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 目が痛い。

 わたしは目蓋をこじ開ける。

 のっぺりとした薄闇で毒々しいぐらい真っ黄色の非常燈がくるくると往復している。

 失神と悪夢の飽和攻撃みたいな睡眠から覚めても、目の前にあるのはやっぱり悪夢の続きだった。

 意味もなくがっかりする。べつに他の何かを期待していたわけではないけれど。

 プラズマの光は見るものの目を焼く。それを同僚たちは目玉焼きと呼んだ。あれから二週間、眼球の火傷に苦しめられたわたしとしてはちっとも笑えない。

 ルーキーへの洗礼。新入隊員の通過儀礼といわれる目玉焼きだけど、中堅といっても差支えない兵長であるわたしのそんなへまは不覚でしかない。

 もっとも、仮にわたしが軍曹であっても大尉であっても、自爆を選んだ曹長から目をそむけることは、きっとできなかっただろう。

 目に焼きついて離れないのは閃光だけではない。それはプラズマ照射の火傷よりも厄介で、目を瞑ってもわたしを苛む。

「おねえちゃん。セヴィおねえちゃん、起きた?」

 くいくいと防護服の袖をひっぱられる。

 煤けた顔のなかで宝石みたいに光るくりくりの目がわたしを覗きこんでいた。

「アム……。どした?」

 隣に腰を下ろした少女のぼさぼさのくせ毛をなでてやると、リスみたいな無防備な目は一段と柔らかくなった。

 愛玩動物という言葉を思い出す。本物には一度も触ったことがないけれど。わたしの知識は映像と記録で培われた虚構でしかない。

 二十年ほど前、魔獣としか譬えようのない兇暴な獣が大挙して現れ、文明を壊したらしい。

 アバドンと名づけられたやつらを一掃するため、浄化計画という核攻撃で地表は焼き払われたらしい。

 結果を考えれば浄化計画とはあまりに皮肉で、地上をまともな生物が棲めない環境へと汚染し、まともじゃない生物であるアバドンに明け渡すことになっただけらしい。

 まだ赤ちゃんだったわたしを抱いてシェルターに避難した母親は、わたしにセヴィという名を遺してすぐに被曝で死んでしまったらしい。

 胎内汚染をまぬがれたわたしは軍部の保護施設に収容され、そのまま軍籍となったらしい。

 らしい、らしい、らしいだ。

 自分の身の上でさえもわたしにとっては人伝の虚構で実感がわかない。唯一、はっきりと思い知らされていることは、わたしの記憶は地下で始まり、そしてきっと地下で終わるというこの現実だけだった。

 地上での文明を知る大人たちはかつてを楽園と懐かしみ、今を地獄と嘆いた。だから今の世界しか知らないわたしやこのアムは、あるいは幸せなのかもしれない。生まれも育ちも地獄ならば、それを日常と呼ぶしかない。

「おねえちゃん。ご飯食べた?」

 アムの言葉にわたしはうめいた。どうやら眠りこけていたせいで今日の配給を逃したようだ。現金なものでそれを知った途端に腹がぐうと鳴った。

 寄り添って壁に背を預けるアムにも聞こえたのだろう。アムはほつれだらけのポーチをまさぐって、スティック状のビスケットを取りだした。活動に必要な栄養素を凝縮した軍用食糧だ。

「あげる。食べていいよ」

「これ、どうしたの?」

 わたしは手を伸ばしかけるも素直に受け取れなかった。

 現在、配給は一日一回にかぎられている。ここに一つあるということは誰かが一人餓えているということだ。

「お母さんのぶん。でもお母さん、食べたくないって。具合が悪いみたいなの」

「そっか」

 きっとアムは母親の不調を告げるためにわたしを起こしたのだろう。

 矢も楯もたまらなかっただろうに、その上でわたしを気遣う小さな友人のあたまをもう一度くしゃくしゃとなでた。

 おなじシェルターに住みながらこんな事態に陥るまでわたしはこの少女のことを知らなかった。

 こう言ってよければ、わたしがこの少女と親しくなれたのは居住区のほとんどを失い、人口がいちじるしく減少して、伴って見合わせる顔ぶれがかぎられたおかげだ。

 二週間前、このタイニア13シェルターはアバドンの内部出現の被害に遭った。

 信じがたいことにやつらは虚空から不意に出現する。二十年前から現在までつづく、きっと終わらないであろうこの戦争の開戦日と等しく、予測もできなければ前兆もない。魔獣と呼ぶに相応しい非科学的な襲来だ。

 すべての区画をつなぐエントランスに大挙出現したやつらによって、このシェルターはほぼ壊滅した。

 蟻の巣穴に水を注げばどうなるのか、とは内部出現を想定した訓練で教官がよく口にしていた警句だが、蟻の巣穴というものを見たことがないわたしにはぴんとこなかった。

 しかしなるほど。どうにもならない災厄にみまわれた小動物の無力さを身をもって痛感させられた。

 たまに気休めに応射して、気休めにもならない土嚢の防塁堤なんてものを築いてみたりして。実際のところは死の洪水から逃れるためにひたすら奥へ奥へと撤退しただけだ。

 逃げるという言葉を使うか。撤退という言葉を使うか。民間人と違ったのはそれぐらいだろう。

 かろうじて最後の隔壁を閉ざすことには成功した、と今の指揮官である中尉は頻りに口にするけれど、果たしてそれを成功と呼べるのか。その者が楽観的かどうかによる。

 わたしはアムの膝こぞうをぽんと叩いて立ち上がった。

「待ってな。医者を呼んでくる」

「うん。前から飲んでるお薬、もう効かないみたいなの」

 詳しくは聞いていないがアムの母親の病症はかんばしくないようだった。区画の最終ブロックに閉じこめられる以前から患っているらしい。

 世界の現実はともあれ、喫緊の状況は地獄産まれの地獄育ちであるわたしでも、これが悪夢なのだと理解できた。

 きっと、この小さなアムにとっても。



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