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三人になった途端、二人の二等兵は饒舌になった。
「セヴィ兵長、あなたのことは知っていますよ。おれたちと同年代の女兵長は珍しいですから」
「赤ん坊のころから軍にいるという噂はほんとうですか?」
「わりと最近このシェルターに異動してきたでしょう。いやはや、ついてないですね」
「同情しますよ。前はどこにいたんです?」
執拗にたわいもない雑談をふられる。
こんな状況で友達をつくるつもりはない。なにより安全が確認されているとはいえ隔壁を一枚挟んだ先はどうなっているかわからないのだ。
遠足じゃないんだぞと一喝するほどよくできた上官でもないので、無視するにとどめた。
話しかけてこなくなったが二人のおしゃべりはとまらない。一人はがりがりのノッポで一人は小柄だが筋肉質の猪首。まさにでこぼこコンビといった感じだ。少人数で行動する緊張を雑談でまぎらわせようとしているのかもしれない。
非常灯を頼りに通路を進む。このエリアの道幅はかなり広くとられていた。貨物運搬用のリフトや負傷者を載せた担架が往来するためだ。
以前はシェルターの大動脈といっていいほど人の行き来が盛んだった通路も、今は死んだように暗く静まりかえっていた。
医療エリアに到着した。
処置室の並びのドアはほぼすべて解放されていた。そんななか一つだけ閉てきられたドアが目についた。取手の上に赤いインジケータが点っている。
誰かが外から専用のキーカードでロックしたか。内側から鍵をかけたのだ。
「そこは棺桶です」より若いノッポのほうが声をかけてきた。
「棺桶?」
「重篤な傷病者専用の救護室です。終末医療室といったほうがいいかもしれませんね」
猪首の男が嘲笑うように鼻を鳴らした。
「ほとんどが意識不明で、意識があったとしても自力で動けるやつはいませんでした。おそらく医者が逃げるときにロックしたんでしょう。せめてものお情けってやつですよ」
こうなると外から解錠することはできない。身動きできない患者がアバドンに喰い殺されるのを忍びないと感じたのか。かといって生きたまま干からびさせるのがお情けになるのだろうか。
襲撃からもう二週間たっている。医療処置なしで生きのびている人間はいないだろう。棺桶というのも納得だ。
目標の医療品倉庫は棺桶部屋のすぐ隣だった。散らかってはいるもののほとんどの物資は手つかずで残されていた。背嚢をおろしてさっそく物色にかかる。
衛生兵から不足している医薬品のリストを渡されていた。とくにアムの母親に効きそうな薬を重点的に聞きだしてきた。思いつくかぎりを列挙したのだろう。素人目にも素人が作ったことがわかるリストだが従うほかない。
「おれたちは外を警戒しときます。ごゆっくり」
セムロックの兵士たちは倉庫入り口で待機していた。しかし言葉に反して二人は動きまわるわたしをじっと見つめていた。
嫌な感じだ。四つん這いになったときや背伸びをしたとき、二人は隠そうともせずにお尻や胸を凝視してきた。男社会の防疫軍でそういう目で見られることには慣れている。しかしこうも露骨だと怖気がはしる。
手あたり次第に詰めこんで背嚢を満杯にした。この大荷物でダクトを使って帰れるかわからないが、みんなと合流してから荷物を精査すればいい。
二人の兵士の間を通って倉庫を出ようとした。視線が胸に突き刺さる。重い背嚢を背負って防護服越しでも強調されていた。
猪首の兵士が行く手に立ちふさがり、突然わたしの胸を鷲掴みにしてきた。
「なんのまね?」にらみつけながら負い紐で肩に吊っていた小銃に手を伸ばした。
「動くな」ノッポが側頭部に銃口を突きつけてきた。なす術なく銃を奪われてしまう。
「いいだろ、兵長さん。おれたちはどうせ助からない。最後ぐらい楽しもうぜ」背嚢を強引に落とされ、猪首が防護服を脱がしにかかってくる。「おれたちのとこに逃げてきたのはジジィとガキばっかりでよ。女といったらあんたのとこの軍曹の嫁だけだろ? あの年増には飽きがきてたんだ」
その言葉ですべてを理解した。不愛想で破滅思想を隠そうとしないセムロック。頑なに合流を拒む理由。別れ際に軍曹の奥さんが見せた心配そうな表情。
彼らは倉庫エリアに退避してきた民間人を食い物にしていたのだ。
無抵抗をよそおいなすがままに押し倒される。わたしに馬乗りになった猪首が自身の防護服を脱ごうと手をはなしたとき、その胸倉を掴み、思いきり後ろに投げ飛ばした。
「やめろ。暴れるなよ。撃つぞ」
ノッポが怒鳴っていた。銃口はわたしを捉えていたがかまわなかった。身体が目当てなら撃ち殺したりはしないはずだ。
這って出口へ逃げようとしたが猪首に足首を掴まれ引きずり戻される。空いた片足で顔面に蹴りをくらわせた。猪首は短い首をさらに縮めて鼻血をふきだしてのけぞった。
今度はしっかり立って出口へ走った。医薬品倉庫から出ることはできたが追ってきたノッポがタックルしてきた。通路の壁に頭から激突し眼窩の奥で火花が散った。
すかさず駆け寄ってきた猪首がわたしの首を掴み壁に圧しつけてきた。
「このアバズレ。暴れるんじゃねえ。殺しちまうぞ」
ぎりぎりと絞めつけられる。喉が潰れていく筆舌しがたい疼痛。息ができない。
男の顔を見た。口元を血まみれにした悪鬼のような形相はアバドン顔負けに醜かった。
両手を男の顔面に伸ばした。親指を瞼にあて可能なかぎり力をこめて突き出す。
男は絶叫し両目から血の混じった赤い涙があふれだした。
それでも首を絞める力はゆるまない。暗くなっていく視界と意識の端で男たちの背後にあるドアを捉えた。
棺桶と揶揄された救護室だ。赤いインジケータが消灯し、ドアが開いていた。
小銃を構えてわめきつづけているノッポのすぐ後ろ、影のように何者かが立っていた。
その人物は目にもとまらない速さでノッポの銃を奪い、首に提げていた私の小銃の負い紐を絞めあげた。
ノッポは巨大な虫を潰したときのような奇声をあげて膝をついた。そこでようやく猪首は背後の異常に気づき手をはなした。
その人物は奪った小銃を片手で軽々と把持し、猪首に突きつけた。
それは全裸の女だった。
短髪の黒髪に長身。歳はわたしと同年代ぐらいだろうか。鍛えぬかれた肉体には女性らしい曲線が見当たらず、身体中に大きな手術跡があった。一糸まとわぬ裸体なのに扇情的な印象とは無縁だった。
そんな異様きわまりない女に、なぜかわたしは既視感めいたものを感じていた。
これに似た生き物をどこかで見たきがする。
「状況を説明しろ」女は端的にいった。負い紐と小銃で男たちの生殺与奪の権を握りながらも、その声音は寒気をおぼえるほど冷静だった。
「お前はなんだ。どこから湧いて出やがった」
猪首はつばを飛ばして誰何した。完全に狼狽して声がうわずっていた。
「お前らは兵士だろう。なぜ殺しあっている。状況を説明しろ」
全裸の女は動じない。硬質に質問を繰りかえした。ノッポがうめくと足蹴にして跪かせ、さらに負い紐を絞めあげた。
わたしは痙攣するのどで必死に息を吸い、絶え絶えに声をしぼりだした。
「こいつらに襲われたんだ。助けて」
「理解した」
女は躊躇なく小銃を撃った。猪首の頭が爆ぜた。血しぶきがわたしの顔にかかる。頭頂部を失った死体は電撃に打たれたように全身をびーんと硬直させ、床で手足をばたつかせていた。
女は続けてノッポの背中に片膝をあて、私の小銃をめいっぱい後ろにひっぱりあげた。負い紐がはちきれんばかりに首に食いこみ、ノッポは目玉を剥いた。顔が紫になり、すぐに力なく腕をたれた。股間から湯気がたちのぼった。脳漿の生臭さに排泄物の異臭が混ざり漂う。
わたしは座りこみ、一部始終を茫然と見つめていることしかできなかった。
恐怖とは別に、さきほど感じたものとは違う種類の既視感をおぼえていた。
目の前の生物は人間じゃない。殺すことだけに特化した生物。
まるでアバドンのようだった。