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 アムには医者といったがそれは正確ではない。衛生兵だ。

 わたしたちの中隊――もう小隊規模なのだが――で生きているただ一人の衛生兵。

 外傷の応急処置をこなすのが精一杯である軍医ですらない兵卒にどこまで期待できるのか疑問だったけれど、やっぱりだめだった。

 処方された薬を欠かさず飲んで食事をしっかり摂ること。衛生兵はそれだけを告げて去り際にわたしを瞥見した。そして昏い顔でかぶりを振る。

 そのぐらいだったらわたしにだってできる。土色の顔をして喀血のまじった咳をするアムの母親を診れば、それだけでは改善しないことだってわかる。

「セヴィさん」

 虫の音のようなか細い声が耳朶をくすぐった。

 ぞっとして振りむくとマリアが影法師のようにすぐ背後に立っていた。

 わたしはその細い腕をつかまえてアムの母娘から引き離した。装甲車の裏まで引っぱっていく。

「どうしたのですか? こんなところまで連れてきて。いやらしいことをするつもりですか」マリアは耳障りな裏声でいった。唄うようでありながらも抑揚を欠いている。器用なことだ。冗談なのかもわからない。

「ふざけるな。あんた、少しは考えなさいよ」

「どういうことです?」

「アムの母親の具合がよくないのは知っているだろ。あんたに近くをうろちょろされたらアムが不安になる」

 マリアは教会の修道女だ。みんなと等しく薄汚れてはいるが青白い顔と黒づくめの礼服はどうしても死を連想させる。

 各地にあるシェルターは地下鉄や地下施設を改造、拡張したものがほとんどであり、その規模に比例して収容者の生活水準はばらばらだった。

 地上を我が物顔で跋扈するアバドンから発見されることがないよう、収容人数は過多にならないことが是とされていたが、寝床が広ければ枕の数も多くなる。大きい巣穴に蟻が多くなるのは本物の蟻を見たことがないわたしでもわかる。

 その点、タイニア13は比較的恵まれたシェルターだった。山中の地下にあった政府の軍施設を改造したものらしく、規模は大きい部類にはいる。

 戦前からの設備も多く、神父と数人の修道女を抱える教会まで備えていた。

 今ではおよそ二百人ばかりの生存者のなかでマリアが唯一の聖職者になる。

「彼女の母親が神の御許に近づいているのは事実です。幼いアムにはつらいでしょうが、旅立ちの時に心やすらかでいるために教えを説くのはわたしの務めです」

「おい。母親もアムもまだあきらめていない。戦っているんだよ。アムの前で絶対にそんなこというなよ」

「わかりました。セヴィさんがそういうのなら」

 マリアはあっさり引き下がった。微笑というかたちの能面を張りつけたような顔からはその真意はわからない。

「ところで、隊長さんが探していましたよ」

「中尉が? なんであんたがそれを伝えるんだよ。伝令兵のバイトでも始めたのかい」

「それもいいですね。隊長さんにお給金をお願いしてみようかしら」

 わたしの皮肉に笑えない冗談をかえして、マリアは足音もなく離れていった。まったくくえない。

 最近のマリアは布教活動に精力的な様子だった。状況が状況なだけに神の需要が高くなるのはしかたない。

 しかしわたしたち軍人までマリアのいう教えとやらに傾倒するのはいい兆候だとは思えなかった。とくに残存兵の隊長である中尉の近くにマリアの影がちらついているのが気がかりだった。


「兵長。目の調子はどうだ?」

 作戦本部と呼ぶにはあまりにお粗末な天幕のなか、這入るなり中尉が訊いてきた。

「だいじょうぶです」

 中尉は頷き、狭くて暗い天幕のなかでさらに昏い顔を突きあわせる面々を見わたした。

 面々とは少尉一名、軍曹一名、わたしを含めて兵長二名だ。

「備蓄も心許なくなってきた。そろそろ行動を起こさなければならない。最低限の人員を残して自力で動けるものは今回の作戦に参加してもらう」

 兵士の総員は三十一人。そのなかで五体満足なのは二十人。

 本来、わたしの階級ではこのようなブリーフィングに参加することはない。兵長以下は兵卒として扱われるからだ。しかしこの哀れな戦力ではなりふり構っていられないのだろう。

「この格納庫エリアに退却して二週間、通気口から各エリアに斥候を送っていた。その情報からアバドンの抵抗が比較的少ないと予想されるルートを割りだすことに成功した」

 何人かが物憂げにうなった。その気持ちはよくわかる。

 シェルターには通気口が張り巡らされている。人間なら這って進めるがアバドンでは進入できない狭さのダクトだ。

 わたしがプラズマ火傷と曹長の呪縛に苦しめられている間、斥候は地道に方々へ這っていき情報を探っていた。

 しかし斥候兵が涙ぐましい努力で集めた情報とて不確かきわまりないものだ。対アバドン用の熱源探知や音響走査の装置は持ちだせなかったため、音と気配でなんとなく安全そうだなと感じたものでかない。

 みんながうなるだけでその件について文句をいわないのは、そんな情報でもあてにするしかないからだ。

「作戦の目標は三つ。一つは通信手段の確保。司令部へ向かい長距離通信装置を確保する。もう一つは隣接するシェルターへの連絡通路の偵察。生存者を連れてそちらに退避可能かどうかを探ってもらう。最後は物資の確保。倉庫にて食糧や医薬品を調達する」

 無難なところだろう。助かる見込みがあるとすれば考えられるのはそれぐらいだ。

 しかし最初の一つの望みは薄い。他のシェルターの軍部と連絡がとれたところでどうなるというのか。

 いち雑兵の分際でデトロ02の高位な連中が大好きな高説じみた戯言をのたまらせてもらえるならば、わたしはこう宣言する。

『このシェルターへの襲撃はこれが最後になるだろう』そしてこうつづけるのだ。『内部に病巣を抱えたシェルターなどもうシェルターとは呼べないのだ』

「中尉。生存者の捜索は目標に含まれないのですか?」軍曹が身を乗りだした。

「おい。雑談ではないぞ。まだ中尉が話している。質問は最後に受けつける」最年長の少尉が厳かに叱責した。

 しかし軍曹は食い下がった。「タイニア13は広いシェルターです。きっと我々のほかにも生存者はいます」

 彼は新婚であり、幼い子供もいる。その愛妻家ぶりは中隊のなかでよくネタにされてからかわれていた。しかし避難できた民間人のなかに彼の家族の姿はなかった。

 以前は従順だった軍曹の少尉を無視するような態度からは懇願じみた切実さが痛いほど伝わってくる。

 当然、少尉も軍曹が必死になる理由を察しているが昔気質の軍人としてブリーフィングの規律を乱すわけにはいかない。しわだらけの顔に怒気をはらませいよいよ色をなすが、中尉の荒々しいため息が一時的に場を鎮めた。

 たいした場のとりなしかたがあったものだ。上官が部下をうんざりしたような嘆息で黙らせるなど聞いたことがない。

「わかった。生存者の救助も副次目標に加えよう。各班は主目標遂行中に生存者を発見した場合、これの救助に努めることとする」

 おざなりに追加目標を加える中尉。これでは少尉の立つ瀬がない。疲れきったような無表情は雄弁に少尉のやるせなさを物語っていた。

 軍曹はまだ納得していない様子だったがとりあえず口をつぐんだ。

「さきほど挙げた三つの目標遂行のため三分隊を編成する。通信班、避難路偵察班、調達班だ。それぞれ通気口に進入し目標とされた地点を目指す。兵員の細かい割りふりについてはこれから詰めていく」

 わたしはまっさきに調達班に志願した。日常任務だったシェルター内巡視で当該エリアの配置に詳しいと告げたらすぐに承諾された。

 わが身可愛さで調達班を志願したわけではない。この封鎖エリアを出た時点でどこに行こうが安全など保障されない。

 すべてはアムの母親に効く薬を確保するためだった。

 わたしにとっての主目標はアムの救済だ。



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