわいよ。セヴィおねえちゃんをどこにやったの?」

 アムの言葉の意味がわからなかった。おもわず照準から目をはなしてまじまじと見やった。

 色をうしなった肌に小刻みにゆれ動く眸。そのおびえきった表情に既視感を覚えた。

 わたしだ。さきほどの悪夢のなか、怪物に変貌する人間に恐怖していたわたしにそっくりだった。

 我にかえって隔壁のほうを見た。

 振動をともなって厚さ八十ミリの鋼鉄の板が左右に割れはじめた。

 終わった。もう手遅れだ。すぐに地獄がなだれこんでくるだろう。

 わたしはいやがるアムを抱きかかえてその場をはなれようとした。隅にある装甲車かなにかにアムをかくまおう。見こみは薄いが生き残れる可能性はそれしかない。

 しかし様子がおかしかった。静かだ。隔壁が開ききっても阿鼻叫喚ははじまらなかった。

 兵士も、狂気に支配されていた避難民も、茫然と隔壁の先の薄暗い通路を見つめていた。

 人垣が左右にわれていく。その中央から予想だにしなかった人物が現れた。

 一人の兵士と鈍色の巨人。

 格納庫エリアを訪れたのは中尉とシックスだった。




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